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花嵐の夜  作者: 露刃
10/25

仮説

 刑事課に戻ると、すでにほかの面々も帰ってきていた。さっそく会議が始まる。大規模な捜査本部ではないので会議室などは使わず、それぞれの机に座っての報告会だ。

 被害者たちから聞き取りしてきたことを、それぞれが報告し合う。修司が聞いてきた話とそう変わらなかった。判明したのは、動物たちが誘拐されたのは三日前から昨日にかけて、ということくらいだ。要求されている金額は全員が五百万円。命の金額には安いと思っていたが、そうでもなかった。全員が払えば二千万円だ。二千万円なら、人間相手の誘拐事件でも聞く金額になる。

 一通りの報告を出し合って、修司は腕を組んだ。

「五百万円って、全員払えるって言ってたんですか?」

「無理をすれば払えるって被害者もいたし、借金があるからどうしても無理だっていうやつもいたな」

「これといった手がかりがありませんね。共通点があるとすれば動物病院じゃないかと思ってたんですけど、かかりつけ医が違う」

 四件のうち、かかりつけの動物病院が被っていたのは二件だけだ。

「ほかの共通点か」

 寺川も、面白くなさそうに腕を組んだ。

「カフェはどうだ。モールの近くの」

 橘佐和子は行ったことがないと証言した。ほかの三件のうち、行ったことがあるのは一件だけだ。

「ドッグランも無いな。被害者に猫やウサギが含まれているから」

 一人の同僚が言って、誰もがうなずいた。修司も同じ考えだ。そもそも、あの橘のばあさんが広いドッグランで走り回れるとも思えない。

 被害者宅の年齢も職業も家族構成も経済状況もばらばらだ。共通しているのは、美鷹市周辺に住んでいるということのみ。被害者の中で、独り暮らしをしているのは橘佐和子ともう一人だけで、一軒家に住んでいるのは橘佐和子のみ。ほかは全員マンションかアパート暮らし。富裕層はいない。被害者の中の一人は、最近仕事をクビになって無職だそうだ。

 接点が、見当たらない。


 …さっさと片付けて家に帰りたいんだけどなぁ。


 どうしようかね、と思っていたら修司のスマートフォンが着信を告げた。ディスプレイには神崎夕子と表示されている。

「夕子ちゃんからです」

 周囲に言ってから、通話状態にした。

「渡辺ですよー。どうした? 動きがあった?」

「橘さんが倒れました」

「…倒れた?」

 修司はスピーカーフォンに切り替えた。スマートフォンを机の真ん中に置く。

「で、どういうこと?」

「急に胸を押さえて苦しみだしました。すぐに救急車を呼んで、今は病院にいます。検査中ですが、心筋梗塞の疑いがあります。そうだとしたら再発だそうです」

「そう。さっき病気で入院してたって言ってたのはそれか。で、どこの病院?」

「美鷹市立中央病院です。橘さんのご家族への連絡は、病院がしてくれます。シンガポールにいるそうなので、どんなに急いで帰ってきても夜遅くになりますが。家の鍵は、橘さんに教えてもらってわたしが閉めました。あと、こうしている間に犯人からの接触があったらと思い、近くの交番に連絡しました。すぐに来てもらえる手はずになっていますが、緊急事態だったので詳しい説明は出来ていません。警察官だと判らないように、上着とベストは脱いでくるようにとだけ伝えましたが」

「では、それはこちらで話しておきましょう」

 修司の机まで来て、神崎課長が夕子に呼びかける。

「とっさの判断、さすがですね。夕子さんは付いていてあげてください。取り急ぎ駐在さんにはこちらから連絡しておきます。渡辺くん、きみも行ってください。橘家に迷わず向かえるのはきみだけですから」

「承知しました。――夕子ちゃん、一回切るよ。状況が変わったらお互い報告し合うということで」

「はい」

 電話は切れた。修司は立ち上がる。オーバーコートを羽織り、車の鍵を確かめて、行ってきますと告げると大股で部屋を出て行った。部屋の中ではすでに、課長が橘家最寄りの交番へ連絡を入れている。

 階段を駆け下りて受付の前を横切るとき、高そうなトレンチコートを着た男が何やら婦警に物申しているのを見かけた。信用ならない、とか叫んでいるのが聞こえたが、立ち止まることなく通り過ぎた。警察を便利屋かなにかと勘違いして、クレームを付けてくる人間は多いのだ。田舎の美鷹署はまだ平和なものだが、都心部へ行くとクレーム対応係までいると聞く。

