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花嵐の夜  作者: 露刃
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この後はよろしく

「だからぁ、万引きなんてしてないってば」

「うーん。でも相沢さんがばっちり見てるんですよねー。さっきも言いましたけど防犯カメラにも映ってたし」

「あたしの手元が映ってたわけじゃないでしょ? あたしがその場にいたってだけよね?」

「あなたのバッグに盗んだ財布が入っていましたが」

「何度言わせるのよ。知らない男が勝手に入れたの。怪しい奴を見たんだってば」

「どんな風体の男でした?」

「モスグリーンのジャケットを着たオッサンよ。そいつ、枯れた花束を持っていて気持ち悪かったわ。顔は覚えてない。ねぇ、これ言うの何度目? 刑事さん、耳悪いの?」

 正確には四度目だ。ただ立ち会っているだけの夕子は、一切取り調べに口を挟んでこない。

 その夕子にも、洋子は絡んでいく。

「ちょっと神崎。あんたも黙ってないでなにか言いなさいよ。同級生が困ってるのよ? それを助けるのが刑事でしょ」

「わたしはただの立ち合いですので、口を出す権利がありません。それに、被疑者が同級生だとか、そういうことは職務には関係ありません」

「うわ、どこまで真面目なの、あんた。気持ち悪」

 机をとんとんと叩いて、修司は問いかける。

「モスグリーンのジャケットね。怪しいとは思ったのに、その男の顔はよく覚えていないと?」

「だって他人の顔なんてじろじろ見ないでしょ。それとも、刑事さんはすれ違った人間全員の風体を覚えてるわけ?」

「それを言われると困りますね」

「でしょう? はい、おしまい。帰らせて」

「妙に帰りたがりますねぇ」

 修司のその言葉に、少々の間が落ちた。

「…当たり前でしょ。警察署にいたい人間なんて警察官だけよ」

「いやまあ、俺は警察官だけど早く家に帰って妹と遊びたいですけどね。それはともかく」

 椅子の背もたれに寄りかかっていた修司は、洋子の方へ身を乗り出した。

「一刻も早く帰って、やりたいことがあるんじゃないですか」

「…なによ、それ」

「その、首にかけてるストール」

「これがなに。言っておくけどこれはあたしのよ」

「これはって、まるでほかは違うみたいな言い方ですね?」

「………」

 意地悪く笑って、修司は続ける。

「俺が言いたいのは、盗まれた財布と同じブランドだってことですよ。そのハンドバッグも。コートもそうですよね。いや、これは俺が気付いたわけではなく相沢さんから聞いたんですけど。俺には女性物のブランドなんて分からないし」

 それがなに、と洋子は小さく言った。

「交番でバッグを検めた時、同窓会のお知らせがありました。大学時代の。それが動機でしょ? …女の見栄ってのは怖いですねぇ。いや、見栄に男も女も関係無いか」

 修司の声が一つ低くなって、洋子は黙った。

「そのブランドがどれだけ有名で、どれだけの価値があるのかは、俺は知りません。けど、ブランドもので身を固めたいがゆえに盗みを行うってのは、残念ながら珍しいことじゃないんですよ。こういう仕事をしているとね、よく出会います」

「どうして…?」

 夕子の口からそう漏れた。

 夕子にしてみれば、複雑な思いだろう。決して仲が良かったわけではなさそうだが、それでも同級生が手錠を掛けられ取り調べられているのが良い気分なわけがない。

「柳瀬さん。こんなこと、するヒトだった…?」

 修司は何も言わない。警察官という仕事についてからこっち、まさかこの人物が、と思われるような被疑者を何人も見てきた。それは夕子も同じはずだ。

「今ね、ブランドもののレンタルをしている業者があるの。どうしてもそのブランドを身に着けて同窓会に行きたいのなら、レンタルという手段もあったし、そもそも欲しいなら自分で買えば…」

「働いてないのよ、あたし。お金なんて持ってない」

「では、働けば」

 ばんっと洋子は机を叩いた。

「つまんないこと言わないで! 働きたいからって働ける人間ばかりじゃないのよ!」

 洋子は鬼の形相で夕子を見た。

「なにその顔。同級生が万引き犯に堕ちて哀しいって顔のつもり? 更生させなきゃとか思ってる? これ見よがしに刑事なんかになって、自分は正義の味方だからなに言ってもいいくらいに思ってるんでしょ。そういうのね、自分に酔ってるって言うのよ」

