2、思い出と現実の結果
「なぁー、澪、深雪〜、勉強って楽しいか?」
僕は、幼馴染達に尋ねた。草原に寝っ転がっていた僕を、深雪が笑って見遣る。
「ふふっ、流水は勉強嫌いなの?」
深雪に笑われてしまい、子供っぽいことを言ってしまったかな? と、少し後悔する。しかし、このままだと話題に区切りがつかなくなるので、深雪の問いに答えた。
「大っ嫌いだ!」
勉強を嫌いと言った僕を、不思議なものでも見たかのように首を傾げた澪が、振り向いて尋ねた。
「なんで? 領主の勉強は、そんなに難しいの?」
「うん! ……ものすっごく、難しい! とにかく覚えなきゃいけないことが多くてさぁ……」
「大変だね……でも、私だって家督だから、家長になる為の勉強、してるよ?」
深雪が同情の目で、僕を見つめてから溢した。
「そうなんだけどさぁ……」
「まぁた、お兄さんの話〜?」
「なっ、ち、違うし!」
自分だけではない事は分かっているが、僕が言いたいのはそういうことではなくて……という思いが、言葉を濁す。それに呆れたようで、澪が揶揄ってきた。慌てて否定するが、澪は、良い餌でも見つけたかのように噛み付いて来る。
「流水は、お兄さんのこと、大好きだもんね〜」
「はいはい、澪、冗談はそこまでにして? ……ずっと気になってたんだけど、流水……本当はお兄さんのこと、どう思ってるの?」
調子に乗り始めた澪を、深雪が静め、疑問を投げて来る。輪郭のぼやけている言葉を、手探りで固めて紡いで行く。
「僕……本当は、兄上のこと――」
目が覚めた。どうやら、自習中に居眠りをしていたみたいだ。僕は、いつでもどこに居ても眠くなるので、珍しいことではないが、夢を見るのは珍しい。懐かしい夢だった……自分が、まだ幼い子供だった頃の思い出だ。二人のことを考えながら寝落ちしたから夢を見たんだろうか? あの頃は、澪と深雪の3人で、よく遊んでいた。三人とも年齢は違うけど、とても仲良しだったし、深雪と澪は、僕にとって兄弟みたいな存在だった。最近は、それぞれの家で正式に家長になり、2人共忙しいので、中々3人は揃わない。
深雪の家……氷雪家には、しょっちゅう遊びに行っているが、澪には四年も会っていない。五年前、奥さんを連れて突然水園家領を出て行ったと思ったら、昨日父上に連れられて、子連れで帰って来たらしいから、とても気になる。本音を言うと、澪の子供が見たい!
澪も水園家領に帰って来たことだし、近々三人揃う機会があるかもしれない。でも、それぞれ家のトップだし、忙しいかな。ま、どうしても会いたくなったら二人の仕事場に行っちゃえばいっか。僕は課題さえ、サボっちゃえば暇だもんね?
そう、暇なのは僕一人。僕は家督でも家長でもない。兄上が家督だからだ。僕は五大家の一つ、水園家の次男だ。現在の水園家当主は僕の父上で、僕は兄上に、もしものことがあった時の代わりだ。
兄上のことは、別に嫌いではない。しかし、兄上が家長の座に就くまで、僕という保険が必要なのだ。なんてったって、五大家の一家だから。家長を継げないと家が倒れてしまう。家のトップが消えると、他の家の奴らに庇護下の花家や領民が奪われてしまう。つまりは、水園家壊滅だ。五大家の均衡も、崩れる。五大家の何処の家が絶家になっても、花家や領民、土地の奪い合いで戦争が起きるだろう。そんなことがないように、僕のような保険をかけるのだ。なんて、今の自分に皮肉めいたことを言ってみる。
まだ終わっていない課題に、再び手をつけることはせず、ぼーっと窓の外を眺めてみる。水園家の領地をぐるりと囲んでいる氷の壁。壁の外側は、深く広い大河で囲まれているらしい。壁の外には出たことがないので、外のことはあまり知らない。氷の壁は、水園家の蕾花能力によって、強化保護が施されており、絶対に溶けることはない……らしい。
蕾花能力か……僕には、自分の能力を操る才能が無いからなぁ。何回かやっても上手くいかなかったから、直ぐに諦めたし。逃げて、サボって、色んなことから逃げている癖に、未だに自分のやりたいことが見つかっていない。
僕の存在には、価値がある。しかし意味は無い……そんな感じ。
