四月二日(木曜日) (2)
四月二日(木曜日) (2)
建物を出て、安いことで有名な喫茶店に入った。
平日で、昼前で、他に客は誰もいなかった。年齢不詳の真っ白い髪に真っ白い髭の店主が注文を聞きに来る。
真澄とここに来るのは初めてではないどころか、中学生になった頃は頻繁に来ていた。
「プリンアラモードとレモンティー、ホットでお願いします」
今までと同じように、真澄が素早く注文した。
僕は少し考えて、「今日のタルトと、ミルクティーをください」と注文した。
ピクリと真澄の肩が揺れ、店主が離れて行ってから、彼女がわずかに身を乗り出した。
「いちごパフェとストレートティーがあんたのいつものだったはずだけど?」
「まあ、今日はちょっと違う気分かな」
何かを疑るような視線を向けられるけど、そんなに変だったかな。
食べ物より先にお茶がやってくる。この店ではいつもそうだ。
「本気で勉強しなかったの?」
レモンティーの入ったカップを持ち上げ、湯気を顔にあてるようなそぶりをして、しかし眼光は鋭く、真澄が詰問してくる。
まさしく詰問だ。あまり答えたくないけど、気になるんだろう。
「勉強したよ」
「それが大洋高校に進学って、信じられない。塾では特進コースだったじゃない」
「まぁ、才能がなかった、ということじゃない」
「バカ言わないでよ。間抜けの大石と三谷は四葉高校よ」
それは初めて知った。
大石と三谷は同じクラスで、常につるんでいる印象だ。
そして僕をからかうことに、血道をあげていた。
学校でも、塾でも。
長い間、無視するようにしていたから、卒業式からほんの一ヶ月も経っていないのに、顔も声も僕の中のイメージは激しくかすれていた。
顔も声も忘れる、それはありがたい兆候だ。
僕は新しい自分になりたいし、それができるのが、とりあえずは大洋高校である。
「あいつらの方があなたよりよほど、出来が悪い」
「だから、僕には才能がないんだって」
「あいつらが努力したことを認めるわけ?」
剣呑な雰囲気だった。
「私から見れば、あいつらはあなたより迂闊だし、何かが足りない。でも結果を見れば、あなたは大洋で、奴らは四葉。それは、つまりあの二人の努力があなたを上回ったってことになるのよ」
そうかもしれない。
僕はじっと手元のミルクティーの薄茶色の表面を見ていた。
僕は努力した。僕も努力した。
でもどこかで、何かが欠けて、なくなった。
その時から、努力する本当の理由が、消えてしまった。
早く、あの中学校の、あの教室から、あの空気から、逃げたかった。
とにかく、早く。
どこかで、犬が鳴いているような音が聞こえた気がした。
一頭だけで。
誰かに向けて、鳴いている。
音が尾を引いた。
(続く)




