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急募! 弟子にしてと迫ってくる馬鹿者を追い払う方法

作者: ときちゃん

ご閲覧ありがとうございます。思い浮かんだので書き殴りました。


短編のつもりで書きましたが、1万字を超えていますのでお時間に余裕のある時に覗いていただけると嬉しいです。


次からは途中でとまっている長編の続きを書いていきますので、そちらもよろしくお願いします。

 200歳を超えたヴィラレアールナが師匠の遺言で譲り受けたのは、研究室付きの家だった。


 隣人は獣と言っても過言ではない森の奥、苔むした滑滝と蒼い八重の花が咲くそこは、人間が出す雑音が嫌いな彼女にとって天国のような場所だ。


 王都の魔術研究所を退身して移り住んだ師匠の家は、病に倒れた家主が都内の治療院に運ばれて以来人の出入りがなかった為、なぞれば文字が書けるほどの厚い埃をかぶっていた。


 掃除に適した魔法をいくつか習得していたヴィラレアールナにとって、1人での片付けなど造作もないことだが、幼い頃から幾度となく訪れたここを、家主の指示なく隅々まで綺麗にするのはとても寂しい作業だった。


 傷んだ家、壊れた家具を修繕しつつ、自分好みにつくり変えてから早数十年。


 師匠が使っていたベッドからほのかに香っていたコロンは完全に消えた。代わりに彼女が持っている魔物除けの匂い袋の匂いが染みついている。


 師匠が愛用していた魔道具はとうに壊れ、修復できる人間も死んだ。だから使いやすい新しい魔道具を一式揃えている。


 師匠が好んでいた朝露を編んだストールは劣化してやぶれた。今は少しデザインが古い、夕凪にさらしたローブを羽織っている。


 長年連れ添った家主を失い、新たな家主の家へと生まれ直した〈蒼鱗の魔女の家〉のテラスで、一通りの仕事を終えて適度な疲れを覚える頃に、小鳥たちの囀りを聞きながら微睡むのが、ヴィラレアールナには何よりも幸せな時間だった。


 そう、幸せな時間だったのだ。


 突然漏れ出した魔界からの瘴気。穏やかなはずの魔物たちの暴走。それらが生み出す甚大な被害。


 さらなる浸食による被害を恐れた王は、遥か昔に行われていた聖女召喚の儀式を行うと決め、実行に移した。


 そして聖女は召喚された。


 その召喚された聖女こそが、ヴィラレアールナの幸せな時間を奪う、無垢で無邪気な魔人だったのだ。




 ✡ ✡ ✡ ✡ ✡




「ねーねーヴィラレアールナさーん、弟子にしてってばー」


「弟子は取らんと何度言えばわかるんじゃ……」




 午後の3時を過ぎた頃、普段ならば日課である昼寝をしている時間帯に、騒がしさと王都のお菓子をお供に小さな魔人は現れた。




「もー強情なんだからー。ヴィラレアールナさんぐらいの大魔女なら弟子の1人や2人取ってるのが普通なんでしょ? あたしを一番弟子にしてよー」


「取らんしいらんし邪魔じゃから帰れ」




 師匠が遺した家具の1つである揺り椅子を占領しているのは、半年前、わずか10歳で召喚された聖女ミツカだ。


 用があって王都に行っていたヴィラレアールナをなぜか気に入り、2、3日置きに〈蒼鱗の魔女の家〉に突撃しては弟子にしろと迫ってくる変わり者である。


 この国の歴史に名を残している聖女は合計6人。彼女たちは国中の瘴気の浄化や神への祈り、怪我人の治療の為に1日を使い、王都の外に出る余裕はほとんどなかったと記されている。