ふと、空を飛んでいる一羽の鳥を見つけた。自由に空を泳いでいる小鳥だった。自由に何処へでも行ける鳥のことが、正直羨ましい……
「あーあ、僕も鳥になりたいなぁ……」
言ってなれるわけではないが、言ってみた。頭では解っているんだ。恵まれた環境に生まれて、この環境で育った責任と、この環境に居続けるための努力から逃げて、自由になりたい……と思うのは、わがまま過ぎるってことくらい。
突然、静かな部屋に、扉をノックする音が響いた。「どうぞ」と入室を促すと、静かに扉を開閉して、僕と兄上の教師……青帆が入って来た。
「失礼致します流水様。先日行った、復習テストの結果が出ましたので、ご報告に参りました。水様が採点して下さったのですが……」
「父上が? 珍しいね……最近は花家間の争いが、勃発してるんじゃなかったけ? 水園家から派生した花家の救出で忙しかったんじゃないの?」
青帆と会話をしつつ、ゆっくりとした動作で、机の上を片付けて行く。
「はい、その通りなのですが……私が流水様の解答用紙を持って、自室に向かっている途中、花家救出から戻った水様が……」
「青帆じゃないか。どうだ? 流水の勉強ぶりは」
「水様! 何故このような所に……? あっ……失礼致しました。本日も、御勤めご苦労様です……あ、失礼しました。流水様の勉強嫌いは昔からのことながら、本人は大変努力なさって居ります。本日は復習テストを致しまして、これから採点を行うところであります」
「そうか……では、その解答用紙、私が採点しよう」
「と……いった流れで……」
一人二役で演じ、青帆は、その時の状況を説明してくれた。
「……はぁ、成る程。そうだ、父上は元気そうだった? 最近の救出した花家と云えば……澪の家だよね?」
「左様であります。水様は、少しお疲れのご様子でありました。しかしながら、私から流水様の解答用紙を受け取られた後、嬉しそうにお帰りになられました」
「……そう。で、テストの結果は?」
「……此方でございます」
青帆から解答用紙を受け取り、点数をみる。
「うわぁ……凄い点数……」
と、溢しそうになるのを、グッと堪えて無言で固まる。そんな僕を心配したのか、青帆が、僕の持っているテストを覗き込んだ。
「……流水様? どうなされまし――……」
しばらく、部屋を静けさが包み込んだ。原因は、テストの結果である。勉強は、ちょくちょくサボっていたが、真逆こんな点数になってしまうとは……末恐ろしい……。青褪めている青帆を見るに、僕に見せるまで、テストの結果を確認していなかったのだろう。青帆が思い出したように、ぎこちなく僕の顔を見た。
「そういえば水様が、此方のテストを返して下さった時に……」
「……流水に話がある。夕飯は、遅れずに来いと伝えてくれ」
「と、仰っておりました……! もしかしなくても話って、テストの結果についてなのではないでしょうか?」
またしても、一人二役でその時の状況を再現する青帆。笑いを堪えて、なんとか返事をする。
「……まぁ、そう考えるのが自然だね……」
「自然だね……じゃないですよ! どうしましょう? ! 大変ですよ! この結果では、叱られること間違いなし! じゃないですか〜!」
「そうだね……」
青帆は、何か起きると、直ぐにオーバーリアクションを取るので、見ていて面白い。そんな明るい青帆が、また表情を変えて尋ねて来る。
「はっ! 忘れていました! 今日の課題、終わっていますか?」
「あ、あぁ。これ……終わってるよ」
本当は終わっていない課題ノートを青帆に渡す。
「そうですか。では、回収させて頂きますね。今日は、此れだけなので、もう自由時間です。お好きなように過ごして良いですよ〜。それでは、御武運を……」
僕が嘘を吐いていることも知らずに、ノートを受け取った青帆は、ノートの中身も確認せずに、いそいそと部屋を出て行った。再び静かになった部屋で、一人呟く。
「御武運をって……大袈裟な……」
青帆って、意外と抜けてるよな……僕を信用しきって、疑っていないだけか……? まぁ、いいや。お陰で自由時間をゲット出来たことだし。
こうして自由になった僕は、水園家に帰って来た澪の家へ、遊びに行くことにした。