18、帰宅後の不味いこと
火陽の姫君との会合を終えて、水園家領に帰ってきた私達は、それぞれの家に帰った。私と雫は、残していた仕事を片付ける為に、執務室へ向かう。執務室と言っても、父上の執務室は使っていない。自室の勉強机を、そのまま執務机に使っているだけだ。
父上の使っていた机は、自分が使って良い代物ではない気がするのだ。書類が山積みになっている机を一瞥し、椅子にもたれ掛かった。
「はぁ……疲れた……火陽の姫君は……いや、問題は金城家当主の方か、結局何をしにきたんだろうな? ……どうした雫」
「あ、いえ、すいません……」
「やっぱり暖火のことが気になるか? ……大丈夫だと思うぞ、あれでいて火陽の姫君は、私達のことを見下しては居なかったからな。階級が上の家は、下階級の家を見下していると書物で読んだことがあったから、心配していたんだ……火陽の姫君が良い人でよかった」
「確かに、そう……でしたね」
心ここに在らずな雫を安心させようと色々言ってみるが、相変わらずな態度に、本気で心配になる。
「本当に大丈夫か? そんなに心配しなくても、大丈夫だって言っているじゃないか」
「いえ、姉さんのことはもう……気にしていません。私は、今日再申請が来ていた、露草家の家長についてのことを考えていただけです……っと、口が滑りました。聞かなかったことにして下さい」
疲労が見える顔色と、本当にウッカリいった様な表情で、雫は気まずそうに目を逸らした。
「……露草家についての報告書が無いと思ったら、雫が持って行っていたのか……返せ、それは私に来ている案件だからな……それに、もう、気持ちは割り切った。今更――」
「澪さんの意識を戻す方法があると言っても?」
「なっ! 本当かっ?」
私の弁明を遮った雫の言葉に、思わず立ち上がる。すると雫は、ニヤニヤと笑いを浮かべて、ポケットからその書類を取り出し、ヒラヒラと私の前で書類を泳がせた。
「ほーら、何が割り切ったですか? 食い付く癖に〜」
「雫、酷いぞ……私が割りきったのは仕事と、私情のことだ」
「はいはいそうですか。で、意識を取り戻してあげたいですよね?」
反抗も虚しく、雫は私の言葉を聞き流した。しかし、一瞬真面目な顔をして聞いて来るものだから、私は真面目に答えた。
「勿論だ。あんなに我が子のことを可愛がっていたんだ。罪悪感よりも、子供の成長の方が、澪にとっては優先順位が上だろうし……その……」
言い終わりに口籠ると、雫はわざとらしく笑った。
「ぷっぷ〜ハイアウト〜私情フィルター通りました〜!」
「なっ! 私情じゃないぞ!」
雫は私の否定を受け流し、書類を靡かせて出口へと向かって行った。
「まだまだ子供ですね〜私、水様の為に一仕事やって来ますね、それでは〜」
「おいっ! ……全く…… 勝手な事をしなければ良いのだが……」
止めようとするも、雫は聞く耳を持たずに、部屋から出て行った。
結局のところ、雫は私のことを想って、澪に関する仕事を処理しようとしてくれていたのだろう。雫から言われていなければ、恐らく取り乱していた。しかし、子供ですね〜だとか、あんなに私を馬鹿にして煽る必要はあったのだろうか? 私は子供では無い。お子様扱いをされるような年齢でも無い。
「はあ……雫は何を考えているんだか……」
溜息をついてから、私は山積みの書類処理に取り掛かった。
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執務室を出た雫は思っていた。これは、自分にしか出来ないだろう。しかし、
「こんなことをしてまで取り戻す? ……露草家ってそこまで必要なんですかね? やるだけやってみますけど……でもやっぱり、流水様は……まだ十三歳の幼い子供ですよ」
呟いた雫は、重い足取りで露草家へと向かって行った。
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日暮れが近づき、赤く空が染まり始めた頃、雫が慌てて帰って来た。
「水様っ!」
あと数枚の書類に手を伸ばした瞬間だったので、驚いて書類を落としてしまった。
「どうしたしず――」
「水様っ!」
続いて、雫と同じ台詞を叫んで駆け込んで来たのは、矢車家の家督だった。
