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タバコ

作者: 徳永夏樹

「ただいま」

「おかえり」

 残業を終えて帰って来た彼は微かにタバコの匂いがした。あぁ、また私以外の誰かと一緒だったんだなと思い知らされる。

 付き合い始めた時、彼はタバコの匂いが大嫌いだと言っていた。だから同棲を始めてタバコの匂いをつけて帰って来た時にその事を彼に言ったら

「仕事の話しをするのに上司に喫煙所に連れて行かれてさ」

と言われた。本当かもしれないし、嘘かもしれない。どっちかと言うと嘘だと思ってるけど冗談でも浮気してるでしょ?なんて聞けない。例え浮気をしていようが彼が帰って来る場所が私の所である内はそれでいい。

 もしもいつか好きな人が出来たからと彼が出ていく日が来たら私はあの時ちゃんと話せば良かったと後悔するのだろうか。だけど聞いて直ぐにその時が来るのなら聞かないで少しでも先延ばしにしたい。彼以上の人は今後現れない。私は本気でそう思っていた。


「仕事忙しいの?」

「もう直ぐプレゼンだからさ」

 彼はデザイン会社で働いている。複数の会社との競争だから選ばれる為には一ミリたりとも手を抜けないらしい。それは接客業をしている私でも何となく想像が出来る。

 遅くなる事もタバコの匂いも仕事だと言われたら何も言えない。結局は信じるしかない。

「今回はいけそうなんだ」

 自信に満ちた彼の顔を見ていると本当に仕事だったんだろうなって思わされる。それなのに私が彼の浮気を疑ってしまうのは前科があるからだ。

 私と彼は大学四年の時に知り合った。きっかけは先輩に就活も大事だけど婚活も大事って言われた事だ。大学生の間の方が出会いも選択肢も多いからとそれを実感している先輩が言うのならそうなのだろうと結婚するしないに関わらず彼氏を作っておこうと思った。


「俺の夢は世界中の人が知っているロゴを作る事です。デザイン会社に内定をもらってますが、将来的には独立してフリーのデザイナーになります」

 同い年ばかりが集まる場で丁寧に自信を持って宣言をした彼がいいなって思った。そしてなんの根拠もないけど、きっと彼なら夢を叶える。そう思った。


「ねぇ、俺と付き合わない?」

 まだ世界の汚い所を見ていない赤ちゃんの様な澄んだ瞳に私は吸い込まれた。大人でもこんなにもキレイな目をしている人がいるんだって驚いた。そして私は彼の横で夢を叶えていくのを見るのは私しかいないって頷いた。


 後に彼になんで私なの?って聞いたら直感って一言で返って来た。私も直感みたいなものだったから相性抜群なのかもとか浮かれてしまった。


 お互いほとんど何も知らない状態で付き合ったから会う度に色んな事が知れて楽しかった。でもそんな楽しさもあっという間に薄れた。と言っても彼の方だけ。私は彼の事を知れば知るほど好きになっていった。


 彼の浮気が発覚したのはデート中の事。そろそろ同棲したいねって話しを始めていた頃。彼の部屋の方が広いから引っ越す予定で家具を見に行っていた。

「ねぇ、これとかいいんじゃない?」

「いや、それだとさっき選んだテーブルと合わない」

 彼が作成するデザインは本当にセンスがあった。だけど部屋の中はビックリするぐらいセンスがなかった。とにかく生活とデザインが出来るスペースがあればいいと言った感じで、本は床に今にも倒れて来そうな程積まれ、テーブルはビックリする事に引っ越しのダンボールだった。後で買おうと代用していたけど、不便がないからそのままにしていたらしい。

「俺は喜んでくれる人がいるからこそデザイン出来るんだ」

 そう彼が言ったから

「じゃあ私の為に部屋をデザインして」

って言ったら彼の目は輝いてすごく張り切ってくれた。彼のデザインの原動力は人の笑顔。その先にある成功と名誉は多くの人を笑顔にしていく内に自然と手に入ると彼は言っていた。

 彼の考え方も生き方も好きだ。私がどんどん彼の事を好きになっていくのに比例して彼の気持ちは別の人へと向いていった様だ。

 このベッドいいねって言った時に彼は私の名前を浮気相手の名前と呼び間違えた。彼は慌てて同級生だと言い訳したけど、訂正しようとすればする程、浮気してますと言っている様に私には聞こえた。そして実際にそうだった。


「俺は別れたくない」

 そう言うなら浮気なんてしなければいいのに。そもそも私は話し合う気はあっても別れるつもりはなかった。だけど勝手に別れ話をされるって思ってる彼にわざわざ優しさを見せる必要はないかと

