32
「……は??」
見間違いかと思い、目を擦る。
もう一度、倒れている人間を見る。
やはり、恋だ。
(え、なんでこの人こんなとこでこんな事になってんの????)
わけがわからない。
それでも、なにかトラブルがあったことは明白だった。
瞬時に周囲の気配を探る。
敵意や殺意のようなものは感じ取れない。
人の気配はするが、すべて建物の中か、通りの方からである。
「だ、大丈夫??俺の声、聴こえているか?」
冬真は、恋へ声をかけ意識の有無を確認する。
反応はなかった。
「救急車っ」
携帯端末を取り出して、操作しようとした時。
彼の手首を、恋は掴んできた。
(おわっ!?)
驚いたものの、声は出なかった。
冬真は恋を凝視する。
「やめて、よばないで」
救急車、という言葉が耳に届いていたのだろう。
恋はかすれた声で、そう言った。
「……え、でも」
「おねが……っ」
必死に、うったえてくる。
なんなら、彼の手首を掴んだまま立ち上がろうとしてくる。
冬真が落ち着かせようと、言葉をさがす。
けれど、恋は糸の切れた人形のようにまた意識を失って、倒れ込んでしまう。
冬真はそれに巻き込まれてしまい、強かに腰を打ち付けた。
はたから見たら、恋に押し倒されたような形になる。
「なんなんだよ、もうっ」
ガシガシと面倒くさそうに頭をかく。
それから、溜め息を吐き出した。
今が探索中であったなら、回復薬でさっさと恋の手当が出来る。
しかし、現在は下校途中で回復薬は持っていない。
とりあえず、彼女の状態を確認する。
あちこちに殴られたような跡がある。
彼女は強い。
だから甘んじて暴力を受けるなど考えられない。
骨折などは無いようだ。
しかし、内臓をやられていたらわからない。
冬真は医者ではないのだから。
「頭は、殴られてないか」
傷は首から下にあった。
といっても、見える範囲内での確認に過ぎない。
まさか医療従事者でもないのに、服をひん剥いて確認などできない。
その度胸も、冬真にはなかった。
脈も確認した。
呼吸の乱れもない。
気を失って眠っているだけのように見える。
「……仕方ない」
冬真は、彼女を担ぎあげる。
そのまま、住んでる部屋へ帰ることにした。
部屋には回復薬がたんまりとある。
最悪、道中で恋が死んでも部屋には【タナトスの秘薬】もある。
蘇生は簡単に出来るのだ。
そのあと、彼女が意識を取り戻して、治癒について問い詰められても適当に誤魔化せばいい。
そう考えた。
なにせ、ダンジョンではなく街中だ。
下手に回復だけさせて放置しておくと、別の誰かが彼女を見つけて救急車を呼びかねない。
「……はぁ、まぁ、仕方ない」
疲れたように呟く。
そして、彼は部屋へと帰るため歩き出した。
幸い、一通りは皆無の路地裏。
さらに、アパートの住民はこの時間なら鉢合わせすることがない。
なぜならしたことが無いからだ。
たとえ鉢合わせして、恋のことを問い詰められても(絶対無いと思うが)、その時はやはり適当を言って誤魔化せばいい。
体調悪くして失神したとかなんとか。
そう説明すればいい。
そんなことをつらつら考えていると、部屋に着いた。
誰にも会うことは無かった。
部屋にはいる。
リオ達が時折泊まりにくるので、布団はある。
その布団を敷き直して、恋を寝かせる。
布団が汚れてしまう。
しかし、そんなのはあとで洗えばどうとでもなる。
(ココアか、ホットミルクでも用意するか)
どちらも、冬真がリオ達に助けてもらった時に振舞って貰ったものだ。
「いや、起きてからだな。
まずは……」
玄関にぶら下げてある、探索用のカバンから回復薬を取り出す。
恋はスゥスゥと眠りつづけている。
「死んではいない、と。
顔色も悪くはない」
冬真は回復薬を彼女へ垂らした。
傷が回復し、いつもの人形のような肌へ戻る。
「よし、大丈夫そうだな」
それから、冬真は部屋の中を見回す。
見られて困る、というか恥ずかしい物を簡単に片付ける。
レアアイテムやあのマスクは、そもそもカバンの中か収納スペースにもとから片付けてあるから見られることはない。
なにせ、リオ達や借金取り以外でこの部屋に人が入るのは初めてなのだ。
お世辞にも綺麗な部屋ではないし、なんならお嬢様な彼女からすると狭すぎるように思う。
そうこうしていると、恋が目を覚ました。
「……ん」
「あ、起きた」
「……」
ぼうっと、恋は声をかけてきた冬真を見る。
段々意識がはっきりしてくると、
「……!!??」
明らかに動揺している。
「え、あの、え?!鈴木君!?」
この反応、顔をガッツリ見られてはいたが、どうやら判別は出来ていなかったらしい。
「どうも~、鈴木でーす」
淡々と返す。
それから、
「倒れてたから助けた。
動ける??」
「あ、うん」
「良かった良かった。
あ、なんか飲む?
