30、ごめん
緑の合言葉によって溢れ出した蕾花力に圧倒され、流水は戦意を失った。
もう嫌だ。痛いし辛いし逃げたいし、やめよう。諦めちゃダメだ。まだ、まだ粘るんだ。守るべきもの? 護りたいもの? 嫌だ……自分は傷付きたくない。家に帰りたい……暖かいベットで眠りにつきたい。夢を見て……後悔して、自分に鞭を打って、努力して、立ち直って、前進してきた。けど……もう、駄目だ。
大粒の涙をぼたぼたと落として流水は崩れ落ちた。
腹は突き破られて内臓が欠損してるし、血が沢山出てるし、目も使い潰しちゃったし、何度も打ち付けた頭がグワングワンするし、肺は、ひりひりするし、喉が焼けるように痛むし、意識しても吐血が止まらないし、脚はボロボロだし、腕も血塗れで痙攣が治らないし、生きてることが不思議なくらい、身体中穴だらけだし、能力も底を尽きそうだし……このままだと、死んじゃう。
……何も守れていない、何も救えていない、この手で誰も幸せにできていない。こんなんじゃ、このままじゃ、父上に認めてもらえない……憧れの兄上なら、こんな時どうする? 立派で優しい母上なら? 二人ともきっと逃げたりしない。自分の弱さを認め、それでも立ち向かうだろう、護りたいもののために。なら……自分は弱くて情けなくて、クズでどうしようもないクソ野郎な僕は……最後まで諦めちゃ駄目じゃないか。責任を全うする責務がある。夢を叶えたいという希望がある。命を懸けてでも、護りたいものがある。何を渡してでも失いたくないものがある。
なら立ち上がるんだ。頑張って頑張って頑張って、それでも駄目だったとしても、頑張ったなら良いじゃないか。努力は無駄なんかじゃないその努力が届かなかったとしても、頑張った事実は変わらない! ……きっと、認めて下さいますよね? こんなに、みっともなく足掻いている僕でも、父上は認めて下さいますよね? 母上は褒めて下さいますよね? 兄上は認めて下さいますよね?
僕、頑張りますから。諦めませんから。今迄の自分を許せるように、今、全てを捧げます。もう二度と私は逃げません……我が身が滅びようとも守ってみせます。父上と母上と兄上が僕に託して下さったものを!
そして流水は立ち上がった。実年齢に戻った緑に、自分の全てをかけて総攻撃をする流水。雪を散らせ、雹を撒き、杭を構える。背後の水玉を動力源に、次々と杭を放っていく。しかし総力を挙げての攻撃は、緑を掠めるだけだった。右眼を失った流水は、的中力が半減していたのだ。質より量と言わんばかりに、流水は杭を撃ち続けた。一斉攻撃に耐えられなかった緑の首は、体と別れた。緑の首を撃ち落とした事で気が緩み、ふらついて倒れた流水は、目の前の光景に戦慄した。緑が首からツタを生やして、首だけで生きていたのだ。
流水は、飛びかけた意識を縛り付けて立ち上がった。憎しみしか無い表情で緑を捉えて、雨雲を発生させた。流水の頭上に出現した金の雲……それは、雨水家の慈雨だった。傷を治した流水は、地面を蹴って飛翔する。狙うは緑の首、蕾花を切り離す事だった。流水の蕾花は満開で、既に半分程凍っている。流水の慈雨は性能が高かった。しかし緑のツタによって出来た傷は、表面的には無くなったとしても、何故か精神的な痛みは消えていなかったのだ。傷は確実に身体へと蓄積されていた。
全身を巡る血が沸騰しているかのような苦痛を抱え、緑の放つ太く素早いツタの雨の中を、流水は走った。喉が削り飛ばされても、腕がもぎ取られて消えたとしても、片足が根元から食い千切られても、流水は止まること無く前進し続けた。
緑は、戸惑った。攻撃が外れている訳ではない。当たっているというのに、彼は避けていないというのに、何故か止まらない。確実に、こちらへと接近している……何故だ、何故避けようとしない? 何故、そこまで……緑は、鼻先まで近づいた流水の瞳を覗き込んだ。流水の瞳には何も映っていなかった。しかし、何も映さない彼の瞳には確かな光が宿っていた。そそして緑は理解した。流水は儂を殺して家族を護りたいだけなのだと。儂は、他のことを考えすぎていたのだと……。
