ジョーンズ家の日常:はじまりはとつぜん
その不吉な電話が鳴ったのは、ライリー・ジョーンズがのんびりした休日を結婚したばかりのギャレット・ジョーンズと過ごしているときだった。カルフォルニア州のサクラメント。カルフォルニアでの同性婚が認められてしばらくたち、スムーズにとはいかないまでも彼らは幸せな新婚生活に漕ぎつけた。そんなときだった。
時間は午前11時。ランチの準備をしていたところで、キッチンをギャレットに任せてライリーは電話を取った。
電話を取ってしばらく、ライリーの手から受話器が滑り落ちた。
様子がおかしいことに気付いたギャレットが駆け寄って、崩れ落ちるライリーの肩を抱いて支えた。
呆然としたように、ライリーが言った。
「どうしようギャレット、メアリーが死んだよ・・・」
ライリーの妹夫婦の事故死から数日
ライリーとギャレットは新しい家族を迎えた。
「おじさん、わたし喉が渇いちゃった」
「ジュースがあっただろう?それにおじさんじゃなくてパパだ」
「もう飲んじゃったの、パパ」
「ねぇ、どうしてもパパって呼ばないとダメ?なんか変な感じだよ」
「どうしてもってわけじゃないが・・・」
「いいじゃないエリック。パパが3人になったのよ」
「んん・・・それってやっぱ変だよ」
「ライリー、そこ左じゃなくて右だよ」
「んなっ・・・!ギャレットそれ早く言ってくれよ!」
「おじさん・・・じゃないやパパ。やだこれ慣れるまで時間かかりそう」
「ぼくは一生慣れる気がしない・・・」
「時間はかかってもいい。でもお前たちは間違いなく俺たちの子供だ。血は繋がってなくてもな。いいか、遠慮だけはするなよ。俺たちを頼れ」
「わぁ、かっこいーおじさん、じゃないパパ」
「うっわ・・・何この臭い・・・。アマンダ窓開けて・・・」
「あ、そうそう。かっこいいパパ、シャーロットが愚図りそうよ。きっとオムツの中は大量ね」
「なんだと・・・!?だからそういうのは早く言いなさい!」
「はいはい」
「アマンダオムツ替えられる?」
「わたしもエリックもまだ7歳なのよ。無理よギャレットおじさん、じゃなくてパパ。もう、これややこしいわ。どっちもパパだなんて。だいたいパパって呼び始めたらおじさんもギャレットおじさんも両方反応しちゃうじゃない」
「う、ぅ・・・」
「あ、シャーロット泣く」
「よしわかった。みんな耳をふさごう」
「ちょっと待てギャレット、俺の耳は誰かふさぐんだ?・・・おいギャレット。アマンダ、エリック・・・お前ら耳ふさぐの早」
「ぎゃあああ!!!」
「勘弁してくれシャーロット!!」
ライリーの妹メアリーとその夫マイケルが突然事故死して、本当に困ったのは3人の幼い子供たちだった。小学校2年生にあがったばかりの双子の姉弟アマンダとエリック。2人の妹でまだ言葉を話すこともできないシャーロット。彼らの1番近い親族は叔父のライリーだった。
もともといつか養子をとりたいと思っていたライリーとギャレットが3人を養子にすると決まるまでにそう時間はかからなかった。
2人で暮らすのには丁度いいアパートメントも3人の子供を育てるのには向いていない。
2人と3人は今日、新しい家で新しい生活を始める。
その道中。
車の助手席に座るギャレットと後部座席に座るアマンダとエリックはしっかりと耳をふさぎ、泣きわめくシャーロットと運転するライリーが残りの数分を最悪な気分で過ごすこととなった。
キキッと音をたてて車が止まったのは赤い屋根で真っ白な家の前。
まだ比較的新しいその家は、決して大きくはなかったが家族5人が暮らすには完璧だった。
「さぁ着いたぞ!」
疲労困憊のライリーを残し、アマンダとエリックはわぁっと歓声をあげて外に飛び出して行った。
「ギャレット、悪いがシャーロットを・・・」
「はいはい任せて」
ぐったりしているライリーを見て苦笑したギャレットは一旦外に出て後部座席のドアを開けた。そして大泣きするシャーロットの隣にオムツがたっぷり入った袋を用意した。
「さて、お嬢様。しばしの我慢を」
ギャレットはシャーロットの扱いがうまいのだ。
ささっとオムツを替える手際もライリーよりも覚えが早かった。ライリーは今だに慣れない。
双子にとって、今までおじさんと呼んでいた2人が「パパ」になることは違和感だらけだったが赤ん坊には関係ない。シャーロットはきっと2人をためらいなく「パパ」と呼ぶようになるだろう。
ギャレットの手によって綺麗になったシャーロットは満足そうにキャッキャと笑った。