 ご愁傷さま、と対応していた婦警に心にもないことをつぶやいて、修司は車に乗った。

 橘家へ行くのには、二度目だというのに一度目よりも時間がかかった。悉く信号に引っかかった上、この短い時間に事故が起きたらしく迂回しなければならなかったからだ。

 多少苛つきながら目的地にたどりつく。門扉を開けると、そのわきに青年が一人座り込んでいた。修司を見て、ばっと立ち上がる。

「お疲れさまです。渡辺刑事でいらっしゃいますか」

 敬礼をしたところを見ると、連絡を受けた駐在らしい。修司は警察手帳を見せることで肯定した。ご事情は伺っております、とはっきりした口調で言う。

「すみません、外から自分が見えないように、塀に隠れておりました。入るときは、誰にも見られないように注意したつもりです」

「お気遣いありがとう。どのくらい前に着いた?」

「三十分ほど前です」

 ということは、夕子が連絡してから十分足らずで到着したことになる。

「早かったね。というか、その恰好はどうしたの?」

夕子は警察官だと判る上着類を脱ぐようにと伝えていたはずだが、彼はどう見ても私服のトレーナーだった。上にコートを羽織っているが、制服警官にとって職務中のこの格好は、基本的には服務規程違反になる。

「交代の時間で、たまたま私服だったものですから。白シャツを着た先輩よりも自分の方が自然かと思いまして。近くまでパトカーで送ってもらい、そのあとは走りました」

「ああそう。ご苦労さま。ここに着いてからなにか変わったことは?」

「家の中で電話が鳴りました」

「時間は」

「七分ほど前です。鍵をこじ開けようかとも思ったのですが、悩んでいるうちに鳴り止んでしまいました」

「何回くらい鳴ってた?」

「十回ほどと記憶しております」

「十回、ねぇ…」

 短くはないコール数だ。犯人かもしれない。

 ポケットから白い手袋を取り出した修司は、それを嵌めながら郵便ポストや庭を見て回った。橘邸のそう広くもない庭には、冬らしく枯れ葉が散らばっていた。柿木があるのでその葉っぱだろう。柿の木からはすっかり葉が落ちてしまっている。それ以外は、隅の方に置いてあるプランターに修司の知らない小さな花が植えてあった。白くて小さいその花は、この寒空の下でプランターを覆いつくさんばかりに元気に咲いている。全体的にシンプルな庭で、趣味はいいと思えた。庭に張り出したサンルームの奥は、先ほど修司と夕子が通された床の間だろう。そのサンルームの端の方に、ポインセチアが置いてある。

「業者に鍵を開けてもらいましょうか。また電話が鳴ったら困りますし」

「そうだね。家主は病院に担ぎ込まれているから、この際仕方がないか…ん?」

 一通り見て回って玄関に戻ってきた修司は駐在に答えようとし、最後まで言わずに止まった。

「渡辺刑事、なにか…」

 戸惑う駐在に答えず、修司は屈みこむ。玄関扉の前に、なにかを置いていた跡がある。長方形に近い小さな跡が合計四つ。まだ新しい。

「…脚立、かな」

 ということは。

 修司は視線を頭上に向けた。

「おお…」

 思わず、声が漏れる。

「うわ」

 修司の視線を追っていたらしい駐在も驚いている。目線の先には神棚があり、たくさんのお守りがこれでもかというほどにびっしりと飾り付けられていた。

「すごい量ですね」

 その感想には、全面的に賛成だ。

 日本には八百万の神がいるらしく、全国の神社仏閣には玄関に飾ると厄を除けたり幸運を招いたりしてくれるお守りがある。全国各地のその手のお守りがすべてあるのではないかと思うほどの量なのだ。ご丁寧に、玄関の庇にこれらのお守りを飾るためだけの神棚を後から造ったらしい。

 猿や狐の面、藁で出来ている人形らしきもの、様々な形をした札、破魔の矢、大小の鈴、なんだか分からないものまで枚挙にいとまがない。よくもここまで集めたものだと素直に感心する。

「こういうのって、神さまが喧嘩するから同時には置かない方がいいんじゃありませんでしたっけ…」

「さぁ。ルームシェアくらいで喧嘩するような器の小さい神さまなら、いなくてもいいと思うけどね」

 答えながら、修司は首を伸ばしてお守りらしきそれらを見る。多種多様なお守りがあったが、その中で一つ、一番手前に異彩を放っているものがあった。それだけセロテープで雑に貼り付けられている。二つ折りの白い紙だ。あの色を知っている。橘佐和子に見せられた、脅迫状と同じ色だ。

「脅迫状は、届けられたってわけか」

 つぶやいて、修司は上げていた顔を下げ、脚立の跡を検分した。それは新しいもので、さほど泥がついているわけでもない。だが、どうして一回目に来た時に気付かなかったのだろう。

 日本家屋である橘家の玄関は引き戸で、開けるのは左側の扉になっている。脚立の跡は右側。一度目に来た時、インターフォンを押したのは間違いなく修司だ。従って、夕子は修司の右側に立っていた。ちょうど、この跡がある位置に。夕子の足の下にあったから気付かなかったということも考えられるが、それなら夕子に踏まれてこんなにはっきりと跡は残らないはずだ。