水道水ならすぐ出せる。
甘いのなら、炭酸ジュース、時間くれるならホットミルクとかココアも出せるけど。
どれがいい??」
「ん、んん???」
「どれがいい?」
「あ、えと、ホットミルク」
「りょーかい。
あ、待ってる間、はいこれ」
冬真は言いつつ、綺麗なタオルとお湯の入った桶を恋の横に置いた。
「まだ風呂掃除してなくてさー、良かったらそれ使って」
「あ、うん、ありがと」
「着替え、もし必要ならアレ着ていいよ。
ボロいけど」
と言って、冬真が指し示したのは中古ショップで買って替えの寝巻きに使ってるジャージだった。
洗濯はしてあるので、ボロくはあるが清潔だ。
「あ、ありがと」
気持ち悪がられるかなと思ったが、恋は素直にそう言った。
ダイニングと普段寝るのに使ってる部屋の間には、引き戸があるので、それを閉めてしまえばお互いの姿は見えない。
冬真は部屋の引き戸を閉めて、ホットミルクを作りにかかる。
自分が助けて貰った時のものと同じように、砂糖のたっぷり入った甘いホットミルクを作る。
久々に鍋で作った。
それをカップに注いで、恋へ声をかけた。
「出来たー。
こっちで飲もうぜー」
恋がおずおずと、引き戸を開けて出てくる。
ジャージに着替えていた。
「あ、ありがとう」
それから、テーブルを挟んで2人はホットミルクを飲み始める。
「あ、おいしい」
恋の口から、そんな言葉が漏れた。
恋はちびちびと、冬真は携帯端末を弄りながらゴクゴクと飲む。
「お代わりはセルフサービスな」
冬真はそれだけ言う。
なにも聞かない。
恋について、なにも聞かないのだ。
むしろ、恋の方がなにか釈明とか説明とかした方がいいんじゃないか、と考え出す。
なにしろ、助けてもらったのだ。
自分がどうして、倒れていたのかとかそういうのを説明した方がいいんじゃないか、と考える。
(でも、下手なことを言えば彼を巻き込むことになるし。
というか、このままここにいても彼に危害が加わるだろうし。
すぐに出ていかないと)
ウダウダ考えていると、冬真が恋を見ているのに気づく。
「あのさ」
冬真が口を開いた。
「カレーとシチューどっちがいい?」
「……はい??」
「今日の夕飯」
「え??」
「お腹減ってるかなって思って」
恋は戸惑った。
人生で最大に戸惑った。
彼がわからない。
返答しようとした時、恋のお腹が鳴った。
ぐぅきゅるるる~、と盛大になった。
恋の顔が赤くなる。
「丼物も出来るよ。
つーても、豚丼か親子丼、あ、他人丼も作れるけど。
何が食べたい?」
選択肢が広がってしまった。