お勉強
図書室。
六人掛けのテーブル。昨日と同じ配置に座り、黙々と教科書に目を向けている。
カリカリとノートに書き留める最中、突如、ピピピッ、ピピピッと電子音が鳴った。
静かな空間の中に響く音に、示し合わすように反応した四人の溜息。
「はぁ~」
テーブルにべちゃりと崩れる洋一。
疲れた目を擦り、コテリと首を傾ける諏訪さん。
両手を組んで、寝起きの猫のような伸びをする澄香。
ピンと張っていた糸が弛緩するように、それぞれが寛いだ姿を見せる。俺も「んっ」と腕を伸ばす。
閉められた窓の外からは、部活動の活気ある掛け声が聞こえてくる。テスト一週間前になれば、この声も聞こえなくなる。
テーブルの上に置いた携帯を持ち、アプリを終了する。
十七時三十分。もう一回は無理かな。
みんなの疲れた表情と緩み始めた空気を感じ取り、勉強会の終了を告げる。
「今日はここまでにしようか。四教科もやれば十分だろう」
「はぁ~。十五分って短いですね」
くたくたな顔で、洋一が言った。
「勉強って、何時間もやり続けるもんだと思ってました」
「合う人にはそれでいいんだけどな」
「十五分だけって、あまり勉強した気にならないと思ってたんだけど……。意外とキツイものがあるわね」
「時間制限があると焦るだろ?」
「ええ。せめて後一問って――」
「ですよね! この問題だけ! って出来ないとこう、モヤモヤするっていうか」
澄香の感想を食い取って、洋一が嬉しそうに答える。周りを明るくさせるような笑顔に、諏訪さんがくすくすと笑う。
「洋一。ここに来るまでは勉強ダメだったのに」
「祈ぃ」
「お前、よくここに来たな」
「辛くないの?」
「先輩達も酷い」
「「先輩言うな」」
二人の辛口な疑問に、しょぼんと消沈した声を出す洋一。それを突き放すように冷静なツッコミを入れる。
洋一轟沈。
その姿に、くふふと笑みを浮かべる澄香。どうやら話を取られたのが気に入らなかったようだ。
話題を戻そう。
「スキマ時間を意図的に作った勉強法。これは勉強嫌いには打って付けなんだよ」
「なぜ?」
「洋一が言ったように、出来ないとモヤモヤするって気持ち。この気持ちを積もらせ、自主的にペンを取らせるのが目的だからさ。後味の悪さを利用する、みたいな」
「ふん……。成程」
「勿論これ自体も勉強になる。限られた時間で効率良く覚える方法。それを知る事も大切なことだ」
「ふーん」
シャープペンシルを手に持ち、クルクルと回す澄香。
目を瞑り、暫し思案する顔を見せる。
「これがあなたのやり方なんだ」
「なん?」
澄香の呟きを拾った俺は、どういう事かと視線を向ける。その顔には、どこか納得のしないものが窺える。
「勉強」
「……ああ。そういう事か」
「確かに悪くない勉強法だと思うけど……」
「こんなものかと」
「ええ」
「……ふぅ」
「何よ、ってなんて目で見てんのよ馬鹿にしてんの!?」
愚かしいものを見る俺に、激昂する澄香。そんな可愛くもない顔は軽く無視して話を進める。
「俺が教えたのは記憶法だ。勉強法ではない」
「そうです。覚え方の問題なんです!」
会話を盗み、元気に答える洋一に、びっくり肩を震わせる。
驚かされた心臓に若干の苛立ちを覚えたが、それも一瞬。説明させるもの勉強のうちかと思い、自らは口を塞ぎ、洋一に会話を譲った。
「俺は物事を物語で覚えるのが得意だから、それを常に頭に置いて勉強してるわけです!」
ウンウンと頷く。
目を瞑れば、俺と洋一と諏訪さん。三人で勉強をした日々を思い出す。
自分にあった記憶法を三人で探し、怠けていた学習に悪戦苦闘する彼。その隣で教える彼女。
駆け出しの苦痛を乗り越え、見事学習を習慣にした時の洋一を見たときは、不思議と孫の成長を見た時の喜ばしい気持ちになった。その年寄りくさい気持ちに自己嫌悪もした。
諏訪さんを見れば、彼女も思い出してるのだろう。目線を下に向けて、うっすらと柔らかい表情を浮かべている。
「……」
「……」
「……先輩」
「終わりかよっ!?」
俺と諏訪さんがずっこける。
諏訪さんがコケた!?
