7、私の視点
流水が去った食堂は、静けさに包まれていた。料理を運んで来たメイド達は、突然始まった喧嘩に怯え、料理を運び切れずに立ち止まっていた。そんな彼女らに、私は声をかける。
「ごめんさなさいね。私の呼んだタイミングが悪くて怖い場面を見せてしまって……でも、もう大丈夫よ。それに私、お腹が空きすぎて困っているの。早く夕飯が食べたいわ」
「はいっ! 今すぐ、そちらにお運び致します!」
少し、わざとらしい感じがしてしまったかな? と、心配になったが、メイド達は私の声を皮切りに、行動を再開してくれた。
「いつもありがとう」
私の食事を運んで来てくれたメイドに笑顔で感謝を伝えてから、手を合わせて食事を始める。
メイドが運んで来た料理を丁寧に食べながら、一水様を見る。彼は、お腹が空くと少し機嫌が悪くなる。今日は流水を待って居て、物凄く空腹だった筈だ。きつく当たってしまったのも、その為だろう。
凪沙は眉間に皺を寄せて、無言で料理を食べていた。流水に言われた事に、何か思うところがあるのだろう。何時も優しい表情を浮かべている凪沙にしては、珍しい。
私は、そんな彼等を眺めてから、彼等のすぐ側に寄り添っている従者達の表情を確認する。
一水様の従者は、いつも通りの冷静な無表情で、何を考えているのか一切感じ取れなかった。それに比べて凪沙の従者である雫は、険しい表情を浮かべていた。恐らく、先程流水が言った言葉に憤っているのだろう。自分の主人を侮辱されたなら、怒りを抱くのは誰であろうと自然な事だ。しかし、水園家の家督に仕える者が、そのようでいては成らない。
「雫、お顔が険しいわよ? 流水に言われたことが引っかかっているのだろうけれど、今は主人の事だけを考えて頂戴」
「はい……その通りでございますね……申し訳ございませんでした」
反省したように謝罪をした雫。それの後を追うように、凪沙が言う。
「母上に注意させるようなことをしてしまい、すみません。雫には、後でしっかり言っておきます。しかし母上、私も流水に言われたことが気になって仕方がありません。私に母上の御名前を下さったのは何故ですか?」
「気にしなくていいのよ? あのようなこと……きっと流水の本当の気持ちではないでしょう? 貴方の弱味を突きたかっただけよ……」
凪沙が食事の手を止めて問うたことに対し、私は、それを躱す。しかし凪沙は納得が行かなかったのか椅子から立ち上がり、激しく主張する。
「ですが母上! 私もそのような事は分かっていますが、言われっ放しは……自分のことなのに、事実を知らないままなのは嫌なんです……!」
切実な思いを口にした凪沙に少し同情し、
「そうね……」
と、呟きながら一水様に視線を送った。一水様は私の視線に気付き、首を横に振った。一水様からの許しが出ず、私は表情を曇らせる。それに気付いた凪沙は、悔しそうに歯を食いしばって席に腰を下ろし黙り込んだ。その直後、急に立ち上がると、
「すみません、急用を思い出したので失礼させて頂きます」
唐突にそう言い残し、凪沙は食堂を去って行った。凪沙の残していった食べかけの料理から出る湯気を見つめ、諦めたように首を振る一水様に私は苦笑いする。
「二人揃って反抗期かしらね?」
「そうかもな……」
息子達が居なくなった食堂は物凄く静かで、時折食器が発てる音が大きく響くのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
