無敵のエース
「囲碁を辞める時、
何も言われなかったんですか?」
「ん?誰に?」
「お父さんですよ、同じプロとして」
「基本的に何でも子供のやりたいように
やらせてくれる人だけど、よく考えて
それで決めたんならと言われたくらいかな。
囲碁は何処でも出来るから、とも言ってくれた。
……その言葉には感謝した」
ということは……元々勘当もされてた訳じゃ
なかったんだ、良かった。
ま、さっきのあのお父さんの様子からして
勘当とかとても出来そうにないなとは
思ってはいたけど。
「でも俺、分からないんです、
そもそも囲碁がそんなに好きなのに
追放されるリスクを負ってまで
強行して全国大会にでたその理由が」
「追放?何の事だ?
あ、もしかして白刀田が言ったのか?」
俺は黙って頷いた。
「いや、流石にそれは無理があるから、
調べられれば一発でバレるって。
自分一人がどうこなるならともかく、
棋院や親に余計な迷惑掛かるし
学校だって俺の所為で部が棄権にでもなったら
それこそ元も子もないだろ。
順序が逆だよ、
全国大会に出るためにプロを辞めたんだ」
「え?」
……おかしくない?
何故、そんなにしてまで全国大会に
固執してたんだ?
しかもプロを辞めてまで。
「でもそういうの前代未聞なんでしょう?」
「耳にタコができるくらい言われたよ」
「先輩、バカだって」
「お、言うねぇ白刀田も。ハハハハ」
「…………」
白刀田先輩が此処にいたら
監督はきっとボコボコに
殴られること必至だろうな。
でも、こんな風に軽く言うあたり
プロには全く未練が無いって事だろうか?
「明確な理由を言わなかったから
当たり前だろうけど、届けがなかなか
通らなくてさ。
やっと受理されたのが大会ギリギリで
そう取られても仕方がないのかもな。
オヤジも買って出て話すタイプじゃないし、
直接どうこう聞いてくる強者も
いなかったみたいだったから、白刀田七段
含め関係者以外噂の域を出てないんだろ。
それくらい当時の俺のネタは
腫れ物に触るような扱いで、ホント
呆れるくらい色んな憶測や噂が飛び交ってたよ」
「…………」
―――何だろう、なんか凄く引っ掛かる。
とても嫌な意味で。
「そこに何があったんですか?」
俺は、堪らずそう口に出してしまっていた。
監督は最初珍しく少しだけ迷っている
感じだったけど、お前には話しておくかと
ポソッと呟いた。
「――俺さ、高校生のころ棋院での対局や
プロとしての指導碁に飽き足らず、
家でもネットで碁を打つほど
囲碁漬けの日々を送ってたんだ。
特にネット碁は対面とは違って
相手がどんな奴か分からない、
相手も俺が“紺里夏以”とは知らない、
それが面白くてドはまりしてさ、
それこそ手当たり次第に色んな奴と打ってた」
より強い奴を求めて彷徨う囲碁ジャンキー
とでも言うべきか?と監督は笑う。
「ネット名は【invicta“A”】
インヴィクタ’エース=無敵のエース。
って意味で、如何にも
いきがってるガキらしい発想だろ。
だが正直、同じくらいの年齢の奴に
負ける気はしなかったよ」
そう語る監督の表情はまるでその高校生当時に
戻ったかのような好戦的で自信に満ち溢れていて
その威圧感にも似た様子に飲まれた俺は
知らず唾を飲み込んでいた。
「俺が利用していたサイトは
対局中、観戦している人数とか個別ネームが
見れるんだけど、ある時から同じ奴が
必ずといっていい程いることに気付いたんだ」
「同じ人が?単なる偶然でしょ」
「俺も最初はそう思ってた」
「違う?でも、たまたまとしか」
「そうかな?利用者は毎日何千っているのに?
下手すると対局開始直後に観戦欄に
表示されることもあったんだぜ」
(それって……)
「俺のアカウント名を登録してなきゃ
そう都合よく現れるとか無理だよ」
「そんな機能があったんですか?」
「ああ、そこでは特定の人物を登録しておけば
その人がINしたり対局を始めたりすると
自動的に知らせるシステムがな」
もうこの頃には監督の様子が
変だと思い始めていた。
そして話が進むにつれ
益々それを強く感じるようになった。
「てか、よく気付きましたねその人に。
何ていう名前だったか憶えていますか?」
「【ゼクス@GIFT】」
約十年もの昔のその人の名を
監督は何ら迷いなく口にした。
「ゼクス@GIFT……?」
「そう、なんか目に付くだろ。
名前からしてソイツもガキだろうなって。
何時の間にか俺も対局中、相手が長考してる時に
奴が来てるのかとかチェックするようになって、
その名前を見つけると、絶対この対局
負けられないとか思うようになってさ」
……負けず嫌いですもんね。
「そのうち段々コイツはどれだけの棋力で、
どんな碁を打つんだろうって興味が
抑えきれなくなった。
散々観ているくせに一度も対局を
申し込まれたことはない。
だからもう相手の投了待ちって時、
ソイツが消える前に裏チャットで
次、打たないか?って俺から持ちかけたんだ」
「相手は?」
「乗ってきた」
「それで、どうだったんですか?」
「……初めてだった、
同世代に負けるかもって思ったのは」
「えっ」
「型破りな大胆な手をいきなり
打ち込んできたりするから次の一手が楽しみで、
あんなのるかそるかの攻防は高段者と対局では
味わえない感覚だった。
だからかな、のめり込んだよソイツと打つの」
「それだけ強いなら、さぞかし他の人とも
対戦してたんでしょうね」
俺がそう言った直後、妙な間があった。
「ソイツの戦績を見たけど
俺と打った回数しかなかった」
「つまり監督としか打たないって事?」
「――うん」
その時の監督は心なしか嬉しそうに見えた。
「へぇ、へぇ。
それはある意味……」
モロ、ストーカーでしょ、ソレ。
何だろう、このモヤモヤする感じ。
凄くイライラしているのが自分で分かる。
自分で聞いておいてなんだけど
もうこれ以上その話を聞くのも
それを話す監督の表情も見たくなかった。
でも、最後まで知っておかないと
気が済まない自分もいて、吐きそうなぐらい
気分が悪くて仕方がないから俺は
黙って聞いているしかなくって……
「ネームから子供だとは思ってたけど、
ハッキリ相手から同じ高校生と聞いた時には
かつてないほど高揚したよ。
出来るヤツ皆が院生やプロを志す訳じゃない。
世の中にはこんな奴がいるんだと思うだけで
碁がもっと好きになった。
それからリーグ戦や出張がない時は
都合がつく限り寝る間も惜しんで
ソイツと打つようになった」
「…………そう、ですか」
こんな生き生きして話す監督は初めて見る。
まるで別人だ。
全てが異質すぎて突っ込むなど
とても出来る雰囲気ではないくらいに。




