美咲
「ど、どうすりゃいいんだ……」
「……」
雄哉は頭を抱えていた。
部屋に少女を連れ帰るところまではよかったのだ。
しかし、具体的にこれからどうするかを全く考えていなかった。
とにかく一度深呼吸し、脳をフル回転させる。
生活は――ギリギリなんとかなるだろう。
これから難易度Cの依頼を多めに受ければ、多少は稼げる金も増えるはずだ。一人ぐらいなら、問題なく養える……と、思う。
では、依頼を受けている間、この少女をどうすればいいのだろうか。
ふと少女の様子をうかがってみると、彼女は壁に背をひっつけて体育座りで小さくなっていた。しかし着ている服がワンピースでなので、スカート部分の隙間から生々しい太ももと下着が丸見えである。当然、目が釘付けになる。
「……座り方を変えてくれ」
「……」
煩悩を振り落として目をそらしながら頼むと、少女は恥じらいなど一片も見せず、ノロノロと足を横に倒した。
とりあえず目のやり場に困らなくなったので、改めてしっかり観察してみる。
顔のつくりはかわいい方だ。身長は雄哉より頭一つ小さい。肩にかからないぐらいの茶髪は手入れされていないせいだろう、あちこちが痛んでボサボサになっている。栄養が足りていないのか体はやせ細っているが、胸はそれなりにあった。服は清潔な白いワンピースと下着のみだが、案外似合っていないこともない。
どこにでもいる、普通の女の子だ。恰好がみすぼらしい以外は、奴隷にはとても見えない。
「なぁ。お前、留守番とかできる?」
「……」
少女に向けて質問を投げかける。しかし、暗い死んだ目で雄哉を見つめるだけだった。
そういえば、彼女は言葉をしゃべることができないのだと今更ながら思い出す。雄哉は部屋においてある机の引き出しから、紙の束と鉛筆を取り出し、少女に渡した。
「筆談ならできるか?」
すると、少女はゆっくりと紙に文字を書き始める。
そして書き終えた紙を一枚、持ち上げて見せた
『私は奴隷です。あなたの好きなようにお使いください』
「……いや、さっき俺は留守番ができるかって聞いたんだが」
少女は次の紙に再び文字を書く。
『お出かけになるのでしたら、放置なさればいいでしょう』
「お前の飯はどうすんだよ。朝晩はともかく、昼は抜くことになるぞ」
『構いません』
「よかねーよ。そんなに痩せ細ってんのに」
『私が邪魔なのでしたら、殺せばいいでしょう』
「はぁーっ、面倒くさいなぁもう」
雄哉は頭を掻きむしった。
ただでさえ筆談なので会話のテンポが悪くなるのにも関わらず、話があまり噛み合わない。
まずこの少女には、奴隷であることを忘れさせる必要がある。
「いいか、お前は奴隷じゃない。確かに金で買いはしたが、それは仕方がなかったからだ。とにかく俺はお前を、奴隷扱いするつもりはないんだよ。意味わかるか?」
『私はあなたの命令に従うだけです』
「なぜそうなる」
雄哉は床に手をついてうなだれた。
彼女は完全に、心まで奴隷になってしまっているようだ。およそ自分の意思という物が無い。おそらく、今後もこの姿勢を崩すことはありえないだろう。
ならばもう、致し方なかった。
「わかった、わかったよ。じゃあ今から質問に答えろ。主人としての命令だ」
『かしこまりました』
「名前は?」
『私は物です。ご主人様は物に名前を付けるのですか』
「んな趣味ねーよ……。いいから答えろ、奴隷になる前にはあっただろ? 親につけてもらった名前が。それを教えてくれればいいんだ」
『両親は私が赤ん坊の頃に死んだそうです。自分の本名はもう覚えていません』
「ぬぐぉおお……っ」
涙が出そうだった。全くと言っていいほど思い通りに話が進まない。
しかも名前が無いとなると、色々とやりづらくなるのは必至だ。
「じゃあレーテ商店の地下にいた時はなんて呼ばれてたんだよ」
『奴隷に名前はありません』
「……なら、奴隷になる前に呼ばれてた名前は?」
