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花嵐の夜  作者: 露刃
18/25

逢魔が時または大禍時

「…たぶん、この男ね」

 防犯カメラのモニター室で、修司の隣に立つ相沢がそう言った。

「間違いなく、そうでしょうね」

 修司も答えた。

 夕子の現状と手紙のことを話すと、相沢は勢いよくモニター室に案内してくれた。通常防犯カメラの映像は一定期間過ぎると上書きされて削除されるが、洋子が万引き事件を起こし送検されたことで、証拠として残されていたのだ。洋子が映っている画像が、遡れる限界まで。初犯ではないという警察と検察の判断からだった。反省の色が見えないことも考慮された。

 その映像には、画像は荒いながらも確かに柳瀬洋子が映っており、近くに男の姿が確認された。洋子よりも背が高く、痩せ気味。モスグリーンのジャケット。ショルダーバッグ。バッグから覗く小さな花束。間違いない。修司は映像の印刷を頼んだ。印刷するとなおさら画像が荒く、色も褪せた。それでも、無いよりはずっとましだ。

「でも、この男がなに?」

 印刷した写真を渡しながら、相沢が問う。

「夕子ちゃんへの手紙は、柳瀬洋子が捕まる二日前に、このモールで投函されています」

「この男が差出人だと言うの?」

「断定はしません。ただ、この店舗の通路を挟んだところに郵便ポストがあります。男は女性物のブランド品を見ていたのではなく、通路を挟んでポストを見ていたんじゃないでしょうか」

「ポストの前を行き来している人間は大勢いるわよ」

「それでも、紫陽花を持っている男はそうはいないでしょう。封筒には紫陽花の花弁が入っていたんです」

「なら、ポストを映しているカメラの映像を…。ああ、駄目だわ。保存期間は一か月だもの」

「ええ。手紙が送られてくるってだけじゃ事件性は無いに等しい。あの時点で防犯カメラを見せてくれと言っても、モール側は拒否したでしょうね。令状も取れないし」

「なら、直近の手紙は? 投函された日にちと場所は判っているんでしょう?」

「市内の駅前だそうです。無人駅で、防犯カメラは駅のホームを映すものしかありません。ポスト周辺は駄目でした」

「そう…」

 相沢は、額に手を当ててため息を吐いた。

「どうしてこんなことが…。あの子がなにをしたって言うのかしら」

 修司には答えようが無い。

「ほんの一週間前にね、あの子とお茶しに行ったのよ」

「…夕子ちゃんと?」

「そう。一月に再会してから、時々連絡を取り合っていたの」

 それは初耳だ。わざわざ報告してもらうことでもないが、知らされていなかったことに面白くないと感じている修司がいた。

「休みが合わないから、そんなに何度も会ったわけではないのだけど。わたしには子どもはいないんだけど、兄の娘…姪っ子が夕子ちゃんと同じ年でね。なんだか放っておけなくて。あの紫陽花畑で倒れている夕子ちゃんを見つけた時、あの子がしっとり濡れているのがかわいそうで、わたしの上着をかぶせて…」

「待ってください」

 修司は相沢に身体ごと向き直った。

「夕子ちゃんを発見したの、相沢さんなんですか?」

「そうよ。言っていなかったかしら」

「初耳です。その時のことを聞かせてください。当時の状況を」

「捜査資料には目を通したんでしょう? 書いてある通りよ。犬の散歩で外を歩いていた方が、公園に人が倒れているって通報をして、駆け付けたわたしたちが夕子ちゃんを見つけて保護したの」

「その通報者は」

「残念だけど亡くなっているわ。二十二年だもの。当時、すでに定年退職されていたおじいさんだったし」

 修司は舌打ちした。事件関係者から、どんな話でも聞きたいのに。

「夕子ちゃんには目立った傷は無くて、雨に濡れて疲れてはいたけど健康被害は無かったわ。数日の入院でおうちに帰ったはずよ。でも大変だったのはその後も。彼女のお母さんが、精神的に弱ってしまってね」

「はい。それは夕子ちゃんからも聞きました」

「離婚出来たのは良かったのかもしれないけれど、お母さんは夕子ちゃんを引き取りたかったでしょうね。けど知っての通り、警察はそこまで介入できないから」

 言いながら、相沢はモニター室の椅子に座った。促されて、修司も座る。

「夕子ちゃんが解放された後も、相沢さんたちはずっと捜査していたんですよね。相沢さんの心証で構いません。こいつは怪しいってのは一人もいなかったんですか? 捜査資料は読みましたけど、当時の捜査員の気持ちとしては」