食事を済ませた私や一水様は、それぞれの執務室に戻った。一水様は、まだ終わらせなければならない仕事が山程あるが、私は明日からの三日間に向けての準備を終わらせれば良いだけだ。
というわけで私は、明日の準備を完璧に済ませておく為、持っていく物の最終確認をする。衣服の着替え、予備、食糧……などが、しっかりトランクに入っているかを確認し、火陽家との交渉資料の暗記をしていると、青帆が部屋に戻って来た。紙の束を抱えているが、何を始めようとしているのかしら? と疑問に思っていると、青帆が私に声をかけて来た。
「失礼します、沙依様。机を少々お借りしても?」
「えぇ。別に構わないけど……何をするのかしら?」
「えっと……私が居ない間分の流水様用学習プリントを作ろうと思いまして……」
「あら、それは弟さんに任せれば良いのではなくて?」
「うぅ〜そうなんですけどね……雫は凪沙様の事で頭いっぱい……と言いますか、正直言って流水様のことを考えて居なさそうで……心配になって……」
項垂て愚痴る青帆を慰める。
「青帆の弟だもの。そんなことないと思うけれど?」
「いやいや、アイツが流水様を見る目は、嫌悪感で溢れてますって!」
「ふふっ、こらこら……そんなことは言わない方がよろしくてよ?」
「はいはい。すいませんでした……分かってますよ……でも――」
尚もブツブツと、弟さんの悪口を叩く青帆の言葉を聞き流し、ふと思いついたアイデアを実現させるべく、青帆に訊ねる。
「そのプリント作り、私にも手伝わせてくれないかしら?」
何をする気ですか? と顔に書いた青帆が此方を向き、許可を出す。
「……良いですけど、あんまり難しい問題を書かないで下さいね? 流水様は、しょっちゅう課題をサボってますから解けないと思うんですよ。今日だって……ほら、課題のノート終わってるとか嘘ついて、私に渡したんですよ! 沙依様のお願いが無ければ、こんなの叩き返しますよ!」
憤慨した青帆によって机に叩きつけられたノートをしばらく見て、良いことを思いついた私は、ノートにあるものをかいてみた。しかし、ノートに落書きをしている私に気付いた青帆が、私に小言を漏らした。
「あっ! ちょっと?! 沙依様? ……何かいてるんですか……!」
「いいじゃない……ちょっとでも流水のモチベーションが上がれば良いなって思っただけよ? 貴女もかく?」
即座に青帆へ言い返し、共犯にならない? と、誘ってみた。すると渋々といった感じで「はぁ……仕方ないですね……」と呟いた青帆は、すらすらと筆を走らせた。そして完成したものに、私は思わず呟いた。
「かわいいわ……!」
「あ、ありがとうございます……」
私のコメントを聞いて頬を赤らめ、照れる青帆。そんな彼女を微笑みながら見ていたら、ふと視線が絡んだ。すると青帆は慌てて顔を逸らし、褒められて照れた己の気持ちを紛らわすように声を出した。
「さ、さあ! じゃんじゃん問題を書いて、プリントを作っていきましょう!?」
「ふふっ、ふふ……そうねっ……」
笑いを堪えつつ、なんとか返事をした私は、青帆と一緒に、流水へ贈る問題を書いていくのだった。
一通りのプリントを作り終わった私達は、仕事を片付けている一水様に差し入れを持っていく。これは毎日の日課だ。……寝る前に、一水様に会いたい……って理由ではなくてよ?