「次はないからね」

と言った。きっと私は次があっても別れない。なんでそんなに彼がいいの?って聞かれたら言葉で上手く説明出来る自信がない。それでも私は彼が良かった。彼じゃないとダメだった。そんな気持ちが滲み出ているから彼も浮気したのかもしれない。


「もう付き合って何年だっけ?」

「五年ですね」

 今日は彼と付き合うきっかけを作ってくれた先輩と飲みに来ていた。カレンダー通りの休みの彼と不定休の私は頑張らないと休みが合わないけど、先輩とは最寄り駅が同じで仕事が終わる時間もほぼ同じだからよく飲みに来ていた。

「五年も続くってすごいな」

 今日は先輩の職場の先輩、雨宮さんも一緒だった。雨宮さんからもタバコの匂いがする。私は大人の印って感じでタバコの匂いが好きだった。

「短期契約の雨宮って呼ばれてますもんね」

 その言葉に雨宮さんは苦笑いをした。

「俺も頑張ってんだよ。でも女性ってマメな男好きだろ?俺にはそれは無理」

「女性全員がそうって訳じゃないですよ」

「じゃあ俺がいいなって思う女性はマメな男が好きなんだよ。夕方まで連絡返さなかったらなんで返してくれないの?なんて言われたりしてさ」

「それは言いますよ」

 私と先輩の声が重なった。

「今忙しいからまた夜にみたいな返事でもいいからして欲しいですよね」

「おはようって送る時間もホントにない?とかも思う」

「いや、逆におはようだけってウザくない?」

「私は好きな人からおはようってメッセージ来たら幸せな気持ちになります」

「そういうもんか。それが分かんないからダメなんだろうな」

 あれ?なんでだろう?一度私で練習してみます?なんて言いたくなる。そんな事をしてしまえば私は絶対に好きになってしまう。もう絶対に彼しかいないって思ってるのになんでこういう気持ちになるんだろう。ただ単に彼以上を知らなかっただけなのか。彼に浮気をされる側の気持ちになって欲しいのか。

 人を好きになる時ってこういうものだ。頭で考えるよりも先に感情が動く。五年付き合って結婚しようって流れにならないし、試してみるのはありかもしれない。

「ねぇ、俺の指導係になってくんない?」

 その言葉は私に向けられていた。頷けば私は一人になってしまう可能性もある。それなのに私は考えるよりも先に頷いていた。


「もうちょっと斬新さが欲しいんだよな」

 あー、やべぇな。このまま帰ったら彼女に浮気を疑われる。

 うちの会社はタバコ休憩もコーヒー休憩も自由なのに喫煙者の割合が少ないから仕事の話しをするって理由をつけてタバコを吸う人が多かった。それはいいけど、巻き込まないでくれって思う。全力で臭いを消そうとしたらそれはそれで怪しまれる。

 

 俺がタバコの臭いをつけて帰ると彼女が浮気を疑ってるって事には気付いていた。確かに浮気をした事があるけど、今は神に誓って違うと言える。

 一度タバコの臭いで浮気を疑われてるって言った事あったけど、上司に付き合わせられたって言えばいいだろって言われて終わりだった。そうだけどそうじゃない。もう何を言っても無駄だと思って大人しく付き合う事にしてる。


 そもそも浮気だって俺はしたくなかった。それでも三回告白を断わった同級生があまりにもしつこくて一回試してみて欲しい。それでも無理ならもう一生連絡しないからって言われたから断る前提で付き合い始めた。俺は基本的にこうと決めたら揺るがない。仕事も女性もよそ見はしない。

 

 付き合うって言ったから浮気にはなると思うけど、手すら繋いでいない。何かとスキンシップを求められたけど、本当にその気にならなかった。俺にとっては浮気をする事で彼女しかいないって思えたから良くはないんだけど、良かったって思った。俺があまりにも興味を示さずに仕事と彼女の話しばかりをしていたから諦めてくれた。あれから約束通り連絡は来ていない。


 やってしまった。ようやく解放された安心感からか彼女に向かって同級生の名前を呼んでしまった。必死に同級生だって言ったけど、付き合ってはいたから素直に謝った。次はないからって言って許してくれた彼女には本当に感謝してる。

 

 このまま彼女の優しさに甘えるだけの男になりたくない。とにかく仕事で結果を出さないと。そして彼女に結婚を申し込もう。正直仕事で結果を出すまでは結婚はいいかなって思ってるけど、きっと彼女は違う。


 色んな人に結婚についての話しを聞いて、自分の中で考えをまとめている内に彼女がタバコの臭いをつけて帰って来る日が増えた。その事については考えない様にする。彼女が結婚するって言ってくれればそれでいい。

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