プロローグ:歪みし世界
「R.D 2291 オルペンツェ国 大富豪クラツィルスの力により繁栄へと導かれた。彼は魔術に重きをおいていた為、魔術学校を創設、初代学長となる。
R.D 2311……」
「王女、ティルツィエは聖剣継承者のヴュールと共に、その繁栄の象徴である聖剣を探す旅に出る…っと。」
机に向かって書物に目を通し、メモを取っている子供の後ろで、深いため息をついたのは、彼の教育係を任せられている少年、ゼク・ジルゲだった。
彼の装いは群青色のタートルネックに詰襟のある白いジャケット、そして、黒色のズボン。このような格好をしているのは、国立学校の研究員のみである。ただ、同年代の研究員達との違いは、彼の左肩に黄檗色の布が巻かれており、研究者の証とされる勲章が二つつけらていた。その勲章の数が所有者の地位の高さを示し、個数が多ければ多いほど地位が高いとされる。つまり、彼は学校内でも突出した存在なのだ。そんな彼でも、目の前にいる子供の世話には苦労しているようで、漆黒のショートヘアーを右流しにした前髪の隙間から見える灰色で切れ長の瞳には苦笑の色が表れていた。
「ねぇ、ヴェル。いっつも言ってるけど、きっちり、テキスト見てよ。そんなことどこにも書いてないでしょ。」
「でも、父上が前に言ってたよ。俺はおまえの母親に聖剣継承者なら聖剣を探しなさい、って言われて半強制的に捜索に行かされたって。ゼクも父上から聞いてるんでしょ?テキストなんて、読めば分かるよ。ねぇ、もっと違うこと教えて。」
ヴェルという愛称で呼ばれる子供、ヴェルーツェは手にしていた筆をインクに差し込むと、テキストからゼクに視線を移し、興味津々に彼の言葉を待っていた。どうにかして勉強から逃れようとしているヴェルーツェの安易な魂胆を考えだけで、ゼクは深いため息をつかずにはいられなかった。
「……あのさ、また、そう言うこと言うと、僕がティルツィさんに怒られるんだから。僕がいるときはそういう余計な情報は言わないでくれる?ティルツィエさんは何でもかんでも、僕のせいにするんだから。ホント、いい加減にして欲しいよ。」
「あなたはヴェルーツェの教育係なのですから、しっかり教育をしていただかないと困ります。」
ゼクの背後から物腰が柔らかい中にも怒りを含んだ声が響き渡った。その声を耳にしたゼクは一瞬にして背中に悪寒が走った。そんなゼクとは対照的に、机に向かって座っていたヴェルーツェが嬉々として背後にいる声の主にエメラルドグリーンの瞳をキラキラと光らせながら向けた。
「母上!」
ヴェルーツェの母親、ティルツィエはにっこりと優しい微笑みをしながら、ヴェルーツェの側まで歩み寄っていった。そして、我が子の側まで近づくと、彼の視線に合わせて屈み込み、軽く頭を撫でてやった。大好きな母親が側にいるだけで、ヴェルーツェはうれしさのあまり満面の笑みを溢した。
ややしばらくして、ティルツィエは息子から手を離し、素早く立ち上がるや否や、近くにいるゼクを睨み付けてきた。いつものことながら、ゼクは彼女の瞳を見るだけで威圧させられていた。しかし、その感情が表情にでないせいか、ティルツィエを逆に逆撫でしている事にゼクは気付いていなかった。
「ゼク。何度も言及しておりますが、この子はいずれこの国を担う事になるのです。それを妨げるような余計な知識は与えないで頂きたいのです。」
「お言葉ですが、王妃様。僕は歴史書にそってヴェルに教えてるだけですよ。ヴェルの情報はヴュール殿下からの情報です。注意するなら、殿下に……」
「言い訳は結構です。とにかく、今後、そのようなことが無いよう、気をつけてください。」
「……分かりました。」
ゼクはあからさまに不満げな表情をティルツィエに示したが、ティルツィエはあえてこれ以上注意を促そうとはしなかった。
「ところで、母上。父上はどこへ行ったのですか?」
二人の険悪なムードを打ち消すような明るい声で、ヴェルーツェはティルツィエに話しかけてきた。我が子に対して決して怒りを露わにした表情を見せないティルツィエは、ゼクに見せていた厳しい表情を一変しさせた。
「お父上は市街地に行っております。」
「えぇ!!市街地ですか!!」
そう叫びながら、ヴェルーツェは満面の笑みでゼクの顔をみた。その態度からゼクは何となく彼の考えている事がすぐに分かり、顔を顰めた。
「ゼク!!僕たちも市街地に行こう!!ねぇ、母上。よろしいですよね?」
