第17話 地面に咲いた花火
人気のない、暗い住宅地の空き地でやっと追いついて、レンさんの細い手首を掴んだ。
はあはあと肩で息をして、俺の方を見ようとしないレンさん。
「レンさん、なんで逃げるの」
「つい、癖で」
「どんな癖だよ」
「女性関係の、面倒ごとには、関わってはいけない、教団に、入ってるんだよね、わたし」
「なんだよそれ」
「だから大和くんは、私を追いかけなくても、よかったんだよ、はぁ。走りすぎた。もう歳だ……はぁ」
膝に手をつくレンさん。呼吸も浴衣も乱れまくっている。
「いやだよ。ずっと楽しみにしてたんだから今日のデート。変な終わり方したくねーじゃん」
「……ごめん……」
レンさんは体を起こして、申し訳なさそうにペコリとする。別に謝らせたいわけじゃないんだが……
この妙な空気を変えられる話題は……と、真っ暗なあたりを見回すと、空き地の隅、街灯が薄暗く照らす場所の近くに赤い花が咲いているのが見えた。
きた!!植物!!ありがとう!!
「レンさん、あれ彼岸花、でしたっけ?」
「え?……ほんとだ。彼岸花だ」
俺でも名前のわかる有名な花。真っ赤な花色は昼間見ても不穏な雰囲気だが、夜見るとさらにおどろおどろしい。近づいてみると、何十もの花が暗闇の中に浮き上がるように群生している。不気味さ倍増だった。
「見た目怖えーけど、彼岸花って毒とかあるんすか」
「あるよ。その毒を生かして害獣対策や雑草対策に畑のそばとかに植えられることがある。普通に食べたら毒だけど、飢饉の時には球根を水にさらして毒気を抜いて食べた、なんて話もある」
「へぇ、植物の毒って水で抜けるんだ」
「種類による。彼岸花に含まれるリコリンは水に溶けやすいけど、トリカブトに含まれるアコニチンは水に溶けにくい。だから全部水に晒せばいいってわけでもないよ」
「なんだ。覚えるの面倒っすね」
「そうだね。面倒だ」
「何も言わずに逃げ出しちゃうレンさんみたい」
レンさんは気まずそうな顔をして、ふいっと目を逸らした。
「……いやいや、だってさぁ、だってしょうがないでしょ、アレは」
「なにが?」
「あの子……私にはわかるよ、さっきの子、リサちゃんだっけ? あの子絶対大和くんにまだ気がある。だからあんな風に言って私を牽制したのよ。でもさぁ。かわいいから、若いからって、ちょっと嫌味すぎない?」
「リナね。レンさん、嫉妬してくれたんだ」
「嫉妬ぉ? するでしょそりゃ。私だって……」
そう途中まで言って、レンさんは俺に背を向ける。それからごにょごにょと、呟くように言った。
「私だって。もっと若かったら、大和くんのそばに堂々といれたかもしれないのに、って。思っちゃって」
レンさんは彼岸花のもとにしょんぼりとしゃがみ込む。
暗闇の中で、紅い花と、白いうなじがよく見える。
「レンさん。彼岸花って、花火みたいじゃないですか?」
「……言われてみれば」
「そう思うと綺麗に見えてくるな」
「大和くんって意外とロマンチスト?」
「……そーかも」
レンさんの後ろにしゃがんで、その縮こまった背中にもたれかかる。
「レンさんの背中、小せえー」
「なんだよ大和少年」
「レンさんの背中、熱い」
「そりゃあ全速力で走ったからね」
「このえりのところ。あけたら背中涼しいんじゃないですか」
「え? いや、浴衣崩れちゃう」
「いいじゃんもう、崩れちゃって」
後ろの襟元を少し引っ張ると、白いうなじに繋がる背中が見えて、かすかな熱気が立ち込めた。思わずうなじにかじりつく。
「え!かじ、噛んだ?!首噛んだ?!」
「ん」
首元から耳まで、柔く噛んで、離して、また噛んで……耳たぶを甘噛みすると、立ちあがろうとするレンさん。それを両腕で押さえ込んで、耳をはむはむする。
「大和くん、ちょっと、なにしてるの」
「んー、レンさんが可愛くて。俺の元カノに嫉妬するレンさん」
「気の迷いです勘弁してください」
「だーめ」
レンさんの顎を掴んで、顔を横に向ける。
ふっくらした唇まで、あと数センチ。
彼岸花みたいに紅い唇。
「レンさん、ちゅーしていい?」
「……だめ」
「もう我慢できない」
「だめ!です」
「やだ。ん」
「あーーッ!」
ドゴン!
突然頭に大きな衝撃。クラっと頭の中が響く。
……この人!思いっきり頭突きしやがった!
「痛ぇ!!」
痛い。まじで痛い。この石頭!
頭突きを食らわせた本人も相当痛かったらしく、同じように頭を抱えている。
「痛い……」
「アホか!」
「どうせアホですよ私は!!」
「……はぁ。ったく、もう少しだったのに」
「なにがもう少しだ!ダメでしょこんな、外で!破廉恥な」
「家の中ならいーの?」
レンさんは首をぶんぶん横に振る。
「だめ!未成年はだめ!」
「はー? 無理無理。我慢できねーもん」
「黙らっしゃい……」
そう言ってフラフラと立ち上がるレンさん。素人目に見ても、もう浴衣がダルっダルだ。
「もう、浴衣、こんなに崩れちゃったじゃない。絶対に知り合いに会えないじゃないこんな格好。絶対なんかやってきたみたいな感じになってるじゃない」
「たしかに。せっかくだからやっとこ」
「バカなの?!」
レンさんは頭を抱えて、プスプスしながら歩き出す。仕方なく俺も歩き出す。
「……で、大和くん。帰り道はどっちだっけ?」
「ちゅーしてくれたらちゃんと送ってあげますよ」
「まだ言うか」
どの道なら人が少ないかな、こんなエロいレンさん、誰かに見せるわけにはいかねー、なんて考えていたら、頬に柔らかい感触。
ん?と横を見ると、目の前に長いまつ毛に縁取られた綺麗な目。俺の目線に気づくと、それはすぐに離れてしまった。
「え、レンさん、今」
「した。したからちゃんと道、教えて」
「……もう一回。もう一回お願いします。次はこっちに」
「いいから!早く帰るよ!」
「えー」
まぁ、これは、これで。大いなる進歩だと考えよう。
道に戻って、歩き出す。
ポツポツと人はいるが、暗いからそんなに見えないだろう。
レンさんの手を取って、指を絡ませる。
調子に乗るなと、解かれそうになる。
でも離さない。耳をまた甘噛みする。
レンさんは天を仰ぐ。
どっかの主よ、私をお救いください……
なんだよどっかの主って。
レンさんの謎の祈りの言葉に、前方をブラブラと歩いていた男が振り返る。
暗くてよく見えないが、その顔は……
「あ」
「あ」
そいつと一緒にいた、数名のグループが一斉に振り返る。
咄嗟にレンさんを後ろに隠す。
「安田君、知り合い?……ん? あれ、大和君?!」
「……おっす」
「わー!大和君だ!」
「え、大和?!」
「誰か後ろにいない?」
「誰?!彼女さん?!」
よりによって、レンさんがこんなエロい(?)時に……。
「そ。デートしてた」
「えー!!大和君ほんとに彼女さんいたのー」
「いいなー花火大会デート」
「紹介して!」
同じクラスの連中だった。
そして元凶の安田は顔を、無。にしている。
この野郎……
「催眠薬持ってきたらよかった……彼岸花取ってこようかな……」
後ろからブツブツと物騒な声が聞こえる。