第963話 魔法学と剣術学
魔法訓練場のフィールドに、かなり小さいけれど明らかに風が渦巻く竜巻が出現した。
サネルちゃんが研究発表を行ったあとに披露した竜巻魔法だ。
彼女の発表でもサネルちゃんなりに理法を研究理解して発表していたが、基本的には自然現象による竜巻とメカニズムは同じだね。
つまり、自然現象の場合には上空の積乱雲に伴う強い上昇気流により、地表で起きた弱い渦巻き状の風の流れが上下に引き延ばされて行き、それによって激しい回転速度を持つ渦巻きになる。
竜巻魔法の場合には、まず初動の渦巻き状の風の動きを地表近くに作り、それを更に魔法の力で上に引き延ばして回転速度を速め、更にそれをブーストして渦巻きの威力を高めて行く訳ですな。
この世界の人間が、自然における竜巻のメカニズムを理解しているとは思えないけど、魔法という範疇においてこの三段階が必要であると分かっているのだろうね。
いずれにしろ竜巻魔法を成立させるためには、この三段階の魔法発動を瞬時に行使しなければならない。
この世界の魔法の常識としては、身体内で循環させ放出するキ素力をひとつの魔法イメージで魔法として発動させるのが基本だ。
つまり、1回のキ素力放出とひとつの魔法イメージによる1種類の魔法発動。
ディアナちゃんが発表した火球連射魔法もそうだけど、1回のキ素力放出に複数要素を持たせた魔法イメージで発動させるのは、この世界の人間にとってはなかなか難しい作業と言えるだろう。
彼女が先ほど実演した5連射の火球連射魔法は、分解すれば5つの火球の魔法イメージで成り立っている。ただし5つのイメージとは言っても、それぞれが同じ火球なのでイメージ自体はし易い。
一方でサネルちゃんが成功させた竜巻魔法は、三段階の異なった風魔法のイメージを用いるので、実現するのは更に難しいのだ。
それからキ素力の放出力の多寡による、魔法自体の出力の問題もあるよね。
彼女は自分の目の前に小さな竜巻を出現させることに成功はしたが、初動の渦巻き風、上昇気流、そして風のブーストと、もしこの竜巻魔法を防御手段として、あるいは攻撃手段として有効に使用するにはかなりの魔法出力が必要となる。
あと最も難しくかつ実用性が高いのは、自分の眼前ではなく、自分から離れた特定の意図した場所に竜巻を出現させることだ。
これは昔にエステルちゃんが一生懸命に練習して修得したものだね。
この遠隔竜巻魔法が可能になることにより、戦場などで敵の真っただ中に強力な竜巻を出現させ、敵を混乱させ動きを封じたり戦闘力を削ぐことが出来る。
しかし、学院のゼミでそこまで求めるのは酷な話と言うべきだろうな。
ともかくも、風魔法でも中級の部類に入ると思われる竜巻魔法を成功させたサネルちゃんは賞賛に値する。
3人の魔法学の教授もそれが分かっていて、彼女の実演に温かい拍手を贈っていた。
このあとの進歩は、彼女が卒業後にその進路も含めて魔法というものをどう活用して行くのかに懸かっているだろう。このことはディアナちゃんの方にも言えるけどね。
「それでは、本日のゼミはこれで修了としますぞ」
ウィルフレッド先生がふたりの研究発表に高評価を与え、ゼミは終了となった。
ディアナちゃんとサネルちゃんは、互いの健闘を讃え合うように賑やかに話しながら魔法訓練場のフィールドを後にして行く。
では俺も、と歩き出そうとすると、「ザカリーはちょっと残って欲しいのじゃが」と爺さん先生に呼び止められた。
そう言えば、ゼミ冒頭に俺がした問いに後で答えるとか言っておりましたな。
だが同時に俺だけ残ってくれというのは、少々嫌な予感もしますが。
「はて、何でしょう?」
「おぬしが聞いて来たじゃろうが。どうして今日、サネルマとディアナの研究発表を行ったのか、じゃよ」
「ああ、そうでありました」
クリスティアン先生とジュディス先生もまだ残っているけど、表情を見るとどうやらこのふたりはその理由を承知しているようだ。
「その理由なのじゃがな、ゼミ最終日に、ザカリーに、その」と、ウィルフレッド先生がどうももごもごしている。
これはつまり、何か俺にお願いと言うか要求があるのでしょうな。
「怒りませんから、はっきり言ってください」
「お、そうか。怒らんでくれますか。ゴホン。ならば言いますのじゃが、ザカリーはこの魔法学の特待生でありますな」
「ええ、1年生のときにそうしていただきました」
