第一話:悪しき習慣
モウラン国領内にあるヒエイ族の村、フウレイ。
この地域は夏でも冷涼、冬は極寒で有名な地域である。一年を通して気温が上がらない為、この地域に住む者は肌を露出するような服装はしていない。その中でも唯一顔の肌だけは露出せざるを得ない事から、この村で生まれた者はすぐに左頬にヒエイ族の証となる刻印が刻まれ、その刻印で他の部族と区別をしているのだ。
「………この子、なぜ……、このような容姿に…。」
「…これは……もしかすると、神の子では?」
「ルマの子孫……」
18年前、フウレイに異変が起こった。
コルトン家では一人の女の赤子が生まれた。両親はヒエイ族のしきたりに従い、すぐにその赤子の頬に刻印を刻むため、ヒエイ族の長であるジェタの所に向かった。そして、そこで赤子の左頬に刻印が刻まれる。だが、その時、ジェタがその子の容姿を見て驚愕した。
「この子は…一体、なぜこのような容姿に?」
目を大きく見開いた瞳で見つめる老婆ジェタに対し、赤子を抱く両親の表情はゆるんでいる。奇妙な微笑みを向けながら、母親が口を開いた。
「この子は、神の子、ルマの子孫です。」
奇妙な事を口にする母親に対し、ジェタは不信感を露わにした。
「……何を!…何を言っているのだ。そのような事はありえぬ。」
母親に続き、父親もにっこりと満面の笑みをして母親の抱かれた赤子に視線を向ける。そして、自分たちが絶対的に正しいという事を証明するが如く語り出した。
「ですが、現にこの子の容姿は、明らかにルマの子孫同様、金色の髪にエメラルドグリーンの瞳。それ以上の証拠などあり得ません。」
「だが、そのような事は……」
「我々に神の子を与えてくれたのです、ジェタ様。我々はなんとも幸運な赤子を授かったのです。この子はこの村に幸運をもたらしてくれるでしょう。」
ジェダに反論する暇も与えず、二人はその場から去っていった。ジェタはその二人の姿に不信感を通り越し、おぞましさすら感じ始めていた。
その赤子はグラファと名付けられた。
両親の思いとは裏腹に、彼女の容姿が村人とは異にすることから、村人からは疎まれル用になっていった。村人達には我が子は神の子、ルマの子孫だと両親は言い張り、敬うように村人に訴えるものの、その態度がますますグラファを村人から遠ざけていると言うことに、彼らは気付くことはなかった。当然のことながら、グラファには数少ない村人の中でも、友人といえる人物は出来るはずもなかった。彼女自身はただ普通の子供として友人と楽しく遊びたいだけなのだが、両親がそれを許してはくれない。
グラファは常に心の中に孤独感を感じていた。そして、自分の容姿が他の村人達と異にする為、自分に対して嫌悪感や違和感を抱き始めていた。自分自身が好きになれなかった。
……なぜ、両親はこのような姿で産んだのか…。
なのに……、なぜ、両親はこのような私を見せ物にしようとするのか。
彼女は両親を恨んでいた。
6年前。グラファ12歳の時だった……
毎日のように自分のこの悍ましい容姿を拝みに来る人間ども…。
このような小さな村まで自分を拝みに来る者に対してあからさまに嫌悪感たっぷりの視線を送る自分をフォローする両親達。はっきり言って、頭のおかしな人間としか思えなかった。
「グラファ!どういうつもりだ?!はるばるこんなちっぽけな村に足を運んで、おまえを拝みに来た人々に対して何という失礼な態度を取っているんだ!?」
父親は娘の両肩をきつく掴むと、鼓膜が破れそうな程の大きな声で怒鳴りつけてきた。彼女自身は全く悪びれた様子も無く、両耳を塞ぎ、怒り狂う父親をきつく睨み付けた。その態度が更に父親の反感を買った。
「その態度はなんだ!?」
「父上!!なんでこんな無惨な姿を人前に晒されなきゃいけないの!!」
「無惨とは……なんと無礼な!!その言葉、ルマ様を冒涜するつもりか?!おまえは神の子、ルマの子孫として、その姿で生まれてきたのだ!!」
「そんなの知らない!!それに、元々この村は、ルマ教なんて信仰してないじゃないの!!二人ともおかしい!」