洋一のボケに乗った諏訪さんに、内心驚きつつ、やれやれと呆れた顔をする。
「お前なぁ。色々教えただろう」
「済みません。説明が苦手なもんで……」
「俺だって苦手だよう……」
俺は今まで、例え話を口にして通じた試しが無い。
葵さんが教えてくれたことを嬉々として『つまり――』と、例えた時に見せた『う、んん?』と言って首を傾ける姿はかなりのトラウマであった。
わが生涯に一片の悔いを生んだ過去を戒めに、それ以来、言葉は慎重に選んでいる。
「まっこんな詰まらない話。全文カットだ」
「誰に言ってんのよ……」
***
「成程ね。つまり、自分にあった記憶法を見つけて伸ばし、暗記学習主体の学校をディスって独自の記憶法で勉強するわけね」
「学校ディスる部分は要らないよね」
「でもそう言う事じゃない」
「……まぁ」
言ってることに間違いはないと思う。先生の教え方に対して、俺ならこう覚えると言ってるわけだから。教師としては面白くない。
「勉強自体は周りと変わらん。問題はどう覚えるか。洋一は情報を物語にして覚える。諏訪さんは身近なものと結びつけて覚える」
「身近なものを? そういえば勉強の時ずっとその消しゴムを触ってたわね」
諏訪さんの近くに置かれてた消しゴム。勉強の時、確かに彼女はそれを右手でコロコロと転がしていた。
見られていたことに気付かなかったのだろう、澄香の指摘にカァっと顔を赤く染める。
俯いた彼女に代わり、俺が答える。
「勉強した時の何気ない動作。これと同じことをして思い返すのが、諏訪さんのやり方」
「あなたはどう覚えてるの?」
「俺は……感覚で、覚えてる」
「感覚? どう言う事」
「どうといわれてもなぁ……。こう、無意識に味わう感覚を意識の中に掬い上げ言語に変える。らしい」
ぽりぽりと頭を掻きながら、教わった言葉をそのままに伝える。
俺自身、余り良く分かっていない。だが、こう言われた時、乱暴に積み上げたブロックの隙間にスッと入ったような、不思議な納得感が得られたのだ。上手くは言えないが、胸の内にある声が、それは正しい答えだと自信良く告げる。
案の定、疑問の眼差しが向けられる。
「なにそれ?」
「そういわれたんだし、俺も言われて納得したから。って、そんな顔するなよ」
澄香は眉間に皺を寄せ、必死に情報を咀嚼しようとしている。何とか理解しようとしてくれるのは嬉しい反面、次に出てくるだろう言葉に少しだけ心が沈む。
自分がズレた感性持ちの阿呆だって事は、すでに身に染みている。
「感受性が高いって事? それとも……共感覚?」
そう言って顔色をうかがう澄香に、やっぱりかと内心舌打ちする。
「ん。その言い方好きじゃないんだ」
「――! ごめん」
「いやいや、そこまで落ち込むな。言ってないんだから仕方がない」
萎れてしまった澄香に、気にするなと手を振りながら笑う。不快な気持ちを出さない様に意識したのが、返って表情を固くしていたようだ。
ただ、どうしても共感覚という言葉を毛嫌いしている。トラウマになるような過去は持ち合わせていないはずだが……。
湿っぽいモノが辺りを包み込もうとする。
敏感に察知した諏訪さんが、上擦った声でも明るく笑いかけ、悪い雰囲気の換気を図る。
「でも私、ここで勉強して成績が上がりました! 中学の時も……! それは本当に凄く……嬉しい事です」
グッと両手に拳を作り力説する諏訪さん。
彼女の気遣いを察知した俺は、その優しさを素早く掬い上げようとするが、それよりも早く洋一が掬った。
「中学の時……。学年末だったか」
「ううん、期末テストの前。もう忘れてる」
呆れた。照れた笑みを浮かべる洋一に、目尻を下げる。
「へぇ。……三人って同じ中学なんだ」
「三人とも同じ中学ですよ。俺と祈は幼馴染で、先輩とは三年の後期に交流を持ちまして」
「俺に勉強を教えてくれ、と。成績が急激に上がったのを聞きつけやってきたんだろう」
同級生なのに緊張した声で俺の名を呼んだときは、不覚にも腹の底でクスリと笑ってしまった。
ガチガチに震える男子生徒と、その後ろから控えめに顔を出す栗色の髪の少女。必死伝わる表情で、勉強を見てほしいという彼に、根負けしたのが切っ掛けだった。
「そのおかげで、こうしてここに来れたわけですから」
有難う御座います。そう言って頭を下げる彼に、並んで頭を下げる彼女。
そんな二人に俺は、気にするなと軽く手を振る。
「いいわね。そういうの」
息を吐くほど自然に零れた、返事を求めない呟き。頭を上げた二人を、まるで花を見るような目で微笑む澄香。
「澄香?」
心配になって思わず彼女に問い掛ける。
胸の内にあるものを口には出さず、彼女は首を振って答える。
「そろそろ時間かしら」
言い終えると同時に完全下校を告げるチャイムが鳴る。
その音を聞き終えた後、澄香はクスリとこちらに微笑みかけ、静かに席を立った。