放課後
「復・活!」
天高々と拳を突き上げて迎える放課後の私。
ハイなテンションを抑えることが出来ず、目の前の彼女、澄香の前で醜態を晒すこととなった。
「…………」
ジットリと見つめる澄香の姿に、段々と耳が熱くなる。
澄香が言った。
「恥ずかしいなら止めなさいよ」
「…ごめん」
遡ること七日前。澄香のアドバイスを貰ったその日から、ぐっすりと静かに暮らしていた。しかし、この前まで日々を駆けまわる毎日を過ごしていた為、体力が有り余る始末。
『はぁ~』
ぐっすり休みたいという理性と身体を動かしたいという本能が、俺に青い息を吐き出させる。
そんな思考が右往左往する中で、何かに導かれるように立ち寄った図書館。そこで手にした一冊が悩みの解決に一手を差した。俺は本能を選んだ。
ぐっすり静かに暮らすという当初の取り決めは三日で終わりを迎え、四日目からはジョギングやら筋トレ。兎に角思考の入り込む余地のないほどに身体を動かすことで、憂鬱な気持ちを吹き飛ばすことにした。
運動することに間違いは無かった。
適度な運動で疲れた体をぐっすりと休ませる。それだけで随分と気持ちが楽になった。
忘れることに出来ない過ちは、棘となって心臓に刺さる。その棘に目を向けるたび、コイツは古傷を思い出すような痛みを与えるのだろう。
いつか必ず決着を付けねばならない事柄。それでも、今は何も考えないことが最善である事を知った。
「元気になってようで何より」
「お陰様で」
お互いに肩を竦める。
「図書室へ?」
「ああ」
「そう。なら私も」
そう言って颯爽と前を歩く澄香。
フリフリと揺れる三つ編みを(いつもより揺れ幅が大きい様な)見ながら、後ろを歩いていく。
***
「お久しぶりです、先輩!」
「……先輩言うな」
図書室の奥に設置された、六人掛けのテーブルに座っていた二人の生徒。
俺たちの姿を見た瞬間、わぁっと驚きを見せて立ち上がった男子生徒。早瀬洋一が繰り出すお約束の挨拶を、きっちりと返す。
変わらずに元気な姿を見せる洋一に、ははっと緊張が抜け落ちて、漸く自然な笑顔を浮かべる事が出来た。
チラリと隣を見る。
洋一の向かいに座っている女子生徒。諏訪祈は読んでいた本を下げペコリと頭を下げた。
挨拶をする。
「諏訪さんも久しぶり」
「…………」
諏訪さんは視線を下に向けて、ゆっくりと持っていた本で顔を隠す。ぎこちない距離感。こちらも相変わらずだった。
洋一は彼女に仕草にクスッと笑い、こちらに顔を向ける。
「最後に先輩を見たのは夏休み入る前でしたよね。一体何してたんですか?」
「まぁ…色々」
「誤魔化しですか!」
「いやホント、色々ありすぎてっ! どう説明すりゃいいのか分からん。状況説明って難しいだろ?」
身振り手振りで言葉に出来ないことを必死に伝える。そのジェスチャーをどう捉えたかのか、洋一はニヤリと不穏な笑みを浮かべる。
「もしかしてコレですか?」
そう言って洋一が小指を立てた。
フッ、下らない。
その親父くさい動作に、普段なら失笑およびドン引きを見せ、ネタが滑ったことをそっと教えてやるのだが……。
「先輩?」
鏡で確認せずも、乾きゆく自分の目にハイライトが入っていないことがよく分かる。
心臓を大砲でブチ抜かれたような、言葉にならない感覚が襲う。
健全な心が丸い形をしているとすれば、今この心は三日月よりも欠けてしまっているだろう。
光のない目をした俺の姿を見て、隣に座った澄香はげんなりとため息を吐いた。
「はぁ~……ダメそう」
「先輩、どうしたんですか?」
澄香の呟き。
その呟きを聞き取った洋一は、グッとテーブルを乗り出し、ひそひそと澄香に質問する。
「森白先輩?」
「知らない……先輩言うな」
首を振りつつも、しっかりと洋一に突っ込みを入れる。
澄香が俺の肩を掴み、ハッと意識を取り戻す。
「引きずりすぎよ」
「うるさい、お前にこのもやもやな気持ちが分かるか? この半端な……。中空な気持ちが分かるのか?」
「中空って、日常会話で初めて聞いたわ……。これから狂乱でもするつもり?」
「そういう事じゃなくて! ってその話を持ってきたら、葵さんが妻になるだろっ! つつ妻って……!」
