少女と赤ずきん
お姉ちゃん、お姉ちゃん。
わたしね、お姉ちゃんといっしょなら、なんでもいいんだよ!
え?どういうこと、って?
……わかんない!えへへ!
でもね、これはほんとのことなの!
お姉ちゃんといっしょにいられたら、なにもこわくないし、お姉ちゃんといっしょだから、まいにちがたのしくてキラキラしてるの!
だからねお姉ちゃん、
おねがいだから、
「ひとりにしないで……!」
荒い呼吸とともに吐き出された言葉は、本当に言葉として機能しているか危ういほどの掠れたものだった。
アリスは上体を起こし、呼吸を整える。何度寝て起きても慣れることのない質素なベッドの上で、何度も、何度も深呼吸をする。
ある程度呼吸が落ち着いてきたら、今度は両頬を手で押し上げ、無理矢理笑顔を作る。
そして、軋むベッドから飛び降り、小さな家の古びた階段を駆け下りて、
「おばあちゃん、おはよう!」
元気よく挨拶をするのが、ここ四年近くのアリスの日課である。
四年前、姉のローズが茨の中に閉じ込められたあと、アリスはウサギを追いかけた。
しかし、ウサギはアリスに微笑みこそすれ、何の助けもしなかったのである。
体力の限界をとうに越えてしまっていたアリスは、数歩も進まないうちに倒れてしまった。
気が付くとアリスは、母方の祖母にあたる老婆の家で保護されていた。誰かが送り届けてくれたようだ。
アリスは一度、誰が自分をここまで運んでくれたのかおばあさんに聞いたことがあった。
「とっても格好いいひとだったわよぉ」
おばあさんはそう言った。
何の手がかりにもならないが、とりあえず初対面の格好いい人にはお礼を言っておこうと思ったアリスである。
おばあさんの家に預けられてから、何度か姉のいるはずの茨の森に行こうとしたが、その度におばあさんに見つかり、止められるのである。
「アリスのお家へ向かう道にはねぇ、悪い動物さんがいるのよぉ。絶対に一人で行っちゃだめ」
そう、いつも哀しそうな、それでいて怒ったような表情をして言うおばあさんに、アリスは渋々従うことにしていた。
最愛の姉が居らず、寂しい思いをしていたアリスだったが、おばあさんの優しさと愛情のおかげで、何とかいつもの調子を取り戻すことができた。
だがアリスは、四年前のあの日からずっと同じ夢ばかり見ている。
ひとりぼっちになる夢を。
「おや、アリス。おはよう」
おばあさんは優しく微笑み、テーブルに朝食を並べる。
綺麗にカットされたパンに、スープやサラダ等、質素ではあるが色とりどりで様々な皿が並べられている。
老いてしまってからは料理と園芸だけが楽しみだと話しているだけあって、料理の腕は人並み以上である。
アリスはゴクリと唾を飲み込む。
「……おばあちゃんのお料理美味しいから食べ過ぎちゃうんだよね」
するとおばあさんはにっこりと笑った。
「アリスはいっぱい食べて大きくならなきゃいけないからねぇ」
「もうじゅーぶん大きいもん!もう十六だもん!」
アリスが大袈裟に頬を膨らませると、おばあさんはいたずらっぽく笑い、しかしすぐに真剣な表情になった。
「そうねぇ……アリスももう十六歳か」
「……」
おばあさんの言葉から何かを察し、アリスも口をつぐむ。
四年前に姉ローズが茨の中に閉じ込められた。当時のローズも十六歳だった。
十二歳だったアリスには辛い出来事だったが、おばあさんのおかげで無事に成長できた。
「……そうだよ、おばあちゃん。アリスはもう、大人なんだよっ」
アリスは沈黙を断ち切るように、明るく言い放った。
そう、この国では十六歳というのは大人の仲間入りの年でもある。
十六歳の誕生日に茨の中に閉じ込められた姉。
ずっと助けに行きたかったけれど、自分が子どもだから行けなかった。
アリスはずっと胸に抱えていた思いを振り絞り、真剣な眼差しで乞う。
「だからねおばあちゃん、私──」
「アリス」
アリスは硬直し、おばあさんを見つめる。今までに聞いたことのないような、鋭い声色だった。
おばあさんはじっとアリスを見つめ、やがていつものように優しく微笑んだ。
「……朝ごはん、冷めちゃうわよぉ」
「──あっ」
完敗だった。
おばあちゃんの手料理の前に敵うものなど何もないことはわかっていたのに。
やはり負けてしまった。
アリスは片付けられたテーブルの上に突っ伏し、足をバタつかせていた。
改めて話の続きをしようにも、おばあさんのあの鋭い声が頭の中に残り、聞くに聞けないまま時間ばかりが過ぎていく。どうしたものか。
「アリス」
再び呼ばれて勢い良く上体を起こし、腰掛けていた椅子の背もたれに背中を勢い良くぶつけ、しばし悶絶。
先ほどとは打って変わって優しい声色であるにも関わらずこんなに反応してしまうのはなぜか。
「おつかいに行ってきてくれるかい?」
おばあさんの手にはバスケットと赤い布が握られている。
「なに、これ?」
アリスはバスケットを受け取り、赤い布をまじまじと見つめる。
決して綺麗とは言い難いが、少しつやのある素材で、衣服として利用するのに良さそうな布だった。
おばあさんは、その赤い布の全貌をアリスに見せるように広げた。
想像以上に大きめのその布は、頭から被ってしまえば腰辺りまで届くように作られていた。全体の真ん中より少し上あたりにリボンの装飾が施されていて、そのリボンを引っ張ることによって布が引き寄せられる構造となっている。
アリスはそれを物珍しそうにじっと見つめる。
「……ポンチョ?ケープ?」
「ずきんよ」
「ず……?」
馴染みのない言葉に戸惑いつつも、アリスはその赤い布を受け取り、頭から被ってみた。
アリスの背丈に合わせて作られたのであろうそれは、サイズ感もちょうどよく、着心地もなかなか悪くないものであった。
おばあさんは赤い布を羽織ったアリスに言う。
「これはねぇ、魔除けのおまじないをかけてあるずきんなのよぉ」
「魔除け?」
アリスが問うと、おばあさんはゆっくりと頷いた。
「アリスはとっても可愛いから、悪い動物さんに狙われちゃうかもしれないのよぉ。だから、おばあちゃんが守ってあげるために、ずっと前から作ってたの」
おばあさんのいう「悪い動物」が何なのか、未だにわからないアリスだったが、さり気なく言われた「可愛い」という言葉とおばあさんの心遣いに感激し、満面の笑みで頷いた。
「おばあちゃん、ありがとう!大切にするね!」
おばあさんはにっこりと、けれど少しだけ寂しそうに微笑んだ。