第11話 樟脳と煩悩
「サトウタイキ、強かったねぇ。私も意識飛んじゃったしなぁ。でも大和君の暴走モード、見てみたかったなぁ」
「アレすごかった。心臓がバクンバクンいって、身体中の血が沸騰したかと思った。アイツのアッパー受けてもちっとも痛くなかったし」
「でしょー!効果抜群でしょー!」
「あとは持続時間だな。持続時間の改善を求む。無敵モードが終わった後全然体に力入らなくて、こんな全身ボロボロにされちまった。安田が止めに入らなかったら、まじでやばかったな……」
バスタオルを敷いたソファの上に寝転がり、レンさんの『治療』を受ける。いつものように、レンさんはソファの横に膝をついて、俺の体に葉っぱをあてまくる。
「了解です。持続時間ね……」
「今日はツワブキに……これなんの葉っぱ? におう」
「クスノキ。樟脳……カンファーの匂い。防虫材に使われたりする。懐かしいにおいしない?」
「あー。じいちゃん家のタンスのにおいだ」
「このにおい苦手?」
「いや、嫌いじゃない」
「よかった」
レンさんはえへっと、にっこり笑う。……かわいい。
「……ところで今ニュースでさ、とある住宅が突如ツタや木の根っこに覆われて、住人が家から出られなくなるっていう珍事件がやってるけど。レンさん何か知ってる?」
「ううん?」
「その家、この町にあるらしいんだけど。ヘリコプターの音がするね。テレビ局がきてるのかな」
「ほんとだ、そういえば音がするね」
「しかもその家、玄関のドアに『呪い』ってでっかく書かれた紙が貼ってあるらしいよ。こえー」
「へぇ、呪いだなんて。怖いねぇ」
「ほんとにこえーよ!」
テレビには某ラピュータのように緑に覆われた一軒家が映っていて、ワイプには頭を抱えた専門家らしき人物が映っている。
「これは大変だねぇ。サトウ家は引っ越すしかないねぇ。呪いなんてかかれちゃったら、ご近所の目もあるし遠くに引っ越したくなるよねぇ」
「そうっすね……でもレンさんは、なんでこの家がサトウ家ってわかんの?ニュースには名前、出てないですよ」
「はい!頭に顔に、お腹は終わったよ。あと痛いところは?」
ニコニコしてシラを切るレンさんにムカついて、ちょっと意地悪をしたくなる。
「レンさん。ここ。ん」
「どこ?」
「ん」
「唇?」
「うん。痛いから、早く触って治して」
「さっき顔は見たじゃない。口はなんともなってないよ」
「やっぱり痛い。ここ」
レンさんの指をとって、唇に当てる。レンさんは不思議そうな顔をしている。
「えー、口の内側かなぁ……?」
俺の口を開けようとする、レンさんの細い指を軽く噛む。
ひえっ!なんて色気のない声をあげるレンさんの目を見ると、パッと目を逸らされた。
「なんで目ェ逸らすの」
「なんで噛むの!」
「だってレンさんがさぁ」
レンさんはふくれて、親指の腹で俺の唇をぐりぐりとした。
「大人をからかうんじゃありません」
「レンさんって本当に大人かなぁ。さっきだってだいぶ大人気なかったよね。サトウに催眠かけて動画撮って、シラフに戻してその動画見せて、また催眠かけて戻して。サトウのやつ、これが夢なのか現実なのかわからなくなって錯乱しちゃって。最後はボロボロ泣いてたじゃん。まじでこえーよ」
「しょうがないよ。これも立派な教育だよ。いやぁ今日はしっかり教育しちゃったなぁ。私しっかり大人だわ」
「はいはい25歳」
ニュースには相変わらず怪奇現象の起こった家が写っている。きっとこの中には、二度とサトコちゃんや安田や俺、レンさんに近づかないことを心に強く誓った、ボクシング少年が閉じこめられているのだろう。
まったく、「周りにいる人を裏口から避難させて」と頼んだのに、なぜかレンさんは手慣れた手つきで周りの人間を眠らせて、前後の記憶を曖昧にするという見事な技を披露してくれた。
いや、避難=催眠じゃねぇんだよ。どんな思考回路してんだよ。それでなんで手慣れた手つきなんだよ……
目覚めた店員は何も覚えておらず、サトウの取り巻きたちは「ゲーセンにいたらヒグマに襲われた」と謎の言動を繰り返していた。
「聡子さん、外出れるようになるといいね」
「もー大丈夫でしょ。なにかあれば助けてくれる奴がいるって分かったから」
「そうだね。ヒーロー安田の誕生だ」
レンさんはリビングの窓を開ける。カーテンがなびいて、ひんやりした夜風が部屋に流れ込む。それにしても日が暮れるのが早くなった。もうすっかり夜だ。ジジジジ…と虫の声が聞こえる。
お袋はすでに帰ってるかもしれない。そろそろ帰らないと電話かかってきそうだな。うるせぇもんな、あの人。でも今日は、なんとなく、帰りたくないんだよな……。
体を動かすのがダルいし、夜風が気持ちいいし、何よりここにはレンさんがいる。
ずっとここにいたい。
レンさんはしばらく夜の空を見上げて、それから窓を閉めて戻って来た。そしてソファに寝転んだままの俺の顔をグイッと覗き込んだ。
ポニーテールにまとめられた茶色い髪が、ハラリと背中から落ちてくる。
「大和くん」
「んー」
「今日はうちに泊まってこうか」
「んー???」
花火大会デートを前に、突然のお泊まりイベントが発生した!