「何事だ? 書類届の時間はまだの筈では?」
「いえ、そうではなくてですねっ……」
「ちょっと、失礼ですよ! 水様への情報提供は、私を通してから……っ、申し訳ありませんっ! 失礼します!」
彼女を追いかけてきた雨水家の者が、何に怯えたのか慌てて踵を返し、去って行った。
「やれやれ……一体何があったんだ? 雫のは後で聞く」
「はい、突然訪ねてしまい、申し訳ありませんでした。緊急事態でして、豊土家と思われる者が、青水河を埋めようとしているのです! 人数は三人、地面を動かして、青水河に被せて行って居りまして、東門は既に埋められました。三分弱で、東門の幅分を埋めたのです! 東門を埋めた後、二名は北と南側へ行き、一人は土像を用いて門へ攻撃をしています。只今は矢車家家長が、奴らを監視しております。攻撃と見て良いと思います!」
氷壁の外側に有る大河には名前があって青水河と言う。東門の横幅は、十メートル程有る筈だ。青水河は、水深百メートル以上有る。それをたったの三人で、三分だけで? 土を操れる豊土家か……なんと恐ろしい。
私は、その時思い出した……青水河の本当の役目を。
「不味いぞ……雫、雨水家と青雫家を招集しろ、急げ、青水河を全て埋められては、大変だ。三分以内に南門と北門を確認し、東門へ来るように……矢車の家督は各家に伝えろ、今直ぐに家の中に入り、身の安全を確保せよと」
「了解致しました! 失礼します」
矢車の家督は、窓から飛び出して行った。私達も窓から飛び出した……その時、雫が私を引き留めた。
「水様、私の報告ですが……」
「今は緊急事態だ、青水河が埋められると、どうなるか知っているだろう? とにかく急いでくれ」
「……了解です。失礼します」
雫の報告も気になるが、水園家の安寧がかかっている事態なので、取り敢えず保留だ。雫と私は、それぞれ目的の方向へ飛んで行った。
青水河を埋められると、水園領を護る結界が張れなくなる……それはまだ良い、結界は氷壁の方でも張れるからだ。ちょっと不味いのは、青水河の付け足し機能……水蕾花属性でない者が、水園領に侵入するのを防ぐ機能が、損なわれる事だ。そうなってしまうと、領内への侵入は容易になり、水園の領民でない者も簡単に潜伏できる環境になってしまう。家の鍵が掛かっていなければ、泥棒が簡単に侵入できるのと同じだ。
弱小家な水園家の、最終防衛ラインをぶち壊されたら、あっという間に他家につけ込まれ、絶家コースを爆走することになる。
そして、青水河本命の機能は、水園領を支える土台であることだ。水園領は、巨大な湖の上に浮いている氷河の上に在る。水園家の先祖は、氷雪一族で、雪と氷を操れた。そのため、氷河の成分をいじったり色々して、人の住める地にしたそうだ。他家との交流で、家の存続を脅かされ、氷壁を造った……らしい。今世で、青水河と呼ばれている大河は、元湖ということで、埋められてしまうと水園領が崩壊する……という訳だ。
一分僅かで、私は氷壁にたどり着いた。領外を見ると、確かに青水河が埋められていた。東門は、すっかり地面に着いてしまっている。あの時の土像と全く同じ土像だ。操っている者は、茶色を基調としたローブを着ていて、フードを目深に被っていた。
「矢車の家長、状況は?」
「水様、お待ちしておりました。奴は、ずっとあの様に突っ立っております。土像を動かしているのは間違いございません。奴の手から生成せれていくのを目撃いたしましたので」
「そうか」
矢車の家長と状況確認をしていると、雫が飛んで来た。
「水様! お待たせ致しました」
「雫か、どうだった?」
「はい、南に雨水家、北に青雫家を五名ずつ名配置し、青水河の修復及び、襲撃者の排除を命令。監視用の水玉を、それぞれに置いてきました。私の眼鏡と画面リンク中。それぞれ攻撃を開始致しました。修復に二名、護衛に一名、攻撃に二名の配置です。水の攻撃が襲撃者に命中しました……これは……まずいっ……! 聞こえるか! 全員早急に撤退せよ! 急げ!」
ただならぬ雰囲気で、慌てて撤退命令を出す雫に、状況説明を求める。
「雫、何が起きた?」
何を見たのか、雫は恐怖と驚きの入り混じった表情で告げた。
「……水様、襲撃者は人間ではありません……!」