27、深雪の選択
深雪と別れてから、一週間が経った。あれから一度も深雪に会っていない。毎日届く各家からの報告書の中には、氷雪家の書類も有るが、家長の深雪に会えていないのは、ただ単に、お互い忙しいからなのだろうか。そんな事を考えながら、本日分の書類を片してゆく。
澪からの報告書には、家族円満に生活していると記されていた。澪に会ったのは三日前だ。露草家に仕事がてら遊びに行った時、澪は艶ちゃんを他の二人以上に、かわいがっていた。私の言葉なんかが無かったとしても、澪は立ち直っていたのかもしれない。澪の艶ちゃんに愛情を注いでいる姿を見て、私はそう思ったのだ。
矢車家は、次期家長に付いて揉めているらしい。矢車家の家督である年子の姉弟が、家長の座の譲り合いで争っているのだとか。まあ、今に始まった事でも無いので「家内でよく話し合って解決するように」とコメントしておいた。
氷雪家、青雫家、雨水家などの報告書には、襲撃の被害で孤児になった者の受け入れで忙しい、と書いてあった。基本的に孤児は全員、青雫家に保護される。そこで養ってもらい、十歳を迎えれば他の家に配属される仕組みになっている。
しかし氷雪家には適性が無いと入れないので、他家との話し合いの末、適性のある子を譲って貰ったり、スカウトしたり、希望で来た人を迎えたり……門弟集めは一苦労なんだとか。
そういえば雫は、新入の教育で忙しそうだったな……と、最近の様子を思い返した。雫は、私の従者が主な職業だが、襲撃後の連日は、青雫家の者が、仕事中に何度も訪ねてきていた。今も青雫家に戻って、問題解決の為に奔走している。
紫陽花家は襲撃の際、家長が大怪我を負った。今日、息を引き取ったと報告書に書いてある。私が家長就任挨拶に行った時は、家長の旦那さんにしか会わなかったので、私は彼女の顔を知らない。「明日にでも挨拶をしに行く」と書いておいた。
その後も、書類にコメントや対処法方、提案の許否を、ひたすら書いていった。
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「……氷雪家が、裏切った、だと?」
本日分の書類仕事を済ませた私の元に、想定外の情報が入ってきた。情報係は淡々と述べた。
「……はい、そのようです。氷雪家は、豊土家を壊滅させ、露草家の子供を拐うと宣言しております」
意味が分からない。事実なのか? 深雪がそんな事をする訳が無い。氷雪家が裏切りなど、する訳がない……。頭が混乱して、情報係の言っていることが理解出来なくなってゆく。そんな中で私は、声を絞り出した。
「何故……いや、しかし……報告、感謝する……命令だ。何か裏がないか調べろ。なるべく早く。私は、氷雪家から連絡があり次第、通達を出す」
「了解しました」
情報係に簡潔な命令を下し、混乱している思考を纏めようと試みる。解らない、何故氷雪家が裏切るのだ……裏切りでは無いのか? しかし、豊土家を壊滅した訳は? 裏切りでないなら、何故私に一言言わなかった? 深雪は何を考えている? 何故私を頼らなかった? 情報係が去った後、私は忙しなく回る思考を一旦停止し、戻ってきた雫を連れて、氷雪家から連絡が来ていないかを確認する為、水鏡の間へと向かった。
扉の前に雫を置き去りにして急ぎ足で部屋に入り、水鏡に自分の血を落とした。赤い血が一瞬滲み、水鏡に波紋をつくる。その瞬間、水鏡が青い光に包まれ、水面には雪の結晶に雪だるまのシルエットが印された、氷雪家の家紋が浮かび上がった。
どうやら、丁度連絡が来ていたようだ。はやる気持ちを抑え、水面に手をかざす。途端に水鏡を包んでいた光は消え、水面には眉間に深い皺を刻んで、水面を覗き込んでいる氷雪家の家督……淡雪が写っていた。淡雪は顔中傷だらけで、酷くやつれているようだった。私は、そんな淡雪の顔色を無視して、先程の情報の真偽を問う。
「氷雪家が裏切ったとの情報が入った。急ぎ、説明を求む」
「はい……誠に申し訳御座いません……水様。我ら、氷雪家一同、謝罪致します……」
「許す、早く状況を説明してくれ」
「了解しました。私は先週末に、緑木家の使いに遭遇しました。水園家の家領の中でした。その使いは、氷雪家に暗殺の依頼をしてきました……」
「……受けたのか?」
「いいえ、勿論受けていません」
「では、何故?」
情報を求めるあまり冷たい口調になってしまったが、今はそんな事を気にしていられない。彼は戸惑って視線を泳がせた後、口を開いた。
「……申し訳ございませんっ……略して話すと……水様! 緑木家は、水園家潰すつもりです! 緑木家は、既に動き出しています! 今すぐ水園家領にいる家の者達を領外へ逃がして下さい!」
私の普段はあまり出さない声色に淡雪は怯えたようで、震えながら更に重大な問題を投げてきた。
「家領の外? そんな事……」
「出来ます! 氷雪家が造った地下通路を使って下さい! 通路は領外まで続いており、出口は此処に繋がっております!」