「…だめです。一人で市街地など出ては…」
「父上が言ってました。市街地に出て国民に直に触れることも大切だと。」
「ですが…。今日は護衛の者もいないですし…。ゼクでは護衛にはなりません。」
一向に諦めようとしないヴェルーチェの態度に困り果てたティルツィエの横で、ゼクは巻き込まれずに済んだと思い、安堵のため息をついていた。
「それじゃあ、ヴェル。市街地にいくなら、僕は研究室に戻るよ。」
「えぇー!!」
頬を膨らまて不服な表情を見せるヴェルーツェは上目遣いでゼクに懇願するように見つめるが、視線を向けられている当人はヴェルーチェの気持ちを知りつつ、あえて素知らぬふりをしていた。軽い笑みを浮かべ、そそくさに部屋から出て行くことにした。自分の名を呼びつける声が何度も耳に入ってくるものの、ことさら聞こえないふりをしていた。ヴェルーチェの声が聞こえなったことで、ようやく厄介払いが出来たと大いに喜んでいた。
結局、ヴェルーツェは当然ながらティルツィエの許可は出る事はなく、市街地に出かけることはできなかったようだ。
オルペンツェ国は世界で最大を誇る大国である。
国王、ヴュールによって治められているこの国は、平和そのものである。それを理由に20年ほど前からオルペンツェへの移住を希望する者が増え、人口の増加には少々頭を悩ませている。
また、この国はルマ教の信仰国である。ルマ教とは教祖ルマにより今から2400前に発生したといわれており、世界の80%がルマ教を信仰している。加えてこの国は魔術を中心とする学術を推進する学術国でもある。建国時以来、魔術学校が創設され、国民は16歳になると学校に入学することが義務づけられる。そして、現在は学術や武術等を学ぶ事が出来る総術学校というものも開校し、年令や国籍に関係なく入学したい者は試験に通る事さえ出来れば、入学の許可が下されるのである。学校建設により、若い年代の国民も増えつつある。
若者が増えている事も相俟って、オルペンツェ国は流行の最先端でもあった。世界では授術が流行していた。授術とは自分自身にルマの言葉を取り込んで相手に伝える事が出来る術のようだ。それを使うことが出来る授術師、チュア・フィリアはずば抜けた能力を持っていた。容姿端麗ということもあり、彼女の授術はすぐに国民の心を掴んでいった。
今日もまた、彼女の所には、言葉を賜ろうとする者達で溢れかえっていた。彼女自身、授術で生計とたてている訳でないため、建物の間にある狭い路地の片隅でひっそりとそれを行っていた。その方が空の下で新鮮な空気を吸いながら授術を使う事ができるので、彼女にとっても効率が良いのだ。このような石畳の路地に大きな布を敷いただけの質素な体裁とは裏腹に大勢の人が彼女の授術を待っていた。
「……私からは以上です。」
「ありがとうございます。チュア様。」
ニコリと微笑みを見せるチュアに対して、彼女からの言葉を賜った老婆はチュアの両手を強く握りしめ、深々と頭を下げながら何度も感謝の意を示した。チュアも彼女の気持ちを組んだのか、手を握り替えしてあげた。
「チュア様のお言葉で、私の道は開かれました。」
「私の力が、あなたの力添えになれた事、嬉しく思います。」
「本当にありがとうございました。」
老婆はもう一度深々と頭をさげると、その場から去っていった。チュアは胡桃色の長い髪を後ろに振り払うと、老婆の後ろで言葉を賜ろうと待ち構えている者に視線を戻した。だが、目の前で待ちかまえていた男を見て、チュアは一瞬眉を顰めた。
「あなたは…。」
驚きと戸惑いで言葉を失ったチュアに対して、にやりと不敵な笑いをした男は、横座りをするチュアと視線を合わせる為に、その場にしゃがみ込んだ。にっこりと微笑む男の目尻は、くっきりとした小じわが目立っている事からも、ある程度の年齢である事が分かるが、彼の笑みにはついつられて微笑んでしまう。
「どうしたのですか?あなたは昨日もいらっしゃいましたはずですが…。」
その男は全身を茶色い布のマントで覆い、まるで旅人の装いだが、彼がチュアに手を差し出した時にちらっと見えた服装は旅人とは異にするものだった。白地のシャツに鉛色のズボンというあまりにも軽装過ぎる装いでであった。彼は指の部分を露出した黒い革手袋をはめた手でゆっくりとチュアの手を取った。
「チュアちゃんに会いに来ただけ。チュアちゃんを見てると、癒されるんだよね~。」
チュアはその男の言葉に頬を染め、視線を落とした。