ふわふわの栗色の髪にキスして、ライリーはシャーロットを抱き上げた。
家の前では待ちきれないと言うように双子が2人を呼んでいる。
「パパたち早く!」
「おじさんカギ!カギちょうだい!」
「エリック、パパでしょ」
「おじさーん」
「もう」
「ギャレット」
「うん?」
嬉しそうに家を見つめるギャレットにライリーは言った。
「これで俺たちは本当の家族だ」
「そうだね」
「かわいい子供たちとみんなで暮らせる家がある」
「それに誰よりも素敵な夫もいるし」
「俺にもだ」
そして5人はアマンダを先頭に家に入った。
その家の前の持ち主はとても家を大事にしていたに違いないとライリーは思った。
隅々まで手入れが行き届き、新居も同然だ。
玄関から入ってすぐにリビング。奥にはダイニングとキッチンとバスルームだ。2階にはライリーとギャレットの寝室、双子の部屋、シャーロットの部屋の3部屋。
リビングの大きな窓からはのびのびした芝生の庭が見渡せる。
「きっと幸せな家族になるよ」
ライリーは満足そうにピカピカ新品のテーブルと5つのイスを眺めた。内ひとつは小さなシャーロットの為の赤ちゃん用だ。
「これからの生活が楽しみだ」
それから3日。
ライリーは自分の言葉に疑問を持ち始めていた。
「パパ!早く起きて!パパ!」
アマンダは朝から元気だ。
勝手に部屋に入ってきてまだベッドで布団を被っているライリーを叩き起こした。
「アマンダ・・・」
「もう7時よ!」
「なんだと!?」
ライリーは飛び起きた。
いけない。今日からアマンダとエリックは少しの間休んでいた学校に復帰する。高校の教師であるライリーも今日からまた出勤だった。それにも関わらず、朝は2人のお弁当を作って学校まで送っていかなければならなかった。3人を引き取って5日、シャーロットは夜でも昼でも泣きわめくし、彼女の世話だけでも精一杯だったのだ。寝坊なんてここ数年で初めてのことだった。
「弁当は・・・」
「ギャレットが作ってくれてるわよ」
ここ数日で、アマンダは気をつかっているのかライリーのことをパパと呼ぶようにしていた。しかしギャレットのことをパパと呼ぶのはなかなか気が引けるらしい。
確かに、妙なものだ。
生まれたときから可愛がってくれているライリーおじさんがパパになったのはまだいいが、そのおじさんに突如現れた〝恋人〟をおじさんと呼ぶようになるまではしばらくかかったのだ。それが今度は3人目のパパだ。心の整理がつききらないのだろう。
ギャレットは穏やかな気性で心優しい。子供たちが自分に気をつかっていることも重々承知だったが。急かすことはないと考えていた。一緒に暮らせばその内必ず慣れるものだ。
アマンダはライリーの手を引きリビングに降りた。
ダイニングでは寝癖がついたエリックがトーストをのそのそと食べていた。
テーブルにはきちんと2人分のランチボックスが並んでいる。
「悪い」
ライリーはキッチンにいるギャレットに謝った。
「おはよう」
ギャレットはライリーを見てニコッと笑った。
パリッとしたシャツにエプロン。ブロンドのふわふわの髪は少し長く、後ろで小さく結んでいる。ギャレットは朝が強いのだ。
一方低血圧気味のライリーはフライパンで卵を焼くギャレットの後ろから肩に手をのせてふわふわの良い香りのする髪に顔をうずめた。
「ちょっとライリー」
「今日も素敵だね」
「寝ぼけてるの?」
おかしそうに笑いながら、ギャレットはライリーの腕からするりと抜けだし皿に卵を移した。
「「フーゥ」」
一部始終を見ていた子供たちは半笑いで口を揃えた。もはや慣れっこだ。
「見るな。飯を食え2人とも」
真面目な顔をしてもパジャマ姿なのだから決まらない。
ライリーは顔を洗ってヒゲを剃る為に洗面所にひっこんだ。
「ギャレットはおじさんのどこがいいの?」
エリックは心底不思議そうに言った。
エリックは結局、今ライリーのことをパパと呼ぶのは諦めたらしい。ギャレットのこともアマンダと同じく〝ギャレット〟だ。
「いや、ライリーにもあれで良いところはたくさんあるんだよ」
やんわりとそう言いながら、ギャレットはじっとエリックの食べる様子を見ていたシャーロットにベビーフードを運んだ。
「ほらシャーロット、朝ごはんだよ」
ドロッとした離乳食は赤ん坊であっても好きな人などいないだろう。
シャーロットも例外ではなく、顔をしかめてギャレットの運ぶスプーンから顔をそらした。
「シャーロット」
困ったようにギャレットは笑う。どんなに困らされても幸せそうだ。
「貸してギャレット」