『捨てられました』
「だああぁぁ、クソッ……俺が考えるしかないか?」
名前を捨てられる、という感覚がいまいち理解できなかったが、つまり彼女は名無しなのだ。
とはいえ。自分の子供に付ける名前でもなければペットに付ける名前でもない。
正真正銘、赤の他人に自分の考えた名前を付けるというのは、少し抵抗があった。しかもこれからずっと自分がつけた名前で呼び続けなければならないのだ。下手な名前にすれば、呼ぶたびに黒歴史を掘り返されるような感覚に襲われる可能性がある。
雄哉は自分の脳内であらゆる知識を総動員させる。勉強をあまりしてこなかったせいか、ろくな名前が思い浮かばない。
一時間以上、じっと腕を組んで唸りながら考え続けた雄哉は、意を決した。
「『美咲』……に、しよう。お前は今日から美咲だ」
『かしこまりました』
表情一つ変えず、美咲は紙に文字を走らせる。
今は奴隷というどうしようもない立場かもしれない。だが、将来的には一人の人間として、様々な場面で美しく咲き誇って欲しい。そういう率直な思いをぶつけてみたのだが、あまりにも淡白な反応に雄哉は落ち込んでしまった。
だが、これは彼女が人間らしさを取り戻すための第一歩である。
取りあえず名前の問題は解決したので、雄哉は次の質問に移った。
「それで、美咲はいま何歳なんだ?」
『わかりません』
「……、それは今がいつかわからないから、という意味でいいのか?」
『はい』
おそらく、美咲は何年もの間、商品として生きてきたのだろう。ろくに外へ出ていないはずであり、今の日付が分からなくなっているのだ。
「確か今日は……1510年の11月4日、だったかな?」
雄哉は壁にかけていたカレンダーを見ながらつぶやく。
もちろん、これは地球の物とは別のカレンダーである。といっても、一日の長さは24時間だし、一週間は7日で、一か月は30日、一年は360日というほぼ地球と同じものであったが。
日本と違う点はおそらく四季がないということぐらいである。11月と言えば日本はもう肌寒いが、ミリンダスト王国では高校の夏服で問題なく過ごせていた。
日付を知った少女は鉛筆を手に取る。
『16歳です』
「誕生日は?」
『4月18日だったと記憶していますが』
「そっか」
雄哉は美咲に渡した紙の束から一枚紙をとり、鉛筆をもう一本取り出してメモする。
「よし、わかった。それで、家の家事はできるか?」
『料理以外でしたら可能です』
「なら、これから覚えていこう。自炊できるようになれ。いいな?」
『かしこまりました』
「取りあえずはそれでいいか」
とにかく、美咲が自炊できるようにすることを目標に定めた。そうすれば少なくとも、留守番中に腹をすかせることが無いだろう。
だが、そのためには金が要る。バタフライ・ナイフを購入して貯金はすっからかん、その後受けた奴隷売りの依頼も報酬金を突き返して美咲を買ってしまった。手持ちの金はわずかしかない。二人分の晩御飯を食べたら完全になくなってしまうほどだ。
この世界にやって来て一か月ぐらい経った頃に購入した小さな時計に目を移す。針は20時を指していた。
「まずは腹ごしらえだな。行くぞ――いや、待てよ」
晩御飯を食べに行こうとして、すぐさま思い直す。
美咲の格好だ。地下で生活を続けていたせいか、全体的に汚れている印象をぬぐえないのである。一度シャワーでも浴びさせるべきだ。
そこまで考えて、再び思考を引き留める。シャワーを浴びさせるのはいいが、替えの服がろくにない。男一人暮らしなので、当然、雄哉は女性用の下着など持ち合わせていなかった。
まずはそれを買わなければならないが、しかしその金がない。
「あー面倒くせぇ。後回しにするか。取りあえず今は飯だ、行くぞ美咲」
『はい』
雄哉はこれからの生活に不安を感じながらも、命令に従うだけの少女を連れて町に繰り出した。
異世界ですけど、時間の流れはほぼ同じです。