「……ありがとうございます。…嬉しいです。」
「いや、照れた所もかわいらしいね~。やっぱり素直な子はいい。」
男のほめ言葉にチュアは恥ずかしそうに両手を頬に当てた。彼女には返す言葉が見つからず、ただはにかんだ微笑を浮かべていたが、視線は下を向いたままだった。彼に目を合わせる事が出来なかったのだ。
「ところでさ、チュアちゃんの力って、どれだけ使えるの?」
「え?……どういう事でしょうか?」
先ほどまで、恥ずかしさに視線を落としていたチュアが、彼の理解不能な質問に視線を上げた。彼女の目に言った男の表情は先ほどのおちゃらけたものと一変していた。
「今日はもう力は使い果たしたんじゃないか?」
「え?」
質問の意図をくみ取れずに困惑したチュアからの返答を待つことなく、男は突然立ち上がると、すぐさま彼の後ろで待つ人々に向けて言葉を発した。
「悪いが、今日は店じまいだ。彼女は今日、すでに力を使い果たし、正確な授術を行えない。よって、今日はお引き取り頂きたいようだ。」
突然の一方的な彼の主張にチュアも慌てて否定をしようと、その場に立ち上がった。もちろん彼女の心中と同様に、授術を待つ者は当然のことながら納得する者などいなく、一部からは罵声が上がった。あっという間にその場で大混乱が巻き起こり始めてしまった。チュアは混乱の収集を付けるためにも、自らまだ力があることを伝えようとするが、その弱々しい声は辺りの怒鳴り声にかき消されてしまった。一向に静まる兆しのない騒ぎにチュアは困り果て、何も言えなくなってしまった。ただおろおろしているだけで、何も出来ない自分の不甲斐なさに動揺していた。
その時、列の中から図体の大きな男達が居たたまれもなく、この混乱を起こした張本人のマントの男に勢いよく駆け寄ってきた。今にも殴りかかりそうな勢いだ。この状況にチュアはすでに自分の力では打開策を見いだせないと悟り、彼らの争いに割り込むこと無く、もっぱら黙って彼らを見守ることしか出来なかった。彼女の心中など全く考えることなく、男どもの争いは一人の男の言葉を皮切りに始まってしまった。
「おい、てめぇ。何ふざけた事言ってやがる?!」
図体の大きな男はそう言いながら、マントの男の胸ぐらを思い切り掴もうとしたが、それよりも先に、マントの男によって両腕を後ろに回され、そのまま壁に押さえつけられてしまった。彼はうめき声を上げながら、どうにか抵抗をするがびくともしない。身体の大きさからは考えられないほどの力で押さえつけられていた。このような自分よりもひ弱な人間にいとも簡単に捕らえられたのは彼にとって屈辱以上の何ものでもない。辺りから沸き上がったマントの男を感嘆する声が耳に入ってくる度、この無様な格好から逃れたいと必死に抵抗し続けたがやはりびくともしない。図体の大きな男がこのひ弱な人間のどこにこんな力があるのかと疑問を抱く中、マントの男は不敵な笑いを今度は彼越しに並んでいる人々へと向けた。
「もう一度言う。今日は店じまいだ。また、明日にしてくれ。」
マントの男の言葉で一気に列は崩れていき、ざわつきながらも人々は本日の授術を諦めることにした。先に見たマントの男の身のこなしを目の当たりした人々がこれ以上抵抗すること自体、無意味だと考えるのは当然の事である。人々が散っていったのを確認すると、マントの男はようやく掴んでいた両腕を解放してやった。図体の大きな男は身動きがとれるようになると同時に血相を変えて、その場から離れていった。
「でかい図体しながら、情けねぇ野郎だぜ。」
マントの男は走り去る人間の背中に暴言をぶつけてやった。そんな彼の表情は単なる図体のでかさを嘲笑してるように見えた。チュアはなぜ彼がそのような事したのか、理解できずにいたが、今まで起こっていた騒ぎに圧倒されて言葉を発するに少々時間がかかった。チュアの瞳は戸惑いの色を隠しきれず、今にも泣き出しそうで目尻に涙が溜まっていた。マントの男はそんなチュアの様子に罪悪感を感じ、慌てて慰めようとした。
すると、突然、マントの男の背後から自分に対する殺意を感じ、すぐさま振り返りって、その視線の主を捜そうと辺りを見渡してみた。だが、背後には授術を諦め、残念そうにその場から立ち去っていく人々の姿しか見当たらない。
「あの…。どうか…、なさいましたか?」
チュアの問いかけにマントの男が答えようと口を開いた瞬間、切っ先の鋭い細い何かが自分の視界に飛び込んできた。
ナイフか?