自分の分の朝食はとっくに食べ終わっているアマンダはギャレットの手からスプーンを奪い取った。
「ほら食べなさいよシャーロット。お姉ちゃんの言うことが聞けないの?」
無理矢理ぐいぐいとシャーロットの口にスプーンをねじこもうとする。
「あーぅ」
シャーロットはパシッとアマンダの手をはたいた。
「シャーロットぉ・・・」
アマンダは恨みがましくシャーロットをにらんだ。
「信じらんない。わたしは絶対こんなに手のかかる子じゃなかったわよ」
「赤ちゃんはみんな同じように手がかかるものだよ」
ギャレットは根気強くシャーロットに食べ物を運ぶ。
やっと何口か食べたら、次はミルクだ。こっちは大人しく人並み以上にゴクゴクと飲み干した。
「赤ん坊はなんでミルクが好きなんだろうね」
そう言うエリックは牛乳が嫌いだ。朝はいつもオレンジジュースを飲んでいる。
「ギャレット、俺にもトーストをくれ」
「はいはい」
再びダイニングに現れたライリーは先ほどとは様変わりしていた。
ヒゲを剃り、黒髪をきちんの撫でつけて、シワひとつないスーツを着たライリーは確かにカッコイイのだ。
「急いで食べて、時間全然ないよ」
「あぁ」
渡されたトーストを、席に座ることなくその場で食べるライリー。渡されたコーヒーで味わうことなく全部胃に流し込んだ。
「お前らは準備できたか?」
「とっくにできてるわよ」
「ちょっと待って」
エリックは慌ただしく自分の部屋に荷物を取りに行った。
「よし、アマンダは弁当をもって車に乗れ」
「はーい」
アマンダは弟の分のランチボックスも持って、玄関へ向かった。
「じゃあ行ってくるよ」
「はい、行ってらっしゃい」
「シャーロットのこと任せたよ」
「大丈夫だよ」
ライリーはギャレットに軽くキスしてアマンダの後を追った。
ギャレットはシャーロットを抱き上げて、玄関まで見送りについていく。
ライリーが外に出たのに一歩遅れてエリックが階段を駆け下りてきた。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
ちょっと照れくさそうにギャレットの頬にキスして、エリックも外に出た。
「あー」
「何?シャーロットも学校に行きたい?ダメだよお前にはまだ早い」
「うー」
「シャーロットは僕と一緒に洗濯でもしようね。食器も洗ってくれるかい?」
1日1人での子守はこれが初めてだったが、ギャレットは心配してはいなかった。ミルクを作るのもオムツを替えるのもかなり慣れた。
鼻歌を歌いながら、ギャレットはシャーロットを抱えてダイニングに戻って行った。
「パパ、ちょっとスピード出し過ぎなんじゃないの?」
「黙れアマンダ。遅刻してもいいのか?」
「一時間目は体育なんだ。ぼくは遅刻してもいいよ」
「ダメだ。なぜなら子供の遅刻は親の責任だからだ」
「だから遅刻してもいいんだよ」
「まったく、お前は口が減らない・・・」
「パパに残念なお知らせがあります」
「なんだアマンダ」
アマンダは神妙そうにライリーに言った。
「宿題を家に忘れました」
「犬に食われたことにしなさい」
「うちに犬なんていないじゃない」
「シャーロットに食われたことにしろ」
「もうその手は使っちゃったのよね」
「・・・その宿題はどうしても今日必要なのか?」
「そうなのよねぇ」
姉のハプニングを余所に、エリックは再び夢の中だった。
ライリーは道を引き返そうとはしない。
今から家に帰っていては子供たちが遅刻するのはもちろん。自分も仕事に遅れてしまう。小学校と高校とでは確かに始まる時間は違うのだが、生徒と同じ時間に着いていればいいというものでもない。
「その宿題は部屋のどこにあるのかわかるのか?」
「机の上にあるのは間違いないわ」
「そうか・・・わかった。後でギャレットに電話してやるから届けてもらえ」
「それは・・・ギャレットに悪いわよ」
「いいかアマンダ。宿題を忘れたのはお前が悪い。でもこういうとき、もしお前たちのママやパパが相手だったら頼るだろう?」
「そうね・・・」
「俺たちはお前のパパだ。2人目と3人目のな。だから同じだ。仕方ないときは頼ってもいいんだ」
「・・・わかった」
「明日からは気をつけなさい」
「はぁい・・・」
アマンダとエリックを学校に送るのは間に合った。
「ごめんなさいパパ」
「いいんだ。大丈夫。行ってきますのキスは?」
「えぇ、友達に変な目で見られるよ」