 なのにこの幼い新米聖女は頻繁にここに通っている。それはなぜか。理由は極めて単純だ。




「お前さん、この間来た時魔石に魔力を込めねばならんと言うとらんかったか?」


「言ったよ? 聖女の力を各地に届ける為の魔石をたっくさん用意してって王様に頼まれたんだぁ」


「国中に行き渡らせる為の魔石じゃろう? こんなところで油を売っとらんで、早う帰って用意せんか」


「もう終わったもーん。ちゃんと予備も準備したもんねー」




 偉いでしょ? と微笑むミツカに、はあ、とヴィラレアールナはため息を吐き、眉間を抓んだ。


 多忙であるはずのミツカが頻繁に王都を離れられるのは、彼女がその身に宿している魔力の膨大さ故だ。


 歴代の聖女たちが任されている聖務の中で、最も魔力を消費するのが魔石への魔力込めだと言われている。


 聖女の力を宿した魔石は王国各地に配置され、瘴気から人々を守る結界の役割を果たし、時には暴走した魔獣を鎮める為の道具としても使われてきた。


 しかし、王国全土に行き渡らせるのに充分な量の魔石を用意するのは容易くはない。短くて20日、長くて1か月もの時間を費やして、聖女たちはその聖務をこなしてきた。


 それほどの激務である魔力込めを、現代の聖女であるミツカはわずか2日で終わらせることができるのだ。




「はいはい、偉い偉い。偉いついでに神への祈りでも捧げてきたらどうじゃ?」


「それは明後日の予定だよ」


「怪我人はおらんのか?」


「ここ最近は運ばれてきてないよ。魔石がすっごく頑張ってくれてるみたい」


「王国の歴史を学ぶのは?」


「魔女の歴史なら習いたいなぁー。もちろんヴィラレアールナさんにー」




 揺り椅子から立ち上がり擦り寄ってきた聖女を、魔女は少し冷めた目で見下ろした。


 300歳を間近に控えているヴィラレアールナだが、その容姿は30歳前後と思わせる若さを保ち、肌を一切露出させない服装でも隠し切れない妖艶さを放っている。ミツカと並び立てば親子と言っても通じるだろう。


 キラキラした瞳で見上げてくる聖女の額を、近づくなと言わんばかりに魔女は指で弾いた。




「ァ痛!」


「貴様! 聖女様になんたる無礼を! 恥を知れ!」




 痛みによろめいたミツカに駆け寄りながら、少女の背後に構えていた男が吠えた。きょとんと、ヴィラレアールナが目を丸くする。




「ああ、クラリオか。そういえばお前さんも来ておったな。あんまりにも静かじゃから忘れておったわ」


「なんだと!」




 あっはっは、と笑う魔女に、男は声を荒げて腰の剣に手を伸ばした。


 クラリオ・カフィリム。王都を守る王国騎士団の部隊の1つ、エンブレア隊の副隊長を務める優秀な若者だが、我儘な聖女の護衛に任命されて振り回されている哀れな男。


 それが、ヴィラレアールナが彼に抱いている印象だ。




「聖女様の御身に傷をつけるなど言語道断! 土に膝をつき頭を垂れ謝罪をせねば叩き切るぞ!」


「うん? 聖女よ、怪我をしたのか?」


「ううん、大丈夫だよ」




 ほら、と聖女は前髪を両手でわけて見せた。




「もう、クラリオさんは心配しすぎ。ヴィラレアールナさんがあたしに怪我させるわけないじゃない」


「ですが、聖女様にこのような……」


「あ、やばい。もう帰る時間じゃん」




 ポーンと時刻を知らせた振り子時計に、ミツカは慌てて揺り椅子の背にかけていたバッグを引っ掴んだ。




「今晩ね、なんか偉い人と食事をする約束があるから早く帰りなさいって王様に言われてるんだ。だから帰るね。本当は泊まりたいけど」


「そうかそうか、王命ならば従わねばならんな。早う帰れ、そら帰れ。それと、次来ても泊まらせんからな」


「貴様……!」




 しっしっと、ヴィラレアールナは追い払うように手を振った。カッと眉を吊り上げたクラリオの語気が怒りに震える。そんな彼の服の裾を、ミツカはくいっと引っ張った。




「クラリオさん、早くポータルに行こうよ。急がなきゃ走らないといけなくなっちゃう」




 ミツカが言うポータルとは、〈蒼鱗の魔女の家〉から少し離れたところにある、森と王都を繋ぐ設置型の魔道具だ。


 騒がしいのを嫌うヴィラレアールナはこれの設置を嫌がったが、万が一の際に転移魔法を使えない者でも駆けつけられる手段が必要だと説得され、1日に1回、30分間だけ使用可能にするという条件のもと、家からは見えない位置に放置してあるのだ。




