葵ともえか ~再新~
今回は折原葵の視点で語りますので、ご了承宜しくお願いします。
啓太君と別れた後、私は行く当ても無くフラフラと街を散策していた。
前日、もえかからメールで自宅へ来るように言われて、その時間を潰していた……訳ではない。ただなんとなく……街を歩いていたかった。
もえかからは『いつ来てもいいから』と適当な顔文字を添えて送られていたので、時間は気にせず、自宅に着くまでに一言添えればいい。
「すぅ……ふぅーー……」
ゆっくりと、目立たず。少しでも疲れを取る気持ちで丁寧に深呼吸をする。胸の中にあるモヤモヤを少しでも外に吐き出すイメージ。
今の気分は鏡を見たくないほど最悪と言っていい。精神的な疲れが取れない状態ではとてもとても。
笑顔を作れないまま、もえかに会うことはできない。
とこりとこり、と乱暴な足取り。
気を紛らわすために散歩をしながらも、頭の中では色々なものが思い浮かぶ。
「――――」
一番に強く思い浮かぶのは、やはり彼のことだろう。数時間前、私を好きだと言ってくれた彼のことを……。
小此木啓太。スマートな体型で、年相応の柔らかな笑顔がよく似合う、整った顔立ち。
虚ろな目で世界を灰色で染めていた少年が、一年半ですっかり色鮮やかな感情を見せる様になったものだ。
身長だって私の視線が上目になるほどに成長している。彼が卒業する頃にはきっと、首を動かすほどに大きくなっているかもしれない。
――――――。
「あっ」
気づけば視線も上に向かい、自分の頭に手をかざしながら彼の姿を思い浮かべていた。
「なんて……。ハァ」
視点が……ううん、言いたくない。
「だめだなぁ……」
小さな独り言が止まらない。
リフレッシュを目的に歩いているのに、考えることがやめられない。
歩きながらの思考が習慣となっていることがアダとなるなんて思いもよらなかった。
「そろそろ。行こうか」
大して気分は晴れなかったことを残念に思い、もえかへ(今は話したくないので)一言メールを入れて、自宅へと足を向けた。
***
「ごきげんよう、葵」
「……ごきげんよう」
開口一番らしくもない挨拶をするもえかに、ジットリした目つきで挨拶を返す。
もえかが時折見せる茶番を織り交ぜた言葉には、うんざりとする。空気を弛緩させる言葉の裏には、いつだって不満があるからだ。
「ん」
喜怒がはっきりとしているもえかにとって、作られた言葉を使うときは、怒りか悲しみしかない。
「今日はどっちかなんて。考えるまでもないわね」
「もちろん」
そう笑ってみせるもえかの姿に、大きく肩を竦める。
「適当なところに座って、私はお茶入れてくるから」
そう言って廊下へと足を運ぶもえかを見送る。
一人取り残された私は、いつ来ても慣れない部屋でぼんやりと佇む。
「……落ち着かないわ」
豪邸。その一言に尽きる。
インターホンの前に立てば、視界全てに入りきらない広さを持ち、玄関までの道のりは赤レンガが綺麗に敷かれている。
左右に見られる庭は、綺麗に手入れされていて、ささやかながら目を楽しませる風景となっている。さらさらとした風にゆったり撫でられる草花が、微笑ましい。
邸内は語るべくもなく白く美しく広い。勝手知ろうが相変わらず目を奪われる光景には、ウッと息を呑んで一歩後退りする。
動揺する私に、もえかがクスっと苦笑する。
「こっちよ」と優しく私の手を取ってリビングへと案内された。
そして今。
「…………(まぁ立っていても仕方がない、か)」
もえかが帰ってくるまで少しでも心を落ち着かせるため、近くにあるソファーへと腰を下ろす。
「ん、柔らかい」
そして落ち着かない。
我が家には縁がない、肌触り最高のソファーが柔らかく私を包み込む。
高級店に務める販売員がオススメする物は、貧乏人にとって窮屈でしかならないことを肌で実感する。
「気持ちいいんだけどなぁ」
ソファーが悪いわけじゃないんだよ、と口には出さず撫でてみる。触り心地はやっぱり良い。
お嬢様なら誰でもこの空間を、堂々と寛げるのだろうか? 良家の知り合いは二人しか知らない。
親密な間柄であるもえかに対して、もう一人には出来れば会いたくはない。正直苦手なタイプだ。
ため息を吐きながら思い浮かべた美しい姿を払拭するように、うんうんとソファーに顔をうずめる。
「お待たせお待たせ。あっ気持ちいいでしょ」
「……うん」
「随分と寛げるようになってきたわね」
「いい事だ」と満足げに微笑む。
両手に持ったお茶菓子をテーブルに置き、向かいに腰掛けるもえか。
言語は砕けても魅せる上品な動作。そんな惚れ惚れする動作に倣い居住まいを正す。
「そういえば誘っといて何だけど、時間はあるの?」
「それなりに。明日の朝には帰る予定だから」
「そう。……寂しくなるわね」
