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これからのこと

 気だるげに歩く帰り道、ポケットに入れていた携帯電話から音楽が流れる。


「……」


 流れてくるのはお気に入りのメロディ。お気に入りの相手からの着信のみに流れるように設定している。

 このメロディが流れた時には、決まって思い浮かべる人物がいる。

 折原葵。

 華奢な体に端麗な顔立ち。

 何より美しいのは、一糸乱れぬまま腰まで伸びた黒髪。風が一つ吹けばふわりと柔らかく舞って、揺れるものを見逃せない男性達の視線を釘付けにする。乗り物を運転してる人は要注意だ。

 十人十色といえど、彼女を綺麗と思わない人は何処にもいないと、自信を持って言える。

 小此木啓太にとって感謝してもしきれない恩人であり憧れであり、ずっと思い焦がれていた人だった。


「んっ……取り難いな……」


 ポケットから取り出すのに苦戦しながら何とか携帯電話を取り出す。

 好きな曲をもう少しだけ聞こうかなどとも思いながら、ディスプレイに目を向ける。

 そこには求めていた名前ではなく、別の名前が表示されていた。


「……フッ」


 鼻で笑う。

 折原葵でなかった事の落胆と、名前を見るだけでまぶたが重くなる様な相手からの着信に、はぁっと疲れを吐き出す。

 啓太にとって厄介な相手で、出会った当初からずっと尻込みしてしまう。苦手意識の強い人物。

『一条 もえか』

 ディスプレイに表示されていた女性の名前だ。


「もしもし」

『もしもし。どうだった?』

「……。ダメだった」

『フッ。だよね』

「用はそれだけ? なら切るぞ」

『用はそれだけだけど……もう少しだけ話そっか』


 俺がトゲのある発言をしてもお構いなしに、もえかは会話を求めてくる。彼女はこちらの話を聞きはしない。


「うーん……」


 さてどうしたものかと思案する。

 心はどっぷり疲れている。それでもただ体を休ませるだけだと、過去と同じ、駄目な生活に堕ちていく姿しか想像できない。

 ――過去。人付き合いに摩擦が起きる事を避け、察しの良さから機械的にただ相手の求める答えを最適に返して過ごす。

 個性の欠片もない生活。

 人に合わせて笑ったり、怒ることすら計算的に行い、その胸の内では『他愛ないな』と乾いた感情を溜め込んでいた。


「――――!」


 背筋から冷たい何かが駆け巡る感覚に、思わずギュッと肩をすぼめる。

 馬鹿な時間を過ごしやがって……。もう二度と戻りたくないが、もし戻れるなら一発頬を殴り飛ばしたい。

 ――馬鹿馬鹿しい。今は今のことを考えよう。

 髪をかきあげ、今ある問題を考える。また元の境遇に戻らぬためには……。


「わかった」

『うん』


 俺の肯定にほっと安心したような、穏やかな声で応える。


『じゃあ何話そっか』

「何も考えてないのか?」

『ケー君の気晴らしのつもりの雑談だし。じゃあ葵と何話したか聞こうかな? 告白のセリフも気になるし』

「気を使う気ゼロかっ!! 文脈もメチャクチャだし気まぐれ過ぎるぞ、このAB型が!」

『血液型を馬鹿にしたっ!? ああそう、じゃあケー君が血が足りないって言っても分けてあげないんだから』

「殺す気か! 俺はA型、知ってんだろっ!」


 軽口を叩き合うことで互いに口の滑りを良くする。

 言葉は荒くともお互い後に残すことなく、気心知れた友人の会話は、ふわふわと雲に包まれた様なまったりとした居心地の良さを感じた。


 商店街――。


『私、洋画派ね。あの派手な演出は外国ならではの文化の違い。お国柄ってやつだよね。どれだけ憧れても悲観な環境が癖に付いた日本じゃ絶対に出せない味よ』

「俺も洋画派だな。スカッとしたい時には爆破に限る」

『あの無駄に壮大な夢詰め込めた所が洋画の魅力だよね』

「馬鹿にしてない?」


 大通り――。


「おなかすいた」

『んーそだね、あむあむ』

「何食べてんの?」

『大福もち』


