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第12話 空気の温度

職員室を出ると、廊下の光がまぶしかった。

まぶしいのに、圭介の内側は変わらない。


教室へ向かう途中、すれ違う生徒が一瞬だけ視線を逸らした。

噂はもう、廊下を先回りしている。


教室の前に着く。

ドアの向こうのざわめきが、圭介の足音で微かに薄くなる。


圭介はドアを開けた。


いくつもの視線が刺さる。

刺さるのに、痛くない。

でも、刺さり方が昨日と違う。


――怖がっている。


圭介は席に戻った。

誰も話しかけてこない。

それが「気遣い」なのか「距離」なのか、圭介にはどちらでもよかった。


三時間目の授業が始まり、黒板の字が淡々と増えていく。

圭介のノートも淡々と埋まっていく。


休み時間。


教室は、妙に整っていた。

黒川ミオの席が空いているだけで、騒がしさが一段落ちている。


その空席が、黒川の存在だった。


「ねえ、黒川ってさ、マジで終わってない?」


窓際の女子が言った。

周りが小さく笑う。笑い方が、昨日までと同じだ。


「正義ぶってたよね〜」

「篠原の件も最悪。人として無理」

「別室とか、ざまあ」


“ざまあ”。

その単語は、軽いのに刃がついている。


圭介はペンを止めた。

止めたところで、胸は静かだ。

でも、静かなまま見えてしまう。


この教室は、叩く相手が変わっただけだ。


誰かが言う。


「宮坂もさ、黒川嫌いでしょ? あいつマジで――」


圭介は顔を上げた。


「……それ、面白い?」


声は小さかった。

小さいのに、教室の音が一瞬だけ薄くなる。


「え? だって黒川が悪いじゃん」

「やってたの黒川でしょ」

「自業自得」


圭介は頷かない。首も振らない。

ただ、事実だけを置く。


「黒川がやったことは悪い。僕もそう思う」


それを言うと、空気が一度だけ緩む。

“ほら、同じ側だ”という安堵。


圭介は続けた。


「でも、君たちも昨日まで笑ってたよね」


緩んだ空気が、硬くなる。


「黒川の投稿を見て笑った顔。

“ゾンビ帰還”って言葉で笑った声。

僕は覚えてる」


「……え」

誰かの息が漏れる。


圭介は淡々と付け足した。


「過去は消せない。君たちのしていたことは一生消えない」


それだけ言って、圭介はノートに目を落とした。

教室の空気だけが、置き去りになる。


誰ももう、“ざまあ”と言えなかった。


四時間目の終わり際、担任の小林が教室に入ってきた。

いつもより顔が硬い。


「……今から学年集会をする。体育館。全員」


ざわめきが走る。

誰かが「やっぱり」と呟く。


体育館に集められた学年は、立ったまま整列させられた。

壇上に校長と教頭、学年主任が並ぶ。

校長の声がマイクで響く。


「本日、SNS上の投稿に関して、重大な問題が確認されました」


“重大な問題”。

その言葉が体育館の空気を冷やす。


校長は続ける。


「本校の生徒が、校内で撮影した動画・画像をSNSで拡散し、特定の生徒を傷つける行為がありました。これは、いじめに該当する可能性があります」


体育館のあちこちで、息を飲む音がした。

“可能性”という言い方は逃げ道にも聞こえるが、学校の言葉としては最大級の宣言だった。


「また、拡散は“見ているだけ”でも加担となります。

本日以降、校内での無断撮影、拡散、誹謗中傷、容姿をからかう言動は、厳正に指導します。必要に応じて保護者への連絡、教育委員会への報告も行います」


圭介は校長の言葉を遠い音として聞いた。

怖くない。

ただ、言葉が現実を変える瞬間だけは、分かる。


学年主任がマイクを受け取った。


「……この件は、今日で終わりにする。

“空気”で人を潰すのを、ここで止める」


その言い方が少しだけ生々しくて、体育館が静まった。


圭介はふと思った。

“空気”という単語が、学校の口から出た。

それだけで、この一週間が異常だったと分かる。


集会が終わると、教室へ戻るよう指示された。

廊下に出た瞬間、スマホの通知が一つ増えた。


知らないアカウントからのDM。


【鷺宮のゾンビってお前?】

【マジ草】


地域に出た。

学年の外に漏れた。

この程度でも、生活は十分に壊れる。


圭介は画面を閉じた。


閉じる指が、冷たかった。


放課後。


圭介が昇降口へ向かうと、小林が廊下で待っていた。


「宮坂」


圭介は立ち止まる。


小林は声を落として言った。


「……さっきの教室。黒川を叩いてたって聞いた」


圭介は否定しない。肯定もしない。


「叩いてたのは僕じゃない」


小林が眉をひそめる。


圭介は続けた。


「叩いてた人たちが、昨日まで笑ってた。

それを言っただけ」


小林は黙った。

黙って、少しだけ視線を落とした。


「……分かった。ありがとう、とは言わない。

でも、助かった」


圭介は頷いた。


助かったのは、誰だろう。

篠原か。

教室か。

それとも、学校か。


圭介には分からない。


分からないまま、圭介は靴を履き替えた。


校門を出ると、夕方の風が頬を撫でた。

冷たい。

いつもより冷たい。


圭介のポケットの中でスマホが震える。

また通知が来た。


【鷺宮高、やばくね】

【動画、まだ残ってる】


圭介は歩きながら、画面を見た。


見て、保存した。


そして、また淡々と時間が進んだ。

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