「おかしいのは、グラファの方だ。なぜ、そのような神聖な姿で生まれて来たにも関わらず、自分を蔑むのだ。おまえは、神の子なのだ。」
「そうよ。グラファ。あなたは他の子とは違うの。いずれ、この世界であなたを敬い、必要とする人間が現れる。あなたはそれだけ価値のある人間としてこの世に生まれてきたのよ。」
グラファの両肩を掴む父親は先ほどの怒り狂った表情から一変し、どうにか娘を諭そうと必死に訴えた。その隣で首を縦に振りながら、納得させようとする母親の姿もあった。
彼女にとって、その二人の態度は芝居のようにしか思えなかった。両肩にのせられた父親の手を思い切り振り払い、扉に向かって走り出した。両親は慌てて、彼女を呼び止めようとする両親を余所に、グラファは家を飛び出していった。
外はすでに日が落ち、辺り一面月明かりだけが彼女を照らしている。ひんやりと冷たい風が頬を撫でる。グラファは全身に纏っていたマントを頭から被り、目だけが見える状態で村の中を歩いていた。防寒の為でもあったが、なにより誰にも自分のこの見にくい姿を見られたくなかったのだ。
なるべく自分の生家から離れたかった。自分を探しに外に出ない事を考えると、両親は自分が絶対に村の外には出られないと高を括っているのだ。そう思われるのも癪だが、今の自分には獣だらけの森へと逃げ出す勇気は無かった。ふらふらと小さな村の中をうろついていると、どこからか話し声が聞こえてきた。低く、渋い声からして男だと判断したグラファは、ゆっくりとその声の出所へと近づいていく。声は村の入り口とされている木のアーチがある辺りから発せられていた。彼らに気付かれないようにゆっくりと近づき、一番近くにある大きな柱の陰に身を潜めて、様子を伺うことにした。
木のアーチの下には二人の姿が見えた。片方はグラファと同じようにマントを頭から被り、性別の区別つかないが、もう一人は全く別の服装をしていた。二重に織り込まれた襟を左右に折りこんだ幅の広い袖口をした服を着ており、腹部を細い紐で止められた袖口の広いズボンを穿いている。台形状の形をしており膝辺りから下の部分が広がって、足を通しても十分居余裕があるほどの裾口をしている。そんな奇妙な服装をした者は、この世界でも数少ない。隣国のガルファン国のみだ。
「なんで、ガルファンの奴らがこんな所に…。」
ガルファンの人間が、フウレイにどのような用があるというのか。グラファはじっと耳を澄まして、彼らの話を聞こうとした。息を潜め、じっと様子を伺っていると、突然、ぴたりと声が止まってしまった。それと同時に、奇妙な服装をしたガルファン人が一瞬にして姿を消してしまった。そして、背中を向けていた全身をマントで覆っていた者も踵を返して村落の中に戻って来るようだ。
(…気づかれたか?!)
自分の方へ向かってきているように感じた彼女は内心焦りながら、息を潜めてその者が通り過ぎるのを待っていた。しかし、彼女の心配を余所に、その者は彼女の隠れている柱を何事もなく通り過ぎていった。フーッと深呼吸をしながら胸をなで下ろしたグラファが危機を逃れたと思った矢先、頭の中に先ほどのまで盗み聞きしていたのと同じ声が流れ込んできたのだ。
(……時が来れば、君も我が組織に迎え入れる事になるであろう……。)
その言葉の意味を理解する以前に、なぜ彼らの声が自分の頭の中に流れ込んできたのか理解出来ずにいた。後ろにいるのではないかと、すぐに後ろを振り返る。しかし、人の気配すらない。更に上下左右に視線を向けるが、それでも人の姿はない。
「……どういう事…?」
グラファの頭の中はパニックで何も考えられなくなっていた。ただ、彼女が理解している事は、ガルファンの人間と何かをたくらんでいる者が、この村に居ると言うことだけ。
「何が起こってんだ…。」
4年前、グラファが14歳になった時には、世界の状況は変化していた。
