料理
明け方。東の地平線から太陽が昇り、町を照らし始める頃、雄哉は大量の荷物を持って帰宅した。あまりにも重かったので身体強化魔法まで使っているほどだ。
夜の依頼は想像以上に報酬が高く、難易度Cともなればそれなりに稼ぐことができた。その金を使い、数日分の食料をや調味料を朝市で安く、さらに調理道具や食器などをまとめて購入したのである。水属性魔法陣の描かれた開閉式の箱、つまりは冷蔵庫なのだが、そこにしまっておけば肉や卵も腐ることはない。
「あー……しんどい」
異世界に来て初めての完全徹夜で、体調はあまりよくなかった。しかも激務と言えるほどの依頼ばかりこなしたため、体力も魔力もかなり奪われている。
とはいえそこは若さでカバーするしかない。雄哉は靴を脱いで部屋に上がる。
すると。
「……ベッドで寝とけって、言ったよな?」
美咲が床で横になり、寝息を立てていた。
しかも体勢から考えて、壁にもたれかかった体育座りのまま眠ってしまい、横に倒れたという感じである。天井に描かれた光属性魔法陣も発動しっぱなしだった。
つまり、雄哉が部屋を出てから全く動いていない、ということだ。
ただでさえ徹夜でボーっとする頭に、痛みが走った。取りあえず、買ってきた食材は冷蔵庫に全部ぶち込み、食器や調理器具を仕舞う。やることを終えて時計を見ると、時刻は朝の6時過ぎだった。
(もう少し寝かせるか。俺も仮眠しないと、動ける気がしねぇ)
頭をガリガリ掻きながら、雄哉は眠っている美咲をお姫様抱っこする。痩せ細っているので随分と軽く、とても16歳の体とは思えなかった。少女をベッドにやさしく置き、上から毛布をかける。
代わりに雄哉は床に肘をついて横になり、しばしの仮眠をとるのだった。
□□□□
「……?」
やけに心地いい感覚に包まれながら、少女は目を覚ました。
体を起こすと、どうやらベッドで眠っていたらしい。昨夜は床で寝ていたはずだが、なぜこうなっているのか疑問が浮かぶ。
しかも、すこぶる体調がいい。昨日の夜に食べた豪勢な食事は、朝になって体を動かすエネルギーとなっていた。今まで必要最低限の食事しか与えてこられなかったため、まるで自分の体ではないように感じてしまう。
ベッドから降りると、床には男が寝転がっていた。
黒髪で、見たこともない白い服と黒いズボンを着ている。歳は一つ上ということなので、17歳。
少女を買った、主人と呼ぶべき人。
自分がベッドにいたのは、おそらく彼が運んだからだろう。
(なぜここまで、待遇を良くしてくれるのですか)
声は出ない。しかし、心の中で疑いを持つ。
奴隷。それは人を人ではなく物や道具として扱う。
命は金で売買され、主人の命令に従うだけの存在となる。様々な事情で奴隷に身を置く者は存在するが、基本的にその扱いは酷い物だ。
男の場合は労働力として限界まで働かされる。
女の場合であれば慰み者として扱われることが大多数だ。快楽を得るための道具として、こき使われる。場合によっては玩具にされ、物理的に壊されることもある。
運がいいのか悪いのか、今まで少女は散々売れ残ってきた。声が出ないという欠陥は大きいのか、様々な奴隷商人の下を転々とした。
そして、ついに買い手が現れた。現れてしまった。
覚悟した。どのような扱いを受けても、奴隷には抵抗が許されない。人間ではなく、物なのだから。
しかし、奴隷として買われたはずの少女に最初に待っていたのは、首輪の開錠だった。
奴隷は基本的に、人の目につくことがない。労働力として働かされる場合は大抵町の外であり、性玩具にされる場合は家の中で拘束されっぱなしとなる。いずれの場合にしても、首輪が常に装着され、自由を奪う。
だが、買い手の男は商人から鍵を受け取った瞬間、首輪を外した。
唯一、彼女を奴隷と証明できる物を。拘束するための道具を。
さらには部屋に連れ帰り、名前を付けた。
美咲。それが少女の名前になった。
暖かいご飯を、お腹いっぱいになるまで食べた。
シャワーを浴び、体をきれいにできた。
(希望を見せ、そのあとに絶望の底へと叩き落とそうと。そういう魂胆でしょうか)
疑いは消えない。なぜなら美咲は奴隷である。
どれだけの優遇をされようと、そこには裏がある。そう考えた方がいい。希望の後に絶望を感じれば、その精神的ダメージは計り知れないだろうから。
しかし、首には奴隷であることの証明となる首輪が無い。
昨夜、言われたことを思い出す。
『いいか、お前は奴隷じゃない。確かに金で買いはしたが、それは仕方がなかったからだ。とにかく俺はお前を、奴隷扱いするつもりはないんだよ。意味わかるか?』
嘘を言っている様子ではなかった。