2人はいつも母親のメアリーに送り迎えをしてもらっていた。母親でも父親でもない人とキスで別れるのはエリックには抵抗のあることだった。何よりも周りの目が気になる。友達にはきっとさっきの人は誰かと聞かれて説明することになるだろう。家でギャレットにしたキスとは違う。
「ぐちゃぐちゃ言ってないで早く行きましょう」
先ほどまでの神妙さはどこへやら、アマンダは屈んだライリーの頬に素早くキスすると学校に駆けて行った。エリックもやや不服そうに、それに続いた。
迎えはギャレットに頼んである。
そう考えると何だかギャレットに頼りっぱなしのような気がして気が引けるが仕方ない。ライリーは再び車に乗った。
『もしもし?』
ギャレットはすぐに電話に出たが、背後でシャーロットが大音響で泣きわめいているのが聞こえた。大変なときに電話をしてしまったようだ。手短かに済まそうとライリーは急いで話した。
「もしもし俺だ。悪いけどアマンダの宿題を届けてやってくれないかな」
『あぁ、忘れたの?いいよ。どこにある?』
「アマンダの机にあるそうだ」
『了解』
「悪い」
『全然大丈夫だよ』
「じゃあ、愛してるよ」
『はいはい、僕も愛してる』
電話を切って、次は自分の高校に向かう。
まったく。忙しい毎日になりそうだ。
これから先この生活に慣れることができるのか、怪しいものだとライリーは思った。
電話を受け取ったとき、ギャレットはちょうど原因のわからないシャーロットの愚図りに対応していたところだった。オムツも良し、ミルクも良し、それでも赤ん坊は何が気に入らないのかすぐに泣く。
ライリーからの電話で、アマンダの宿題を届けに行くにはシャーロットを置いていくわけにもいかない。つまりまずシャーロットを泣きやませなくては。
「シャーロット頼むから泣きやんでくれ」
抱き上げてあやしてもシャーロットは泣きやまない。
「ほら、これをあげるから」
今度は籠に下ろして彼女のお気に入りの犬のぬいぐるみを渡す。
シャーロットはぬいぐるみを放った。
「まったくもう」
とりあえずシャーロットはそのままに、ギャレットはアマンダの宿題を取りに行った。
アマンダとエリックの部屋は階段を上がってすぐそこだ。向かい側にはシャーロットの部屋で、一番奥にライリーとギャレットの寝室がある。
手前のドアを開けて部屋に入ると、散らかった2段ベッドが目に付いた。
「掃除もしないとな・・・」
呟いて、アマンダの机の上にきちんと置いてある宿題を見つけた。
どういうわけか、これだけ堂々と置いてあるものでもアマンダはうっかり忘れてしまう。普段はしっかり者だというのに、そういうたまに抜けてしまうところがライリーに少し似ていた。何分の1かは血が繋がっているだけある。
ギャレットはこの家で血が繋がっていないのは自分だけだということを、少しも気にしていないわけではなかった。子供たちはほんの小さな頃からライリーとはずっと一緒で、自分の登場に少なからず戸惑ったことだって気にしてはいるのだ。
ライリーがいないときに、メアリーに謝罪をしたことがあった。ライリーの相手が自分で申し訳がないというようなことを。するとギャレットはメアリーに怒られてしまった。「兄が選んだ人を私は信じるわ。貴方はとても素敵な人よ。例え貴方自身であってもライリーと結婚することに少しでも引け目を感じたりなんてしたら許さないから」メアリーはそう言って、優しくギャレットを叱った。
「メアリー、君の子供たちは僕たちが守るよ」
義理の妹はきっと笑うだろう。「やってみなさい。信じてるわよ」と言うだろう。
「シャーロット、お出かけだよ」
まだ少しグスグスしているシャーロットにフリフリのかわいい帽子を被せ、車に乗せて、ギャレットは小学校に出かけた。
主夫は大変だ。
アマンダのいる教室に行くまでに小さな赤ん坊をおぶったハンサムはとても目立った。
休み時間で廊下に出ている子供たちは遠慮なく好奇の目でギャレットを見る。
クラスを覗いてもアマンダは見当たらなかった。
「あれ?」
シャーロットは都合よく眠ってくれているが、いつ起き出すかもわからない。起き出したら、また泣きだしてしまうかもしれない。あまり学校に長居はしたくなかった。
「どうされました?」
どうしたものかと悩んでいたとき、ギャレットは若い女性に声をかけられた。
「えぇっと、もしかしてスミス先生ですか?」
「はい、そうですが」
スミス先生はアマンダのクラスの担任だ。〝若い美人な先生〟とだけ聞いていたが、確かに、スミス先生は美人だった。
「すみません、アマンダ・ジョーンズの父親です」
「あら・・・」
先生はすぐに合点がいったようだった。