各地でルマの子孫と呼ばれる赤子が生まれているという噂が世界中に蔓延り、グラファの価値も薄れてきたせいか、彼女を訪れる者も徐々に減ってきていた。村民達の彼女やその両親への誹謗が増長してきた。その手のひらを返したような周りの態度に対し、両親は苛立ちを感じ始めていた。その苛立ちは、徐々に怒りへと変化していったのだった。
自分の娘の価値を確かめる為、両親はフウレイからモウラン国へ移り、国王への謁見を求めたのだ。自分の娘こそが神の子、ルマの子孫だと主張するために。1年をかけて、ようやく謁見が認められたもの、国王は物珍しいグラファの容姿を見るだけだった。
だが、二人は国王の謁見を機に、自分の娘は国王にもルマの子孫と認められたとして、モウラン市街地でグラファを利用して荒稼ぎを始めたのだ。このときの二人は娘から見ても何かに取り憑かれてしまったのではないかと思う程に、ルマの子孫に執着していた。
悍しい程に…
現在、グラファはオルペンツェ国にいた。
生まれて初めての旅だった。オルペンツェはモウランと全く雰囲気の異なる国だった。モウランの建物は朱色を基調としたものが多く見られるが、オルペンツェは白やベージュを基調とした建物だ。市街地を行き交う人の数も桁違いだ。グラファがここに来て、一番安堵出来る事と言えば、いろんな部族が混ざりあった国民性だ。更には人込みに紛れてしまうことで自分の存在が異物と意識しなくて良いという事。自分の容姿をまじまじと見るような視線を感じることもここではないのだ。肌の色も、目の色も、髪の色も異にする人間が普通の生活を送っている。ここで生まれ育っていればまた違う人生があったのかも知れないと思ってしまう程の心地良さがここにはあった。
市街地の中心にある広場まで続く石畳の大通りでは、馬車が通り、その通路の端を人々が行き交っている。行き交う人々からこぼれる笑い声やはしゃぐ子供たち。この国は平和そのものだった。大通りの至る所に細い路地があり、そこに身を潜めながら顔を歪めているグラファの姿がった。
「くそ。外したか…。」
ボソッと呟き、その場から離れようとしたが、突然彼女の腕が誰かに掴まれた。さほど強い力ではないので簡単に振り払い逃げることも出来たにも拘わらず、気が動転していたグラファは思わず後ろを振り返ってしまった。そこには自分よりも背の低い、華奢な少年が立っていた。
「……………あれ……、ティルツィエ様………?」
その少年はグラファを見るなり、目を見開いたように見えたが、すぐに平然とした表情に変わっていた。
「まさか、そんなわけないね。」
そう言いつつも、彼は未だにグラファの顔をじっと見つめていた。そんな彼の視線はグラファにとって、自分を異様なものとして凝視しているように感じさせられ、心中穏やかにはいられなかった。彼への苛立ちを覚えるも、彼の次に発する言葉はそんな彼女を動揺させていった。
「ところで、今の……、君でしょ。」
「……何が?」
「これ。」
そう言って、少年は大事そうに布で包んだ飛鏢をグラファに見せた。グラファは内心焦りつつも、どうにかごまかそうと平常心を保った。飄々とした態度を彼に見せた。
「これが、何?」
「君、今回が初めてだよね。全くもってやり方が素人だし。」
「何言って……」
「まぁ、切っ先に毒塗ったりとか、手の込んだ事してるようだけど、結局当たらないと意味ないよ。」
全く食い下がらない彼の態度がグラファの表情を徐々に曇らせていった。
「……あんた…、誰?」
グラファは不審な瞳を彼に向けると、そう問いただした。彼はこの場の緊迫した雰囲気に似つかわしい明るい微笑を浮かべていた。
「僕?…僕は、ゼク・ジルゲっていうんだ。この国の総術学校の研究員。この勲章見て分からない?……あぁ、君、この国の人じゃないんだっけ。格好からすると、……旅人、じゃないか。単なる旅人が一国の王を暗殺しようと考えないもんね。しかも、こんなに大きいな国の王だからね。もしばれたらただじゃ済まないよ。もしかして、ヴュールさんに欺されたかなんかで、恨んでるとか。前までいたんだよね。ヴュールさんのお金目当てに、あえてティルツィエさんと同じような格好して気を引こうとした人が。君もその部類?…だったら、自業自得だよ。それにしても……」