「明確な規定はないのじゃが、この学院の慣例としてその学科の特待生となると、4年間、その学科の講座を履修さえすれば、特に試験や卒業のための発表などは必要とせずに、自動的に履修完了となるのじゃが」
「教務担当の学院職員さんからも、そうだとは聞いていますけど、それで?」
「つまりじゃ。この高等魔法学も同様でじゃな、サネルマとディアナに行って貰った研究発表は必要としないのじゃな。ただし、特待生の方で自主的に研究発表をしたいという場合はその限りでは無い」
「なるほど」
「で、じゃ。特にザカリーの場合は、実質的に教授側の働きをして貰っておった経緯もありますので」
もう、うにゃうにゃ持って回った言い方で、一向に埒が明きませんですなぁ。
「要するに、次のゼミ最終日に僕が何か見せるなりしろと。そのために、サネルちゃんとディアナちゃんの研究発表を本日前倒しにして、次回はまるまる時間を空けたぞと。そう言いたい訳ですね」
「う、さすがはザカリー。話が早くて助かりますぞ」
どうせそんなことだろうと思っておりましたよ。
魔法の研究テーマですよね。俺が今の課題として考えているのは、えーと。
相変わらず見通しの立っていない時間魔法の修得。それから、自分自身が高速かつ自由自在に空中を飛翔し、戦闘も出来るような重力魔法の高度化。あとは何があったかな。
どうも今後キナ臭くなりそうな地上世界の情勢を考えると、戦場で有効活用出来るような広域的攻撃魔法なんかも整備したいかな。
でもそんなのを、この学院のゼミで研究発表など出来ませんぜ。
「もう面倒臭いので、ウィルフレッド先生のご希望を言ってみてくださいよ」と俺が言うと、この良い意味で魔法バカの爺さん教授は「お、そうか」と嬉しそうに表情を明るくした。
「わしとしてはじゃな、以前におぬしが言っておった、重力魔法というものをじゃな、是非ともしっかり解説していただいて見せて貰いたいのですじゃ」
ああ、やはりそれですか。
確か昨年の秋学期につい口にしてしまった重力魔法のことを、忘れずに憶えておったのですな。
魔法学の教授たちが興味を抱いたきっかけは、昨年の総合戦技大会の模範親善試合で、俺が王宮騎士団のコニー従騎士を背中に背負うのではなく、まさに重力魔法でくっ付けて高速で運んだのを見られてからだ。
ウィルフレッド先生は何かの古い文献で読んだとかで、そういったものが念動力系の魔法として知ってはいたようだが、それまで実際に見たことがなかった。
もちろん、クリスティアン先生とジュディス先生も同じだね。
あのときは学院祭後のエンリケ食堂での反省会で、所謂フォーク曲げなんかを俺が余興的に見せちゃったものだから、ますます関心を煽ってしまった。
それでやはり昨年のゼミの最終日に、魔法学の教授3人だけに土魔法の高度活用ということでちょっとした平屋の家屋を造ったりしたのだったですなぁ。
何故かと言うと、重力魔法というのが土魔法の延長線上にあるという、嘘ではないけどまったく正しくも無い説明をしたからなのですけどね。
「重力魔法の解説と実演ですか。去年に家を造って見せましたよね」
「うむ。あれには感謝しておるよ。土魔法があんなに高度なものだとは、わしも見識を改めざるを得なかった。そこに重力魔法というものが関わっているというのも、見ていて何となくそうなのじゃなとは得心した。重たそうな梁や柱が動いておったからな」
でしょ。だったらそれで良いではないですか。はい、終了。
「しかし、じゃ。土を生成、出現させ、性質や形状を変化させ、動かす、という土魔法の可能性は理解したものの、その動かす、というのが何故に単独で成立するのか、それも空中であっても、というのがどうも分からんのじゃよ。だからザカリー、今回はその重力魔法というものを単独で見せて貰って解説して欲しいのですじゃ。お願いします」
後ろに立つクリスティアン先生とジュディス先生も何か発言することは無かったものの、同じように期待と懇願に溢れた表情と目をしていた。
まあ、こういう好奇心が人一倍あるからこその魔法遣いだし、魔法学の教授なんだけどね。
「わかりました。僕の卒業記念ということで、仕方ないので特別に。でも、見せるのは去年と同じく先生方3人だけにですよ。あ、そうすると、サネルちゃんとディアナちゃんの最終講義は?」