「しかし聖女様……」


「いいからいいから、早く帰ろう。ヴィラレアールナさん、お菓子は食べちゃっていいからね。また明後日違うの持ってくるから」


「明後日は祈りの日ではなかったか?」


「あ、そっか。じゃあ明明後日来るねー」


「来んでいい」




 バイバーイ、と手を振るミツカと、花壇に放り捨てられた生ゴミでも見つけたかのような目で睨みつけてくるクラリオに手を振ったヴィラレアールナは、2人の姿が見えなくなってようやっと安堵の息を吐き、わずかに温もりが残る揺り椅子に腰かけた。


 サイドテーブルに置かれた菓子入りの小さなバスケット。クッキー、フィナンシェ、マドレーヌ、カヌレと、種類は様々だがどれも片手で食べられるものが選ばれていて、ミツカの気遣いが見て取れる。


 用意したカップは3つだが、飲み干されたもの、半分残っているもの、手をつけられてすらいないものとそれぞれ違う顔をしており、ヴィラレアールナはくすりと笑いながら残り半分のカップを手に取った。




「冷めてしまったなぁ。……ん?」




 ぬるいハーブティーを1口含み、一眠りしようと瞼を閉じたヴィラレアールナが顔を上げた。風が運んでくる魔素に生じた、わずかな乱れを感じ取ったからだ。


 小鳥たちが騒がしく鳴いて飛び交い始める。木陰から不安げな表情をした妖精たちがこちらを覗く。鹿やリス、カーバンクルなどの動物たちが、次々と滑滝に集まってきては身を寄せ合っている。




「はあ……」




 心底面倒くさそうに立ち上がったヴィラレアールナが、パチンと指を鳴らした。


 独りでに開いた窓から、乳白色の柄と白銀の穂先を持つ箒が飛び出し、ほどよい高さで滞空する。鹿の親子の隙間をすり抜けて現れた長毛の黒猫が、滑滝の水面に飛び石のように浮かび上がった魔法陣を足場にこちらに渡ったかと思うと、ピョンと箒に飛び乗った。