「あぁぁぁぁ!!!うるさい!!おまえ、一人でごちゃごちゃしゃべりすぎなんだよ。」
ギロッとエメラルドグリーンの瞳で睨み付けるグラファとそれを恐れることなくただ微笑を浮かべるゼクとの間に奇妙な沈黙が流れだした。しばらくして、ゼクが口を開いた事で再び二人の間で時が刻み始めた。
「……あぁ、ごめん。さすがにティルツィエさんに似てても、そんな趣味はないか。」
「は?」
グラファの頭の中には疑問符が大量の現れた。目の前にいる少年は何を言っているのか、全く理解出来ずにいた。だが、ゼクの次の言葉で彼の言葉の意味が判明した。
「ごめん。君、男だよね?」
「はぁ??」
「いくら何でも男には手は出さないよね。ごめん、じゃぁ、何で…」
「ふざけんな!!あたしは女だ!!」
「あぁ、そうなんだ。ごめん、あまりにも汚い言葉を使ってるから、てっきり男かと思ったんだ。気を悪くしないで。」
一切悪びれた様子を見せないゼクの態度に加え、それまでの自分勝手な解釈に、グラファは怒り心頭した。
「ってか、おまえ、一体何様?突然現れたと思ったら、いきなり人を犯人呼ばわり、あげくの果てには人を男と間違える。無神経にも程がある!!」
「でも、犯人は事実でしょ?これが証拠。」
再び手に持っている飛鏢を見せつけてきた。だが、ここで事実を認めては、はるばる異国の地まで来た意味が無くなってしまう。そう考えたグラファは目の前に差し出された飛鏢を一瞥して、全く関係がないものとして白を切り通す事にした。事実を認めないグラファに対して、ゼクはあえてそれ以上問いただそうとしなかった。彼の心はすでに彼女が犯人だと確信していたからだ。平然とした表情をして軽く息をはいた。
「ま、いいや。とりあえず、これ、もらっていい?」
「勝手にもっていきゃいいだろ。あたしのものじゃないし。」
許しをもらった事で、ゼクは嬉しそうに飛鏢を布に包み、腰に付けている布袋の中に納めた。グラファには、なぜ彼がそんなに嬉しそうに武器を保管する意味が分からない。
「そんなもんの何がいいんだか。ただの武器だろ。」
すでにゼクの興味はグラファから別のものに移ったのか、彼女の顔など全く見ずに手にしていた書物を開くと、何かを調べ始めた。そんな彼の態度から、グラファはもう自分には用はないだろうと判断し、その場から立ち去ろうとした。自分の第六感が彼とこれ以上関わる事は危険だと知らせていた。だが、ゼクはやはりグラファを簡単に逃してはくれなかった。
「ねぇ、ところでモウラン人って、みんなそんなに口悪いの?」
「は?……なんで、あんた、あたしがモウラン人だって……」
ゼクは視線を書物に向けたまま、片手の人差し指で左頬をさすった。
「その刻印、ヒエイ族の者でしょ。正確にはモウラン人じゃなくて、ヒエイ族だね。」
「おまえがなんでそんなこと知ってんだよ?」
「なんで?……まぁ、僕の知識は半端ないからね。僕は最年少で総術学校の研究員に抜擢されたんだ。……って、言っても、君には分からないか。」
「おまえさ、モウラン人、馬鹿にしてるのか?」
「そうじゃないよ。研究員の中には、モウラン人居るし。まぁ、さすがに僕と近い歳の人はいないけど。僕はただ、僕のすごさは君の知識じゃ理解できないって事を言いたいだけ。」
「ちょっと、おまえなぁ……」
「そういや、名前、聞いてなかったけど。」
「おまえに名乗る筋合いはない。」
「へぇ、そう言っちゃうんだ。…人に名前聞いといて、自分は名乗らないつもり?一応、教えておくけど、人に名前尋ねる前に、まず自分の名前名乗った方がいいよ。無知の人間だと思われるから。」
「いちいち、うるさいガキだ。……グラファ。」
「グラファか。……、じゃぁ、グラファ。これから僕、研究資料を書物庫から持ってきたいから、付き合ってよ。」
「何であたしが?!」