「知り合ってからは何かと一緒にいたからね。……ん、感傷深くなるね」
「まったく。寂しくなるわ」
そう言って憂いを帯びた表情を誤魔化すように微笑するもえかに、私も同じ笑顔を返す。
腐れ縁とも言える長い関係が今、二つに分かれようとしている。
出会いがあれば別れがある。当たり前のことだし、覚悟もしていた。
それでもやっぱり……。
ふと、口に寂しさを感じた私は、溜め込んだものを吐き出すように、無意識に呟いた。
「連絡は入れるわ」
「当然よ」
そう答えたもえかが続けて言った。
「あの子のこともあるんだから……お互い責任は取らなきゃね」
「……分かってるわよ」
「さっき電話しててね。色々と話してて一応学校へ行くように言っといたんだけど」
「学・校……。うーん」
「心配?」
「……ちょっとだけ」
「影響の輪を広げ過ぎたのは私たちの責任よ。学校で少しでも削れてくれるといいんだけど……」
視線は下に、コテリと首を傾け、物思いにふけるもえか。
虚ろな視線はどこか遠く、まるで自身の切り離された意識の中を眺めているようだ。
「本人もそうだけど、周りは大丈夫かしら?」
「ん。それは大丈夫でしょ。ノープロブレム」
抑揚なく答えるともえかに対して、私の心は少しだけ不安を抱えていた。
あの子とは言うまでもなく小此木啓太のこと。彼についての話題は、ここに来たメインの目的である。
テーブルに置いてあるお菓子を互いに摘まみ、カップに手を付ける。見事なまでの姿勢反響に、お互い苦笑する。
少しだけ胸が温かくなるのは、温かな紅茶のおかげだろうか、なんて。
恥ずかしさに紅茶をもう一口飲む。
「美味しい?」
「……美味しい」
私の答えに満足気な笑みを見せる。そろそろ切り出すべきだろう。
お互い、いつまでも引き延ばしていけない。
一呼吸置いて、本題に入る。
「彼のことだけど……まずは宜しく。それとごめんなさい。ありがとう」
頭を垂れてお願いする。
数瞬の後、ハッと空気が抜ける音が聞こえた。
「ちょっと……殴っていい?」
何事かと顔を上げてみれば、もえかは笑顔のままに僅かばかりに青筋を立てている。
「ごめん――っまって! 分かってるんだけど、言わせて! じゃなきゃ気が済まない!」
拳を振り上げ身を乗り出してきたもえかの前に、両手を突き出して待ったを掛ける。
「葵の言いたいことは分かるけど! 私が怒る理由も分かってるよね!」
バン!! っと振り上げた拳を広げ、テーブルを強く叩く。
その恐ろしい恫喝に、私とカップは驚きのあまりに大きく飛び跳ねた。
ガシャンと倒れることを選んだカップは、中にある紅茶を惜しげもなくテーブルに流す。その姿を羨ましく思いながら、私は目元に力を入れてコクリと頷く。
「なら殴る!」
「ごごごめん、だっ――!」
「あやまるなぁぁぁ!!!」
こちらに足を運んで私の両肩をグッと掴み、グラグラと揺らす。地雷があるのは承知の上で、それでも一言謝りたかった。
だが、激昂するもえかの姿に、自身の見込みの甘さを痛感した。
ここまで怒るとは思わなかった!!
グラグラと体を揺らされる中、そこまで怒らせたことに申し訳なさを覚える。
「あんたはあんたはあんたはーーー!!!」
「あう! あう!」
我が身を襲う衝撃波に抵抗することを止めた私は、終わりを待つことを信じ、虚ろな目でどこか遠くの世界を眺めていた。
***
「疲れた……!」
隣でガックリとだらけて、荒い呼吸を繰り返すもえか。
乱れた着衣を直した私は、もう一度謝罪の言葉を口に出す。
「ごめんなさい」
「……もうっ」
コテリと肩に頭を乗せてきた。その頭頂部に頬を付ける。
ここからは小此木啓太に対して、互いに犯してしまった過ちを語り合う事となる。
長く陰鬱な時間となることは目に見えて明らか。少しでも気休めが欲しかった。……求めたものとは違ったけど、胸につかえていたものが解れた様な気がする。
部屋に掛けられてる高価な時計に目を向けて、私は言った。
「まだ時間はあるから、大丈夫よ」
「もう疲れた……。ふぅ。無駄になるかもしれないけど、答案は提出してもらわないと。暫く私一人で見ることになるんだから」
首を振りながら答えるもえかに対して、小さく笑ってみせる。
私達は改めて姿勢を正し、仰々しくお辞儀をする。
「よろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします」
弛緩した空気から一転して、二人の取り巻く雰囲気が変わる。
紆余曲折したじゃれ合いも終え、ここからは本当に大切な話をしようと思う。
彼の今後について……私たちがどう振る舞うか。
これまでの過ちを悔い改め、再新を図る。そのためには、まずは彼のことを時間の許す限り多く話そうと思った。
ここまで読んでくださって有難うございます。