三月十六日(月曜日)
三月十六日(月曜日)
ものすごい音に目を覚ますと、妹の秋穂が部屋に入ってきていて、床に何かの箱を乱暴に置いたところだった。
「な、何、それ?」
反射的に訊ねる僕に、秋穂は胸をそらして、
「合格祝い」
と言った。
まさか中学二年生がそんな気の利いたことをするわけがない。
目元を何度かこすり、枕元のメガネをかける。やっと視界がすっきりした。
「それは……」
言葉が続かないのは、床に直接に置かれた箱が、有名メーカーのHMDの箱だからだ。
信じられない。
「叔母さんからのプレゼントだから。よかったね」
冷え冷えとした視線の秋穂をちらっと見て、もう一度、しっかり確認するために箱を見た。
本当にHMDの箱だ!
叔母といえば、車で三十分ほどのところに住んでいて、父の妹にあたる人だ。まだ未婚で、本屋で働いている。親戚からは、本と結婚した、などと笑われているのは、本人も知っていることだ。
恐る恐る箱に手を伸ばすと、秋穂が足で箱を踏みつけた。スリッパが気の抜けた音を発する。
「私にも使わせてよ、兄貴。いいよね?」
とんでもない気迫の中学二年生に、さすがにたじろいでしまった。
「わ、わかった。いつでも言ってよ」
にっこりと笑った秋穂は箱から足をどかして、颯爽と部屋を出て行った。
うーん、ここのところの僕は幸運過ぎるかもしれない。
生唾を飲み込んでから、箱を開封する。
そこには、緩衝材に包まれた最新型のHMD、ではないものがあった。
「え……」
そこにはずらっと本の背表紙が並ぶ。塩野七生の「ローマ人の物語」、「ローマ亡き後の地中海世界」、「十字軍物語」が入っていた。合わせれば50冊を超える。
そして一通の封筒が同封されていて、開けてみると、高校入学おめでとう、知識の獲得に励むように、という趣旨の文章が結構、きれいな字で書かれていた。
えーっと、HMDは、箱を流用しただけで、ないってことか?
それでもと箱の中身を全部外に出したが、本当に文庫本しか入っていなかった。
がっかりだ。なんか、上げて落とされたような、強いがっかり。
時計を見るとまだ九時にもなっていない。気の早い宅配業者もいたものである。
とにかく、朝ご飯にしよう。
寝巻きから部屋着に着替えて一階へ降りると、母さんが掃除機でリビングの掃除をしていて、身振りで食卓の上を示される。僕の分の料理が並び、埃除けに新聞紙が載せてあった。
「明日には制服が来るっていう話よ、春樹」
掃除機をかけながら大きい声で母さんが言う。採寸はスマートフォンでやったので、おおよそは合っているはずだけれど、店舗へ行って実際に着て確かめる必要はある。
制服が来ると言うのは自宅に届くわけではなく、制服を商う古い呉服屋に到着するという意味だ。実に昔からの仕組みである。
「十三時には家を出るから、そのつもりでね」
返事をして、とりあえず朝食を食べることにした。
何にせよ、今日は一日、暇なのだから、十分に遊べそうだ。
HMDがなくても、別に悲しくない。
悲しくなんて、ない。
(続く)




