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後編

「神の代行者よ、貴方はここで戦いが終わるのをお待ちください。心配なされないでください、必ず我々が勝ちますよ」

 

 少女は、村から少し離れた、倉庫のような場所に移された。村が戦場となるので、少女の安全を確保するためだった。

 村人にも案じられたように、少女の気分は酷く落ち込んでいた。戦いを直に見たことはまだ無かったが、その言葉に恐ろしい意味があることを知っていた。絵本や物語の中でしか見たことの無い残酷と悲惨がこれから起こるのだと思うと、小さな身体は弱々しく震えた。少女は勝敗など関係なく、ただ穏当に済んで欲しいと祈った。

 だが、その幼稚な希望が叶うはずがない。間もなく、外からうっすらと鈍い音が聞こえてきた。少女はこの状況に覚えがあった。四年前の出来事である。あの時の不安、あの時の焦燥、何もかもが鮮明に甦って、少女の目の前に映し出された。少女はついに我慢できず、外に出た。もう、自分の角のために、誰かを失うことは耐えられなかったのだ。少女は走って村へと向かった。

 少女が村に走りついた時、そこの風景は、見るに耐えない悲惨に変貌させられていた。家々は見る影もなく壊しつくされ、見覚えのある村人達は打ち捨てられたように死んでいた。死体はどれも仰向けで、不自然に開かれた目の全てが、少女を睨みつけていた。


「全部お前のせいだ」


 少女は、確かに死体達からその言葉を聞いた。言葉は重なって胸の中で渦巻く。たちまち吐き気が沸き起こり、少女はへたりこんだ。

 またこの光景も、少女に四年前の出来事を想起させた。今度は、神父の死に様だった。ああ、きっと神父もこんな顔で死んだに違いない、と少女は思った。どうして自分が、山羊の角の生えた奇妙な少女のために命を捨てなければならないのか。胸詰まる怒りに震えながら、この村人達のように死んだに違いない。陰惨な村の姿と死体の哀れさを見て、忘れかけていたあの頃の後ろめたさがふと甦った。そして、少女は恐ろしさに、思わず後ずさってしまった。

 そのとき、手に何かが当たった。見てみると村人達が戦争で使っていた、錆びた鋸であった。少女はそれをしばし見つめた。やがて、恐る恐る鋸を手に取り、ゆっくりと立ち上がった。

 少女は、ある一つの、重大な決意をしたのだ。

 

 村人達は、神の名の下に戦っていた。全ては、村の平和と、秩序を守るためだ。そのためならば、人を殺すことにも躊躇は出来ない。生きるためには、相手方の都合など考えている暇は無いのだ。

 そんな村人達の動きを止めたのは、たった一つの声だった。


「やめて」


 それは少女の声だった。しかし、最初村人達はこの声の主が分からなかった。少女が、今までに無い大きな声で叫んでいたからだ。

 少女は、頭から大量の血を流していた。錆びた鋸で無理やり自分の角を切り落としたためだ。少女は痛みで飛びそうになる意識を必死に保ちながら、角を村人達に投げつけた。


「やめて、もう、やめて、」


 少女はそう叫んだはずだったが、すでに言葉にすらなっていなかった。間もなく少女は力尽き、地面に倒れこんだ。


「あぁ、神よ、神よ」


 村人達は、血塗れで倒れる少女にではなく、何故か削ぎ落とされた角の方へと集まり、各々嘆きの声を掛けている。その様子を見ながら、少女は思った。これで、争う意味が無くなる。戦いが終わり、誰も死ななくてすむ。神父には悪いが、やはりこの角は悪魔の角だったらしい。少女には激痛が走り、意識も混濁していたが、むしろ心は晴れやかだった。重荷と重圧を全て取り去った、開放感に満ちていた。


「何をしてくれたのだ、小娘」


 だが、突如飛び出た長の言葉に、少女の高揚は突き落とされることになる。長は、今までの敬虔な態度から一変して、攻撃的な態度で叫んだ。気付けば、さきほどまで争っていた村人達が、全員少女に視線を向けていた。だが、その視線はただの視線ではない。絶望と憤怒に満ちた、人を射抜くような厳し