「5体だ」




 愛らしい見た目には似つかわしくない、渋く低い声。




「わかっとる」




 クッキーを齧りつつ、カヌレを1つ黒猫に差し出す。両前足を腹の毛で拭いた黒猫は素早く受け取り、口いっぱいに頬張った。




「行かにゃならんかのう」




 独り言た魔女は箒に跨り、体内の魔力を穂先に注ぎ込んで、黒猫を落とさないよう気づかいながら、テラスの床を軽く蹴った。




 ✡ ✡ ✡ ✡ ✡




「聖女様、もうここに来るのはおやめください。あの魔女は無礼の塊のような女です。聖女様に悪影響しか与えません」


「またその話ぃ〜?」




 蒼い花畑を抜け、ポータルがある切り株の広場までの帰路の途中、行きにも聞いたクラリオの小言にミツカは唇を尖らせた。




「どうしてそんなにヴィラレアールナさんのこと嫌がるの? 立派な魔女なんでしょ?」


「……実力は認めますが、問題なのは性格です。王都にも魔女はいるんですから、気立てのいい気品のある者と親交を深められた方がよっぽどあなたの為になりますよ」


「むぅ〜……」




 不満げに唸ったミツカは、足もとにあった小石を蹴飛ばした。




「あたしはヴィラレアールナさんがいいのにぃ……」


「そもそも、聖女様ともあろう御方が魔女に弟子入りするなどありえません。真逆の存在なのですから」


「わかるけどさぁ〜」




 魔力を癒しや守護の為に使う聖女と、呪いや攻撃の為に使う魔女は対極の存在。例え親しくなれたとしても、交わるなど以ての外だ。




「……つくっちゃおっかな、前例」


「今なんと?」




 ぽつりとこぼれた聖女の呟きを、クラリオは耳聡く拾い上げた。




「前例をつくるとおっしゃったのですか? 聖女でありながら魔女になると? 本気で?」


「え? えっとぉ……」




 いつにない雰囲気を放つ男に、ブツブツと沸き立つ泡のように不満を連ねていたミツカは口ごもった。虎の尾を踏んだのだと、幼いなりに察したのだ。




「あなたの力は素晴らしいです。魔力込めという大変な聖務も難なくこなされますし、肺を裂くほどの深い傷を負った私の部下も一瞬で治してくださいました。それほどに功績を上げているあなただからこそ、王はある程度の自由を許してくださっているのです。ですが! 魔女への弟子入りなど! 絶対に! ありえません!」




 静かながらもはっきりとした怒りを滲ませていたクラリオの言葉が爆ぜ、轟いた。そのあまりの大きさにミツカは両耳を塞ぐ。次いで聞こえてきたのは怒声ではなく、困惑気味な声だった。




「な、なんだ?」


「え?」




 伏せていた顔を上げたミツカは、クラリオが空を見上げていることに気づいた。その視線を追って、目を見開き、尻もちをつく。


 空は変わらず晴れている。しかし、蒼を遮る影が在る。


 羽ばたきと共に雷鳴を鳴らす魔鳥。鉤爪が、くちばしが、射抜く眼が、翼を持たない地の者を捉えていた。




「サンダーバードだと?!」




 聖女を庇うように立ったクラリオが剣を抜く。魔力を注ぎ込まれた剣身が炎を纏い、眩しさと熱気から顔を逸らしたミツカは、別の脅威を目にして絶句した。




「ク、ク、ク、クラリオさん!」




 腹の底からの悲鳴に振り返ったクラリオが舌打ちをする。背後から迫っていたのは、剥き出しの牙の隙間から唸り声を漏らす双頭の魔犬、オルトロスだった。


 正面のサンダーバードと背面のオルトロス、双方への警戒を怠るわけにはいかない状況に、男の額に汗が伝う。ちらりとポータルがある方角へと視線をやるが、木々に隠れて見えなかった。




(なぜこのランクの魔物がここにいる? 結界の力は弱まってなどいないはず……。いや考えるのは後だ! まずは聖女様を守らなければ!)




 剣を握り直し、土をしっかりと踏み締める。ジャリ、と小石の擦れた音が、始まりの合図となった。


 巨鳥が新たな雷を纏い、魔犬が二重の咆哮を上げる。クラリオは最初の一薙ぎでしならせた炎の鞭でサンダーバードの両目を打ち、次の一薙ぎでオルトロスの首を1つ、斬り落とした。


 甲高い2種の魔物の絶叫が大気を震わせる。クラリオはミツカを抱え上げ、ポータルに向かって駆け出した。




「ポータルが見えたら走ってください! ここは私が食い止めます!」


「だ、駄目だよ! 一緒に帰ろう!」


「奴らがポータルをくぐるのを防がねばなりません!」




 吠えるように返したクラリオの足に激痛が走った。肉を裂く痛みに堪えきれず転倒し、ミツカの小さな体が転がる。起き上がった聖女の目に映ったのは、新たな雷撃を放とうと魔力を込めるサンダーバードと、斬り落とされた頭を再生させたオルトロスの剥き出しの牙だった。




「〈我願う! ここに守護あれと!〉」




 足を庇いながら立ち上がろうとしたクラリオの正面に回り込み、両の掌を突き出したミツカが詠唱を唱える。宙に描かれた魔法陣から光の筋が伸びて2人を包み込むと、放たれた雷撃を跳ね返した。