考えるよりも先に彼はその場にしゃがみ込み、飛翔物から身を防いだ。それは鋭い音をたてて勢いよく壁に刺さった。
「……なんだ、これ?ナイフじゃねぇよな…。」
そう言いながら、壁に刺さった刃物に手を伸ばし、触れようとした。
「触らない方が良いですよ。もしかしたら、毒塗られてるかも。」
突如彼の耳に入ってきたのは、少年のような軽やかな声だった。その声に促されて、彼はすかさず伸ばしていた手を引いた。その声の主は、この緊迫感のある張り詰めた空気にそぐわな微笑を浮かべて、ゆっくりと彼に歩み寄ってきた。
「ほんと、不用心なんだから、ヴュールさんは。」
「ゼクか。こんなとこで何しているだよ。」
マントの男、ヴュールはばつが悪そうに頭を掻いていた。
「ティルツィエさん、怒りますよ。こんなとこで、そんな若い女の人と密会だなんて。まぁ、僕はあえて報告はしませんけど。」
ゼクはにやりと嫌みのない微笑みを向けているが、その微笑み自体、ヴュールにとっては逆に威圧感を与えるものにしか見えなかった。
「そんなんじゃねぇよ。それより、これはなんだ?」
二人は視線を壁に刺さっている刃物に目を向けた。その傍らにいるチュアは二人の様子を不思議そうに眺めていた。ゼクはそんな彼女を一瞥し、軽く微笑みを向けるとすぐに壁に突き刺さる刃物をじっと観察しだした。その刃物を上下左右とあらゆる方向から眺めると同時に、手にしていた書物にも目を通し始めた。
しばらくして、ゼクの表情は一変し、ページを捲る手を止めた。
「これは、飛鏢ですね。暗殺とかでよく使われるものですよ。切っ先に毒とか塗って確実に殺す武器。うわぁ、それにしてもこんなもの、はじめて実物を見ましたよ。ヴュールさん、これに刺さってたら確実に死でましたね。」
「お前さ…、そういうこと、よくも軽々しく言えたもんだな。俺が命狙われてるってんだったら、もう少し心配しろよ。」
「まぁ、ヴュールさんは簡単に死ぬような人じゃないでしょ。もしかしたら……」
そう言いながら、ゼクの視線はチュアに向けられた。その様子からヴュールはゼクの言いたい事がすぐに理解できたが、当の本人はゼクの意図を理解できずに困惑した表情を見せた。
「ゼク。それはねぇ。確実に俺に向けられた。」
「どういう事、でしょうか…?」
状況が今ひとつ理解できないチュアが、ようやく二人の会話に加わることができたが、やはり話は見えない。そんな彼女の質問に対し、いち早くヴュールが今起きた状況をゆっくり説明してあげることにした。チュアはヴュールの話をコクリと首を上下に動かしながら、真剣な面持ちで話を聞いていた。
「大事に至らなくて良かったですね。……でも、一体誰が…」
「ヴュールさんは、いろんな人に恨まれてますからねぇ~。女の子に会いにわざわざ市街地にまで出てきたりもしているからな。あぁ、もしかしたら、ティルツィエさんが誰かに殺せって頼んだのかも。」
「おまえな、あまり怖ぇ事言うなよ。」
「現に、今だって、若い女性と密会している時に殺されかけたでしょ。」
ヴュールはいつもゼクに対して寛容な態度であるが、さすがに彼の有り余る軽々しい暴言にいい加減苛立ちを覚えた。未だ不快な微笑みをしているゼクの頬に拳を押しつけようと、片手を上げた。
「てめぇ、これ以上くだらねぇ事言ったら、マジ、殴るぞ。」
「止めてくださいよ。僕、ヴュールさんの馬鹿力に殴られたら、死んじゃいますから。」
憤怒を含んだ低いヴュールの声にゼクは慌てて彼を落ち着かせようと促した。傍らで様子を眺めているチュアが割って入ろうとするが、彼女にはどうにも出来ずにただおどおどとしているだけだった。