い視線だ。


「角を切り落とす、この行為の意味がわかっているのか」


「我々の平穏が永久に失われたという事だぞ」


「我々は、これからどのように生きていけばよいのだ」


「貴様の気まぐれで、罪の無い人間が飢えで死んでいく」


 村人達は、口々に言葉を吐き散らしていく。

 その後、静かに、長は告げた。


「角を失ったお前にもはや用は無い。死を持って償え、小娘」


 その言葉を皮切りに、村人達は、抱えた農具や武具を少女に向けて、にじり寄って来た。少女はその危機にも関わらず、焦ることなく、むしろ冷ややかな感情を持って村人が来るのを待った。それは自分への諦めでもあり、また村人達への諦めでもあった。少女の中で辛うじて残っていた、人間への希望というものが、とうとう潰えてしまったのだ。これ以上、こんな嘆かわしい世に生きていても最早仕方のないことだ。もう、どうでもいい。

 少女が目を瞑りかけたそのとき、空から神々しい光線が降ってきた。光は太陽よりも強く光り輝いており、異様な輝きに、思わず、村人も少女も一切の動きを止めて一斉に光の源に目を向けた。

 光の正体は「神」だった。少女の持つ角と違う、真っ直ぐで力強い角の生えた山羊の顔と、山一つは凌駕するであろう人間の巨体を持ち合わせている。それが、雲の切れ間から、過ぎる眩しさを背負って舞い降りてきたのだ。


「ああ、神よ」


 村人達は、慌てて一斉に跪いた。一時は、小娘の気まぐれで失われかけた平穏が、今まさに手に入ろうとしている。村人達の安堵は、言うまでもない。


「神よ、どうか審判を。救済を」


 神は、村人達を見下ろした後、村人達の声にこたえるかのように、静かに手を挙げた。ついに審判の時が来た。村人達は、自分たちが選ばれることを緊張しながら待った。

 だが、村人の期待は裏切られることになる。挙げていた神の手から、突如として紫色の炎が生まれたのだ。村人達は、あっという間に炎に包まれた。


「何故だ、何故だ、神よ」


 神への怨嗟の声が、炎の勢いと同じく湧き上がり、そして消えていく。かつてあった村の姿も、しばらくすればどこにも見つからなかった。

 眼前の情景にあっけに取られる少女に、神は声を掛けた。


「心配せずとも殺してはいない。ただ遠くへ移動させただけだ。炎に変わりは無いから、少々痛い目には合っただろうがな」

 

 神の声は、低いとも高いともつかないものであった。声は反響しあい、音源の在り処すら分からない。少女は、頭の中に、直接話しかけられているような錯覚を覚えた。

 また神は手を挙げた。今度は、白い炎が彼女を包んだ。すると、瞬く間に傷が癒え、すっかり元気が戻った。だが、角だけは削ぎ落とされたままで、再び生えることは無かった。


「君にどうしても会いたいと言って聞かぬ人間がいてな。早速だが、会ってもらおう」


 そう言うと、神の巨体は一気に霧散し、小さな光の群となった。金色の粒子達は、舞いながら少女の前に集まり、みるみるある一つの影を形作っていった。


「久しぶりだね、イブ」


 その影とは、神父の影であった。神父が、前と変わらない姿で、少女の前に現れたのだ。神父の姿を見た途端、自然と少女の目の端から涙が流れた。今すぐに神父の元へ駆け寄りたい、彼女は思ったが、素直にそうすることが出来なかった。自分の所為で、神父を死なせてしまった。そのことが、彼女を躊躇させた。


「怒ってなんかいないさ」


 少女の心の揺れ動きを察したか、神父はそう微笑んだ。


「殺されてしまったのは私の責任だ。そんなことでお前を責めたりはしないし、お前も責任を感じる必要は無いよ」

 

 優し過ぎるのさ、お前は。神父は、もの悲しそうに付け加えたあと、少女に近付いて抱き寄せた。少女も、涙を流しながら身を委ねる。神父は少女の折れた角の付け根をさすって、


「ずっとお前の事を見ていたよイブ。本当に、お前には悪いことをしたね」と言った。


 神父の言葉に、少女は今度こそ涙が止まらなくなった。長い間、なるだけ動かぬようにと固く心に縛られていた鎖が、一気に解き放たれたようだった。そんな少女を神父は受け止め、優しく頭を撫でてみせた。