彼の切羽詰まった物言いに、私の方が落ち着いてきた。ゆっくりと、いつも通りの落ち着いた声色で残りの疑問を投げかける。
「……分かった、そうしよう。しかし何故、豊土家を?」
「それについては、此方を……」
彼は答える代わりに、震えるその手に握っている銀の筒を差し出した。私は水面に手を沈め、水面の向こう側でその筒を掴み、水面の中から手を引いた。直径約2cm長さ約15cmの筒が私の手の中にある事を確認し、淡雪に問う。
「これは?」
「そちらは、水様が求めている答えを記したものでございます。雪様が、其方を水様に渡してくれと仰っていましたので……」
「……深雪が……分かった。私は、氷雪家を信じている。其方に水園家の者達が辿り着いた後の事は任せた」
「了解しました。お任せ下さい……水様……御無事でいて下さいませ」
「……大丈夫だ、私は家族を護る為に存在する。私の無事を祈る家族がいるなら……絶対無事に、家族の元に帰る」
水鏡の通信を切る瞬間、淡雪が呟いた。
「どうか、間に合いますように……雪様……」
大丈夫だ、心配無い。今度こそ、家族を守る……二度と失う訳には行かない。絶対に守るんだ……何があっても。
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銀の筒を握りしめて、再び早足で執務室へ戻る。水鏡の間の扉前で待機していた雫が、銀の筒を見やり隣に並んだ。雫は、眼鏡をかけていなかった。
「水様、其方は収穫ですか?」
「ああ。氷雪家の家督から受け取った」
銀の筒を、雫が見やすいように胸の前に持ち上げる。すると、私の言葉に首を傾げた雫は疑問を口にした。
「何故、家督からなんです?」
「……確かに……何故だろう。重要な物なら家長から渡すのが正しいやり方だ。淡雪は、深雪に指示されたと言っていた……深雪に何かあったのかもしれない」
雫に指摘され、私も首を傾げる。
「深雪さん、忙しそうでしたもんね……失礼ですが、その筒の中身は確認済みで?」
「ああ、いや、執務室に戻ってから確認しようと……」
「左様ですか……どうぞ」
と言って執務室の扉を開く雫。私は机に向かい、筒を開けた。中には巻かれた紙が入っており、紙には氷雪家の家長である深雪の字で、事のあらましが記してあった。
家督の淡雪が言っていたのが、事の始まりのようだった。緑木家の使いからの暗殺依頼を断った次の日、修業中の氷雪家の門弟が、数名拐かされたそうだ。私は、深雪の字を目で追って行った。
大切な門弟が三人も居なくなってしまったと一家総出で捜し回り、一人も見つけられずに日が暮れた。家に帰ると脅迫状が届いていた。内容は下記通りである。
「門弟を無事返して欲しくば、水園家を裏切り、露草家の子供達を此方に寄越せ。したらば門弟と交換してやる。期日は三日以内。遅くなれば門弟を傷物にしてやる。」
私は、その3
三日間何も出来なかった。期日の3日間が過ぎ家に帰ると、家の門に拐われた門弟の一人の腕が縛り付けてあった。一見したら何か分からないほど傷付けられていた腕の、まだ乾ききっていない血は、門を赤く染めていた。凄惨な光景には慣れている氷雪家の家長である私でも、大切に育てていた門弟の腕というだけで、正気を失いそうだった。
拐われた門弟達は幼く、腕を切り落とされる痛みなど知る必要がないというのに……傷の具合からして、原形が判らなくなるまで傷付けた後、腕を切り落としたようだった。底知れない怒りが湧いてくるなか、腕の側に落ちている緑の封筒に気がついた。中身の手紙は下記の内容であった。
「約束通り傷物にしてやった。三人共達磨にされたくないなら、露草家の子供達を親を殺してでも、連れて来い。一度目の頼みを断ったから、追加で仕事をして貰おうかと思ったが、貴様らに選択肢を与えてやろうと思う。露草家の子供達か、水園家当主スイの首……このどちらかを寄越せ。儂は、どちらでも良いぞ。貴様らが正しい選択をする事を願っている。」
一通り読み終わり、息をつく。読んだ私と書いた深雪は、きっと同じ想いだろう。
「緑木家の傲慢さに腹が立って仕方がない」
貴様らは一体、何様のつもりなんだ。家族のどちらを殺めて失うか選べと言っているようなものじゃないか。そんなの……選べと言われても選べるわけがないだろうが! 怒りに任せて手紙を破きそうになる。しかし、手紙には続きがあった。
「水様、誠に申し訳ありません。身勝手ながら私は、自分の家族を第一に考える事にしました。血の繋がっていない門弟と云えど、同じ氷雪家の大切な家族という事に変わりはありません。水様の家族である私が、同じく水様の家族である露草家の子供達を、緑木家に売ることをお許し下さい。
追記……豊土家の当主様とコンタクトが取れたので、領民を豊土領に逃して。壊滅させたというのは誤情報だから大丈夫。豊土家も緑木家に脅されているみたいなので、私はそれを利用したの。流水は豊土家に、いい思いは無いだろうけれど、当主様は良い御方だから、仲良くできると思う。後の事は任せたよ、私は澪の所に向かうから。ごめんね、流水。氷雪 深雪」