「大丈夫?!」


「も、申し訳ございません……」




 足をやられたことも然ることながら、守るべき聖女を前に立たせてしまったことへの己の失態にクラリオは唇を噛んだ。そんな護衛の姿に眉を下げたミツカは、右手を彼に向けて瞼を閉じた。




「〈我願う。彼に癒しあれと〉」




 小さな魔法陣が現れ、砕ける。砕け散った光の粒は、蛍のように舞ってクラリオの患部に寄り添うと、血をとめ、皮膚を塞いだ。




「凄い……」




 服の裂け目から覗く足が見る間に癒えていく様に、クラリオは思わず呟く。しかし惚けていた彼の意識は、ギリギリという不快な異音に即座に引き戻された。


 ミツカの張った結界に覆いかぶさるように飛びかかったオルトロスの牙が、中の獲物を狙って喰い込んでくる。上空を旋回しているサンダーバードは攻撃こそ仕掛けてこないが、その鋭い目は結界の破壊と同時に獲物を掻っ攫おうと鋭く光っていた。


 輝く結界はつけられた傷を瞬く間に修復していくが、これではまるで牢獄だと、クラリオは舌打ちをした。




「ど、どうしたらいいの? クラリオさん、あいつら倒せる?」


「……隙さえあれば。しかしこちらに集中しているオルトロスには望めないでしょうし、何よりサンダーバードもいます。2体が同時に私たちから気を逸らすことなど……」




 ありえない、と続くはずだったクラリオの言葉は、突如地表に現れた影に遮られた。


 警戒の声を上げたサンダーバードが急旋回して逃走を図り、人間しか見ていなかったオルトロスは反応が遅れた。


 落石の如く降ってきたのは、鮮血滴る7級もの魔犬の生首。内4級はオルトロスと同種だが、他の3級はより凶悪な面を死相で歪めている。


 乱雑に降り注いだそれらは未だ結界への攻撃をやめない魔犬に直撃し、思わぬところへの衝撃を喰らったオルトロスは悲鳴を上げて後ずさった。




「オルトロス2体とケルベロス1体の頭じゃ。暇つぶしには丁度いい相手じゃったぞ」




 ケラケラという笑い声と共に現れた、箒に跨る魔女と猫。魔女の右手は親指と中指、薬指の指先同士がくっついて円を作っており、彼女らの真横には逃げたはずのサンダーバードが逆さに吊るされるように浮いていた。




「ヴィ、ヴィラレアールナさぁーん!!」




 今にも泣き出しそうな鼻声でミツカが叫ぶ。情けない顔をする聖女を見て、やれやれ、と笑った魔女は指先を開いた。


 ぐらりと揺れた魔鳥が落ちる。重力に逆らうことなく、羽ばたきもせず、8個目の落石となって地を揺らし、力なく翼を投げ出して伏せた。


 あらぬ方向へと折り曲げられた魔鳥の首がミツカを向く。ヒッと息を呑んだ聖女の視界を遮るように、箒から飛び降りた黒猫が結界の外に立った。




「クラリオ殿の後ろに回りなさい。幼い娘が見るものではないよ」


「は、はい!」




 仔兎のように跳ねたミツカがクラリオの背後に回り込む。カタカナと震える肩に手を添えたクラリオは黒猫と魔女を交互に見やり、剣を収めた。


 切り落とされた魔犬の首。首を折られた魔鳥の骸。その只中に立つオルトロスは上空のヴィラレアールナに向かって牙を剥いて唸っているが、尾を後脚の間に巻き込み耳を倒している姿は明らかに弱者の様だ。