アマンダの両親が事故にあい、新しい親ができたこと。そのどちらもが父親だということ。
理解がある先生でありますようにとギャレットは心の中で指をクロスさせて祈った。
「そうでしたか」
ギャレットは気付かなかったが、スミス先生は確実にガッカリしていた。学校にいる以上独身ではないにしても、結婚相手が男だというのなら絶対に自分に興味を持つはずがない。ギャレットがよく女性に言い寄られることと、それに本人がまるで気付いていないことはライリーもよく心配していた。ギャレットからしたら、ライリーに言い寄る女性も多く、それが気にかかってはいたのだが、2人の間で決定的に違うのはライリーはそれを自覚していて、ギャレットは全くの無自覚という点だった。
「アマンダに届け物がありまして」
そういえばどの授業で使う宿題だったのかは聞いていないな、とギャレットは遅まきながら気が付いた。今は1限と2限の間。もし1限目にいる宿題だったのならば間に合っていない。
「そうですか。もうすぐ戻ってくると思いますよ。次はこの教室での授業なので。私が預かりましょうか」
「えぇと・・・」
先生に渡してしまったらアマンダが宿題を忘れたことをバラしてしまうことになる。
「それは」
「ギャレット?」
ちょうど良いタイミングで、下の方から声がした。
見るとアマンダがギャレットを見上げている。
アマンダの隣では彼女の友達が不思議そうにギャレットを見ていた。
「アマンダ、良かった」
「持ってきてくれたのね。ありがとう!」
「これだよ」
ギャレットはホッとして、ノートを渡した。
「ありがとう。助かったわ」
「間に合ったかな」
「大丈夫よ!」
「それは良かった。それじゃあ、もう行くけど。また帰りに迎えにくるからね」
「うん。待ってるわ。あ、そうだギャレット」
「うん?」
手招きされて、屈んだギャレットの頬に、アマンダはサッとキスした。
「家を出るときにしそこなっちゃたのよ」
ギャレットにではなく、隣りにいる友達にそう説明するアマンダ。
「じゃあねギャレット」
「あ、うん・・・」
教室に入っていくアマンダと友達を見て、ギャレットは少しの間ポカンとしていた。
なんとなく、双子は自分たちのことを周りに知られたくないだろうなと思っていたのだ。
「誰?」
「パパよ」
「でもアマンダのパパってあの人じゃないじゃない」
「それでもパパなの」
そんな会話が聞こえた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です・・・」
スミス先生が心配そうに言った。
ギャレットの顔は喜びで綻んでいた。
そんなことがあってから、アマンダのクラスでは〝アマンダとエリックの新しいパパ〟について噂でもちきりだった。もともとそっくりな双子ということで目立つ存在だっただけにその噂は午後には学校中に広まっていた。
「なんてことしたんだよ」
放課後になって、エリックは真っ直ぐアマンダのクラスに行ってそう喰ってかかった。
「なにがよ」
好戦的にアマンダが答える。
普段から騒がしいタイプのアマンダとは違い、どちらかというと内気で大人しいエリックが学校で感情を露わに怒っているのは珍しい。周りの子供たちも何だ何だと面白半分に2人を取り囲んだ。
「ギャレットのこと学校でパパだって言いふらしたじゃないか」
「言いふらしてなんてないわよ。それにギャレットはパパじゃないの」
「だからって学校で言うなよ!」
「何でよ!何も間違ってないでしょ!」
「みんなおかしいって言ってるよ!」
「何がおかしいのよ!」
「おじさんが送ってくれたときもおじさんがパパだってみんなに言っただろ!」
「そうよ!」
「パパが2人いるのは変だって言われた!」
「3人よ!」
「余計変だよ!」
「どこが変なの!」
アマンダはエリックに掴みかかった。
わぁっと周りが湧いた。
「離せよ!」
「誰に何言われたか知らないけど!2人はわたしたちのパパなの!誰よおかしいって言ったやつ!」
「ちょっとやめなさい2人とも!」
スミス先生が割って入ったときにはエリックはアマンダの髪を引っ張り、アマンダはエリックの腕に噛みついていた。
「何があったの!?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
答えようとしない2人にため息をついて、スミス先生はみんなに言った。
「みなさんはもう帰りなさい。お迎えが来てる人もいるわよ。2人はここに座って。・・・ほらみんな!早くこの教室から出なさい」