手紙を読み終え、眉根をきつく寄せる。
「……水様、これは……」
驚きと動揺を隠せない表情で、手紙の文と私の顔を交互に見る雫を、視界の隅に映し、深雪の記した文字を睨んだ。雫の次に云わんとする事が手に取るように判り、それを言わせないように言葉を放つ。
「判っている! ……判っているっ……」
怒りに震える拳を握り締め、直ぐに動けるような打開策を思いつかない己に、歯を軋ませた。
何故こんな事になっているんだ。水園家が何かしたか? 緑糞爺にも、なるべく丁寧に対応していたはずだ。無茶振りや、理不尽な呼び出しにも応じて……水園家で一番貴重な書物だって渡したはずだ。何が気に入らなかったんだ。五大家階級最下位の水園家が、最上位家の当主である緑糞爺の提案を蹴った事が気に食わなかったのか? 金輪際、水園家に関わらないと約束しただろう! 何故なんだ……? なんで……
「なんだって、深雪と澪をぶつけるんだっ! 幼馴染の二人の家族をっ……なんでっ……お互いの家族を奪い合わせるようなことをさせるんだ! おかしいだろ、なんでなんだよっ……」
怒りが溢れ、思わず怒鳴る。そんな私を静めるかのように、雫がおずおずと言葉を発する。
「……水様……それより、これは……」
それに応えて、落ち着きを取り戻した私は静かに言う。
「判っている。これは……裏切りだ……」
自分で言っておきながら、やはり違うと訂正しようとしてしまう。これは裏切りなんかじゃない、深雪が、氷雪家が、家族を一番に考えた結果なだけだ。なのに、水園家の者を緑木家に売るのは、立派な裏切り行為になってしまう。遣る瀬無い気持ちが溢れていく中で、ふと一つのアイディアが浮かんだ。
取引の中に、自分が入っていることが頭をよぎったのだ。家族を一番にしろと皆に説いてきた私が、この現状を生んだ一番の元凶である私が……そうだ。ならばやることは一つだ。
私はわかっていた筈だ。緑糞爺が約束を守らないことくらい。苦しむ他人を観て、笑っていることだって……だが、他に家族を守る方法がないなら、自分は……私に出来ることを……。
「雫、情報係に伝えろ……水園家の全員に伝わるように情報を流せ。直ちに家領の外に出て、元豊土家家領にいる氷雪家の者に合流せよと」
「了解しました……水様はどうされますか?」
「……そんなの、わざわざ聞かなくとも分かっているだろうに……雫、今迄よく支えてくれた、ありが――」
兄上が言いたかった、言えなかったであろう言葉を、代わりと言っては何だが、現家長の私が言おうとすると、雫がそれを遮った。
「水様! ……まだ、早いですよ? そんな事を言うには……」
雫が冗談混じりに、にかっと笑った。
「雫……」
切なくなり、雫の笑顔を目に焼き付けまいとしていると、業務モードに戻った雫が素早く言った。
「……水様、私もお供致します。断ったって無駄ですからね。情報係に先程の命令を伝え次第、水様の元へ参りますので、あまり無茶はされませんように……」
真面目な兄上に仕えていた雫のことだ。きっと……兄上からの最後の命令を、全うしたいのだろう。そういう事なのだろうから、雫を止めるのも気が引ける。
「……分かった……早くしないと置いて行くからな!」
と言い残し、私は雫を置いて足早に部屋を出て行くのだった。
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水様が部屋から出て行った後、情報係が背後に出現した。
「……聴いたな? 水様の仰った通りだ。早急に皆に伝えろ。露草家の子供達を一番に逃すようにしろよ」
「了解しました……すみません、水様からの命令通り裏がないかを調べました所、此方の情報を手に入れましたので、お目通しを……」
情報係から、氷雪家の家紋が印された封筒を受け取り、中身の手紙に目を通した私は、その内容に動揺した。慌てて背後を振り返り飛び退いた私を、情報係の彼女は嬉しそうに眺めてきた。
「……アンタが……!」
情報係こと紫陽花家の家督である、紫陽花 紫茂鞠が、口に手を当てて笑った。
「うふふっ、良いお顔だわ」
彼女は微笑みを深めて、ゆったりと私に迫って来る。
「私、水園家より面白い家の方にスカウトされましたの。そう、緑木家ですわ。だから申し訳ないのですけれど、期待外れな裏切り者の貴方には此処で死んで頂きたいの……宜しくて?」
じりじりと追い込まれ、背中に壁が当たった。紫茂鞠の張り付けたような笑顔を前にした私の頭に、緑糞爺の台詞が蘇った。
「儂の手から、逃れられると思うなよ? お前がスイ君を助けようと、護ろうとする度に契約がお前を縛る。姉や恩人を見捨て、命を懸けて契約を破ろうとしたって無駄だ。儂の手先が、お前を逃がさない」
私は奥歯を噛み締めて、悪態を吐いた。
「くそっ……!」




