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花嵐の夜  作者: 露刃
16/25

排除の決心

 夕子が出て行ってから約一時間後。その一報が入ってきたとき、修司は帰り支度をしていた。定時まではあと三十分ほどあったが帰り支度をしていた。いつものことである。妹に、なにか買い物は無いかとメールで聞いた。特に無いと返ってきたが、なにかケーキでも買って帰ろうと考えていた。

 さて、あと何分かなと思っていたら課長の机の上にある電話が鳴った。一課の係長が代理で出て、驚きの声を上げたのだ。すぐさま三課の人間が集められた。

「三課の神崎夕子が、救急病院に運ばれた。意識不明の重体らしい」

「――………」

 言葉の意味を理解するまで、時間がかかった。その間、周囲のざわめきが途切れたような気がしていた。


 応援に行った先のコンビニで、補導対象の少女が暴れたらしいと係長は言った。

 警官たちの制止も聞かず、少女は無茶苦茶に暴れて商品棚を蹴り倒した。そして棚が倒れる先には、親と買い物に来ていた幼女がいた。

夕子は咄嗟に幼女を庇い、商品棚の下敷きになったのだ。

 全身を強く打ち、頭から血を流して、仲間たちの呼び掛けには一度も応じなかったという。庇った幼女に怪我は無かった。


 そこから先は、ただ慌ただしかった。

 夕子の父親に連絡が行き、出張中の課長にも連絡が行き、非番の寺川にも連絡が行った。暴れた少女は補導されたが、聴取は難航した。反省するどころか、夕子が勝手に怪我をしたことが迷惑とまで言い出す始末で、生活安全課はかなり手を焼いているらしい。

 仲間の負傷に署内全体が憤りと心配を募らせ、空気が急に重くなったようだった。夕子の容体については病院に付き添った生活安全課の課員から「依然意識不明」という連絡が一度あっただけで、その後は夜になっても情報が送られてこなかった。送るような変化がないのだと、誰もが解っていた。

 神崎課長は出張先から飛んで帰ってきて病院へ向かった。寺川も行っているらしい。生活安全課の課長は刑事課と夕子の家族に頭を下げ、応援を直接頼んだ課員は気を揉んでいる。

 そんな中、修司は黙ってスマートフォンをいじっていた。ほかにやることがないからである。

 いや、仕事ならある。刑事は意外と書類作成業務が多いのだ。けれど、気が乗らないのでやろうと思わなかった。

 定時で帰るとは、言い出せない雰囲気だった。修司が署内に留まろうと帰宅しようと、夕子の容体には変化をきたさない。だから帰っても良かったのだが、これだけ重い空気の中を帰ろうと思ったら、「なんだ、あいつは。冷たいな」と言われることは必至だ。修司の歪みに気付かれるようなことは、避けなくてはならない。妹にはすでに連絡している。同僚が怪我をしたとは言わず、残業とだけメールを送った。

 警察官負傷の一報は、少なくとも現時点ではネットのニュースなどで流れていない。発生してから間もないからかもしれないし、加害者が少女だからという配慮があるのかもしれない。

 後者だとしたら、実に馬鹿馬鹿しいと修司は思う。

 未成年だろうがなんだろうが、実名でも住所でも公開して、二度と社会復帰出来なくしてやればいいのだ。自分がやらかした罪を、この世を儚むほど後悔して地獄を味わえばいい。そうして本当に、地獄に落ちればいい。

 この国は、あらゆる咎人に甘すぎる。法を犯した咎人にも、そうではない咎人にも。

「…らしくないなぁ…」

 口に出して、つぶやいた。

 別に妹が怪我をしたわけでもあるまいし、国の制度を批判するほど修司は偉くもないし興味も無い。そもそもなにかを批判をするときには代替案を出すのが筋というものだ。しかしそんな案は修司には無い。考えるのも面倒くさい。従って、修司にはなにかを言う権利も無ければ義務も無い。