事の顛末を最後まで見たい生徒たちは、名残惜しそうに教室から出て行った。
アマンダとエリックはお互いにそっぽを向いて隣り同士に座らされた。
「貴方たちのお父さんを呼んでくるから、ここで待ってなさいね」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
2人は返事をしない。
アマンダからしたら、パパが2人いることなんて何てことないし、周りが騒ぐ理由もわからない。たいしたことないと思っていて、それをエリックがいちいち気にしている意味がわからないのだ。一方エリックはとても気にしている。まだまだ同性婚が世間一般の考える常識から外れていることをエリックは知っていた。詳しくは知らないまでも繊細に感じ取っていた。
外でシャーロットと一緒に待っていたギャレットは、スミス先生に連れられて教室に来た。
「どうしたの2人とも」
「エリックが悪いの」
アマンダはすぐにそう言ったが、エリックはアマンダもギャレットも見ようとはしない。
黙ってそっぽを向いている。
「どうやらご両親のことで喧嘩になったらしくて」
少し言いづらそうに、スミス先生は言った。
「僕らのことで?本当に?」
「・・・・・・」
今度はアマンダも黙ってうつむいてしまった。
2人とも、ギャレットを傷つけたいわけではないのだ。
「あー」
ギャレットの後ろで、シャーロットが何か言った。
「うぅ・・・」
「シャーロットがお腹がすいたって言ってるみたいだ」
ギャレットは2人に微笑んだ。
「家に帰ろうか」
アマンダはこくんと頷いた。
スミス先生には家で2人に話しをきくと言って、ギャレットは2人を連れて家に帰った。
車の中では2人共黙りこくっていた。
時折シャーロットの言葉にならない声がして、ギャレットがそれに答えていた。
「待ちなさいエリック」
家に入って速攻で部屋に戻ろうとするエリックをギャレットは止めた。
朝はここで行ってきますと言ってくれたのに。子供ってのはわからないものだ。いやこれは、子供に限ったことじゃあないか。ギャレットは思案した。本当はライリーが戻ってくるのを待ちたかったが、問題は早めに解決した方が良い。
「ここに座って」
リビングのソファーに2人を座らせ、ギャレットはその前のテーブルを挟み向かい側に腰を下ろした。
「まずアマンダから、何があったのか話してくれる?」
「何でもないのよ・・・ちょっと、エリックが何か言われたみたいで、その・・・全然大したことじゃないことをね。それでわたしに八つ当たりしてきたのね」
「違う」
エリックはやっと口を開いた。
「違わない」
「違う!」
「アマンダ、わかったから次はエリックに話してもらおう」
ギャレットはなるべく温和な口調でそう言った。
シャーロットは空気を読んでいるのか、籠の中から興味深そうに3人を見ていた。
「・・・言われたんだ。ロビンに」
「ロビン?」
「いじめっ子よ。あんたロビンに言われたって何で言わないの」
「それで?」
「父親が2人いるなんて変だって」
「3人だってば!」
「アマンダちょっと黙ってて」
ギャレットはアマンダを黙らせて、エリックにきいた。
「エリックはそれで傷ついた?」
「・・・・・・」
「そっか。ごめんね」
「ギャレットが謝ることじゃないわ!わたし今からロビンの家に行って殴ってきてやる!」
「やめなさい」
全く、アマンダの気性の荒さはどうにかした方が良い。
いつか問題を起こすぞ。
ギャレットはアマンダを宥めすかして部屋に戻らせることにした。
「アマンダ。わかったからお前はおやつでも持って部屋に行ってなさい」
「おやつね!わかった!」
アマンダを宥めるのは簡単だった。
クッキーの箱を抱えたアマンダがバタバタと階段を駆け上がって行くのを待って、ギャレットはエリックの隣に移った。
「エリック?」
エリックは唇を噛みしめてポロポロと涙をこぼしていた。
「エリック・・・」
ギャレットは多少動揺しながらも、エリックの背中を優しく、リズムをつけてポンポンとたたいた。
「辛かったね」
「・・・ママと、」
つっかえながら、エリックが話し出した。
「うん?」
「ママと、パパがいなかったことになる気がして・・・」
「うん」
「おじさんのことも、ギャレットのことも、〝パパ〟って呼んだら・・・ママとパパが、ほんとに、消えちゃう気がして・・・」
言いたいことはあるけれど、上手く言葉が見つけられないエリックは、歯がゆさにまた涙をこぼした。
ライリーとギャレットがパパであることが嫌なわけではない。それはちゃんと伝えたかった。
