15、流水の決意
「何してるんですか流水様……!」
雫が僕を浴槽から引き上げた。その流れで浴室の床に叩きつけられた僕へ、慌てた表情の雫が掴みかかってくる。
「……な、にって――ゲホッ!」
傷ついた内蔵からの出血が、気管支に侵入したのだろう、口から血が吹き出た。僕は、あっという間に、血と水の混じった血水だまりをつくった。
血塗れのワイシャツで、ダラダラと全身の傷口から血を流している僕に、雫の怒号が降り注ぐ。
「馬鹿なんですか? ……いや、馬鹿なんですね! そんなことしても、上様達は帰っては来ませんよ?!」
「そんなの分かっ――ゴッ……ゲホッ、……自分の……気持ちを、たしか……め、たくて……ゴホッ」
なんだか何処も彼処も痛いし苦しい。視界が揺らいできた……雫が、なんか……言ってる。頭に響いて、うるさいな……。
すると突然、雫が僕を水の玉で包もうとしてきた。傷が癒されてしまう! と思い、慌てて雫から離れようと起き上がる……が、腹の傷が思ったより深く、ドパッと血が溢れ出し、ずきずきと鋭い痛みが広がり、再び倒れ込んだ。
「本当……辞めて下さいね。こんなこと……上様と、似たような事するなんて……驚きましたよ。やっぱ兄弟なんですね」
呆れたように溜息を吐いて手当を再開しようとする雫に、全力で抵抗の声を上げる。
「や、めて! 父上が……僕に……くれた、最後の――! 治さな、痛っ! で……消してほしく……ない――」
「……そうですか。じゃあ、このまま苦しんでいて下さいね。さようなら」
雫が、そう言って去って行く……意識は、そこで途切れた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
目が覚めると、体が重かった。起き上がろうと身体に力を入れてみると、全身の傷は鈍く痛んだ。
シャツをチラッとめくり、傷の具合を確認する。綺麗に、しっかりと手当の施された傷を包帯の上から撫でてみた。ほんの少しの力で触ったつもりだったが、強烈な痛みが腹に広がった。
「うわっ……以外と……傷、深い……」
「あ、お目覚めですか? 流水様」
僕の独り言を聞きつけたのか、雫が部屋に入って来た。
「……おはよう? 僕が眠っている間……えっと、あれからどうなった?」
「どうなったも何も……報告すら面倒臭いんですけど?」
「え、ごめん……でも、お願いします……」
先程の宣言通り、とてつもなく面倒臭そうな素振りで片手に持っていた書類をめくり、それでもきちんと報告してくれる雫。
「はぁ……先ず雨水家の家長が倒れました。次に露草家の家長も倒れました。領民には青雫家と雨水家が説明をし、混乱は防ぎました。氷雪家と紫陽花家が大活躍してくれましたよ」
「……うん? そっか、教えてくれてありがとう……」
ど、どうしよう……領家の生まれなのに、領に居る家の名前が分からない。花家救出や、無所属だった花家が入って来たこともあって、領に居る花家の名前を覚え切れていないんだよなぁ……勉強しないと。
「で、ですね、姉から貰っていた物がありまして……このプリントなんですけどね、やったら良いと思うんですよ。流水様、怪我が治るまで暇でしょう? 」
「うん。そうだね、やるよ……僕でも解る問題かな……?」
嫌味な表情で、プリントを突き出してきた雫へ素直に応じると、予想外だ! というようなリアクションを返された。
「やるんですか!? …………え、まあ、流水様用に簡単な問題をまとめてくれたそうなんで、解けると思いますよ」
「そっか、頑張ろう……」
僕は雫からプリントを受け取り、一番上に乗っていた自習用のノートを開いた。前に途中までやって提出した所を見ると、何かコメントが書いてあった。よくよく見ると、それは母上と青帆の字で、可愛らしい動物のイラスト付きの応援メッセージだった。
僕は、ノートとプリントを退かして、ベットからずり下りた。床に這って頭をぶつける、何度も。