「一人もってことはないわ。神崎家に恨みや妬みを持つ人間を徹底的に洗って、数人は捜査線上に上がったのよ。でも決定打に欠けたの。攫った時間にアリバイが在ったり、日本にいなかったり、夕子ちゃんを一週間も閉じ込められる環境になかったり。ただ、心証を求められると困るわね。わたしとしても、決定打に欠けるとしか言えないわ」

「捜査線上に浮かんだのは確か…」

「神崎氏の会社のライバルとか、商売敵とか、かつてもめ事を起こした親戚とか、あとは神崎家の経済状況を知っていたご近所とかね。みんな、口をそろえて神崎氏には良い印象は持っていませんと言っていたわ。対照的に、奥さんのことを悪く言うヒトはいなくて、みんな同情していたようだったわね」

「そうですか…。親戚ともめ事というのは、確か金のことでしたね。遺産がどうのって」

「そう。夕子ちゃんのおじいさんが亡くなった時の遺産分与について。神崎氏の実家はちょっとした豪家でね、彼には姉が二人いるんだけど、どうやら女への分配は少なくていいはずだって言ったらしくて」

 どこまで時代錯誤なのだろうか、あの男は。しかし修司はその感想は黙っていた。

「けどね、そもそもその男尊女卑の考え方は、おじいさん自身がしていたみたい。末っ子にして長男の神崎氏を、ものすごくかわいがっていたんですって。かなりお年を召してからの長男だったみたいだし」

 修司はなるほど、とだけつぶやいた。

「で、姉二人は幼いころからそんな感じだったからって諦めていたみたいなんだけど、その家族はそうもいかなかったのね。結果、骨肉の争いになったんですって。夕子ちゃんが二歳の時よ」

「でも、彼らにも犯行は無理だったってことですよね」

「というより、必要が無かったの。遺産相続は、結局弁護士が間に入って法律通りに分配されたから。すでにおばあさんも亡くなっていたから、子どもたちで三等分。恨むなら遺産が少なくなった神崎氏の方で、姉たちじゃないでしょう。しかも、誘拐事件が起こる三年も前」

「なるほど。確かに動機としては弱いですね」

「わたしたちが捜査していた頃は、もう姉たちとは絶縁状態だったわ。事情を聞きに行って、そんな奴は知りませんと言われた時には困ったものよ。もちろん裏も取ったわ。彼らには無理ね」

「そうですか…」

 修司は、妹と骨肉の争いなど絶対にしない。修司のすべてを投げ打つ価値が、妹だけにあるからだ。

「さて、このくらいでいいかしら? わたし、そろそろ仕事に戻らないと」

「お時間を取らせてすみません。ありがとうございました」

「わたし、今日は早上がりだから病院へ行ってくるわ。夕子ちゃんに会いに。きみも一緒にどう?」

 その誘いに、修司は即答した。

「いえ、俺は遠慮しておきます」

「あら、なんで?」

「俺が行っても出来ることなんかありませんから」

「声を掛けてあげればいいじゃない。きっと届くわよ」

 修司は小さく笑った。

「物語でもあるまいし、手を握って甘い言葉を投げかければ目を覚ますなら、医者なんか必要ありませんよ」

「それはそうだけど」

「まだ、やることもあるんです」

「誘拐犯の追跡?」

「いいえ。差出人の割り出しです」

「これからどうするの?」

「神崎夕子の周囲を洗います。徹底的に。彼女が意識不明にあることで署内は動揺していますから、この隙に乗じて鑑識にも本気で動いてもらいます。紫陽花の花弁からなにか判るかもしれませんし」

「中々強かね。好きよ、そういうの」

「ありがとうございます。じゃあ、このお礼は改めて」

 一礼して、修司は扉に向かった。次に目指すはモスグリーンのジャケットを着た男だ。

 修司はまず手近な花屋へ行った。店先にいた店員を捕まえて、印刷してもらった写真を見せる。見てもらいたいのは男ではなく、彼が持っている花束の方だ。

「この花の種類、判りませんか?」

 さほど鮮明な写真ではないが、それが暗い色をした紫陽花だということくらいは判る。たぶん枯れているということも判る。判るのだが、あえて「花」と言ったのは、修司が花の種類に詳しくないからだ。紫陽花のように見えるが違うのかもしれない。