 両者の間に在る、越えようのない強者と弱者の壁。自分の出る幕はないと、クラリオは察した。




仔犬(パピー)よ、選ぶがいい。あっさりと死ぬか、苦しんで死ぬか」




 弧を描く唇に人差し指を添えた魔女が問う。嘲笑と受け取ったのか、はたまた途切れぬ悪寒を振り払おうとしたのか。オルトロスは動いた。


 大地を踏み締め、魔犬が跳ぶ。魔女は動じず、人差し指をくるりと回した。




「〈葉の先か、日の目か、冷眼か。否、血塗る我が風刃なり〉」




 ざん、と、二重の鈍い音。瞬きすら忘れていたクラリオの目に、空の青を背に赤が散った。




「クラリオさん? どうなったの? ヴィラレアールナさんは?」




 クラリオの腰にぎゅうと顔を押しつけていたミツカは、何が起こっているのか見当もつかずに服を掴む手をさらに握り締めた。




「ま、魔女は無事です。魔獣たちは……」




 一度聖女に目をやったクラリオが再び正面に顔を戻せば、落ちているはずの魔獣の骸は跡形もなく消えていた。目を丸くする男の足もとで、黒猫が前足の肉球を泥を払うようにパンパンと叩いている。滑らかな動きで降りてきた魔女が、とん、と箒から飛び降りた。




「もうおらんよ。目を開けてよい」


「……わかった」




 おずおずと、ミツカはクラリオから離れた。きょろきょろと周囲を見回し、ヴィラレアールナを、クラリオを、黒猫を順に見やってから、結界を解く。




「魔獣たちはどこに行ったの?」


「王都の研究所に転送しておいた。正確には研究所の庭じゃがの」




 事も無げに魔女が言う。




「あ奴らは最近ここいらにやってきた新参者じゃ。縄張り争いに敗れて逃げてきた弱き個体よ。害をなさん内はと放っておいたんじゃが、ま、害をなしたから仕方がない。いい素材じゃから研究所の奴らも喜ぶじゃろうて」




 くすくすと笑う魔女の横に滞空している箒に、ひょいと黒猫が飛び乗る。くわあ、と欠伸をした小さな口から、マッチサイズの炎が漏れた。




「ほれ、早う帰れ。ポータルが閉まってしまうぞ」




 魔女はローブの中から取り出した懐中時計の文字盤を2人に見せた。2本の針が示す時刻を見て、聖女と護衛の目が開かれる。




「い、急ぎましょう聖女様! 走らないと!」

「うわぁーん! 結局走らないといけないなんてぇー!」




 バカ犬ー! アホ鳥ー! と叫んだミツカが走り出す。追いかけたクラリオはすぐに立ち止まると、ヴィラレアールナを振り返った。




「おい魔女! 聖女様をお守りしたこと感謝する! 王都への素材の提供もな!」


「ん? お、おぅ、気にせんでいいぞ」




 敵意を剥き出しにしていた男からの礼に目を丸くしたヴィラレアールナは、彼女にしては珍しく歯切れの悪い返事をした。くるりと踵を返したクラリオの背が木々の向こうへと消える。


 箒の上で器用に顔を洗っていた黒猫が、おい、と魔女に声をかけた。




「もう用はないだろう。帰るぞ」


「わかったわかった」




 せっかちじゃのう、と呟いて、ヴィラレアールナは箒に跨る。地面を蹴って浮かび上がり、木々より遥か上まで飛ぶと、ポータルが設置されてある方角に目を向けた。


 木の隙間からわずかに覗くポータルの淡い光が、一瞬強く輝いて消えた。聖女と護衛がくぐった瞬間、ポータルが閉じたのだ。




「やれやれ」




 両手の指を絡め、掌を空に向けて体を伸ばしながら、息を吐く。心なしかすっきりとした魔女は、両腕で黒猫を包み込むように柄を握り、〈蒼鱗の魔女の家〉に進路を変えた。




 ✡ ✡ ✡ ✡ ✡




「えっと、これは魔物研究所の所長さんからで、こっちは魔術研究所のみんなから。これが騎士団長さんからと王様からで、最後のがあたしから!」


「多い多い多い、多いっちゅうに」




 あれから3日、再び現れた聖女は王族から預かった魔道具を、斜めがけバッグの形をしたアイテムボックスから大量の品を取り出し、〈蒼鱗の魔女の家〉のテラスに几帳面に並べていった。