「柳瀬さん…」

「あんたになにが分かるのよ。大体、中身の入ってない財布借りてなにが悪いの? 用が済んだら返すつもりだったわ!」

「はい、自白いただきましたー」

「っ!」

 修司の言葉に、洋子は顔を赤くした。そんな洋子に、修司は薄く笑う。

「そうやって、返すからって自分に言い訳して盗んだものがほかにありそうですねぇ。ゆっくりお話伺いましょうか?」

「あたしは、別に…」

「家に帰ってやりたかったことを当ててみましょうか。――単に、着替えと家事でしょ?」

「は!?」

「あなた、既婚者ですよね?」

 びくりと、洋子は肩を震わせた。

「左手の薬指に指輪の跡がある。ファンデーションか何かで隠してたんでしょうけど、落ちてますよ。まあ、こんな状況なら手に汗握っても仕方がないですね。それに、その爪。それだけ派手な格好をしているのにあなたはネイルをしていない。それは何故か。服と化粧はすぐに変えられるけど、ネイルはそうもいかないからでしょ? それだけなら仕事の都合かとも考えるけど、あなたは今、働いていないことを宣言しましたね。実家の親がどうのこうのって言ってたから、実家暮らしでもない。実家にいない人間が働かずに生きていくには、誰かに養われていないと無理です。もちろん、そんなブランドものに身を包むことも出来ない。そもそも、さっき言っていたみたいに身内に弁護士の当てがあるなら、万引きを疑われた時点で言い出すはず。遅くても交番で呼んで良かった。否認するならなおのこと。なのにあなたが弁護士云々を言ったのは俺が腕を捩じった時だけ。つまり、万引きのことでは弁護士に出てきてほしくないんでしょ?」

 洋子の顔が下を向いていく。

「では何故弁護士に出てきてもらいたくないのか。事件化されたくないんですよね。……もしかして、以前にも万引きないし軽犯罪を犯して、もみ消してもらってるんじゃないですか。それも、「今回までだ」とかいう注釈付きで。…ああ、いや」

 修司はさらに笑みを深くした。

「注釈を付けたのは依頼料をもらう弁護士ではなく、あなたに地味で質素な暮らしと完璧な家事を強要しているあなたのご主人、かな?」

 ついに洋子は唇を噛んで震えだした。それが、答えだった。

 夕子が震える同級生に駆け寄っていく。

「ご主人になにか…。なにか酷いことをされてるの? それでストレス解消のために万引きなんてしてるの? そうなら言って。なにか力になれるかも」

「触らないでよ!」

 肩に触れようとした夕子の手を、洋子は力いっぱい振り払った。

 だが、そこまでだった。

「触らないでよ…!」

 そう言ったきり、洋子は何もしゃべらなくなった。

 そんな様子を、修司は黙って見ていた。もう笑ってはいない。ただ、見ているだけだ。


――つまんないな。


 そう、思いながら。

「夕子ちゃん、俺はちょっと出るね」

「え」

「きみの言う通り私情は挟むべきじゃないけど。同性で同級生の方が話しやすいこともあるでしょ。俺は自白取れたしね」

 そう言って、答えも聞かずに修司は部屋の扉を開けた。

 残された夕子は、修司が座っていた椅子に腰かけた。洋子はいまだ口を震わせている。

「柳瀬さん…」

「今は高林よ」

「高林さん。ご主人に、なにをされているの?」

「大体想像出来てるんでしょ。その通りよ」

「DVってことよね。怪我は?」

「してないわ。今は」

 夕子はいっそう眉をひそめた。今は、ということは過去にはされていたのだろう。今現在肉体的な暴力はなくとも、精神的な暴力は受けているのかもしれない。

「…ご主人と、別れられないの…?」

「別れて済んだら苦労はしないわよ。養われているのは事実だし、別れたところで帰るところもない。親も歳取ってあたしの面倒なんか見てられないもの」

「就職は」

「だからつまんないこと言うなって何回言わせるのよ。働きたいからって働けるわけじゃないの。あたし大学出てすぐに結婚したから、この歳までなんの仕事経験もないのよ? 資格だって一つも持ってない。あのヒトはあたしに外に出て欲しくないから、カルチャースクールにも行けないし」

「で、でも、通信教育とか…」

「そのお金はどうするのよ? 財布は全部あのヒトが握ってるのに!」

「シェルターに逃げるなら、信用出来るところを紹介するから」

「嫌よ、そんなしみったれた場所!」

「高林さん!」

 思わず夕子は声を上げた。

「シェルターにいる人たちに失礼です。彼らがどんな思いでその場所にいるか、それがどれほど辛いことか、考えてください。あなたの立場なら解るでしょう」

「知らないわよ、そんなこと」

「それに、あなたが言っていることは全部言い訳です。何か一つでも、出来ることをしようとしましたか? 状況を変えようと努力しましたか? 誰かに助けを求めるだけでも…」

