第14話 父親の手
職員室へ行こうと思ったのは、朝のDMのせいだった。
【鷺宮のゾンビ、家どこ?】
【会いに行く】
似た文面が、ここ数日で何通も来ている。
面白がっているだけなのか、本気なのか。
圭介にはどちらでもよかった。
でも、母と悠斗に届く可能性だけは、放っておきたくなかった。
圭介はスクショと画面録画をまとめ、フォルダ名を付けた。
――DM_不審。
それを持って、職員室へ向かった。
県立鷺宮高校の廊下は朝の匂いがした。
ワックスの匂い、汗の匂い、少し湿った空気。
その全部が、圭介の中では遠い。
職員室の前に近づいた瞬間、声がぶつかってきた。
「だから! 学校は何をしてくれるんですか!」
机を叩くような音。
それを抑える低い声。
圭介は足を止めた。
扉が半分開いていて、中が見えた。
教頭の机の前に、大人が三家族分、固まっている。
高橋の父親。
背が高く、声が大きい。
腕時計が無駄に光っている。
斎藤颯太の母親。
口元に手を当てて、泣きそうな顔を作っている。
でも目だけは忙しい。
黒川ミオの母親。
背筋が真っ直ぐで、正しいことを言う顔をしている。
その正しさの中に、“守りたいもの”が透けている。
「ミオだって被害者なんです」
黒川の母親が言う。
「今、ネットで叩かれている。住所だって特定されかねない。
学校は、加害生徒を守る前に――」
高橋の父親が被せる。
「守る前に? 違うだろ。
今、蓮が“いじめ加害者”扱いされてるんだよ!」
その言葉に、職員室の空気がさらに荒れる。
「SNSで“主犯”だの“犯罪者”だの、好き放題書かれてる。
推薦だって、内申だってある。
学校はどう責任取るんですか!」
教頭が低い声で返す。
「高橋さん、まず事実確認を――」
「事実? 事実ならもう出回ってるだろ!」
高橋の父親がスマホを握りしめる。
「蓮が悪者にされてる。
うちの子が被害者だって、ちゃんと示せよ」
示す。
空気を作る。
大人がやると、子どもより上手い。
圭介は一歩、職員室の入口に近づいた。
本当は、DMを相談するだけだった。
でもここで引くと、もっと面倒になる。
圭介はそう判断した。
扉の隙間から教頭が圭介に気づく。
「宮坂くん……」
圭介は言った。
「すみません。相談があって」
その瞬間、高橋の父親が振り向いた。
目が合う。
そして表情が変わる。
“見つけた”という顔。
「――おい。宮坂」
指が圭介を指す。
「ちょうどいい。お前、何しに来た?」
教頭が間に入ろうとする。
「高橋さん、今は――」
「いや、今だ。本人がいる。
ほら、原因がここにいるじゃないか」
原因。
圭介はその言葉を、ただ聞いた。
高橋の父親が圭介に詰め寄る。
「お前が“記録する”とか言って回ってるせいで、
蓮が悪者にされてるんだよ」
斎藤の母親が泣きそうな声を出す。
「颯太だって……学校行けないって……周りが怖いって……」
黒川の母親が続ける。
「ミオもです。
“正義”を振りかざした子たちに、今度はミオが狙われている。
先生方は、何を守るんですか」
守る。
その言葉は便利だ。
誰かを守ると言えば、別の誰かを切っても正義に見える。
圭介は職員室に入った。
自分から入った。
逃げないためじゃない。
彼らの勘違いを正すために。
教頭が小さく頭を下げる。
「宮坂くん、すまない。……少しだけ」
圭介は頷いた。
高橋の父親が言う。
「お前、もう“勝った”つもりか?
殴って、先生に守られて、今度はネットで蓮を潰すのか?」
圭介は淡々と答えた。
「潰すつもりはない」
「じゃあ何だ。
息子から聞いてるぞ。お前が“覚えてる”とか言うから、クラスが怯えてるらしいじゃないか。
それは脅しだろ」
圭介は首を振らない。
「脅してない。忘れないだけ」
高橋の父親が声を荒げる。
「気持ち悪いんだよ、それが!