 魔物研究所の所長からは、オルトロスとケルベロスを象った結界の力を強める為の置物。


 魔術研究所の皆からは、サンダーバードの羽根を使った髪飾りと羽根ペン。


 騎士団長と王からは、感謝状と大粒のエメラルドがついたネックレス。


 聖女からは直接シンプルな箱を手渡され、ヴィラレアールナは目を細めながら蓋を開けた。




「……なんじゃこれは」




 鳥の巣のような緩衝材の上に乗っていたのは、使い勝手のよさそうな大きさの四角い手鏡だった。しかし、覗いてみてもはっきりと映らない。


 薄っすらと自分のシルエットを映し出すだけのそれに、魔女は首を傾げた。




「それはね、最近王都で発売された魔動タブレットだよ。タブレット同士で会話ができるし、画面はちっちゃいけどテレビも観れるんだ。あとは匿名で質問できるページもあって、質問すれば他のタブレットの持ち主が教えてくれたり、一緒に考えたりしてくれるよ」




 説明を受けて、ヴィラレアールナは早速魔力を込め始めた。スイッチの入れ方や操作方法をミツカから習い、その通りに指を動かす。


 一通り習い終えてから最後に開いたのは、【アリアナの質問箱〜あなたの質問なんですか?〜】という、質問と回答を求めるページだった。




「ほぉ〜、最近は便利な物が売っとるんじゃなぁ」


「アリアナって人がページ主で、回答がつかない質問には自分で調べて返事をくれたり、質問そのものをピックアップしていろんな人に気づかれやすくしてくれるんだ。あたしも結構使わせてもらってるんだよ」




 なるほどのぅ、とヴィラレアールナは返し、後でまた詳しく見てみようと、タブレットを箱に戻した。




「あ、確かクラリオさんも持ってきた物があるんだよね?」




 思い出したようにミツカが振り返れば、はい、と頷いたクラリオが丸められた羊皮紙を片手に近づいてきた。




「改めて礼を言わせてもらう、魔女ヴィラレアールナよ。聖女様をお守りしたお前の働き、王も喜ばれていた」


「そうかい」




 興味なさげにマドレーヌを齧る魔女の眼前に、クラリオは羊皮紙を突きつける。




「そして私は王から直々に王言を賜った。これを見よ」




 はらり、と羊皮紙を留めていた紐が解け、羊皮紙が広げられる。金のインクで捺された王室の紋章が視界に飛び込んできて、ヴィラレアールナは顔をしかめた。




「王言なんぞどうでもよいんじゃが……。なになに? クラリオ・フォルテミスを王国騎士団エンブレア隊副隊長の任から外す、か。なるほどのう。……なんじゃとぉぉぉっ?!」




 いくつか書かれてある文章の1つを音読し、魔女は絶叫した。初耳だったのか、その脇で聖女もあんぐりと口を開けている。屋根の上で日向ぼっこをしていた黒猫が、なんだなんだと顔を覗かせた。




「え? え? なんで? なんでクラリオさんがクビなの? え? なんで?」


「クビではありません。次の文章を読んでください」




 促され、魔女は腰を屈め、聖女は背伸びをしながら、頬をくっつけ合わせて羊皮紙をまじまじと見た。




「最長3年、副隊長の任を代理に預けることを許可する。目的が達成されれば即座に王国騎士団に戻り、副隊長としての任に務めよ、と書いてあるな。なんじゃ? 目的とは」




 奇妙な王言に眉をひそめたヴィラレアールナがクラリオを見上げれば、フン、と男は鼻を鳴らした。




「私は今まで騎士団員として、エンブレア隊の副隊長として日夜腕を磨いてきた。魔術においても学びや鍛錬を怠ったことはない。しかし、いざ1人になった時、私は弱いのだとあの日思い知らされたのだ」