ゼクの傲慢な態度にグラファは腹に据えかねて、声を張り上げずにはいられなかった。だが、彼は突然、意味不明な動作をし出した。片手で物を投げる動作をしているのか、胸の前に片手を持っていき、そのまま平行に弧を描くようにゆっくりとその手を動かした。グラファは眉間に皺を寄せ、その行動を不審げな面持ちで眺めていた。
「おまえ、何やってんだよ。」
「こうやってヒヒョウを放ったから、そのマントの裾が切れてるってわけだ。」
「は?何を…訳の分からない事を…」
ゼクがグラファのマントを指さしてきた。彼の行動の意図が理解出来ずにいたが、もしかすると暗殺の証拠になるものがマントにあるのかと、慌てて全身を見下ろして確認した。すると、マントのちょうど腹部の辺りが刃物で切り裂かれたような状態である事に気が付いたのだ。その裂けた箇所には飛鏢に付けていた毒もうっすらと染みこんでいる。
もう言い逃れは出来ない。
「そう言う刺突系の武器って、ちょっとした抵抗で威力も半減しちゃうんだよね。そんなミスするなんて、完全に素人。しかも自分で気付かないなんて、鈍感にも程があるよ。」
彼の言葉で一気にグラファの表情は青ざめていく。やはり、彼は確実に自分が犯人であると確信していたからこそ、あえて問いただすことなくぼろが出るのを待ってたのだ。こんな卑劣なやり方に憤りを感じるものの、彼女は絶対絶命の苦境に立たされていた。
「………どうするつもり…?」
「別に僕には捕獲する権利はないから、すぐには捕まらないけど、通報は出来るよ。」
「……おまえ、あたしを通報……する気?」
「君の答え次第によっては、ね。」
そう言ってゼクは片手に持っている書物をぱたんと閉じると、小脇に抱えた。そして、グラファの横を通り過ぎると、ついてくるように言い放った。
「とりあえず、書物庫に付き合ってよ。僕、力ないから、荷物たくさん持てないんだよね。」
「……分かった。従えばいいんだろ。」
彼からは簡単には逃れられないと痛感したグラファは納得のいかない表情をしつつ、首を縦に振り、彼の指示に従った。そんな状況でも彼女の心中は、隙をみてどうにか彼から逃れようと考え、背後から様子を伺っていた。
「それにしても、僕、初めて見たよ。ルマの子孫っていわれている人。」
「…あたしは、そんなじゃない。」
「だろうね。神様もこんながさつな人を子供だとは思いたくないだろうし。それこそ、神への冒涜に値するよ。」
「やっぱり、おまえ、あたしを馬鹿にしているだろ!!」
「別にそんなことないよ。ただ、ホントにそっくりだなって思って。」
「……誰にだよ。」
「この世で、唯一ルマの子孫と名乗る事を許されている人物、ティルツィエさんにね。世間では金色の髪とエメラルドグリーンの瞳は美の象徴って言われているの、知ってる?神と同じ容姿だからって言われているけど、それよりはティルツィエさんの存在が大きく影響しているみたいだよ。世界を統べる大国オルペンツェの妃、ティルツィエさんの外見や服装を模する人が増えてるようだし。まぁ、それも20年前の話だけどね。ティルツィエさんもいい年齢になっちゃったからな。けど、たぶん20年前の姿が今のグラファに近いのかもね。」
「だから、何だってんだよ。そんなこと言われても、全然嬉しくないし。むしろ、あたしはこの顔嫌いだし。」
「ふーん。随分贅沢な悩みだね。この世のあらゆる女の人を敵に回す発言だね、それ。」
「そんなの知るか。おまえにあたしの苦しみが分かるわけないだろ!!」
「確かに、グラファの苦しみなんて知ったことじゃないね。理解するつもりも毛頭ないよ。まぁ、そんなのどうでもいいよ。早く書物庫に行こう。」
豪華な装飾の施された椅子やテーブルのある応接室に通され、そこでしばらくの間待たされているチュアは、落ち着きなく辺りをキョロキョロと見渡していた。緊張のあまり、テーブルの上に置かれた水差しを手に取る事すら出来ずにいた。小さな小物でさえ高級に見えて、壊れてしまわないかと考えてしまい、それが恐ろしくて手が触れられないのだ。
