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数日後。
楫取恋は、ようやくそこに訪れることができた。
否、数日のうちに来れたのはむしろラッキーだった。
日が暮れていく。
恋はそのアパートを見た。
自分を匿ってくれた男の子が一人で住む、ボロいアパートだ。
同居人の気配はあったが、本人が一人暮らしと言っていたので、そういうことにしておこう。
彼女の手には、菓子折の入った紙袋があった。
匿ってくれていた時、何気ない会話で彼が言っていた好物と、贈答用の菓子が入っている。
少しだけ、緊張しているのは仕方ないだろう。
この数日、とにかく忙しなかった。
アレから一度も、恋はこのアパートに訪れることが出来なかった。
「……」
アパートを見上げ頭を過ぎるのは、何故かスレ主のことだった。
メシアと呼ばれている、動画配信者。
「…………」
あの時、バベルに閉じ込められた時。
様々な危険と偶然が重なった、あの時。
恋は一瞬だったが、スレ主の顔を見る機会があった。
本当にそれは、一瞬だった。
一般人だったのなら、きっと見ることは出来なかっただろう。
でも、恋には見えた。
ひとえに、訓練のお陰だ。
息を吸って、吐き出す。
緊張をそうやって解して、恋は足を踏み出す。
たった数日だけ過ごした、彼の部屋へと向かう。
そして、インターホンを押す。
見た目こそボロいが、設備はしっかりしているらしい。
一見、壊れてそうに見えるインターホンはちゃんとその役目を果たしてくれた。
部屋の中から人の気配がする。
彼は在宅のようだ。
連絡先の交換をしていれば、事前にここに来ることを伝えられたのだが、それは出来なかった。
匿ってくれていた時は、恋の携帯端末は壊れていたし、まさか買いに行くことなどできなかったからだ。
部屋の中から声が届く。
「はーい、ちょっと待ってくださーい」
しかし、その声は彼のものではなく、女のものだった。
それも、聞き覚えのあり過ぎる声だ。
途端に、
(確定だ)
恋はそう思った。
やがて、ドアが開く。
そこにいたのは、恋を匿ってくれた男の子――鈴木冬真――ではなく、美女だった。
銀髪に紅い目をした、女性。
女性は、恋をまじまじと見る。
意外な来客に驚いてるようにも見えるし、どこか楽しんでるようにも見えた。
「おやおや、いらっしゃい。
冬真ー、お前に客だぞー」
「え、宅配便じゃなくて??」
怪訝そうな声を出して、冬真が出てきた。
そして、恋を見るなりかたまった。
なにせ、彼の今の格好はマスクこそしていないものの、あの時みたスレ主だったからである。
前髪を上げて、ダンジョンに潜るための格好をしている。
「出かけるところに押しかけちゃって、ごめんなさい。
色々お世話になったから、お礼持ってきたの。
受け取って」
恋は気にした風もなく、むしろ答え合わせが出来てスッキリしたとでも言いたげな顔だった。
菓子折を渡し、頭を下げる。
「助けてくれて、本当にありがとう」
必要以上のことは話さなかった。
どうせいろいろ調べて知っているだろうから。
美女にも頭を下げた。
「とある人に聞きました。
貴方が助っ人を寄越してくれた、と。
ありがとうございました」
瞬間、美女――リオの顔が引き攣る。
冬真が見たことの無い、表情になる。
後悔と悲しみが入り交じった、普段のリオなら絶対にしない表情だ。
ちなみに、助っ人というのはゴーストリーマンのことである。
最後に魔族3人の首をはねた、男のことだった。
すぐにリオはいつものニコニコヘラヘラした笑顔を貼り付けた。
「どういたしましてー」
軽く返す。
恋は頭を上げ、今度は冬真を見た。
そして、
「家のことが落ち着いたら、また学校行くから。
その時は、またよろしくね。鈴木くん」
「あ、あー、うん。
またな」
そう返した冬真の表情は、なんとも複雑そうだ。
それがなんだかおかしくて、恋は笑ってしまう。
「それじゃ、また」
そうして、恋は帰っていった。
その背を見送って、二人は一度部屋の中へ戻る。
戻ってそして、冬真はリオを見た。
いつも通り、とはちょっと違うリオを見た。
リオは、やはり笑顔を貼り付けている。
でも、それがいつもと違うのだ。
「……あの子、死ななくて良かったな。
お前も、助かって本当に良かったな」
そうリオは口にした。
「あんたのお陰だろ」
冬真は素直にそう口にする。
リオがゴーストリーマンと知り合いでなかったら、そしてあのタイミングで掲示板をみていなかったら、おそらく全員死んでいた。
リオとゴーストリーマンのおかげで拾った命だった。
リオは、しかし、暗く言葉を返した。
「……なにもしちゃいないよ。俺は。むしろ……」
そこで言葉を切る。
その表情は、ただただ絶望に染まっていた。
「……なぁ、リオ。
あんた、あの魔族達と知り合いなのか?」
それは、なんとなく察せられたことだった。
リオだけではない。
ゴーストリーマンも、あの時出てきた魔族達のことを知っているようだった。
それになによりも、あの魔族達の顔立ちは……。
そのことを指摘しようとして、でも、リオは冬真が言うより早く、口を開いた。
「まぁな」
それから、遠く懐かしむ顔になる。
遠い昔を思い出しているようだ。
やがて、続けた。
「恩人で親友で、家族だよ。
だからこそ、助けたいんだけどなぁ」
と、初めて聞く彼女の疲れきった声が夕闇に沈む部屋に、溶けて消えた。