無い、のだが。

 加害少女の親と連絡がついたらしい、というのは一課の刑事からの情報だった。少し考えて、修司は立ち上がった。すたすたと刑事課を横切って部屋を出て、階段に向かう。生活安全課は一階にあるのだ。

「ちょっと、会わせてもらえません?」

 生活安全課に押しかけて、修司はろくな挨拶もせずにそう切り出した。課長は方々に頭を下げに行っているので、いるのは係長だ。修司はにこりと笑っている。

「今、うちが聴取中だよ。三課の仲間として神崎くんの為になにか言いたい気持ちは解るが」

「解るなら、お願いしますよ。五分でいいです」

「いや、悪いが明日以降にしてくれ。やっと親に連絡が付いたんだが、もう娘とは思ってないから刑務所にでも入れてくれと言っている。そっちもなんとかしないと」

「そこをなんとかお願いします。うちの神崎の、弔い合戦をさせてくださいよ」

「神崎くんは死んでいない」

「そうでした。まあ細かいことはともかく」

「細かいって」

「神崎が意識を取り戻した時、三課はただ生安を見守っていましたとは言いたくないじゃないですか。――そちらも、逆の立場ならそうじゃないんですか」

 逆の立場、と言われると係長は困ったようだった。修司はもう一度言う。

「お願いします。もし誰かに怒られたらその時は――広い心で許してください」

 係長は小さく吹き出した。

「そこは普通、自分が責任を取る、じゃないのかね」

「俺にはかわいい妹がいるので、引責は困ります」

 修司も笑った。堂々とした、一歩も引かない笑みだ。

 数秒の間があって、係長は大きく息をついた。

「本当に、五分だな?」

「ええ。俺の時計で」

 やれやれと言いながら、係長は取調室を指さした。勝手に行け、ということだろう。修司は礼を言ってから向かった。


 取調室には、重苦しい空気が充満していた。

 ノックをして扉を開けると、少女が頬杖を付いて座り、その向かいに取調担当の女性課員が、部屋の隅には記録係のこちらも女性課員がいる。ちなみに、美鷹署では生活安全課勤務の警官を課員と呼んでいるが、市民からはどちらも刑事さんと呼ばれることが多い。

「刑事三課の渡辺です。係長から許可はもらいましたので、ちょっと失礼します」

 にっこりと笑ってそう告げると、取調担当は戸惑ったようだった。

「うちの神崎が、お世話になったようなので」

 修司が笑っているのは口元だけだ。圧倒されたのか夕子の名前を出したからなのか、ややあってから取調担当は席を譲った。

「さて、そこのお嬢さん」

 少女の向かいに腰かけて、修司は薄く笑う。

「きみはとてもかわいそうだね」

「…はぁ?」

「さっき、きみの親御さんと連絡が付いたよ。もう聞いたかもしれないけど、きみの面倒はもう見られないから、刑務所にでも入れてくれってさ」

 少女はあからさまに不貞腐れた顔をする。

「きみは未成年だから、入るのは少年院なのにねぇ。そんなことも知らない両親に育てられたらかわいそうだなぁと思って」

「かわいそうならここから出せよ。さっきからあんたらうるさい。説教とかほんとうざい」

「あっそ。じゃあ黙ろうかな」

 あっさりとそう言った修司を、少女は睨むように見た。

 そこから約三分。本当に修司は黙っていた。ひたすら黙って少女を見つめていた。始めこそ堂々としていた少女だったが、見つめられているのにただ黙られているという居心地の悪さに、だんだんと落ち着かなくなってきたようだ。