「ママとパパはいなかったことにはならないよ。2人はずっとエリックと一緒にいるだろう?」
「一緒に?」
「心の中にいるだろう。エリックが2人をちゃんと覚えていれば、2人はいなくならないよ。・・・アマンダが『パパは3人』にこだわるのはそういう理由だと思うよ。アマンダだってママとパパが恋しいんだ」
「アマンダは、もうママたちのこと忘れたのかと思った・・・」
「そんなわけがないよ」
アマンダがライリーのことをすぐにパパと呼び変え、気丈に振る舞っているのは弟と妹の為かもしれないと、ライリーもギャレットも気づいていた。アマンダだってまだ7歳だ。両親の死を受け入れられるはずがない。けれど彼女があそこまで強くいられるのはエリックとシャーロットがいるからで、家族を支えようと、彼女なりに思っているからだろう。
「お前の姉さんはお前のことも、シャーロットのことも、ライリーのことも、僕のことも、それにママとパパのこともみんな家族だと思いたいんだ。アマンダもお前と同じように悲しんで、辛い思いをしているはずだよ」
「じゃあなんで、アマンダは泣かないのかな・・・」
「そうだね。きっとアマンダは心の整理をつけるのが他の人よりもちょっと上手いんだ。でもだからって引け目を感じることはないよ。人はみんな違うことが得意なんだ。エリックだって得意なことがあるだろう?」
「算数とか?」
「そう、算数とかね」
ギャレットは笑った。
「それに誰よりも優しい心をもってるだろう?」
「・・・優しい?」
「僕を家族として受け入れてくれた」
「でも・・・」
「戸惑うのは普通だよ。でも怒ってもおかしくなかったんだ。自分が悪いわけじゃないのに、学校でからかわれても僕を責めない」
「だって・・・ギャレットは悪くない・・・」
「うん。ありがとう。エリックはやさしいよ」
それから、緊張の糸が切れたのか声をだして泣きだしてしまったエリックをギャレットは抱きしめた。
「辛かったね。よく頑張ったよ」
ライリーが帰ってきたとき、エリックは泣きはらした目で放心状態だった。
アマンダはその隣でケロッとしてライリーの宿題を写していた。
ギャレットはシャーロットにミルクをやっているところだった。
「おかえり」
「おかえりなさーい」
「・・・・・・おかえり」
三者三様の出迎えに、困惑した様子のライリーにギャレットは目配せをしてキッチンに連れて行った。
「いったいエリックはどうしたんだ?」
「うん。ちょっといろいろあって。ごめんね、夕飯の支度全然できてないんだ」
「それはいいが・・・」
「ピザ取っていい?」
「あぁ・・・」
ギャレットがピザを注文している間にライリーは部屋に鞄を置いてきた。
「それで、何があったんだ?」
「学校でね、僕ら2人が父親になったことが広まっちゃったみたいで」
「あぁ・・・」
「エリックがからかわれて、それが大したことないって言ったアマンダと喧嘩になったんだ」
「そうか・・・」
「ねぇ」
ギャレットは不安そうな顔をした。
エリックの手前、気にしていない様子を装ったが、ギャレットはやっぱり双子が学校で言われたことが気になっていた。
「僕らはあの子たちを引き取って正解だったのかな・・・。世間の冷たい目にあの子たちを巻き込んでしまったことにはならない?」
「ギャレット」
ギャレットの肩を抱いて、ライリーは厳しい顔をして言った。
「君も大概、ちょっと世間を気にしすぎだよ。アマンダを見習った方が良い。そりゃあ、全員に好かれようなんて無理な話だ。でも世間は思っている程冷たくないよ。俺たちが結婚して、俺たちの家族や、友人は祝福してくれただろう?」
「・・・うん」
「それに俺たちが堂々としていなかったら、俺たちが自分であの子たちを不安にさせてしまうよ。いいか、俺たちは間違ったことはしていない。責めるヤツは心が狭くて視野も狭いってだけの話だ。気にしない方がいい」
「そうだね」
「でもエリックには、そんでアマンダにも、ちゃんと話した方がいいみたいだな」
「うん」
「よし」
初めて親子らしい問題に直面して、恐ろしくないと言えば嘘になる。しかしライリーも子供たちに少しでも不信や不安を与えたくはなかった。
届いたピザを食べながら、5人はテーブルを囲んだ。
「エリック」
「何?」
何を言われるかは大方予想がついていたのだろう。エリックは居心地が悪そうにライリーに返事をした。
「聞いたぞ。学校で嫌なことを言われたって」
「・・・まぁ、でももういいんだ」
「良くないだろ。お前は傷ついたんだろ?お前が傷ついたら俺は悲しい」
