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中編

 目を開けると、見慣れぬ光景が広がっていた。まず目に入ったのは、木目が四方八方に走る奇妙な壁であった。上半身を起こしてよく見てみると、そこは家らしいことがわかった。円形の床には古めかしい絨毯が敷いてあり、その上には調度品がぽつぽつと小奇麗に置いてある。いずれも、今まで見たことも無い、珍しい彫琢が施されていた。

 自分に一体何が起こっているのか、少女には分からなかった。困惑しながら昨夜の記憶を辿っても、その多くは不確かなままで、夢と現実がそっくり入れ替わったようにも思えた。

思考を巡らしていると、外から男の声がした。早く隠れなければ。そう思った頃にはもう遅く、男に入り口を開けられてしまった。男と目が合うと、頭の奥底で神父の死体がちらついた。


「おぉ、お目覚めになられましたか、神の代行者よ」


 男は突然跪き、恭しく少女に頭を下げた。予想もしない行動に少女は困惑しながらも、男から自分に危害を加える意思を感じなかった。とりあえず、現在の状況について話を聞こうと口を開いたが、


「あぁ、神よ。どうか我が村に揺るぐことのない安寧を、乱れることの無い秩序を」


 とただ繰り返すばかりで、全く取り合ってくれなかった。少女は仕方なく、男の敬虔な願いを聞き流しながら沈黙を続けた。

 結局、少女の沈黙は、この地域の長らしい人間が来るまで続いた。それまでに、跪く人の数は膨大になっており、少女のいた民家は勿論、その外までも人で埋め尽くされていた。最初は小さかった願いも、数が積もって、もはや地を揺るがす切なる大合唱になっていた。これらの出来事にますます困惑していた少女にとって、長の登場は救いとなった。

 長は、願い続ける民を掻き分け少女の前に立つと、翻し村人達に一喝した。声は途端に止み、不気味な静寂に包まれた。

 長もまた、彼女に恭しく頭を下げた。


「歓迎いたします、神の代行者よ」


 言葉もまた、村人と同じものであった。なぜ悪魔と恐れられる自分が始末されずに、あろうことか神の代行者と呼ばれて崇められているのか、少女には理解できなかった。長に話を聞くと、どうやら少女は、森の向こうに位置する村に来てしまっていたようだった。この村では、少女のいた村とは違い、山羊が神の象徴として崇められているらしく、山羊の角が生えた人間、つまりこの村で言うところの「神の代行者」が村に来て、度々村の不幸を救ってきたという伝承が残っているという。村人達は森で倒れていた少女を見て、ついに神の代行者が村を救いに舞い降りたのだと思い、急いで運んだとのことだった。

 少女は躊躇いながらも首を振った。私は神の代行者ではない、何かの間違いだ、という具合に。

 長は、額が垂れ下がって潰れた目を大きく見開き、恐れ多そうに語った。


「ああ、なんという謙虚さ。神的な優しさに、目も眩むほどでございます。しかし、どれだけ隠そうともその神々しき御姿はまさしく神の代行者。どうか、我が村に安寧を、秩序を」


 少女は、長の畏怖の眼差しを見て、これ以上の問答は無駄だと悟った。たとえ自分が神の代行者ではないことを事細かに説明したとしても、結局それに祭り上げられることだろう。彼女は諦めて、もう何も言わないことにした。

 こうして少女は、生き神として村に居座ることを決定された。前の村での生活に比べ、この村でのそれは自由であるように思われた。自分を疎むものもいない、ましてや殺そうとするものもいない。怯えることなく、自由に外を出歩くことが出来る。村人達は、すれ違えば丁重にお辞儀をしてくれるし、毎日欠かさず供物を捧げてくれる。少女を脅かすものは一見無いように見えた。

 だが少女は、村人の視線が常に、自分ではなく角にあることに気付いていた。少女は孤独だった。神の偶像として祭り上げられ、崇められ、畏れられるだけで、誰一人自分を自分として見てくれなかった。扱いが丁寧になっただけで、前の村での生活と何も変わっていなかったのだ。しかも今は神父もいない。少女の孤独を癒す物は何一つ無かった。

 目を瞑ると、決まって神父の顔が浮かんだ。神父は、自分をちゃんと見てくれた。こんなとき、神父なら優しく頭を撫でてくれた。黙って寄り添ってくれた。一緒に泣いて抱き合ってくれた。眠るときはいつも、神父との最後の形見となった角を触りながら、追憶に沈んでいた。つう、と流れる涙は、誰にも気付かれること無く羽毛に消えた。

