学園寮の住人は獣人が十人(うち、A組9名、C組1名)
ビシャンッ。
強く打ちつけられた水の音。光の粒のように、無数の水滴がキラキラと飛び散った。
「クスクスクス。ネコ科でわたくしとキャラ被りするだなんて、百年早くってよ」
A組の寅子が、C組の猫子に向かって空になったバケツを投げつける。
「い、痛いわっ、寅子様……」
赤くなった額をぷにぷにの手で抑え、猫子は涙をこらえ、寅子を見上げた。
「ふんっ。あなたのようなブスでずぶ濡れなデブ猫に、わたくしの名前を呼ぶ許可を与えた覚えは無くってよ」
寅子と取り巻きの女生徒達は、クスクス笑いながらクスクス料理専門店前を通り過ぎ、薬屋とガソスタの間のスタバへとスタスタ歩き入っていった。
ずぶ濡れで一人取り残された猫子は三角の耳をへにゃりと力無くたらし、俯いた。
と、目を落とした先には、何やらちょろちょろと動く姿が。
ゲシッ、フミフミ。
ぐにゃぐにゃと、猫子のローファーの下で子子がもがき苦しんでいる。
「クスクスクス。チビでビッチなチョロインのくせに、名前でわたくしとキャラ被りだなんて、百年早くってよ」
C組の猫子がA組の子子に向かってスライスチーズの透明なフィルムを投げつけた。が、フィルムはヒラヒラと風に乗り、空高く高く、天まで飛んでいく。
「い、痛いわっ、猫子さん。暴行罪で神に訴えますよ?」
寅子の威を無断借用した猫子であったが、神を恐れると同時に寅子バレも恐れ、脱兎の如く逃げ出した。
そして、もがき苦しむ子子だけがその場に残された。
「子子ちゃん!! 大丈夫?」
と、異変に気付き、巻き添えをくらわぬようスタバにて待避していた卯子が駆け付けた。
「うっ、卯子ちゃん……。それ、フラペチーノ?」
子子の非常事態と認識しながらも、咄嗟に無意識にごく自然に注文の列に並んでしまった卯子は、自分の順番になり、咄嗟に意識的にごく自然にキャロットフラペチーノを頼んでいた。
右手に持つキャロットフラペチーノはラージサイズで、残量がまだ随分と残っている。隠すに隠せず、卯子は笑顔を作ろうとするも顔が引き攣ってしまい、仕方無く、顔の皺をマッサージクリームを乗せた左手で優しく伸ばし、申し訳無さから子子に問う。
「あ……っと、子子ちゃんも、もし良かったら一口飲む?」
苦悶を顔に滲ませた子子は、静かに首を横に振った。
「ううん、今は内臓が潰れているから遠慮しておくわ」
お心遣いを有り難う、と子子は痛々しく微笑んだ。
店の外ではこのようにして友情の灯が今にも消えかかっていたが、店内でも寅子と取り巻き達の友情が消えかかっていた。
「丑子と未子と午子、この後のわたくしとのハンバーグランチの予定を断るだなんて、どういう了見かしら?」
寅子が逆立った髪のアホ毛をヘアワックスで抑えながら、丑子と未子と午子を睨む。
「寅子様、何度も申しますように、わたくしどもはベジタリアンなのですわ」
脱毛サロンに足繁く通う未子が三人を代表し、つるつるボディを震わせながら控えめに答えた。
「あなた。このわたくしが、何度も、聞いたことを忘れた、とでも?」
「まさかそんな……どうかお許しを、お情けを、ご容赦
を!」
脳が酸素を欲し、寅子が大きな口を開けた、まさにその時。
「待ちたまえ、寅子嬢」
A組の龍野 辰之進が側近候補の男子生徒達を引き連れ、寅子と取り巻き達が座るテーブル席へとやって来た。
「辰之進様!」
「「「キャー♪♪♪」」」
辰之進はテーブルに片手をつき、テーブルをギシギシ軋ませている。
「寅子嬢、君との婚約を破棄する!」
辰之進による突然の婚約破棄に、大きな口を開けた寅子は脳に酸素を送ることしかできずにいる。
「な、なんですって!?」
気を利かせた取り巻きの午子が会話を繋ぐすぐ隣で、丑子が後ろめたさなど微塵も感じない様子でウッシッシと馬面で笑っている。