「ちょっと…。本当に黙るなら出ていけよ。なに見てんの?」

 それでも修司は黙る。

「いい加減にしろよ、見てんじゃねぇよ」

 まだ修司は黙る。

「言いたいことがあるなら言えよ!」

 まだまだ修司は黙る。挑発的に、彼は笑っていた。

 少女はついに椅子を蹴って立ち上がった。

「あんた、なんのつもり!?」

 掴みかかろうと、少女は修司に手を伸ばす。その手を、修司はぱしんと掴んだ。

「つっ!」

「言えよとお許しが出たので、そろそろ黙るの止めようかな。あと一分しかないし」

「は? ちょっと、痛いんだけど」

 ぎりぎりと、修司は少女の手首を握り込む。

「いっ…。ちょ、本当に痛…」

「血を流して救急車で運ばれるほどの痛みじゃないでしょ」

「渡辺さん!」

 さすがに制止しようとした生活安全課の課員を無視し、修司は少女の手を掴んだまま立ち上がる。涼しい顔で。

 そうして、その手をぐっと引いた。少女の顔が近づく。その耳に、そっと囁いた。

「心配しなくても、きみはもう終わってるよ」

 少女の表情が固まった。

「きみ以外に補導された子たちはみーんな解放された。誰も待っていない。きみだけが、置いていかれたんだ。仲間と思っていた連中からも、親からも」

 固まった表情のまま、少女は息を止める。

「良かったねぇ。きみ、もともと家出少女なんでしょ? これでしばらくは家に帰れないよ。万々歳だね」

 冷たく、刺すような視線と言葉。それでも口元だけは笑っている修司の醸し出す空気は、うすら寒い。少女は修司から目を逸らした。

「よりにもよって刑事に怪我をさせたことで、きみの人生は終わったんだ。商品棚を蹴り倒したようで、自分の人生そのものを蹴り倒したってことだね。……斬新な一石二鳥だね?」

「渡辺さん、もうやめてください」

「…かわいそうに」

 言い放ってから、修司はぱっと少女から手を放した。くるりと生活安全課の課員に振り返って、にっこり笑う。

「気が済みました。じゃ、そういうことで」

 歩き出そうとした修司を、女性課員は責める。

「どういうことですか、相手は未成年ですよ!」

「相手の年齢は関係ありません。置いていかれたのは事実でしょう」

「言い方があります」

 強めに咎められても、修司はしれっとしたものだ。

「遠回しに言っても同じことですよ。それに、置いていかれてはいても縛り付けられてはいない。現状が嫌なら動き出せばいいだけです。終わっているのも事実ですが、終わったならまた始めればいい。生きてるんですから。まあ、そんな根性がその子にあるかどうかは知ったことじゃありませんが」

 少女はうつむいたまま、修司の方を見ようとしない。

「お邪魔しました」

 言って、今度こそ修司は扉を開けて出て行った。


 階段をのぼりながら、修司は眉間に皺を寄せていた。

 少しはすっきりするかと思っていたのに、まったく溜飲が下がらないのだ。あのまま手首をへし折ってやれば気が済んだのだろうか。しかしそれでは修司が懲戒を食らう。課員の手前、気が済みました、とは言ったものの本当はまったく済んでいない。

 刑事課に戻っても、やはり夕子の現状は報告されていなかった。意識不明のままらしい。自分の席の、背中合わせの席。

 そこに、夕子がいない。ほんの数時間前まで、確かに彼女はそこに居たのに。

 彼女の机は、修司のそれと違って整然としている。書類はきちんとまとめられ、筆記具はケースに入れられ、ほこりの一つも落ちていない。引き出しの中までは見えないが、おそらくきれいに整頓されているのだろう。夕子宛ての例の手紙は、一番上の引き出しに仕舞ってあるのをいつか見た。

「………」

 修司はふと思い当たった。あの手紙が届いてからだ。夕子のことを歪ませてやりたいと思うようになったのは。

もう一年近くも前の春頃、紫陽花を見に行こうと誘ったのはただの気まぐれであり暇つぶしだった。彼女が動揺する姿が面白かった。それまでも、夕子のことを真面目だとは思っていたがつまらないと思ったことは無い。何よりもつまらないのは修司の人生こそだということを知っている。

