第七話 母
「キルケー、これをあなたに」
ある日の夜、キルケーはアンジェリーナの部屋に呼ばれた。
部屋に入ると同時に渡されたのは“杖”だった。
「これは……」
突然渡された杖に、キルケーはどう反応していいのか分からなかった。
「そんなに驚くことじゃ無いでしょ? 魔法使いなら誰もが持ってる杖よ。あなたもこれからは杖を持ちなさい」
“杖”そのものに魔法の威力を高める効果は無い。
それでも多くの魔法使いは杖を持つ。
キルケーはなるべく“手ぶら”であることを望んでいたため、今まで杖を持つことを考えたことはなかった。
「その杖はね、お母さんの家に代々伝わってきたものよ。王女を名乗ることになった今が渡すのには良い機会だと思ってね」
そう言いながら、アンジェリーナは椅子に座るようキルケーを促す。
部屋の入り口で杖を受け取ったまま立ち竦んでいたキルケーは、促されるままにテーブルの方へ歩き出した。
その様子を眺めながら、アンジェリーナが手際よく紅茶を淹れる。
「どうぞ。寝る前だから控えめにね」
「ありがとう」
二人でこうしてゆっくり話をするのは久しぶりだ。
キルケーが冒険者をしている間、城内でゆっくり過ごすことは無かった。
王家の身分を隠していたので、単なる冒険者として他の冒険者たちと同様に街の宿に寝泊まりしていたからだ。
「どう? 杖は好きじゃない?」
「これから先もずっと持たないつもりだったので、急に渡されて戸惑っています……」
「そうね。知っての通り、杖に魔法の威力を向上させる効果なんて無いわ。でもね、手から伝わる杖の感触を確かめることで常に心を平常に保つことができるわ」
「感触……?」
「そうよ。触った感触、杖の香り、床についた時の音、手から伝わる杖の重さ。それらの感触は無意識のうちに杖を持つ者の心を落ち着かせるの。あなたも分かるでしょ? 平常心でいられることがどれだけ大切なことであるか」
「はい」
「どんな時でも杖の感触を確かめて心を平常に保つ。結果的に、それが魔法の威力を高めることにもつながるわ。そして、心を乱すことも少なくなる」
「……」
話を聞きながら、杖の感触を確かめる。
小柄なキルケーにとっては少し長い杖だ。
肩の辺りまである長さで、先端は丸みのある質素な彫刻が施されている。
「百年以上も受け継がれてきた杖よ。一度表面を削ると良いわ。木の香りが際立つようになるから」
「はい、そうします」
「杖に馴染んでいけば、ただ持っているだけで心の平常につながるわ。それともう一つ。杖を無くした時のことも覚悟しておきなさい。杖によって平常心が得られるのなら、杖を無くすことは心を大きく乱す原因になるわ。もし万が一、杖を失うことになっても心を乱さないようにすること」
「はい」
杖は平常心を保つことに有効。それゆえに、失った時の覚悟も持ち合わせておくこと。杖に依存しない心の強さも必要ということだった。
「どう? マサヤの訓練は。順調に進んでいる?」
少し時間を置いてお茶を楽しんだ後に、アンジェリーナはマサヤのことを聞いてきた。
「そうですね。みんなで楽しい時間を過ごせています」
マサヤの話になって、キルケーはフワッと花が咲くように笑顔になった。
「良い子を連れてきたわね」
「そうですか……? あんまり良くは思われていないのかと思ってました……」
マサヤは特別強いわけじゃない。もちろん、ドラゴンを一人で討伐したことは驚愕ではあるが、城内の兵と比べれば並の実力でしかない。
ましてやまだ戦闘の基本すら身に付けていない。
性格も穏やか過ぎて“頼れる男”という感じでもない。
みんなから好印象は持たれていないと思っていた。
「キルケー、あなた気付いている? マサヤが目覚めて以降のあなたは毎日笑顔が絶えないわ。その楽しそうな笑顔が毎日見られるだけでも、マサヤは英雄に値します」
「えっ……」
自分自身の変化には全く気付いていなかったキルケーは、思いもよらぬ言葉に泣きそうなほどに嬉しくなった。
(そうか。私はずっと笑顔なのか……)
マサヤが無事に目覚めてくれてホッとした。そのことが何よりも嬉しかった。