「はっ! 嬉しそうねぇ」
妄想にトリップして、茹でタコになっていく俺に、キッと殺気立った顔を向ける澄香。ほめ言葉の筈が随分冷たく感じられた。
そんな会話に諏訪さんが反応する。
「あの、まさか……恋人さんが……」
「いやいや、亡くなってないよ」
「恋人でもないし」
控えめな態度で話す諏訪さんに、俺と香澄はいやいやと否定の身振りをする。
お道化た様に答える二人に、「そうですか」と諏訪さんはホッと息を吐く。
それを見てクスっと笑みを零した澄香は、今度はピエロのような笑みを浮かべてこちらを見る。
「まさか小袖を抱いて眠ってはいないわよね」
「バッバカ! してねぇーよっ! そんなの、あるわけねえーだろ!」
必死に否定する俺に、澄香は疑いの眼差しを向ける。
先ほどから疑問符を浮かべる洋一の隣で、諏訪さんはくすくすと笑い続ける。
これ以上話をおかしな方向に持っていかないため、洋一に話を振った。
「そういえば、洋一達はここで何してたんだ」
「勉強です。ほら、もうすぐテストじゃないですか」
「ああ……。そういえば、あと一週間だったか」
「いえいえ。今日数えて十日です」
「十日かぁ。なんだよ、時間あるじゃん」
「先輩!」
パンッ! と両手を合わせる洋一。
「また、宜しくお願いします!」
「…勉強か」
「先輩の教え方が一番ですから! ホント覚えやすくて!」
屈託のない笑顔が、洋一の本音であることが窺える。……悪くない。
褒められたことをいいことに、鼻を伸ばし、弾んだ声で成績自慢を口にした。
「まっ、これでも学年九位の実力者ですから」
背凭れに体重を預け、ユラユラと椅子を揺らす。
自分の長所は出し惜しみしないのがモットー。努力はどんどん自慢しよう。これはもえかの教えだった。
いい気になった俺の自慢に目を細めた澄香が、不敵な笑みを浮かべ反撃の狼煙を上げる。
「……それって前期の成績よね。私は三位」
「前期の成績なら……八番目です」
「八番?」
「えっ。諏訪さん八位なの?」
「は、はい。実力考査は九位でした」
「実力考査って……。あれか。一年だけにやる、洗礼」
「そういえば、ありましたね。入学一週間後に行う抜き打ちテスト。あれは辛かった。俺は……いいです」
「ここは実力度重視の進学校だから、この学園の校風を肌で味あわせようとしたんでしょうね」
試験を乗り越えて気が緩んだ新参者の実力を図るために行われた実力考査。別称、洗礼。成績に響くことはないが、教師たちはこれを基準値にして、中間、期末と、点数が大幅にダウンした生徒を呼び出したりする。
実力重視の厳しさに、一年で辞める生徒もしばし存在するらしい。が、そこを乗り切ればその他の校則はかなり緩い。俺が辞めさせられない位なのだから、そこは保証する。
澄香は自身を指さして微笑む。
「私は変わらず三位よ」
「先輩は?」
「……知らない」
「先輩!?」
「彼は十位よ」
「何故知ってるっ!?」
「苗字が三文字だと目立つのよ」
「ああそう」
確かに苗字が三文字のやつは目立つかもしれないが、それだけで覚えてるものかと疑問に思った。しかし、一位の苗字が一文字だったのを覚えていたので、そういうものかと納得した。
「しかし、成績優秀者が二人もいるんだから、俺が教える意味無いんじゃないのか?」
「先輩が良いんですって。ホント、俺に合ってて分かりやすいです」
洋一の言葉に諏訪さんもコクコクと頷く。
洋一に教えてた時も諏訪さんも一緒にいたから、俺の教え方を知っているのだろう。
「と言ってもなぁ……。俺は物の覚え方を教えるだけで、勉強を教えることは出来んぞ」
「そこを何とか!」
どうしようかと迷いを見せる。
澄香が、頬に指を置くという可愛げな仕草で一押しする。
「私も教えてもらおうかしら。あなたの勉強法には興味があるのよ」
「は、初耳だぞ」
「うふふ。最初からそれが目的で関わったものだし」
ニッコリと微笑む澄香。
その満面な笑みには、美しさと可愛らしさと恐れと、三者三様の感想を抱かせた。
「今日はもう遅いから、明日からにしましょ」
そう言って席を立つ澄香に、合わせるように下校を告げるチャイムが鳴った。