それから、更に数十分が経った。
扉の外側から、カツカツと足音が聞こえてきた。その足音を聞き、チュアは今以上に緊張をし始めた。足音は二つ聞こえて来る。
「随分と待たせて悪かったな。」
扉を開けた途端、明るい声でチュアに話しかけてきたのは、この城の主、ヴュールだった。ヴュールと一緒に彼の息子のヴェルーツェの姿もあった。チュアは慌てて立ち上がると、深々と頭を下げた。
「身分もわきまえず、数々の無礼を晒してしまい、誠に申し訳ございませんでした!!」
「別に、気にする事ねぇよ。俺は元々一般市民だ。王って言っても、所詮名だけ。俺に対してそんなに気を遣ってもらわなくて結構だ。」
「……はい…、でも、ですが…」
「そんな事、言うために君を呼んだ訳じゃないんだ。とにかく、座ってくれよ。」
声にならない程の小さい声で返事をすると、すぐに再び腰を降ろした。ヴュールはテーブルを挟んで向かい側のソファーに腰を下ろした。そして、その横にちょこんとヴェルーツェが座る。
「こいつ、ヴェルーツェって言うんだ。ほら、おまえも挨拶しろ。」
ヴェルーツェはじっとチュアの顔を見つめていた。チュアにとってはこの小さな子供でも自分のより明らかに身分が上であるため、緊張の糸がとぎれる事はなかった。不自然な微笑みと向けていると、ヴェルーツェは不思議そうに彼女の顔を見つめていた。息子の態度の痺れを切らしたヴュールはヴェルーツェの肩をポンと軽く叩いた。
「何、じっと見つめてんだよ。挨拶しろ。」
「あ、はい。こんにちは、ヴェルーツェ・オルペンツェです。」
「チュア・フィリアといいます。」
チュアは甲高い声を上げて、深々と頭を下げる。
「だから、そんなに、気を遣わなくても良いって。……って、言っても、まぁ、こんなとこ連れてかれたら、緊張しない奴はいねぇか。」
「あの……、なぜ私をここに呼んだのでしょうか…。先ほどおっしゃっていたルマの子孫とは、どのような事でしょう?」
「あぁ、そのことね。それよりもまずは、こいつを見て欲しい。」
ヴュールは隣に座る自分の息子を軽々と持ち上げて、自分の前に立たせた。ヴェルーツェは突然の事で戸惑いながら父親の顔の方へと振り返るが、ヴュールは彼女の方を見ろとヴェルーツェを制した。チュアは先ほどの緊張仕切った表情から一変し、真剣な眼差しに変化した。
「ヴェルーツェ様を…ですね。……かしこまりました。」
そう言うと、授術を行うためゆっくりと目をつぶり、深く深呼吸をした。そして、しばらくしてからぱっと目を開くと、目の前に居るヴェルーツェのエメラルドグリーンの瞳と視線を合わせた。そんな彼女の真剣な眼にヴェルーツェは視線を外したくて頭を動かそうとするが、後ろのいるヴュールに後ろから頭を抑えられしまった。
「我慢しろ。すぐに終わる。」
父親の優しい声で落ち着きを取り戻したのか、力強く向けられるチュアの視線に耐えた。彼女の視線は魂が吸い取られそうな感覚にとらわれる。十数分が過ぎ、ようやくチュアの瞳は閉じられた。その様子を確認したヴュールが両手で軽く押さえていたヴェルーツェの頭をゆっくりとはなした。そして、チュアの瞳もゆっくりと開かれた。
「父上、今のは一体なんですか?」
ヴェルーツェはそう言いながら、再びヴュールの隣に座った。だが、ヴュールはあえてヴェルーツェの問いには答えず、チュアに視線を向けた。
「分かったか?」
「はい。」
「じゃぁ、さっきの質問も含めて、場所を変えて話をするか。今、分かった事は全てみんなの前で話して欲しい。」
「みんな?……ですか…。」
「とりあえず、ついてきて。」
ヴュールはソファーから立ち上がると、ヴェルーツェも立ち上がりヴュールの後をついて行く。そして、チュアもまた彼の後を追った。
3人は応接室を出ると、長い回廊を辿って、大広間へと向かっていった。長い回廊からは綺麗に手入れが整っている大きな中庭が見える。その真ん中には大きな噴水があり、小鳥たちが水浴びをしていた。このような見栄えの良い綺麗な庭が保たれているのは、数人の庭師が毎日丹誠を込めて手入れをしているおかげである。チュアがその美しさに圧倒されて、足を止めていた。