「お前に、伝えたいことがあってね。神様に無理を言って、イブに会わせていただいたんだ」


 神父は、意を決したように、少女に語り掛けた。


「お前は気付いてしまった。人は身勝手だ。最後まで信じたくは無かったようだけど、しかたない。これだけは事実だ」


「身勝手は、これからもお前を容赦なく振り回していくだろう。その度、お前は嘆きたくなるかもしれない。優しさを捨てたくなるかもしれない」


 そう言った後、神父の強張った顔がほんの少しだけ緩んだ。わずかに微笑みながら、また少女を深く抱きしめた。


「だが、私はその優しさを持ち続けて欲しいと思う。いいかいイブ、身勝手には優しさでしか打ち勝てない。それもただの優しさじゃない。人の身勝手さに裏切られても、それでも挫けず人を信じることのできる、したたかな優しさだ。これを持つ事は非常に難しいことだ。だけど、イブならきっとそれが出来ると信じている」


 少女は、ふいに神父の肩が消えかかっていることに気付いた。少女の視線の移ろいに気付いた神父は、自身の消え行く肩を見遣り、寂しそうにため息をついた。


「もう、時間か。まだまだ、全然、言い足りないというのに」


 小さく呟いた後、神父は少女の肩に手を置き、目線を合わせた。


「最後にもう一つだけ、イブに言っておくよ」


 神父の瞳は、少女を捉えたまま動かない。少女も、神父の瞳を、しかと捉えた。


「強く生きなさい。身勝手に流されない、強く優しい人になりなさい。それだけが私の願いだ」


 元気でね、イブ。神父はそう言い残して、また単なる光の粒子に戻っていった。次第に、神父の感触は失せていく。しまいには神父の面影はもはやどこにも見えなくなった。だが、少女の手には、まだ神父の温かみが残っているような気がした。いつしか、こぼれ行く涙も止まっていた。

 粒子は、また神の姿へと変貌した。


「私が、イブと言ったか、君の前に現れたのはこれだけの為ではない」


 神は、少女を見下ろして、語り始めた。


「イブよ、君は我々の仲間だ。手違いで下界に生まれ落ちた、正真正銘の神の子なのだ。私は、君を長らく探していた」


 少女は、折れた角を見た。村人達の言葉があながち間違いでなかったことが、何故か悲しく思えた。

 俯く少女に、神は続けた。


「私は、君を天上に連れて行こうと考えている。だがこれは、君の意思を尊重するものだ。このまま下界に残り人間達と生き続けるか、我々と共に人間達を見守り続けるか。全ては君の選択次第だ。どうする、イブよ」


 神は屈んで、大きな手を少女に差し出した。

 手を前に、少女は思い返した。これまでの生活を。

 人の身勝手は、幾度となく彼女を振り回した。角ばかりを見て、普通の女の子として生きる選択肢を奪った。神父との幸せを崩した。救ってはいいように利用し、しまいには少女を手痛く裏切った。これまでは申し訳なさで隠れていた怒りの感情が、過去を振り返るにつれて生まれてくる。

 目を閉じて、今度は神父の言葉を思い出した。彼の言葉を、少女は頭の中で反芻した。何度も、何度も繰り返し、しっかりと飲み込んだ。怒りは解れ、心もいささか楽になった。

 静かに顔を上げた。神の問いに対して、答えは一つだった。

 少女は神の手を、静かに触れた。


「それが、君の答えか」


 少女は強く頷く。


「よかろう。ならば歓迎しよう、イブ」


 言うと、白い炎が瞬く間に少女を包んだ。すると、折れたままの角の付け根から、だんだんと角が生えてきた。だがその角は、これまでの歪な巻き角ではない。神と持つそれと同じ、天に高く伸びる、力強い角だ。

 神は、その大きな手のひらに少女を乗せ、天へと連れて行った。少女は、神となったのだ。

 

 少女は神となってからも、神父の言葉どおり、人間が私利私欲で動く、実に身勝手な生物であると悟った。知性と理性があろうとも、行動理念はそこらの下等生物と何ら変わりはしないと悟ったのだ。だが、そのことを知ってもなお、求められれば、少女はその神的な優しさを人民に振りまいた。

 人の身勝手に振り回され、一人で泣いていた頃の弱々しい少女の姿はもはやどこにも見つからなかった。

 角は今日も、力強く、太く、上を向いて光を放っている。そしてその光は、人々を優しく包んでいる。

とりあえずこの話は完結です。

最後まで読んでくださった方、途中から読んでくださった方、最後だけ読んでくださった方、ありがとうございます。お疲れ様でした。

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