「また説教? 本当に、その偉そうなとこ変わんないわね。正義面してたら何を言ってもいいと思ってるんでしょ」

「そんなことは」

「ああもう、本当につまんない。サイテー。あんたがいるだけでイライラする!」

 言って、洋子は頬杖を付いてそっぽを向いた。そのままの状態で、ぶっきらぼうに言う。

「ねぇ、喉渇いた。なんか持ってきて。コーヒーは駄目よ。麦茶か紅茶にして。冷たいのがいいけど氷は入れないで」

 迷ったが、夕子は言われるまま席を立った。それで彼女の気が済んで話が進むなら、それでいいと思った。


 一方の修司は、報告書に向かうふりをして実はぼんやり今夜の夕飯のことを考えていた。妹から、なにが食べたいか考えておいてと今朝言われたからだ。彼が食べたいものは妹が食べたいものなので、妹の好物を考えている。

 と、夕子が取調室から出てきた。どうやら給茶機に向かっているらしい。あんな同級生にお茶を出してやる必要なんか無いだろうに。そうは思ったが、修司はなにも言わなかった。

 刑事課を横切って備え付けの給茶機に向かう夕子に、寺川や相沢が声を掛けている。修司が大体の話をしたので、励ましに行ったのだろう。課長は電話中だ。

 人が少なくなってから、修司は報告書を書いていた手を止めて立ち上がった。事件そのものには興味が無いが、他人に対する嗜虐趣味はある。

 ノックもせずに扉を開けた修司を、洋子は面倒くさそうに見上げた。

「…なによ、自白取れたんでしょ。まだなんか用?」

「一つ、言い忘れたことがありまして」

 修司は笑った。にっこりと。ぱっと見は爽やかな、好青年然とした笑みだ。そのままの表情で、頬杖を付いた洋子に顔を近づけて、言った。

「つまんない人生ですね。……非常にお気の毒です」

 洋子が目を剥く。

「つまんないつまんないって繰り返してるの、本当は自分に対してでしょう。そこにたまたま清く正しい神崎夕子がいたから、すり替えて標的にしたんでしょ? 自分の言葉に傷つく彼女を見て、自尊心を護っていたんですよね。…彼女に対してつまんないって言うなら本気でヒトを見る目がないと思うけど、自分に対してならとても的確な表現だ」

 固まる洋子に、修司は目を細める。

「おめでとう。これからあなたは送検されて罪に問われることになって、退屈な時間は無くなるよ。つまんなくなくなる。良かったですねぇ。これなら離婚理由にもなるでしょう。慰謝料は払う側でしょうけど。…うわ、本当に気の毒だな。ご主人が」

 椅子を倒す勢いで立ち上がった洋子は、修司に平手打ちしようと手を振りかざした。頬に当たる直前で、修司はその手を掴む。容赦なく、ぎりぎりと。

「痛…っ!」

「俺への暴行を罪状に付け加えるのも面白いけど、俺は痛い思いをしたくないんで。書類作るの面倒くさいし妹が心配するしね」

「あんた…。爽やかな顔してサイテーね」

「ありがとう。あなたは見かけも中身もサイテーですよ」

「神崎の為に怒ってんの? あんなつまんない子のどこがいいわけ?」

「自分が身代わりにされてるってことにも気付かないほど鈍いところかな」

 即答した修司は、笑みを絶やさない。

「……いたぶり甲斐がありそうで楽しみなんだよ。あんた如きにいじめさせとくのはもったいない」

 昏く、底の見えない修司の瞳と、低い声。洋子はたじろいだ。

 そこで、こんこんとノックの音がする。修司はぱっと洋子の手首を放し、扉に向かってどうぞと言った。

「渡辺さん。どうかしましたか?」

 修司がいるとは思っていなかったのだろう。首を傾げた夕子に、修司はいつも通りに笑って見せた。

「ちょっと言い忘れたことがあったから来ただけ。夕子ちゃんはお茶淹れてきたの? こんないじめっ子にそんなことしてあげなくていいのに」

「え、高林さん、誰かをいじめていたんですか?」

「…ほーら、これだよ」

「はい?」

「なんでもないよ。じゃ、俺は書類作ってくるから。この後はよろしく」

 そう言って、鼻歌交じりに修司は出て行った。その背中に、夕子ははいと答えた。修司の口角が歪に上がる。「この後は」というのは、これからは洋子ではなく「俺の相手を」「よろしく」という意味だ。まったく通じていなくて面白い。

 さぁ、どんな風にいたぶったら、長い時間遊べるかな。

 考えるだけで、面倒くさい仕事にも身が入りそうだった。

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