ヴュールはあえて彼女をせかすことなく、彼女が納得するまで待っていた。むしろこの自慢の庭を目に留めてもらった事の方が嬉しく感じていた。
「なかなかのもんだろ。まぁ、俺が全部やってる訳じゃねぇけど。」
「すごい、きれいです。私の生まれた都市は……、こんなにも綺麗な緑があるところではなかったので…。」
「気が済むまで眺めててもいいぞ。時間はたくさんある。」
そう言うと、自分自身もその大きな中庭を眺める事にした。だが、唯一自然の美しさに未だ魅力を感じる事に関心を持っていないヴェルーツェだけはうずうずしていた。庭を眺めることなく、辺りをキョロキョロと見渡していると、奥まった角から人影が目に入ってきた。
「ゼク!!」
ヴェルーツェが大きな声で叫びながら、人影の方に走り出した。その声で視線をヴェルーツェに向けたヴュールは自分の横を通る彼に対し、危ないから走るなと注意を促すが、全く聞く耳を持たなかった。何かおもしろい物を見つけたような嬉しそうな表情をして、視線はすでにゼクに向けて一直線に向けられていた。
「あぁ、ヴェル。」
「ゼク。遊ぼう!!今日はもう勉強は済んだから。ねぇ!」
ヴェルーツェに片手を引っ張れながら、ゼクはヴュールの所まで歩みよっていった。その後からグラファがついて行く。頭の先から全身に布のマントを羽織り、瞳以外は見えないようにしているグラファの格好はこの豪勢な室内には似つかわしい物だった為、ヴェルーツェはいかにも珍しい物を見るかの如くグラファの方を一瞥したが、すぐに視線を反らしていた。グラファがきつい瞳で睨み付けてきたからだ。そのグラファの王子に対する悪態にも気を止めることなく、足下で遊ぼうとせがむヴェルーツェに話しかけた。
「そのことなんだけどね。僕、ヴュールさんとティルツィエさんに話があるんだ。それにヴェルにも。」
「何?」
「後で、分かるよ。」
あえて何も答えること無く、ヴェルーツェを軽くあしらうが、その態度が更にヴェルーツェの興味を増大させた。ゼクの引く手が徐々に強くなっていく。
「ヴュールさん。ちょっとお話があるんですが。」
「あぁ?話?何だよ。」
「研究調査の件です。」
「あぁ、そういや、そんな話してたな。たぶんしばらくは無理だぞ。こう見えて、俺、結構忙しいんだ。」
「それは分かってますよ。一応、一国の主ですから。」
「一応ってな…、まぁ、いいや。とりあえず、こんなとで話すのもなんだから、おまえらもついてこい。…………ってかさ、……それよりも、さっきからめっちゃ殺気感じるんだけど………後ろの奴、誰だ?」
ヴュールはポケットに手を突っ込みながら、ゼクの後ろにいるグラファに目線の向けた。彼女のエメラルドグリーンの瞳はヴュールにきつく睨み付けていた。
「グラファっていうんだ。まぁ、僕の助手……って事で。」
「へぇ、助手ね…。」
グラファのきつい視線に劣らず、ヴュールは力強い瞳を向けた。すると、先ほどまで殺気を含んだグラファの視線は庭の方へと反らされると、ヴュールはにやりと不敵な微笑みに一変した。立ち止まっていた足を再び動き出したのだった。ゼクはヴェルーツェに掴まれた手を引き、歩き出すヴュールの後をついて行くことにした。それに続き、チュアとグラファも歩き出す。横並びに歩くチュアの視線を感じたグラファは、今度はチュアに視線を向けた。
「何?」
「……い、いぇ、何でもないです。ごめんなさい。」
「人の顔、じろじろ見るな。」
「……ごめんなさい。」
蚊の鳴くような声で謝罪の言葉を発すると、グラファの顔など見ることなく視線を落とした。明らかにグラファを恐れているようだった。
