第41話 レン先生②
「皆さんにひとつ、考えてみてほしいことがあります。植物と動物の一番の違いって、なんだと思いますか?
……私は、『自分で選択し、動くことができるかどうか』だと思います。
動物は『動く物』。食糧を求めて動きます。自分で暮らす場所を選んで、動くことができます。死にたいと思えば死ぬことを選べます。もっとも、人間以外のほとんどの動物は自死を選ばないようですが……
それに対して植物は、『植えられた物』。動けないんです。この場所は日当たりが悪くて暗いから、明るいところに行きたいなと仮に彼らが思ったとしても、植物は動きません。せいぜいその場所で、反射的に、精一杯葉を伸ばし光を求めるくらいしかできません。
彼らが死ぬのは環境が生育条件を満たさなくなった時だけ。自ら死を選ぶことはありません」
レンさんは手にしていたアシタバを、ホイッと投げた。
「動物と植物、どちらが優れているとか劣っているとか、そういう話ではありません。比較するには両者はあまりにも異質です。
植物は身近でありふれた存在ですが、彼らは私たち動物とは全く異なる存在です。同じ場所にいながらも別の時間の中にいます。
植物の中には数百年、数千年と生きる種があることは、皆さんもご存知だと思います。私たちから見ればそれは、ほとんど不老不死のようなものです。植物は環境に適応さえすれば、半永久的に生き続けられます。
それに対し、動物の命とはなんと短いものでしょう。私たちはあっという間に死にます。遅かれ早かれ、必ず死にます。ですが死があるからこそ、死ぬと分かっているからこそ、動物は生きられます。終わりがあるから動けるんです。
終わりなく動き続けなければならないとしたら、それはとても残酷なことだと思いませんか?
……皆さんの将来には必ず死が訪れます。今は漠然と考えている数年後、数十年後の先に、必ず死があります。
私は最初皆さんに、将来どんな大人になりますか?具体的に将来の夢が決まっている人はいますか?と聞きましたが、そんなこと、本当はどうでもいいんです。みんな最後に待っているのは、死という圧倒的な終わりなので。
でも死に向かう過程で、私たち動物は生き方を選べます。選んで、動くことができます。植物のように動かないという選択だってできます。これは動物、中でも人間だけに許された特殊な能力だと、私は思います。
ですが、この能力は使い方が難しい。よく選び、動くためには、まず、『考える』ことが必要になります。考えもなしに選び、動くことはできません。そういう人間はたいてい、すぐに身を滅ぼします。
『人間は考える葦である』という言葉を聞いたことがある人はいますか?
――そうです、パスカルの言葉です。葦とは水辺に生える植物のことですが、人間はその葦のように、踏み潰されればすぐに折れてしまうような、か弱い存在です。
でもそれは『考える』のです。考えることができる、稀有な存在なんです。
パスカルの言葉には続きがあります。
人間は尊い。なぜなら人間は自分が死ぬことを『知っている』から。そして自分が宇宙の中でちっぽけな存在であることを『知っている』から。知って、考えることができるから。だから人間は尊いのだと、パスカルは言うのです。
皆さんの将来には、これからきっといろんな出来事が起こります。辛いことも沢山あります。人を殺したくなるような怒り、死にたくなるような絶望に遭遇する人もいるでしょう。今まさにその中にいる人もいるかもしれません。
それでも、考え続けてください。漠然とした焦りや不安の中でも、考えることを投げ捨てないでください。答えがない問いでも、考えて、選んでください。
その結果がどうであれ、必死に考えた結果である以上、それが『良い人生』なのだと、私は思います。
そして考えるために必要な素材を、
よりよく考えるために必要な知識を、
若いうちから沢山集めてください。
あらゆる思考方法を、皆さんの若くて柔軟な頭で、いっぱい吸収してください。
学校での勉強はそのためにあるんです。それにここには、皆さんのために身を削って教えてくれる先生方がいますから。……ね、真島先生」
レンさんがニッコリ笑った。
真島は泣いていた。
「私の授業は以上です」
ーー
「ちんちんってなんでちんちんっていうんだろう」
「師匠!さっきの感動がどっかいっちゃうのでバカなこと言わないでください!」
「それな……」
ホームルーム後。帰ろうとしているレンさんを窓から発見。急ぎ走って捕獲!と思ったら、ひと足先に青木が来ていた。
こいつ足まで速いのか……
「いやぁさ、ここの図書室でバラの図鑑を見ていたら、そういう名前のバラがあったんだよ。ちんちんってフランス語では乾杯って意味らしいよ。なぜ日本ではアレを指すアレなんだろうとおもって」
「師匠やっぱり黙って」
「レンさん、そんなに気になるなら俺の……」
心の臓まで凍えるような青木の目線に、俺は口をつぐむ。
「……でもほんと。さっきのレンさんの話、俺かなりグッときた」
「そうですよ。めちゃくちゃ胸に沁みたのに。Tchin-Tchinが全てをぶち壊す」
「そう?よかった。若者たちの心に少しでも届いたのなら私の存在意義もあるってもんよ」
「うん。もっといっぱい教えて。レン先生」
レンさんはジロリと睨んでくるが、照れているのが見え見えだ。
可愛くて思わず頭をポンポンすると、どこからか女子の悲鳴が聞こえた。レンさんは急に青ざめた顔をして青木に抱きついた。
「怖い!女の恨みほど怖いものはない!」
「師匠、大丈夫ですよ。私がいます」
なぜか青木が勝ち誇ったような顔で見てくる。
――
校門を目指して歩いていると、駐車場でレンさんが立ち止まった。
「あ……いた!この木ー!」
「あー。樹齢300年の桜の木ね」
「うそ。うちの高校にそんな古い木あったんだ」
「こんな奥まったところじゃ普通気づかねーよな」
「近所のおじいちゃんに聞いたんだ〜」
レンさんはルンルンとその桜の木に近づき、手をあてた。また何か能力を使うのかとみていたら、そのまま固まっている。
「レンさーん?」
「……この木、病気だ。かなり重症の」
レンさんは一歩後ろに下がり、その桜の木を見上げる。
「木も病気になるの?治んの?」
「この木の場合は厳しい。倒木の危険性も高まってるからできれば撤去したほうがいいな」
「まじか」
「青木さん、真島先生に言っといてくれる?専門家に一度見てもらった方がいい、って」
レンさんはそう言って再び木に近寄り、手をあてて、その木に語りかけるように、囁いた。
「お疲れ様でした」
何も起こらない。
ただ、そんなことはあり得ないことだが、レンさんがそう言った時、その木は死んだ。
ように見えた。
「古い木なのに。残念ね」
「仕方ない。老兵は消え去るのみ」
そう呟くレンさんの顔が、やけに寂しげにみえた。




