棚から牡丹餅
一通りの説明を聞き終わった夕子は、ほうとため息をついた。
「なにか質問は?」
「では、いくつか。犯人たちは、どうして夜に動かなかったのでしょう。暗闇に紛れたほうがかなり有利だと思うのですが」
「昼間なら工事音がしているから、土を掘り返す音が響かない。それになにより、夜になったら家に誰かが帰ってくるかもしれないから」
「でも、佐和子さんが心臓病ということは知っていたって…。そう簡単には退院出来ないことくらい考えつくのでは」
「ばあさん本人じゃない。息子だよ。夕子ちゃん、さっき自分で言ったでしょ。急いで帰ってきても夜になるって。それを、奴らは知ってたんだよ」
「あ…」
「もちろん、今日は帰ってこない可能性もある。海外ならそっちの公算の方が高い。けどもしも帰ってきたら? 福岡とシンガポールは直行便が出てるよね。しかもばあさんが倒れたのは午前中。シンガポールと日本の時差は一時間。さっき調べたら、一番早ければ飛行時間は七時間弱だった。息子さんが午前中の飛行機に飛び乗ったら、きみの言う通り夜には帰り着くんだよ」
母親を呼び寄せるだけではなく、国境を飛び越えて迎えにまで来る孝行息子は、彼女の容体がはっきりするまでは日本にいるはずだ。修司は続けた。
「帰国したら病院へ直行するにしても、佐和子さんの着替えやら保険証やらを取りに、確実に家には帰ってくる。もしも家に帰ってきて、庭の不自然さに目を向けたら? いや、息子はそれどころじゃないかもしれないけど、佐和子さんが褒めていた「面倒見のいい嫁」が面倒を見に帰ってきて、庭の掃除に目を向けたら?」
橘佐和子は息子夫婦のことを控えめに自慢している。初対面の刑事にも話したくらいだ。高確率で近所の住人にも話している。もちろん、鍵を預けていた「特に信用のおけるご近所」にも。
「アホだよね。猫を攫って計画は動き出した。もう押し進めるしかないのに、警察に虚偽の相談をしたことで四人は集まって作戦会議も出来なくなった。捕まえられたのは、見張り役が焦って行動してくれたおかげだよ。で、次は?」
「こちらの方が不思議です。渡辺さん、どうして庭に宝石があることが判ったんですか?」
「いやいや。宝石があるとは思ってなかったよ。ばあさんを長時間家から追い出す必要のあるものが、なんかあるんじゃないかなと思っただけで。家の中に違和感は無かったって本人が言っていたから、なら庭かなと。まあ、棚から牡丹餅だよね」
誘拐被害者の中で、一軒家に住んでいたのは橘佐和子だけだった。さらに、被害者と名乗っていた時、彼らはなにかを物色された跡は無いと揃って証言した。ならばと、修司は考えたのだ。
「もう一つだけ、いいですか?」
「どうぞ。あんまり時間無いから、もう一つだけね」
「どうして佐和子さんが引っ越してから強盗を働かなかったのでしょう。いえ、いつであっても犯罪はいけませんが、確実に引っ越してから実行していれば、今回の事態は避けられたのでは」
「ああ、それはさっき一課の山さんから聞いたよ。宝石強盗は内部犯だったんだってさ」
「というと…。従業員ですか」
「宝石店のではなく、宝石店が契約を結んでいたセキュリティ会社の元従業員。被疑者の中に一人いたでしょ、最近無職になった奴が。あ、あの会議の時には夕子ちゃんはいなかったか。ま、腹いせもあったんだろうね。詳しくは聞いてないけど、セキュリティの隙を突いたらしいよ。会社のセキュリティコードは、定期的に見直しされている。機械がランダムで英数字をはじき出すから、誰であっても推察でコードを見抜くことは不可能。彼が知っているコードを変えられる前に実行しなきゃいけなかったってこと。一課も内部犯を疑って捜査していたらしいから、遠からずたどり着いたと思うけどね」
とはいえ一課が疑っていたのは「宝石店」の内部犯である可能性だ。修司が思うよりも時間はかかっていたかもしれない。
「リストラを宣告された日から強盗を計画していて、そこにたまたま橘さんの引っ越しを知っている仲間がいたって感じかな。正確にどっちが先かは、知らないけど」
修司の話に、夕子は何度もうなずいた。
「すごいです。あっという間に解決してしまうなんて」
「ありがとう。じゃ、そういうことで」
「はい?」
「俺は帰るよ。当直明けだし犯人を逮捕したのは一課だし、俺がいる必要は無いでしょ。課長にも許可もらってるし」
言いながら、すでにオーバーコートを持って立ち上がっている。さっさと帰りたいのだ。
「じゃあね。お疲れさま」
「お疲れさまです」
夕子も立ち上がってそう挨拶し、修司の向こう側を見て止まった。
「ん?」
夕子の視線を追い、修司も振り返る。中年の男が立っていた。知り合いではないが見覚えはある。二度目に橘家へ向かう時、受付でなにやら騒いでいた男だ。刑事課に用事だったのか。
まあ、修司には関係ない。そう思って歩き出すと同時に、男の方も歩き出した。一瞬、修司に向かってきているのかと思ったが、違った。男は修司の横を通り過ぎ、夕子に近づいて行ったのだ。
そうしてその男は、夕子の頬にいきなり平手打ちをした。