マサヤの前だとフウカとライカの新たな一面が見られる。そのことが嬉しくて仕方なかった。
食事中の団欒も、マサヤの訓練中も、毎日が楽しかった。
でも、そんな楽しい毎日がマサヤのせいであるとは気付いていなかった。
そして何よりも、マサヤが英雄にふさわしいと言ってくれたことがキルケーには嬉しくて仕方がない言葉だった。
「それに、フウカとライカ。あの二人があそこまで心を開いていることにも驚きだわ。あの子たちが誰かに心を開くことは無いと思っていたから……」
「そうですね。まだ十分とは言い切れませんが、二人の新しい一面を見られたことは私もすごく嬉しく思っています」
フウカとライカの変化はアンジェリーナに限らず、みんなが感じていたことだ。
そして、それがマサヤのおかげであることも、みんな分かっている。
「ライン隊とは、どうだったの?」
「多少は怯えていましたが、全員マサヤと握手することは出来ました。多少、マサヤが強引に握手した面はありますけど」
「そう。やっぱり凄いわね。ソロモンにもパーソロンにも出来なかったことだもの。……ほんと、不思議な子ね」
奴隷時代に辛い経験を味わってきたライン隊は、初対面の人間に対して異常なほどの警戒心を見せる。それが大人の男の場合は特に。
初対面で全員と握手をしたという事実は、やはり大きな出来事だった。
目に見える特徴を持たないのに、徐々に周囲を変化させるマサヤのことをアンジェリーナは”不思議な子”と表現した。
「マサヤのことを大切に支えてあげなさい。きっとあなたにとっても大切な支えになるはずよ」
「はい」
嬉しい言葉を貰えたと思った。
この世界に召喚したマサヤのことは責任を持って面倒をみるつもりだった。
でも、”支えてあげる”という考えは今までなかった。
それに、自分にとっても支えになる存在。
今まで自分では気付かなかったが、マサヤは”お互いに支え合える存在”なのかもしれない。
だから英雄に認定したのかもしれない。
「キルケー、もう一つ大切な話があるわ」
「はい」
「王女を名乗った以上、これからあなたは”王”として行動しなさい」
「え……王として?」
「王女とはそういうものです。王の座に就いてから王として振る舞うのでは遅いのです。これからあなたは全ての判断を自分で下し、全ての結果を己の責任とする。この国の唯一無二の存在としてこの国のために行動しなさい」
王女としての振る舞いを伝えてくれるのでは無かった。
王としての振る舞いをしろと言われることには驚きしかなかった。
王となる覚悟は子供の頃から培ってきたつもりだ。
しかし、王になるのはまだまだ先の話だと思っていた。
王女に認定された今、王とは何かを時間を掛けて学んでいくつもりだった。
それがいきなり”王として行動しろ”は、寝耳に水の発言だった。
「もちろん、相談にはいくらでも乗るわ。いくらでも聞きにきなさい。でも、全ての判断はキルケー自身で行うこと。四人で協力して今よりも良い国に育ててね」
「はい! ありがとう!」
キルケーは素直に感謝の気持ちを伝えた。
王女としてどう過ごしていけば良いかを悩んでいたのは事実だ。
これから時間を掛けながら見つけていこうと思っていた。
だが、一足飛びに王として振る舞えと言ってくれた。
これは少し驚きの言葉ではあったが、キルケーの覚悟を決めるには十分すぎるほどありがたい言葉だった。
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『王として行動する』
全ての判断を自分で下し、全ての結果の責任を持つ。
キルケーが”王”として最初に下した決断は、一人で冒険に出ることだった。
たった一人で森を散策する。子供の頃からやっていたこと。
ただ、今回は目的が違っていた。
初級の森で、初心者パーティを援護・教育することが目的だった。
冒険者の死亡率が一番高いのが初級の森。
駆け出しの冒険者は経験を積む前に、何も分からないままに命を落とす場合が多い。
無駄死にを無くすため、自分自身も初心に戻るために、初級の森へ行き一人で冒険を始めることにした。
母から受け継いだちょっと大きな杖を手に持って。