 信号待ち――。


「旦那さんは仕事だよな。元気?」

『勿論。幸せ一杯の若妻です』

「元気かっつってんだけど」

『元気元気。あはは珍しいね。普段は私からのろけるのに、ケー君から振るなんて』

「まぁたまにはな、いいかなって」

『(重症だなぁ)』


 公園前――。


「結構話したな」

『もう家に着いたかな?』

「目と鼻の先に」


 見上げる先には学生が住むには贅沢なマンション。

 このそびえ立つ姿を見るたびにいつも情けない気持ちになる。

 家を飛び出し、事件に巻き込まれ、葵さんに助けられて、また親の元へ。

 世間体を重視してる両親は、送ってくれた葵さんには上手に感謝を述べ誠意を示す。

 だが、問題となったものを家に置いとくつもりはなく、息子の前に現金をポンと差し出し一人暮らしを勧めた。

 警察での取り調べで疲れ切っていた(あの苦しみは一日二日では取れなかった)自分に、最早反抗する気もなく、ただただ流されるようにこくりと頷いていた。


「ほんと、贅沢だよなぁ」


 勢いよく飛び出しても、一人で生きるにはあまりにも未熟だった。

 彼女の元で働いていても、最後まで親の保護下から出ることができなかった事に今でも情けなさを感じる。

 それでも昔とは違い、今は両親に感謝できるようになった。

 衣食住。特に住まいに関してはこれ以上ないものを提供してくれたのだから、恵まれている。


「(だからまぁ、感謝)」


 熱が冷め切った後、よく過去を思い返してみる様になった。

 自分は何に不満を抱いていたのか。

 多少親同士の中が悪くても、生活していくだけの家庭はあったのに……。

 熱がどんどん抜けていく中、最早自分の怒りが何だったのか分からなくなった。


 …………。


 視線を上から下へ戻す。

 物思いに首を傾けてまた、深いため息をつく。


『落ち込みなさんな、少年』

「……話し方安定しないな」

『ははっ、話し方に決まり事なんてないでしょうに。適当な時はとことん適当よ、私』

「…………」


 そういう所、嫌いだ。


 その時。自分の鼻がピクリと動いた、ような気がした。

 数歩先に止められた車から俺の顔を緩める甘い香りが漂ってくる。

 甘く焼かれた砂糖とシロップの匂い。


『何、どうしたの?』


 暴飲暴食。

 もえかの言葉を右から左へ流して、頭の中ではそんな四字熟語で埋め尽くされる。

 確か冷蔵庫にはまだフタを開けていないジュースがあったはず。


「……くぅっ!」

『何!? どうしたの?』


 堪えるようにギュッと目をつむる。

 部屋の中でやけ食いしてる姿を想像すれば、ちょっといいかもと思えてしまう。

 よだれの出るような想像をぶんぶんとかぶりを振ることで除去。

 冷静になって、デメリットの方も考える。

 今自分が暴飲暴食をすると言う事はつまり……。

 この思考が功を成し、とんでもないデメリットに気付く。

 ここでやけ食いすると言う事は、つまり……失恋した後でやけ食いするってこと、だ!!

 これはつまり、心の傷を埋めるための所謂女々しい行為なのでは!?

 女の子がするには可愛いかもしれないが、男はダメだろっ!!

 男ダメ!! 可愛くない!!

 しかし、今だ空気中に流れる甘い匂いには小此木啓太の目に活力を与えるには十分な威力。


「(あーでもっ! あれだ……!)」


 思考反転。

 言い訳検索中……。

 空腹はあらゆるものをネガティブに捉えるもので、この鬱々とした空気は正に空腹感が作っていると言っていい。

 これを解消するためにはまずこの空腹感を満たす必要がある。つまり自分がここで購入したとしても、全然無駄遣いなんかじゃなく。

 今自分に必要なものはお腹を満たすことと甘い糖分を脳に送ることだ。

 前頭葉に栄養を。

 ネガティブからポジティブに。


『ねぇ。聞いてるの、聞いてないの?』


 甘くておいしい匂いが鼻腔を擽る。

 もううだうだ考えるのがめんどくさくなってきた。

 いいじゃんいっちゃえ!