その時、流水が緑の首根元を雪刃で斬り裂いた。転がる緑の首と、飛び散る赤黒い血を浴びて、流水は床に打ち付けられた。顔の横に転がってきた緑の首からは、蕾花の気配が消えていた。濁った瞳に、光は無かった。
緑に勝った流水は、豊土家に避難した家族を助けに行かなければという、半ば無意識的な使命感で起き上がった。フラフラとした覚束無い足取りで大樹の家から飛び立ち、氷結しない傷口から血を垂らし続けながら、豊土家を目指した。
右眼は失明している。再生された脚や腕などを含む身体は、細胞が蕾花に乗っ取られて形状が不安定になり、変形を繰り返したりしている。貫かれた胸からは、今だに鮮血が滴っている。
草原の中に強い蕾花力を感じても、眉一つ動かさずに素通りしていく流水。彼は生身のまま、種に匹敵する程の蕾花力を放っていた。
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流水は豊土家につき、辺りを見回した。そこは荒れ果てていた。黒煙が渦巻き、焦げ臭さと血の臭いで埋め尽くされていたのだ。時折、焼かれた建物が崩れ落ちる最期の悲鳴を上げるだけで、人の声は、悲鳴は聴こえない。此処に居た人達は皆、殺されたのだろうか。何処を見ても、赤、赤、黒、赤、黒……そこらじゅうに、死体が山積みになっている。その中に、血で輝きを失った白髪を見つけて駆け寄ると、それは深雪だった。その近くには、水園家の家族が重なり合って倒れている。
「う……い、うい……み……う、い……」
削られた喉が回復仕切っておらず、声が出難くなっているようで、思うように声が出なくなっていた。喉を震わせて、必死に舌を動かしても「深雪」の一言が、口から出ない。深雪は、ピクリとも動かない。深雪を抱き上げ、治癒水をかけるが何も変わらない。
あれ? 私は何のために……私は、何をしているんだろう。深雪を失った。澪も流津も、護りたかった水園の家族も……何も出来ていないじゃ無いか……守れやしなかった。自分は、どうしようもないくらい弱い。軟弱で天邪鬼で堕落者で……嫌だったはずなのに、見ているだけなのは、なのにまた、また一つ失った……何も出来ないまま。私は、私は何のために! 何のために力を望んだんだ? 失いたくないから、護りたいからって、それなのに逃げたのか? 私は上辺だけでしか、そう思っていなかったのか? 失いたくないなんて、ただの謳い文句だったんだ。逃げるための口実でしか無かった。一度でも守ったことがあっただろうか? ずっと、一を選んで逃げていたんだ。逃げないって決めたのに、立ち向かうって、言ったのに……約束、したのにっ……。
私は駄目人間だ。周りは全て正しかった。私が間違っていたんだ……情けない、今になっても、まだ逃げようとしている。自分の行いを間違いだと言うのは、今迄の自分を否定して、今は無意味だったのだと決めつけて逃げるのと同じだ。自分は間違ってない。間違いなんか誰が決めるって言うんだ! 正しさなんて、自分で信じたものが正しいんだ! 間違いなんてなかった。努力した自分を否定するのは、お門違いだ! 正しさが、他人の正しさにぶつかっただけなんだ! 進め、前へ先へ、水の流れるように! 段差があるから水は進むんだ! 私は、流水だ! 流れる水は、止まらない!
……私は、必死で自分を保とうとした。こんな言葉を自分に浴びせても、何も変わらないのに。意味なんか、無いのに。深雪は死んだ。これは、変わらない事実だ……守れなかった。深雪も、約束も。なんで、なんで置いて行ったの? 約束したじゃんか! なんで、なんでっ……! 深雪……ごめん……私今、深雪のことを凄く恨んでる……裏切ったなって、私を一人にしたなって、守るなんて、嘘だったじゃんって…………終焉を寄越してよ、深雪っ……!