どうしようもなくなって、叫びたくなって、自分のことが心の底から嫌いになって、消えてしまいたくて――
「ちょ! またですか? 辞めて下さいって、流水様! 」
慌てて止めに入って来る雫の腕を振り払い、顔を覆って蹲まる。
「ごめん、ごめんなさい、ごめんなさっ……僕は! 本当に、ダメ人間で……どうしようもない堕落者で……いない方が良かったんだ……僕が居なかったら母上は、父上と兄上だって、死なずに済んだはずだ! 雫の父上だって、姉上だって、僕の家族と、雫の家族を殺したのは僕なんだ……! 全部僕が、居なかったら……僕なんかが居たから、皆んな、居なくなってしまった! ……僕は駄目なんだ、居ない方が良かったんだ、今からでも、他の人を巻き込まないように、消えてしま――」
消えてしまいたいと言いかけた僕を、雫が、ひっくり返して突き飛ばした。
「そんなにっ……そんなに自分を否定しなければ立ち上がれませんか? 逃げる道なんて、貴方にはもうありませんよ! 確かにそうですよ! 貴方さえ、アンタさえ居なければ、上様は、父さんは……水様だって死ななかったでしょうね! ですが? それが何だっていうんです? 今は、貴方しか居ないじゃないですか! もう居ないんですよ! 貴方の母上や、父上兄上も! 私の姉も父も! 今から貴方が死んで居なくなったって、時が戻る訳じゃないんです……誰も、帰って来やしません。貴方しか……流水様しか居ないんですよ!」
「でも! 僕は、いくらやっても駄目なんだ! 誰も護れやしない! 幸せになんて、出来ない! ……要らないんだよ、僕はっ」
「馬鹿言わないで下さいよ……貴方は、水園家の家長ですよ? 今更、その生まれを否定出来るとでも思っているんですか? ……ここまで、いろんな人を巻き込んで、死なせて、それでも……まだ苦しみたくはないと、自分には出来ないと、進むべき道を踏み外すんですか!」
「仕方ないんだ! 僕は……もう、失いたくない……! 怨まれたくない、苦しみたくない、責められたくない……! きっと母上達は、僕のことを恨んで――」
「馬鹿にしないで下さい! ……このクソ野郎がっ! 何言ってんだよ! なぁ? 上様が、水様が奥方様が、いつアンタを恨むっつたんだ? あの方々が、アンタを責めたりする訳ねぇだろうが!」
僕を叱り飛ばす雫を、キョトンと見上げた。
「アンタは何を見ていたんだよ? ……何も見えてねぇよなぁ? 解ったんじゃねぇのかよ? 解ってなかったのかよ? 逃げてんじゃねぇよ! ……アンタは、これから先、当主として、水園の民……家族を護っていくんだろ! 自分の生まれた責務から、これ以上逃げんなよ!」
僕は、直情の言い合いで、ストンと何かに納得した。何から逃げているのか、自分でもよく解っていなかったのだ。
そうか、雫の言った通りだ。僕は、生まれた責務から逃げていたんだ。
手を抜いて、自分が傷つかずに楽できる道ばかりを選んで進んでいた。なにもかも怖くて、逃げたくて、引きこもっていた。
でも、そうだったんだ。僕は沢山の人を巻き込んで、取り返しのつかないとこまで突き落したんだ。
自分の手で、言葉で、行動で……何も解ってなどいなかった。見えていなかった、周りの人も、家族も、全部僕が……背負っていかなければいけないんだ。
苦しんで苦しんで苦しんで、生きて行かなきゃ。そうやって……家族を護るんだ。
この家に、生まれた責務を果たさなければならないんだ。
「ごめ、ん……ごめんなさい、わかった、わかったよ……雫、僕、もう逃げない……頑張るよ、手を抜いたりもしない……家族を絶対に護るよ、失わないように、失敗の無いように、頑張る……もう二度と逃げない……から――」
許して、とは言えないし……言わない。絶対に、もう逃げない。何があっても失わせない。同じことは繰り返さない。水園家の民――家族を、絶対に護ってみせる。
父上、母上、兄上……僕は――私は、逃げません! どうか、見守っていて下さい。私を――