ゼクとヴュールの一悶着が終了する頃、ようやく先ほど騒ぎの収集のため、兵士が血相を変えて走り寄ってきたが、そこに居たのがヴュールとゼクだと分かると、あからさまに呆れた表情を見せ、深いため息をついた。ヴュールはその兵士達の態度の変化にまた苛立ちを感じ、兵士達をきつく睨み付けてやった。
「お二人とも、何をしていらっしゃるのですか…。いい加減、市街地で騒ぎを起こすのはやめていただけませんか?」
「そうですよ、ヴュールさん。おとなしく、城内でヴェルと遊んでれいば良いんですよ。」
「ゼク、おまえに言われたかねぇよ。」
「しかし、陛下。恐縮ですか、あまりにも無鉄砲すぎます。お命も狙われ兼ねませんよ。」
「それなら、今、実際に体感した。」
ヴュールはばつが悪そうに頭を掻きながら、兵士に親指を立てて壁に刺さった刃物を見ろと言わんばかりに指さした。
「陛下!!」
「それにしても、女性の恨みって怖いですね~。ただ刃物で狙うだけじゃなくて、毒を塗りつけて確実にしとめようとするなんて…。単なる、恨みだけなんでしょうかね。」
「そんなもの、知るか。」
「とにかく、陛下。城に戻りましょう。」
「あぁ、ちょっと、待て。」
ヴュールは側で立ちすくんでいるチュアの手を掴んだ。チュアは突然の事に驚愕し、瑠璃色の瞳を見開いてヴュールの顔を見た。そんな彼の不謹慎な態度を見て、兵士は大概にして欲しいと言わんばかりに、少々怒りを含んだ表情を向けた。
「陛下、いい加減にしてください。そのような民衆の女を城の連れて行くつもりですか?!」
「馬鹿か!!見てわからねぇのか!!彼女が授術師のチュア・フィリアだ!」
その言葉に一瞬、時が止まったかのようにその場にいたものの動きが止まった。しかし、すぐに兵士達は彼女の服装を見て、ようやく納得した表情を見せた。チュアの服装はねずみ色をしたノースリーブのタートルネックに片方の肩がむき出しになった藤紫のローブにロングスカート、そのローブやスカートには魔術を施されたような文様が描かれている。胸に光る歪な形をした大きな水晶のついたネックレスを付け、右手には肘が隠れる程の長いミトン、左手には腕から手首にかけていくつもの水晶のついたブレスレットがはめられている。細い金色のティアラを付け、その額には菱形の真っ赤なルビーが輝きを放ちている。そんな服装は一般民衆ではあり得ないものだ。
兵士が黙り込んだことを良いことに、ヴュールはチュアの手を引き、城まで連れて行こうとしたが、さすがに状況を飲み込めないチュアはヴュールの手を振り払い、その場から立ち去ろうした。
「申し訳ございません。私は…」
「あぁ、待って。チュアちゃん。」
そう言うと、再びチュアの手を掴んで、引き留めようとした。チュアも再びその手を振り払おうとしたが、今度は簡単には振り払えなかった。振り払うどころか、徐々に力が強くなり、腕に痛みすら感じ、顔をゆがめた。
「離して…ください。」
「今度は逃げない?」
「……分かりました…。でも………、どういう事か、お話しいただけませんか?」
「それは、もちろん。これから、話すけど……」
ヴュールはチュアの手を離した。チュアは掴まれた部分を優しく撫でて、痛みを和らげようとした。そんな彼女の姿を見て、ヴュールは申し訳なさそうな表情を彼女に向けた。
「ごめん、チュアちゃん。ちょっと、力入りすぎた。」
「いいえ…。」
彼女の今にも泣きそうな表情を見ると、ヴュールの心には彼女に対する罪悪感がこみ上げてくる。
「それよりも…、一体どういう事でしょうか…。」
「あぁ、そうそう。実は頼まれて欲しいことがあって。」
「それは…一体?」
「チュアちゃんの力で確かめて欲しいことがあるんだ。」
「確かめる?……何をでしょう?」
「ルマの子孫のこと。」
「……ルマの…子孫?」