 あの手紙が夕子の動揺を誘っていることが気に入らないのだと、修司はやっと気が付いた。手紙ではなく、自分の言葉に右往左往すればいいのにと。

 修司は、ためらうことなく夕子の机の引き出しを開けた。刑事課にはほかにも人がいたが、誰も修司の方を見てはいない。それどころではないのだ。

 引き出しには、例の手紙が輪ゴムでそろえて入れてあった。手袋をはめてからそれを取り、自分の席に戻って、一つ一つ確認していく。

 差出人が同一人物だということは疑いようがないとして、では誰が送り付けてきているのだろう。ほぼ間違いなく誘拐犯か、そいつに近い人物であると思われる。共犯者かもしれない。

 一通目の手紙にある日付。夕子が攫われた日。幼稚園のイベントで外に出ている時だったという。

 何故、夕子が攫われたのか。何故、犯人は五千万円を奪おうとしなかったのか。目的が金ではなかったとして、では本当の目的はなんだったのか。単に両親への嫌がらせをしたかったというには、ことが大きくなりすぎている。一週間は長いはずだ。夕子を攫うことによって得をしたのは誰だ?

 二通目は解放された日付。事件からちょうど一週間後。この一週間、夕子はどこにいたのか。世話は誰がしていたのか。発見された夕子には外傷が無く、暴行された形跡も無かった。食事も与えられ、風呂にも入っていたようだ。

 三通目。紫陽花の写真。攫われてから一週間後に夕子が置き去りにされていた公園だ。この公園は、さほど大きくはない。遊具がたくさんあるわけでもなく、公園という名を冠してはいるがどちらかというと広場に近い。駅が近いことから通勤通学の時間は人通りがあるが、夜遅くになると真っ暗になる。当時は防犯カメラも設置されていなかったので、土地勘があれば人目を忍んで幼児一人を置いていくことは誰にでも出来た。

 四通目。公開捜査されていた夕子が、無事見つかったという新聞の切り抜きのコピー。切り抜きなので、どこの新聞かは判らない。こんなものを、よく二十二年間も取っておいたものだ。記事には、無事に見つかって全国から安堵のため息が漏れていることと、これからの警察の捜査に期待する旨が書かれている。

 五通目。こちらもコピーだ。新聞ではなく週刊誌の。かなりきつい調子で、夕子の父親が生放送に出演した際の発言について批判していた。犯人に媚びろとは言わないが挑発的過ぎたのではないか、という内容だ。「事件関係者」という誰だか判らない人物は、「普段からそんな態度だから敵を作り、家族が狙われたのではないか」と分析していた。大きなお世話だと修司は思うが、あながち外れてもいないのだろう。当時、警察だってその線で捜査をしたのだと前に聞いた。

 そして、六通目。

「…「思い出せ」、ね…」

 送り主の意思が読み取れるのはこの一通だけだ。なにを忘れているかも判らないのに、なにを思い出せと言うのか。そもそも、事件のことを夕子が思い出したら、困るのは犯人だろう。

 ため息が出た。

 いくら手紙を眺めていても分からない。修司は立ち上がって、再び刑事課を出て行った。一階の、資料室へ向かうためだ。どうせ今日はもう、夕子の状態がはっきりするまでは帰れない。ならば、やりたいことをやるだけだ。さっさと提出しろと言われている書類があったような気もするが、書類に向きあったところで筆が進みはしないだろう。修司は無駄だと判っていることはしない主義だ。

 修司は決意した。夕子が修司以外のことで右往左往しているのが気に入らないのなら、修司以外の煩いを取っ払ってしまえばいいのだ。ほかに心配事が無くなれば、夕子は修司の相手をせざるを得なくなる。ならば、その心配事は修司が片付けても損はしない。

 以前にも、資料室から資料を借りて夕子の事件を調べたことがある。けれどもあの時は、ただ事件のあらましを確認しただけだ。知ってどうしようという明確な意思は無かった。けれど今は違う。

 ――犯人を見つけて、夕子の人生から排除する。

 その決意を胸に、修司は資料室を漁った。


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