 警察手帳は、こういう時には本当に便利だ。若い女性店員はとても協力的だった。自分でははっきりと判断できないからと、店の奥にいた老婆を連れてきてくれた。

 老婆はしらばく写真を眺めていた。老眼鏡をかけたり外したりまたかけたり、写真を目に近づけたり遠ざけたり、目を見開いたり細めたりして眺めていた。修司は老婆がしゃべるのを、辛抱強く待っていた。やがて、老婆は言った。

「こりゃあたぶんね、タマアジサイだね」

「タマアジサイ?」

「うん。たぶんそうだね。たぶん、たぶんね」

 いまいち頼りないが、それでも取っ掛かりだ。

「どういう花なんですか?」

「どういうって、花は花さね。紫陽花だよ。けどこれ、この辺の写真じゃないよね。別のとこだよね」

「え、すぐそこにあるモールの写真ですけど」

「じゃあタマアジサイじゃないかもね。たぶんね」

「いや、どっちですか」

 修司の半分ほどしか背丈のない老婆に、いくら修司でも厳しく詰め寄ることは出来ない。

「だからね、たぶんね。違うね。たぶんね」

 たぶんたぶんってたぶんお化けか、あんたは。

 と言いたいのを堪え、修司は辛抱強く尋ねた。

「なんで違うと思うんですか」

「だってこの辺の写真なんだろ」

「そうですけど、だから」

「あ、あの!」

 そこで助け舟を出してくれたのは、最初に出てきた若い女性店員だ。

「タマアジサイというのは、福岡では咲かないんです」

「…と言うと?」

 修司が視線を向けると、女性は必死に説明してくれた。

「ええと、確か、その紫陽花は福島県とか岐阜県とか、限られた地域で咲くものなんです。ばあちゃんが言っているのは、そういうことじゃないかと…」

 修司は改めて老婆を見た。

「そういうことなんですか?」

「だから、さっきからそう言ってるさね」

 いつ言ったんだ、いつ。

 しかし今は老婆に突っ込んでいる場合ではない。老婆と女性店員に礼を言って、修司は再び車に乗った。無駄に疲れた。

 タマアジサイについて調べようとスマートフォンを取り出してから、着信があっていたことに気が付いた。運転中にかかってきていたらしい。ディスプレイには寺さんと出ている。寺川はまだ病院のはずだ。掛け直すと、コール一回で彼は出た。事件について嗅ぎまわっていることが漏れて叱責されるのかと思ったが、そうではなかった。

「すぐ病院に来い」

「……理由は?」

「夕子ちゃんな、峠だそうだ」

 その言葉は、どこか遠くの方から聞こえてきた。遠いのに、やたらはっきりと聞こえてきた。

「少し前に、心拍数が急激に落ちてな。一応の処置はされたが…もう、危ないらしい」

 寺川のしわがれた低い声は、泣きそうだ。修司は目をつぶった。

きつくつぶって、そして開けた。

「そうですか」

「そうですかってお前な」

「俺、まだやることがありますから。何度も言っていますけど、俺が行ったところでやれることなんかありませんよ」

「仲間だぞ!? 見守ってやらんのか!!」

「見るだけで守れるものなんてありません。――すみません、切ります」

 返事も待たずに受話器を切り、機内モードにして通信も出来ないようにした。

 今、夕子に会いに行くことに意味など無い。病院に行ったからなんだというのだ。修司にしてやれることなどなにも無い。そう、幼いころから、修司に出来るのは他人を欺いて歪ませて不幸にすることだけだ。

 意地になっているような気はしている。修司のやろうとしていることは、このまま夕子が逝ってしまえばすべてが徒労に終わるのだ。自分の仕事を放りだした上、頼まれてもいないのに差出人探し。勝手な単独行動。挙句の果てにだいぶ先輩である寺川への礼を失した態度。これで夕子が逝ってしまえば、修司は減俸や定職では済まないかもしれない。もしも職が無くなれば、妹にも迷惑を掛けることになる。

 解っている。だが。

 それでも修司は、病院へ向かおうとは思わなかった。

 夕子に会いたいとも思わなかった。


 陽が落ちてきている。いわゆる逢魔が時。または大禍時。夕子は今、魔物がもたらした禍と戦っているのだろう。


 ――ねぇ夕子ちゃん。

 ――きみは魔物と戦っている。

 ――俺は、誰と戦っているんだろうね。


 心の中のその問いに、答える者はいなかった。



 その夜。

 修司は手紙の差出人を突き止めた。


 そうして彼は、刺されて倒れた。

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