 ならば、答えは一つ。修司が署に戻ってからもう一度ここに来るまでの間――正確には、駐在が到着するまでの間に、誰かが脚立を立てたのだ。

「脚立、探して来ます」

「いや、時間の無駄だよ」

「え?」

「知らない家の、あるかどうかも分からない脚立探すより、自分で持ってきたほうが早いでしょ」

「しかし、脚立を持ってうろうろすれば、さすがに人目に…」

「きみ、ここに来る時と来てから、誰か通りすがりのヒトを見た?」

「いや、それは…。どこかの業者のワゴンくらいしか」

「だろうね。俺も誰にも会わなかった。ここは閑静な住宅街。しかも、ご近所では改修工事中。つなぎでも着た兄ちゃんが脚立持ってたってそうそう目立たないよ。まして玄関を開けようとしていたわけではなく外で作業をしてたんだからね。で、軽トラかなんかで堂々とずらかれば目撃者がいたとしても怪しまれない」

 修司はスマートフォンを取り出した。カメラ機能を起動させて、何枚も庇の写真を撮る。それから、使えるものがないかとあたりを見回した。

「渡辺刑事、自分になにかお手伝い出来ることがあれば」

 使えるものがあった。目の前に。修司は、脚立の跡があるところを指さした。

「ここに立って」

「は、はい!」

「で、腰かがめて。踏ん張って」

「はい!…え?」

 指示しながら、修司は靴を脱いでいる。

「腰の前で両手組んで。あ、掌が上に来るようにね」

「あの、もしかしてこれは…」

「察しが良いのは、警察官にとって素晴らしい才能だよ」

 言うが早いか、修司は駐在が組んだ両手の上に飛び乗った。そこを支点にさらに飛び、玄関の庇に貼られている目当ての紙をつかみ取った。

 バランスを崩すこともなく着地し、駐在にありがとうと伝えてから紙を広げる。そこには、簡潔に要求が書かれてあった。

「日付と時間と場所か。キャリーケースに五百万円ね。大して重くもないだろうに、相手がばあさんだって配慮してくれたのかな」

「そんな、誘拐犯にそんな思いやりがあるとは思えませんが」

「冗談だよ。一人で来なかったらペットには二度と会えないって書いてあるし。……しかし、引き渡し場所は福岡東中央公園か。ちょっと遠いね」

 福岡県東地区。西方に位置する美鷹市、それも橘家からは、修司の言う通り少し距離がある。車でも下道を使って四十分ほどの距離だ。高速道路を使ったとしてもその半分はかかる。橘佐和子は車を持っていないと言っていたから、彼女は市バスか電車で移動しなければならない。修司の記憶によれば、市バスにせよ電車にせよ、乗り換えが必要なはずだ。相応の時間が取られる。いや、美鷹市では免許を返納した者にはタクシーの補助券が与えられるから、タクシーという手段も取れる。が、やはり時間はかかる。

 靴を履きつつ、修司は考える。

 先ほどの捜査会議で、ほかの被害者の免許の有無は確認している。橘佐和子以外は免許を持っていた。

「東中央公園には駐車場があります。犯人はそこで金を奪い、車で逃走するつもりでしょうか」

「んー。どうだろうねぇ。ちょっと電話するから、静かにね」

 言いながら、もう刑事課直通の番号に掛けている。脅迫状は駐在に渡した。

「あ、課長? 渡辺です。至急ほかの被害者宅に脅迫状がないか確認してください。ポストに入っているとは限りません。電話やメールも、記録が残るから使わないでしょう。被害者宅を捜索してください。ガサ入れのつもりでいいです。どこかにあると思います。……ええ、こっちは玄関で見つけました。…勝手に中には入っていませんよ。外側です。玄関の…庇っていうんですかね。そこに貼り付けられていました。金の引き渡しの日時と場所が書いてあります」

 一通り報告してから電話を切り、修司はスマートフォンを上着に戻すと手袋をした両手を握り合わせた。

「……さて」

 呟いて、再び庭へと向かった。

 ある仮説が、修司の中に生まれている。

 庭は、先ほど見たときと寸分変わらない。しかし、今度はもっと注意深く見渡していく。

「あの、渡辺刑事…」

 状況を説明してほしそうな駐在は無視して、修司は柿木の根元やサンルームの下などを覗き込んだ。物干し台もずらした。なにも見当たらない。箒や塵取りを入れてある物置小屋の周囲も見た。やはりなにも見当たらない。

 間違えたか、という思いがよぎる。もう時間が無いのに。

 落ち着けと息をついて、もう一度庭を見渡した。そうして、はっとした。おかしいのは、あれだけではないか。

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