回廊を抜けて、全員は奥に位置する大広間に入っていった。先ほどの応接室以上の広さと荘厳さにチュアは再び圧倒されてしまった。扉の前に立って広間全体を見渡していた。天井にはフレスコ画が描かれ、薄いピンク色の壁の四つ端にある真っ白な柱には、緑色のツタの蔓が柱を這うように描かれていた。大広間の中心には細かい彫刻が施された大理石の長テーブルが豪華さを増大させている。その周りには十数個の椅子が置かれている。その一つの椅子には紫色の上品な女性が腰を下ろしていた。その女性が座ってだけで辺り一面、気品漂う雰囲気を醸し出していた。長い金色の髪を後ろに払い、少々不満げな表情を見せた。その女性の顔を見るなり、ヴュールは頭を掻きながらばつが悪そうな表情を浮かべた。
「なんだよ、ティルツィエ。そんなところで、何やってんだ?」
「授術の方に見ていただくとおっしゃってから、何分経っていらっしゃるとお思い?」
「何分って……そんなに簡単に読めるわけねぇだろ。」
「私はてっきり、また授術の方と無駄話でもしているかと。」
椅子に腰掛けている女性、ティルツィエは疑いの目をヴュールに向けた。そんなティルツィエに対し、深いため息をついた。
「おまえさ、いちいち俺に嫉妬すんのやめろよな。」
「冗談はよしてください。私はただきっちりと職務を行ってくださいと言っているだけです。」
「まぁ、まぁ、お二人とも、落ち着いてください。大人げないですよ。どっちもどっちですから。それこそ、無駄話です。」
今にも言い争いを始めようとするヴュールとティルツィエの間に、飄々とした表情をしたゼクが割って入ってきた。ヴュールの肩を軽く叩きながら、席に座るように促した。彼の言う通りここで夫婦げんかをすることが何よりも無駄だと感じた。だが、何となく怒りが治まりきらなかったのか、あえてティルツィエとは離れた席に腰を下ろした。父親が着席したのを確認したヴェルーツェはすぐさまゼクの手を離し、テーブルの側に駆け寄るとティルツィエの隣の席に腰を下ろした。ヴュールはヴェルーツェの態度が気にくわなかったのか、舌打ちをしたが、当の本人はヴュールの気持ちなど構うことなく、母親の隣で満面の笑みを浮かべていた。
「ところで、そちらの方は?」
「ゼクの助手だとよ。」
だらしなく背もたれに片腕を乗せ、足を組んだヴュールは吐き捨てるようにティルツィエに言い放った。ティルツィエはゼクの後ろの居るグラファに視線を向けた。
「ゼクが誰かと一緒に行動するなんて、めずらしいですね。」
「……居たくて、一緒に行動してるわけじゃない…。」
グラファは視線を落として、ボソッと小さな声で呟いた。その小さな声に気付くことなく、ティルツィエは扉の前に立ち止まっているゼクや、グラファ、そしてチュアを椅子に座るよう促した。
「そういや、他の奴らはどうした?」
「元々授術反対派が大半ですので、私が退席させました。授術の内容がこの国にとってよからぬものかも知れません。むやみに他の者達に聞かせる必要は無いと思います。」
「まぁ、じゃぁ、まず……グラファ。おまえ、俺に何か言いたいこと、あるだろ?言ってみろ。」
そう言って、ヴュールは先ほどの不敵な微笑みをグラファに向けた。全員視線が自分に向けられた事で、グラファの表情は一瞬怯んでしまったが、ここまで来て逃げ出すわけには行かなかった。今が絶好のチャンスだ。目の前に敵がいるのだ。何のためにモウランから遠いこの異国の地まで来たのか。グラファは自分の気持ちを奮い立たせようとした。腰の備えた布袋の中にある飛鏢に手を伸ばした。
「どうした?グラファ。何もねぇのか?」
「……おまえが……、おまえが、おかしな慣習を作ったから……、あたしの両親が……」
「なんだ?聞こえねぇ。」
ヴュールのあからさまに挑発的な態度に、グラファは殺気を含んだ瞳できつく睨み付けた。
「あたしの両親はおまえに殺されたんだ!!おまえは両親の敵!!」
そう叫ぶと、グラファは立ち上がり、手にした飛鏢の切っ先をヴュールに向けて投げつけた。
「父上!!」
ヴェルーツェの声が辺りに響き渡った。
しかし、辺り一面を取り囲む状況が予想以上の静けさであることに、グラファは違和感を感じ始めていた。
……何かが、おかしい……。