 この孤独な生活は、四年ほど続くことになった。




 少女が、日課の散歩をしていると、大勢の村人が集まって不穏に喚いていた。異様な光景を怪訝に思いながらも近づくと「近づいてはなりません」と切羽詰った村人の声が聞こえた。何事かと尋ねようとすると、人ごみの中から、弾き出されるように女性が飛び出してきた。中年で線の細い女性であった。女性はまじまじと少女の角を見つめた後「あぁ、神の子よ」と言って跪いた。言葉からすれば、村人のようである。だが、少女はこの人物に全く見覚えが無かった。一体何者なのか。


「隣村の住人ですよ」


 女性を囲んでいた村人達の一人が、少女の心の疑問に答えるように、ぶっきらぼうな口調で話した。ここでいう隣村とは、少女のいた村のことではなく、それと逆方向に位置する、同じく山羊を神の象徴として崇めている村のことである。この村とは昔から折り合いが悪く、何かと諍いの絶えぬ仲らしいことは、村人達の愚痴を聞いて知っていた。


「こいつが、代行者様に話があるといって、無断で村に入ってきたのです」


「神の子が、この村に光臨なされたという噂を聞きつけ、参りました」


 村人の説明を押しのけるように、女性が目に涙を溜めながら少女に語り始めた。


「実は、我が村は、例年に無い大凶作を迎えているのです。飢えは留まることを知らず、村の人々は一人ずつ死んでいっています。私の家族もそのために死んでしまいました。このままでは我々の村は終わりです。どうか助けてください。お願いです。神の子よ」


 少女は答えに窮した。この女性をなんとかして救いたいという気持ちもあるが、そもそも、自分は神の子などでは無いのだ。目の前の女性を、村を救うことなど出来はしない。どう答えるべきか。居心地の悪さを感じながら、少女は悩んだ。


「代行者様は、我が村を救いに光臨なされたのだ。代行者様に貴様らを救う義理は無いし、我々も条件は貴様らと同じだ。他所の村のために、わざわざ自らの命を差し出すつもりは毛頭ない」


 少女の答えを差し置き、村人はこのように語った。少女は戸惑ったが、同時に助かったという少しばかりの安堵感もあった。激しい自己嫌悪に陥りつつも、だがこれ以上、何か発言しようとは考えなかった。


「なんと非情な。ならば、そのために我々が死んでも良いと申すのですか」


「ふん、笑わせてくれる」


 村人の一人が、皮肉気に喋り始める。


「大凶作だと、馬鹿を言うな。貴様は、我等が何も知らないと高を括っているようだが、この前俺は、貴様らが高価な鉱石を大量に買い込んでいたのを見たぞ。飢饉の目に合っている割には、ずいぶんと羽振りのよいことだな」


 他の村人も、合わせて呆れた物言いで続けた。


「大方、飢饉だと偽って代行者様の同情を買い、我等から神様の救済を奪って独占しようという算段なのだろう」


「そんなことはありません」


 女性の反応は、不自然に速かった。


「私はただ、村を救いたいだけです」


 言うと、女性の顔に少しずつ不愉快の色が見え始めた。


「そこまで仰るのなら私も言わせてもらいますが、神の救済を独占するという考えは傲慢では無いのですか。神は困った人全てに手をお貸ししてくれる存在なのですよ」


「その言葉は我が神への冒涜そのものだぞ。なんと野蛮で愚かな考えなのだ。だからこそ、貴様らとは相容れんのだ」


「野蛮で愚かなのはお前らの方だ」


 女性は、転じて急に激しい口調で叫んだ。激しい怒りに覆われた女性の声に、少女は思わず小さな悲鳴を漏らしてしまった。女性の化けの皮が、大きな音を立てて破れたのを感じた。


「お前らは今まで、代行者、代行者と、救済ばかりを求めて何一つ努力をしてこなかったではないか。そんな貴様らに神様の救済を受ける資格など無い」


「汚らしい盗人の分際で、よくもそんな大口を」


「盗人だと、ふざけるな。ならば貴様らは守銭奴だ。恩恵を溜め込み、他者を排他しようとする最低の守銭奴だ」


「口を慎め、このあばずれが」


 村人達の空気が、だんだん険悪なものへと変わっていく。激しく言い合っていた村人達と女性は、一転し、不穏な沈黙の中で互いに睨み合った。

 少女の鼓動が早くなる。嫌な予感がした。取り返しの付かないことが起きる気がしたのだ。少女は、何とか場の雰囲気を和ませるように、必死に頭を働かせた。

 だが、もう手遅れだった。村人の一人が、女性を睨んだまま、沈黙を破って語り始めたのだ。


「貴様らがあくまで、我々の幸福を邪魔しようというのであれば、もはや黙ってはおれん」


 村人の顔は、険しく、だが、言葉はあっさりとしたものであった。


「戦いだ。戦いを通して、どちらが神の救済を受けるに値する教徒か、神に審判していただこう」


 こうして、ついに村同士の戦いが始まった。


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