美咲が自身を奴隷であると伝えれば、嫌悪感を示すほどだった。
こんなことがあり得るのだろうか。
(分かりません。あなたは、私に何をさせたいのですか)
美咲はそれ以上、何も考えなかった。
自分は奴隷。命令に従うだけの存在。いくら境遇が良くても、その事実は変わらないのだ。
少女は壁に背中を預け、体育座りをして小さくなる。それは商品として地下に閉じ込められていた時と、全く同じ体勢だった。
□□□□
雄哉が目を覚ますと、すでに昼間だった。
体を起こして伸びをする。そして定位置に美咲がいるのを確認した。相変わらず、背中を壁に預けて体育座りをしている。
「お前、そこ好きなの?」
「……」
美咲は何も答えない。代わりに紙に鉛筆を走らせる。
『とくには』
「あっそ。まあいいや、今日はお前にやってもらわなきゃならんことがあるからな。覚悟しとけよ?」
『かしこまりました』
雄哉は美咲を部屋に置いて図書館に向った。借りていた魔法の教本を返すためという部分もあるのだが、主な目的はそちらではない。手に取ったのは、料理の教本である。
数冊それらを借りて部屋に帰った雄哉は、さっそく美咲をキッチンに立たせた。
「それじゃ、美咲には料理の練習をしてもらおうか。食材は冷蔵庫とそこの棚にある物を全部使ってよし。料理道具は取りあえず必要そうなもの全部、片っ端から買っておいた。調味料も万全。教本を読みながら……そうだな、まずは卵焼きを作ってみてくれ」
『かしこまりました』
さっそく教本を読み始める美咲。
後ろに一歩下がった雄哉は、果たしてこれでいいのだろうかと少し迷った。
雄哉は料理をしたことが無い。ヒュージの働く食事処で依頼を受けたことがあったが、基本的には皿洗いや清掃などの雑用である。ゆえに、教え方もわからないのだ。できるだけ詳しく書かれている初心者向けと書かれている教本を美咲には渡したつもりだったが、それだけで料理ができるようになるのかは疑問である。
と言っても、卵焼きなら例え失敗しても黒こげになるのが関の山だろう。調理手順も、卵を溶いてフライパンで焼けばいいだけである。包丁も使わないため、危ないことにはならないはずだ。
火の扱いが少々危なっかしい所もあったが、十分ほどで卵焼きは完成――
――した、はずだった。
「……あれ?」
雄哉の頬を流れ落ちる一筋の汗。
テーブルに置かれたのは、一枚の皿に盛りつけられた卵焼き。
……の、ようなものは、得体のしれない煙を出しながら煮えたぎっていた。固形物なのに。
おかしい。後ろでずっと料理姿は見ていたはずだが、いったいどこでこうなったのか。
「みっ、美咲? これ、味見とかした?」
『味見とはなんですか?』
簡素に書かれた紙の返事に、とてつもなく不安感が増す。
どこからどう見ても人間が食べる物ではない。味見をしていないということは、作った本人もどんな味かがわからないということだ。
しかし、せっかく作ってくれたものだ。まさかゴミ箱に捨ててしまうわけにもいくまい。
雄哉は手を震わせながらフォークを使い、切り分けられた卵焼きを口に運ぶ。
次の瞬間。故郷、日本の美しい絶景が脳内を駆け巡った。
◇◇◇◇
「ハッ!? ここはどこだ!?」
体を起こす。雄哉は床に倒れていた。いつの間にか意識を失っていたらしい。
記憶を遡る。確か、美咲が作った卵焼きを食べて――
ゾクッ! と、背筋に氷水を流された気分になる。あの味を思い出してはいけない。脳がそういう危険信号を発していた。
ふと、美咲が今なにをしているのかと思い当たる。
料理をしろと命令したわけだが、雄哉が倒れてからは何も指示を出していない。気を失っている間は何をしていたのかというのは当然の疑問だ。
しかしそれはすぐに解決した。
『申し訳ございません』
美咲は怯えていた。
部屋の端でうずくまり、雄哉に向けて謝罪の言葉を書いた紙を見せている。奴隷が主人の意識を刈り取るなど、本来はあってはならないことである。この反応は致し方が無いだろう。
「いや、気にしなくていい。最初は誰でも失敗するもんだろ。次は頑張ろうぜ」
怒る理由も叱る理由もない。普通に卵焼きを作っていただけなのに謎の物体Xが完成していたのは解せないが、ここは異世界。そういうことも無いことは無いのだろう。おそらく。たぶん。
いつの間にか時刻は6時。美咲も雄哉も空腹状態だった。さすがに、今からまた料理を作らせて毒味をするわけにもいかない。
「晩飯、食いに行くぞ」
『かしこまりました』
今晩もまた、食事処へと向かう。しばらくの間、自炊は無理だなと雄哉は結論付けた。
メシマズというかポイズンクッキング