「ロビンのせいなのよ」
「アマンダやめろって」
「続けなさいアマンダ」
やっと話す機会を与えられたと、アマンダは嬉々として話し出した。
「ロビンって本当、ひっどいヤツなの。平気で人の悪口を言うのよ。噂とかも人に話さずにはいられないのよ。しかも捻じ曲げて、悪く言いたがるの」
「それで、そのロビンって子にエリックは何て言われたんだ?」
「それは・・・」
「パパが2人いるのは変って言われたのよ」
言わないと終わらないと判断したアマンダはキッパリと言った。
エリックは非難がましくアマンダを睨んだ後、気まずそうにライリーを見た。
「変か・・・。確かに、普通ではないよな」
エリックは驚いたが、ライリーは笑っていた。
「その子は知らないんだな。かわいそうに。普通ではないことは楽しいことでもあるってこととか。普通さが必ずしも正しいことではないってこととか」
「うーん・・・」
ライリーの言わんとすることは、エリックにも何となくわかった。
それでもハッキリしないのはきっと、2人父親がいることを心のどこかで恥じている自分が許せないからなのだろう。
「今お前が普通でありたいと思うのは当然のことだよ」
真面目な顔をして、ライリーは話した。
「普通であることが幸せだと人は思ってる。普通から外れるとおかしいと言う人がたくさんいるからね。だから普通でありたいと思うことを恥じることはない」
見透かされたような気がして、エリックは目を伏せた。
「えーと、つまりだな。そう、お前は俺たちのことが好きか?」
「好きだよ」
これにはエリックはライリーの目を見てちゃんと即答できた。
「それなら良いんだ。お前が普通でありたいと思うことは、俺たちを否定することにはならない。難しいことだけれどね。心の問題じゃ、正解が一致することの方が少ないんだ。いつでも矛盾は着いて回る」
「・・・2人のことは好きだけど、からかわれるのは嫌なんだ・・・」
やっとエリックは本音を口にした。
「そう、それが心の矛盾ってヤツだよ。だから良いんだ。お前がそう思うことで俺たちは傷ついたりしないし、お前のことは変わらず好きだ」
「それに」
黙って聞いていたギャレットも軽い調子で口を挟んだ。
「今は悩んでいることも、時が解決してることだってある。母親が1人で、父親が3人、親が4人もいてラッキーだって思える時が来るかもしれない」
「わたしはラッキーだと思ってるわよ」
ピザを食べ終わったアマンダはそう言って、さっさとリビングに行ってしまった。これから観たいテレビが始まるのだ。
「さぁて、そろそろシャーロットを寝かせようかな」
ギャレットも席を立ち、シャーロットを抱えて出て行った。
2人になり、ピザの残りを口に押し込みながらエリックはモゴモゴと言った。
「おじさん・・・なかなか言えないけどさ、やっぱり、おじさんとギャレットのことパパって呼べるようになりたいと思うよ」
「そうか。そう思ってくれてるだけで俺は嬉しいよ」
照れくさそうに、ピザを飲み込んですぐにエリックはアマンダの所へ行ってしまった。
ライリーがもう一切れピザをほおばっていると、シャーロットを寝かしつけたギャレットが戻ってきた。
「飲む?」
「いいね」
ライリーはビール、ギャレットはワインをそれぞれ開けた。
「本格的になってきたな」
「何が?」
「いや、家族がさ。子供たちのこととか、家のこととか、お前に任せっぱなしで申し訳ないけど」
「家族ってのはさライリー。そういうことを感謝はしても申し訳ないとは思わないものだよ」
「それもそうか・・・」
「大丈夫。ライリーにはライリーの役割があるし、僕には僕の役割がある。それにね、僕家事とか子育てに向いてるみたい。楽しくて仕方ないよ」
「そりゃよかった」
「うん」
しばらく沈黙が流れる。
むこうでテレビの音が聞こえて、子供たちの笑う声が聞こえる。
それは幸せな沈黙だった。
「おいで」
悪戯っぽく、ライリーはギャレットに人差し指で合図した。
「うん?」
隣りにきたギャレットに、ライリーは優しく、情熱的に口付けた。
「「フーゥ」」
見るとドアの隙間からアマンダとエリックが覗いていた。
「こら、早く風呂入って寝ろ!」
ライリーがしっしと手を振ると、2人はきゃあきゃあ言いながら逃げて行った。
「全く、仕方ないな。油断も隙もない・・・」
「いいね。こういう感じ、すごく良いと思うなお父さん」
「そりゃあ良かったよお父さん」
こうして、ジョーンズ家のちょっと不思議な日常は始まったのだった。
End.