青帆が準備してくれた夜食を、一水様の執務室に運ぶ。今日の夜食は、アッサムのミルクティーと、旬の栗を使ったモンブランだ。しかし、これだけでは物足りないはずなので、粒餡の餡パンも準備してもらった。一水様は、私と同じ甘党なのだ。執務室の扉をきっちり三回ノックした。
「どうぞ〜」
間延びした声がしたと思ったら、一水様の従者が扉を開けてくれた。一水様の従者は、青帆の父上だ。代々水園家に支えてくれている、水園家直属の使用人育成家である青雫家からは、優秀な人材が多く輩出されている。忠誠心が強い青雫家の者は、敬意を持って仕事をこなしてくれるので、水園家の屋敷は大変過ごしやすい環境になっている。
「一水様、持って来ましたわよ」
「沙依〜! 待ってたよ! 今日もありがとうございます!」
書類仕事で糖分を大量消費した一水様は、テンションがおかしくなっており、通常とのギャップが凄まじい。私も嫁ぎたての頃は、このギャップに驚かされたが、当時の私は……うっかり……そんな彼に萌えてしまったのだ。食が関わった一水様は、色々と凄いのだ。
「ふふっ、待っていたのは私ではなくて、夜食の方でしょう?」
「そ、そんなことないよ?」
目を泳がせる一水様の前に、夜食の乗ったトレーを置く。待ち切れないというように、そわそわしている一水様に、食べて下さいなと、ジェスチャーをする。すると彼は眼を輝かせて手を合わせた。
「では、いただきます……」
「どうぞどうぞ」
夜食を食べ終わった一水様に、食事の時からずっと気になっていたことを尋ねてみる。
「あの、一水様……何故流水の手本を凪沙にやらせたのですか?」
糖分を十分に摂取して、いつも通りのテンションに戻った一水様が答える。
「あぁ……それはな、流水に気付かせるためだ」
案の定、予想通りの返答をされたので意見する。
「はぁ……あれじゃダメよ……凪沙と流水が仲違いしてしまうじゃない。流水は凪沙のこと――」
「何とかなるだろう。あの二人は、お互いのことを思いやり過ぎている。一度衝突した方が彼らの為だ。理解し合えれば、支え合って強くなれる」
そう、上手くいきますかね。という、マイナスな突っ込みは呑み込んで微笑むことにした。そして本日の本題を、一水様に伝える。
「そうだわ、今日はもう一つプレゼントがあるのよ」
「追加の仕事ならお断りだぞ?」
書類仕事を再開していた一水様が、即座に反応した。そんな彼に、
「仕事じゃないわ」
と、笑顔で先程作ったプリントを渡す。しかし、受け取った一水様は顔を顰めた。
「これの答えを書くのか?」
「そうよ? 流水にあげるの。家族のことを知ってもらうきっかけになればと思って……ほら、流水勉強嫌いって言ってたじゃない? ……家族に関してのことなら、学ぶ気おきるかしら? って思ったのよ」
「は――……仕方ないなぁ……って、仕事じゃないか!」
「仕事じゃないわよ? だって流水の勉強嫌いは治せないじゃない? 流水の言った通り、水園家が滅びるとか、家族が全員いなくなったらとか、物凄く衝撃的なことでも起きないと、今の流水の考えを変えることは出来ないと思うのよ。だから、新しい? 目標を立てるきっかけとかになれば良いと思って、家族のことを問題形式で学んで貰おうって考えたのよ」
「なるほど……絶対に勉強しろと言いたいわけではないからな……それに、何のために勉強をするのか自分で納得出来ていないと、やりたくも無い学習なんて辛いだけだ……俺も沙依に逢うまでは、そうだっだしな……よし。息抜きにでも書いておくとしよう。それに、沙依が考えているような事が起きずとも、なにかの拍子に……流水も気付くだろう」
「そうよね。そうだといいわ……それじゃあ、お仕事頑張って下さいね、あと……ありがとう。本当に、一水様は優しい人ね。明日からの三日間、私は居ないけれど、一水様が不安になった時は、私……貴方に大丈夫って言うから……その時は安心して下さいね」
私の不安が伝わったのか、一水様は一瞬表情を曇らせた。しかし直ぐに、不安を打ち消すような笑顔で笑うと、
「大丈夫だ。きっと大丈夫!」
と言う。何の根拠も無いのに、大丈夫なんて言われても、安心できないはずなのに……私は彼の笑顔に、安堵を覚えたのだった。そして火陽家で不安になったら、この笑顔を思い出そうと、心に決めた。名残惜しさ溢れる空間に、別れを告げる。
「では一水様、私はこれで失礼しますね」
「あぁ、お休み」
一水様は、微笑んで返事をして下さった。温かくなった心とは対照的に、冷えた身体を膝掛けで温める。青帆に風呂の準備をお願いしてから、私は流水の部屋へ向かうのだった。