第13話 バラが咲いたら
ピピピピ。体温計の音で目が覚めた。まだ家の中は暗い。
体が熱い。
ベッドの端に腰掛けたレンさんは、体温計を睨んで、メモ帳に数字を書き込む。
「俺、熱出てる……?」
「あれ。ごめん、起こしちゃったね。うん。熱上がってきちゃった。38度5分……午前2時。……ほんとにごめんね、苦しい思いさせて」
レンさんは珍しく、すごく申し訳なさそうな顔をしている。
「解熱剤持ってくるね」
「そこは植物じゃないんすか。解熱効果のある葉っぱ……とかないの?」
「ツユクサとかたんぽぽの根っことか。あるけど、成分がシンプルな薬の方が今の大和くんには安心かな」
「そっか」
よくわかんねーけど、そうなんだろう。
レンさんはすぐに1階から水と薬を持ってきた。体を起こして、口を開ける。あーん。レンさんは少し戸惑って、薬をホイッと口の中に入れた。いや、そこは優しくそっと入れろ。
それから水を飲ませてくれた。
また横になる。
ベッド横のテーブルの小さい灯りを灯して、メモに何かを書いているレンさん。その横顔が妙に切なくて、光と影のコントラストが強くって、なんだか世界史の教科書に載ってた絵……そう、レンブラントの絵画みたいだった。
あれ、俺……頭良くなってるな?今のはかなり知的な例えだった。今度安田に披露してみよう。
「……レンさん寝てないの?」
「ん。大丈夫。これ書いたら少し寝るよ」
「朝まで寝て大丈夫だよ。俺熱に強いし」
「なにそれ」
「ちゃんと寝て。心配」
レンさんは優しく笑った。それから一階にまた降りて、冷えピタを持ってきた。それを額に貼って、俺の額を撫でた。
「子供は心配しないで」
「なに急に子供扱いして。来年には成人なんですけど」
「いや、そうだけど。でも大和くんは、まだまだ先のある若い人だから。……さっきはごめんね。大和くんの気持ちを押し除けて、私、自分のことばっかりで。大人気なかったね」
「なにをいまさら」
「すみません……」
レンさんが珍しく、しゅんとしている。
「レンさん。駿河ってどんな人だったの?」
「……いいから、今は寝て」
「聞かなきゃ気になって寝れない」
暗闇の中、ソファ横のオレンジ色の光だけが揺らめいて、虫たちの静かな合唱だけが聞こえる中。
レンさんはぽつりぽつりと話し始めた。
「……駿河はね、近所の二つ上の、かっこいいお兄さんだった。いつからかな、私たちは同じように植物を操る能力を使えるようになって、2人でツリーハウスを作っちゃったりしてね。子供時代は楽しかった。でも大人になって、駿河はその力をとても悪いことに使った。想像つくと思うけど、毒草。毒ね。それは強力な毒薬を彼は作り出してしまったの。人を殺してしまった。止めようとしたけれど、絶縁までされちゃったし」
「……まじか。やべーやつじゃん」
「そうよ。やべーやつだよ」
「それでも忘れられないの? 駿河と付き合ってたわけじゃないんでしょ?」
「うん。私の片想いで終わっちゃった。でも忘れられない」
「じゃあ、忘れなくていいよ」
「え?」
「その代わり、これから俺と楽しい思い出作りましょ」
レンさんは少し驚いたような顔をして、それからへなっ、と笑った。
「……そうだね。楽しい思い出つくろうね」
レンさんの手に、手を重ねた。
華奢ですべすべしてて、ひんやりしているその手。
その冷たさが、気持ちよかった。
◇◇◇
空が明るくなって、目が覚めた。
熱は引いていた。ソファ横のテーブルにおいてあるメモには、午前3時、4時、5時……と、1時間刻みに体温が記録されていた。結局寝てないな、あの人。
1階に降りると、庭へと続く窓のカーテンが揺らめいていた。窓を全開にすると、まだ黄色っぽい空があって、半袖Tシャツにハーフパンツだと少し肌寒いくらいの気温、すっかり夏は終わったんだなぁと感じた。
まだみんな目覚めていない、静かな、透明な朝。
ブランケットを羽織ったレンさんが庭の植物たちを見回っている。
「おはようございます」
レンさんがくるっと振り返る。俺の様子に安堵したようで、いつもの明るい笑顔を見せてくれた。
「大和くん、おはよう!具合どう?」
「おかげさまで、いい感じです」
「よかったぁ」
レンさんが用意してくれた俺専用のサンダルを履いて庭に出る。レンさんは羽織っていたブランケットを俺にかけようとする。
「いいっすよ、レンさんが寒いでしょ」
「病み上がりだから、ほら、かけて」
「じゃあ一緒にかけよ」
ブランケットの端をレンさんの肩にかけて、反対側を自分の肩へ。レンさんは口を尖らせて、ブランケットの端をキュッと握った。
「庭。異常ありませんでした?」
「うん。あ、でもね。待望のアレが!ついにお目見えです!」
「アレ?」
レンさんはルンルンと庭の一角へ。指さした先にあったのは、俺でもわかるくらい有名な植物だった。
「トゲがある。バラ?」
「そうー!秋バラの!季節ですよ!見てー、ツボミ!ほら、こんなにツボミ!」
「秋バラ?レンさんの力使えばいつでも咲かせられるんじゃないの?」
そういうとレンさんは、非常に残念なものを見るような、大変失礼な顔をした。
「バラはねぇ、手入れして咲かせるから楽しいの。なんの苦労もなく咲いても感動がないのよ。ちゃんと剪定して、肥料やって、剪定して、冬を、夏を越して、それでやっと咲いた花を!香りを!独占できるこの時間が!いいんですよ」
「ふーん」
「なによ興味なさそうにして」
「じゃあこのバラが咲いたら、その時間、俺も一緒に楽しませてくださいね」
同じブランケットに包まれたレンさんは、照れくさそうに頷いた。