……ごめん、ごめんね深雪……そんなの、私も同じなのにね。ずっと逃げていた。何を決意しても、何が起きても、私は逃げることを辞めに出来なかった。立ち向かうだとか、二度と逃げないとか……もう、何回言ってきたのかな? 何回目かなぁ? 結局、私も僕も駄目人間だ。何も変わらない。何も変えられない……努力なんて、意味あったのかな。
誰かのために……家族のために? そんなの、自分のキッカケ作りでしか無くて、誰かの犠牲が無いと、何も出来ないのと同じじゃ無いか……もう、本当に嫌だ。今度こそ、本当に一人ぼっちだ。もう辞めたい。こんな自分は、無いものにしたい……消えちゃえ消えちゃえ、死んでしまえっ! こんな私は、もっと早くに死ねば良かったのに! 未来の自分なんかに期待して、前を向くべきじゃなかったんだよ……あの時、死んでいれば……全てを捨てて、裏切って、死ねば良かったんだ。
間違えたんだよ、初めから間違っていたんだよ、僕が存在したのが、間違いだったんだ。どうして? ……なんで生き永らえてしまったんだ。なんで、なんで生きてんだよ、もういいだろ? 消えろよ……死ねよ、流水っ……!
自分に死ねと言った私の耳に、深雪や、澪、流津、父上、母上、兄上などの声が聴こえてきた。何か、都合の良い言葉を私にかけている。こんな幻聴まで聴こえて来るなんて……ばかばかしい……。私は家族の声を無視して、雪の杭を生成し、首に突き刺そうとした。
しかしその時、人の気配を感じた。驚いて気配を感じた方を見ると、緑髪の人達……緑木家の者が武器を構えていた。奴等は、大人一人が余裕で入りそうな程の大袋を、大量に持っていた。死体を持っていく気なんだ……奴等の目的を瞬時に理解した私は、攻撃を仕掛けた。しかし蕾花力が枯渇寸前で、蕾花も枯れそうな私に対して、三十という敵の量は多過ぎた。
治癒水が使えなくなり、水刃も水玉弾も、慈雨も使えなくなった。使えるのは、氷結と雪刃……氷雪家の特出能力のみだった。なんだか、体温が下がっている気がする。蕾花は、殆ど凍っていた。まだ少し残っている普通の血肉が、氷雪蕾花に蝕まれて行っているのか、瞬間冷凍されているような言い表し難い激痛が、身体を駆け巡っている。
それでも、家族をこれ以上目の前でいたぶられて行くのを、ただ見ているような自分になるのだけは許せない。私は、戦うしか無かった。狂ったように、走り、殴り、斬り殺し……しかしそれでも、蛆虫のように湧いて出て来る緑木家の集団に何十回も槍で突かれ、私は動けなくなって地べたに這いつくばった。蝶を標本にする要領で、地面へ槍で縫い留められているというのに、身体が氷雪蕾花に馴染んだのか、不思議と痛みは感じなかった。
揺らいで行く意識の中で、死体になった家族達に手を伸ばしながら、流水は自分を呪った。
どうか、どうか、こんな私に、もう一度チャンスを与えて下さるというのなら、やり直しを始めるその瞬間に……私を殺して下さい。居ない方が良かったのです。誰も幸せになりませんでした。誰も幸せに出来ませんでした。誰も守れませんでした。何も出来ませんでした。何も変える事が出来ませんでした。怠けた自分の本性を、正せませんでした。皆んな、失ってしまいました。私の所為で、救えたものも、救えませんでした。
父上、母上、兄上、流津、澪、深雪…………深雪の手が、目と鼻の先にあった。私は力を振り絞って、手を伸ばした。深雪だけでも護りたい……最後まで、深雪に触れていたいと、感覚の失せた手を深雪に向かって伸ばし続ける。しかしその手が、指先が、彼に届くことは無く、触れることすらも無かった。
流水の首は、斬り落とされた。
音もなく、水園流水の命は尽きた。誰も護れず、誰との約束も果たせずに、意味もなく足掻いた彼の人生は、意味を持たぬまま終わったのだった。