「いやいや、あのランクの魔獣2体を相手に首を斬り落として目眩ましができたんじゃから大したもんじゃぞ?」


「そうだよ、あたしだけだったら一瞬で食べられてたもん。結界が間に合ったとしても逃げられなかっただろうし」


「それに、ポータルからわしの家までは結界が張ってあるからと軽装で来たんじゃろ? もうちっとマシな装いをしておったならもっと戦えたはずじゃて。お前さんは弱くなどないわい。ケルベロスが結界に穴を開けるなど予想外もいいとこじゃ」


「だとしても!」




 己の弱さを否定してくる2人に、クラリオはぐっと息を呑んで、吠えた。




「どのような状況にあっても聖女様をお守りできなければ意味がない。護衛としての価値がないのです。だから……」




 聖女を見据えていた護衛は、すっと魔女に視線を移す。




「私は一度騎士団を離れ、魔法と魔術を磨き直すことにした。王が下さった3年の間に! 貴様のもとでな!!」


「なぜそうなる?!」




 節くれだった男の人差し指に指された魔女が吠え返した。


 聖女の弟子入りを拒んできたというのに、なぜ護衛を弟子に取らなければならないのか。しかも自分を毛嫌いしているであろう男を。




「ちょっと! なんでクラリオさんが弟子になるのよ! ヴィラレアールナさんの一番弟子はあたしなのよ?!」


「聖女様、何度もお伝えしている通り、聖女であるあなたは魔女にはなれません。代わりに私がこ奴めの知識と技術を盗みますのでご安心を」


「男だって魔女にはなれないじゃない?!」


「ええ、なので魔術士として弟子入りします」


「いやー! あたしが弟子になるのー!!」




 叫び声を上げながら、ミツカは握り締めた小さな拳でぽかすかと男の胸を叩く。クラリオは抵抗も静止もせず、微動だにもせずそれを受け入れている。




「騒がしくなるな」




 いつの間にか屋根から降りていた黒猫が、咀嚼していたフィナンシェを飲み込んで言った。魔女は無言のまま、くるりと指を軽く振って、手もとにタブレットを浮遊させる。


 黒くなっていた画面に触れ、起動させる。明るくなったページには、最後に見ていた【アリアナの質問箱】がそのまま残っていた。




「……役立てよアリアナ」




 誰に言うともなく呟き、すいすいと指先を画面に走らせる。初めて見る魔道具のはずなのに、滑らかに文字が入力されていく。




【急募! 弟子にしてと迫ってくる馬鹿者を追い払う方法 質問者∶V・D】




 質問が投稿されると、チリンと鈴の音が鳴った。小さな音だったせいで、未だに声を荒げている2人の耳には届かない。


 質問文の隣に表示されていた0の数字が、1、3、7、10と増えていく。再びチリンと音が鳴ると、回答欄にコメントが1つ書き込まれた。




【回答者∶A・C 無理よ。諦めなさい】




 カチンと、ヴィラレアールナのこめかみに青筋が浮かぶ。チリンと新たなコメントがついた。




【回答者∶S・S 抵抗するだけ無駄じゃない? わかってるくせに】


「……匿名のはずなのになぜこっちを知っているような返事が来るんじゃろか」




 あ゙ぁ゙ぁ゙〜、と濁った声でため息を吐いたヴィラレアールナは、タブレットをテーブルに置いて揺り椅子に腰かけた。腹の毛で前足を拭った黒猫がタブレットを覗き込み、ふむふむと頷いている。


 聖女と護衛の攻防はまだ続いている。チリンチリンと、【アリアナの質問箱】にコメントが並んでいく音がする。


 静寂を好む魔女は、いつになく騒がしい我が家に絶望を覚えつつ、わしゃもう知らんと両耳を塞いだ。

ここまでお読みくださりありがとうございました。


少しでも面白いと思っていただけたなら、活力となりますので下の星から評価していただけると嬉しいです。

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