 ―――――。

 頭の中では既に、その匂いの元を満足気に食べている自分を思い描いていた。




 ***




「ありがとうございます」


 買ってしまった。

 電話の相手には少し待ってもらって、匂いにつられて購入したメロンパン四つ。

 家の近くを素通りし、公園の中へ進んでいく。

 よっとベンチへ腰を下ろし、電話の相手に詫びを入れる。


『まぁ、いいけど』

「ありがと」


 ゆったり落ち着く場所に着いたので雑談は終わり。そろそろ本題に入ろうと思う。


「ていうか俺が告白すること言ったか?」

『察した』

「あ、そう」


 納得した。


『葵が仕事辞めることは知ってたし、ケー君なら多分言うだろうなぁって』

「葵さんが仕事辞めた理由は?」

『聞いてないの?』

「ああ、聞いてない」

『じゃ教えない。くふふ、そこまで信頼されては無かったねぇ』

「うるさい。一つ言っとくけど、俺はお前が嫌いだ」

『フフッ。出会った時からケー君。私のこと不貞腐れた顔で見てたもんねぇ』


 精一杯強気な言葉に対し、くすくすと上品な笑い声を漏らすもえか。

 もえかが言ったことは事実だ。

 自分がもえかに対していい感情を抱くことは一度もなく、さらさら隠す気もなかった。

 よくわからないが、一種の敵意のようなものをもえかに向けていた。

 一条もえか。

 折原葵の親友にして、学生時代唯一彼女と肩を並べたとされる才女、らしい。

 彼女と知り合ったのも、葵さんと仕事をこなしてる内に関わってしまう。袖をすり合うような些細な縁。

 葵さんと似た視点を持っているが、性格はまるで対極な彼女には余りいい感情は抱かなかった。


『学校に行きなさい』

「唐突――でもないか。事あるごとにいってるよな」

『抑揚のない声で言わないでよ……はぁ』


 ああもうっ。恐らく向こうでは頭をガシガシと掻いているであろう煩わしげな声。

 もえかが話す。


『若輩な私が滅多なこと言わないけど。でもねぇ。ほっとけないのよ、啓太のこと』

「それもよく言ってたな」


 正確にはよく言われる。

 同じことを言った人物は他にもいるが、もえかが一番よく言ってくる。


『兎に角学校に行きなさい。今のあなたが一番に学ぶことが学校にあるから』


 そんな言葉に俺はただ鼻で笑うだけだった。

 不良生徒。教師陣からもあまり良く思われてない。出席日数も足りない俺の在学を許されてるのは、ひとえに成績が良かったからだ。

 口には出さないが、今更学校で学ぶことがあるとはどうしても俺には思えない。


『葵に振られた理由、知りたいでしょ?』

「? ……学校と何の関係があるんだ」

『行ったらわかる。葵に教えられなかった? 早急に答えばかり求める前に――』

「己で考えることから始めなさいって。知ってるよそれぐらい」

『……まぁね』


 違和感を感じた。

 沈んだ声には何故か、後悔や同情といった痛々しい気持ちが込められたような気がする。

 その静かに落ち込んだ声が、少しだけ俺の心に重たい色を落とし、濁していく。それでも今はそこには触れず、俺は言葉を続ける。


「学校に行けばいいんだな」

『……そうよ。行きなさい』

「っっ! う、うん」


 電話越しでもゾッとする声に身震いする。

 たまに見せる真剣味のある口調にはいつもビクリと肩が震える。

 圧倒的高段からの物言い。下の者へと向ける事に慣れた発言は、葵さん同様、学園の才女であったことを納得させるものがある。

 怯えた姿勢を立て直し、会話を続ける。


「学校ねぇ……一月ぶりか」

『そんなに行ってなかったのっ!?』

「あっいけね」

『…………』

「ん、なんか言ったか?」

『御免なさい。何でもないわ』


 含みのある言葉に疑問を覚えるが、怯えたばかりの自分にはとても踏み込む気になれない。


『とにかく学校。明日から行くこと。OK?』

「分かった。行くよ」

『いい子ね』


 一転、今度は優しく包み込むような柔らかな声。

 コロコロと変わる感情は相変わらずつかみどころがない。けどそれは決して悪い意味、処世術としての八方美人ではなく、単純な器の違いが為せる技なのだろう。

 子供の無茶を微笑ましい目で愛でるような。

 下に見られるのは悔しいが、それが少しだけくすぐったくもある。

 この気持ちがよくわからないが、そこがもえかを嫌いになり切れない所だと確信している。

 それは誰にも、葵さんにも相談できないことだったが、こと観察眼の優れた彼女にはきっと……俺以上に俺のことをよく知っていると思う。

 このモヤモヤした気持ちだって、葵さんなら一言で答えてくれるだろう。


『明日から学校、いいね』

「分かったよ。それじゃ」

『うん。それじゃばいばい』


 そう言って通話を終える。


「学校かぁ」


 公園出入り口。黒のブレザーを着た人物がマンションの中へ入っていく。

 あの制服は、俺のタンスの中にも眠っている。


「ああううぅ」


 すっかり不登校が板についている俺に、一ヶ月振りの登校は想像するだけで気持ちがどんどん沈んでいく。正直吐きそうです。

 重い腰を上げ、残りのメロンパンをぎゅっと抱えて、思い足取りで家へと帰る。

 明日が来なければいいのに……。


ここまで読んで下さって有難う御座います。

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