そういうのが、炎上の燃料になるんだ!」
燃料。
燃料という言葉を、大人が使う。
圭介は、ふと思った。
この人も、空気の中で生きている。
黒川の母親が口を挟む。
「高橋さん、今は――」
高橋の父親は止まらない。
「娘さんだって叩かれてる? それは分かるよ。
でも、うちは息子が“加害者”にされてる。
学校は、蓮を“被害者”として守れ」
“被害者として守れ”。
それがこの人の目的だ。
圭介は言った。
「被害者にしたいんですね」
高橋の父親の眉が跳ねる。
「は?」
圭介は続ける。
「高橋を“被害者”に。
僕を“加害者”に」
教頭が言いかける。
「宮坂くん――」
でも圭介は止めない。
止める必要を感じない。
高橋の父親が笑った。
「当たり前だろ。
お前が殴ったんだから加害者だ。
だから、見せてやるよ。これが“証拠”だ」
高橋の父親がスマホを掲げた。
画面には、圭介が蓮を殴った場面の切り抜き動画。
コメント欄には「やば」「鷺宮終わってる」みたいな軽い言葉が並んでいる。
高橋の父親は勝ち誇ったように言った。
「こうやって世間に示せば、蓮は被害者として守られる。
学校も動かざるを得ない。違うか?」
圭介は、画面の上部を見た。
投稿者名。
アイコン。
投稿時間。
圭介は言った。
「それ、あなたのアカウントですね」
空気が止まった。
斎藤の母親が「え」と声を漏らす。
黒川の母親の目が揺れる。
教頭が息を吸った。
高橋の父親の顔が一瞬だけ固まる。
固まって、すぐに怒りに戻そうとする。
「何言って――」
圭介は自分のスマホを取り出した。
机に自分のスマホを置き、画面を見せる。
「昨日の夜、保存しました。
投稿時間、アカウント、URL。
この動画の投稿は、あなたのアカウントからです」
教頭が覗き込み、学年主任が表情を変える。
“親が拡散している”は、学校にとって一段階上の問題だ。
高橋の父親が声を荒げた。
「お前、俺を盗撮したのか!」
圭介は淡々と言った。
「盗撮じゃない。公開されてるものを保存しただけです」
高橋の父親が机を叩く。
「ふざけるな! 俺は蓮を守ってるんだ!」
圭介は言った。
「守り方が、同じです」
高橋の父親が言葉を失う。
圭介は続けた。
声音は変わらない。
変わらないから、言葉だけが刺さる。
「高橋を“被害者”にするために、
僕を“加害者”として拡散した。
それは、黒川がやってたことと同じです」
黒川の母親が息を飲んだ。
「……やめてください。ミオを同列に――」
圭介は黒川の母親を見た。
「同じです。
叩く相手が変わるだけで、やってることは変わらない」
斎藤の母親が泣きそうな声を出す。
「……そんな……。じゃあ颯太はどうなるんですか。
颯太は、ほんとに巻き込まれただけで……」
圭介は斎藤の母親を見た。
「巻き込まれた人は、あの時笑わない」
斎藤の母親が固まる。
圭介は続けた。
「斎藤は笑ってました。止めませんでした。煽ってました。
それから、送ってました。――“回ってきた”じゃない。回した側です」
斎藤の母親の口が開いたまま止まる。
教頭が低い声で言った。
「高橋さん。あなたが拡散している事実があるなら、
この件は学校だけで扱える範囲を超えます」
高橋の父親が「教育委員会に言うぞ」と叫びかけた。
でも、その言葉は弱くなっていた。
言った瞬間、自分が危うくなるからだ。
学年主任が言う。
「こちらからも教育委員会に報告します。
必要なら警察相談も含めて検討します」
黒川の母親が顔色を変える。
「警察……?」
教頭が頷いた。
「“拡散”が止まらない場合、学校としてできることに限界があります。
大人が関与しているなら、なおさらです」
職員室の空気が、別の温度で固まった。
圭介は思った。
大人も、空気で動く。
子どもより静かに。
子どもより狡く。
高橋の父親は圭介を睨んだ。
「……お前、気持ち悪いな。
なんだその……記録、記録って」
圭介は答えた。
「僕は誰の味方でもない。
ただ、忘れないだけです」
その言葉が、部屋に残った。
教頭が深く息を吐き、言った。
「本日はここまでです。
各家庭には改めて連絡します。
――宮坂くん、廊下で待っていて。お母さまにも連絡する」
圭介は頷き、職員室を出た。
廊下の空気が薄い。
薄いのに、指先は冷たい。
圭介は自分が最初に何をしに来たのかを思い出した。
DMの相談だ。
圭介はポケットのスマホを握り直し、教頭に言うための言葉を頭の中で整えた。
――家に来ると言っている。
――母と弟がいる。
――だから、止めたい。
校舎の窓から外を見ると、校門の向こうを制服のない大人が歩いていた。
誰かの親だろうか。
鷺宮の噂は、もう学校の外に拡がっている。
圭介は通知を一つだけ保存した。
【鷺宮高、親まで出てきて草】
【高橋パパが拡散してるってマジ?】
画面の文字は軽い。
軽いまま、現実を削る。
圭介は画面を閉じた。
閉じる指が、今日も冷たかった。