「おい、外野は邪魔をするなよ」
同じく外野で辰之進の側近候補、鷲申鳶 鷺鷹が会話の邪魔をする。
「辰之進 様、まずは理由を聞かせてくださいませ」
無事に脳に酸素を送り届け、口の開閉の自由を手に入れた寅子が辰之進に訳を問う。
「寅子嬢は身に覚えがあるはずだ。見よ、この可哀想な子子の姿を」
「あぁ、辰之進 様。子子は辛いです……」
内臓が早くも回復傾向にある子子は、辰之進の広い背中の陰に隠れている。その弱り切った姿はまるで、中国山地を隔て日の当たらない島根、鳥取県を擁する山陰地方のようだ。
「あら、子子さん。ご機嫌よう?」
現在も内臓がやや弱った状態の子子ではあるが、危害を加えた猫子は陰湿なイジメに慣れており服の上からフミフミしたため、一見して子子の怪我は分からない。
「ふん、この期に及んで柱を切るなど……しらを切るなど……白々しい。子子は踏みつけられ、無惨にも胃腸の調子が弱っているのだぞ?」
窓ガラスの向こう、薄暗さの増す夕暮れ時の空にのぼり始めた上限の月を眺め、辰之進が言う。神のいたずらか、ピタリと風が止み、チーズのフィルムがヒラヒラと舞い落ちる。
「何かの誤解では? 寅子様であればもっときっとカッとなさって、きっともっと堂々とイジメをなさるはずです」
脳への酸素供給を怠らない寅子に代わり、放送部エースの午子が気品ある高音ボイスで反論する。
「わたくし、寅子様が子子ちゃんをイジメるのを、確かにこの目で見ました!」
キットカットコラボフラペチーノを右手に持って席に戻って来た卯子が反論する午子に待ったをかけた。言うまでもなく、サイズはラージサイズだ。
「そ、そんな……誤解です、濡れ衣です」
一部の取り巻きの裏切りで己の窮地にやっと気付いた寅子は、さすがに場の空気を読んで眠気に耐え、産まれたての仔馬のように足をぷるぷるせている。
「寅子嬢。濡れ衣を纏うこちらの猫子嬢を見ても、同じことをまだ言うのか?」
辰之進の側近候補、巳酉 戌亥が、ずぶ濡れでデブでブスの猫子を連れ店内に入ってきたが、ずぶ濡れであることを見咎めた店員によってすぐさま店の外に出された。
「そ、そんな……誤解です、濡れ衣です」
濡れ衣を纏う猫子は退場済みだが、同じことをまだ言う寅子。衣は濡れていない寅子であるが、濡れ衣は濡れ衣である。ちなみに、獣人である巳酉 戌亥の獣部分はクウォーターとなっており、祖先である巳と酉と戌と亥がそれぞれ異性とデキていた結果が、今日の半分優しい巳酉 戌亥に繋がっている。
その後も寅子と取り巻き達が誤解を解こうと奮闘するも報われず、婚約は書面でもって正式に破棄される運びとなった。
生徒会長の辰之進からの懲罰として、寅子と取り巻き達の二学期の学年行事、チャレンジワーク(職場体験)の派遣先が動物園に決定された。主には清掃業務で、過酷な労働体験が予想される。
一方、辰之進の同情を買うことに成功した、チビでビッチなチョロインの子子は、内臓だけでなく足も痛むと言って辰之進に肩車で学園寮まで送ってもらった。寮に着くまでの間に辰之進に惹かれた子子は、それはそれは熱心に会話し、肩から降ろされてからも熱を孕んだ瞳で辰之進を上目遣いに見つめ、甘い言葉で誘惑し、辰之進をこっそり自室へと連れ込んだ。
チビでビッチなチョロインの子子は心の中でほくそ笑む。
(男なんてチョロいんだから♪)
その後、学園寮の住人の十人の獣人の一部では、獣人関係が多少ギスギスしたが、チビでビッチなチョロインの子子は小さなことは気にせず、所構わず背伸びしてチューチューし、辰之進との仲を見せびらかした。
そして、子子と辰之進は無事に婚約を結び、引き続きただれた寮生活を送ったとさ。
めでたしめでたし。