「おお、そうか、見せていただけますか。これは最後の最後で、大きな楽しみが出来ましたぞ。じつはサネルマとディアナには、こうなるのを期待して、特例的に次回が最終講義で振替日は休講とすることで既に了解して貰っておるのじゃよ。本人たちも、卒業式前日にお休みなのは、その方が良いと喜んでおったし」
さいですか。要するに手は打った上でのお願いだったですか。まあさすがに、長く教授を務めては居ないというところですな。ならば良いでしょう。
そうであるならば、重力魔法をどこまで見せて、どのように解説するかをちゃんと考えないといけませんな。
これがこれまでだったら、休日に屋敷に戻ったときにアルさんとかと相談することも出来たのだけれど、ウィルフレッド先生の高等魔法学ゼミの最終日までは、間に休日を挟まないまさに卒業式前日の10日後ですからなぁ。
翌々日の3時限目はフィランダー先生の剣術学上級ゼミだ。このゼミも、今日とあと1回とで講義終了となる。
剣術学の方の卒業前の恒例としては、試合稽古だよね。
最終ひとつ前の本日は、通常の練習からのゼミ受講生同士による対戦。そして最終日は、教授が受講生ひとりひとりと対戦する。
どちらの試合稽古も、例えば課外部剣術対抗戦の試合みたいに対戦時間を決めてはいない。あくまで試合稽古という稽古の範疇だからだね。
尤も講義時間の制約もあるので、受講生同士の場合は程よいところで教授が審判となって稽古を終了させる。
また教授対受講生の場合だと、まあ普通は力量にかなり差があるので、教授側で上手くコントロールする訳だ。
と言うことで、この日は受講生同士の試合稽古。フィランダー剣術学ゼミの受講生は、俺とブルクくんにルアちゃんだね。
この3人で4年間に渡り、フィランダー先生の剣術学を共にして来ました。
「では予定通り、本日は試合稽古を行うぞ」
「はいっ」
ゼミ開始時に先生がそう言い、すかさずルアちゃんが返事と同時に手を挙げた。
「ん? なんだ、ルア。何か質問か?」
「試合稽古の組み合わせの確認ですけどぉ。わたしとブルクくんのあと、ふたりが順番にザックくんとでいいんですよね」
「おう、そうだ。ザックからは了解を貰っているからな」
3人しか居ないので、俺が参加しないと試合稽古がひとつだけで終了しちゃうからね。
こちらの剣術学も俺は特待生なので、こういった卒業試験的なものは免除ということで良いのだけど、まあ参加で了承しました。
「わかりましたぁ」とルアちゃんは大きな声で返事をし、ブルクくんの方は「よしっ」と気合いを入れている。
ふたりとも、もしかしたら俺が直前で不参加を決めたのではないかと、念のために確認を求めたらしい。
総合武術部の剣術練習で打ち込み相手として組むのは頻繁にあるけれど、そう言えば部活動内で試合稽古は夏合宿以外ほとんど行ったことが無かったよな。
1年生の初めにこのフィランダー先生の講義で出会って以来、多くの時間を共にして来たふたりと、卒業前の最後の最後に木剣を合わせるのも良いでしょう。
ちなみに同じくこの4年間、俺が受講するこの講義に欠かさず顔を出して同じように木剣を振っていたディルク先生とフィロメナ先生は、もちろん今日も来ております。
「それでは、まずはブルクとルア。両者開始位置に立て」
「はいっ」
「良し。準備はいいか? それでは、試合稽古、始めっ」
フィランダー先生の、普通の学院生に対して放ったら腰を抜かすか震え上がるような、どデカい声が掛かる。
その声に応えるように、開始位置に立って木剣を構えたブルクくんとルアちゃんから燃え立つような闘気が放たれた。
試合稽古の要諦は、どちらかが打ち手でどちらかが受け手という区別無く、互いに同じ立場で立ち向かい木剣を合わせることだ。
稽古であるが試合であり、試合そのものが稽古でもある。
つまり、普段の打ち込み稽古ではこんな闘気を放つことは無いのだけど、そこが違うということですな。
しかしこのふたりの闘気を見ると、もしも彼らが結婚をしたとして、夫婦喧嘩なんぞが起きた時にはどうなるのでしょうかね。
そこからは、俺には見慣れたふたりの激しい打ち合いが始まった。
ルアちゃんは縦横無尽に動き、手数を多く出して攻め立てる。
一方のブルクくんは必要最少限に動きながら、襲い掛かって来る攻撃を時には見切って躱し、時には合わせながら、的確な攻め手を探して木剣を繰り出す。
まあ、暫くはこれが続くだろう。
でもこの攻防を見ていると、なんだか楽しそうなんだよな。
もちろん、生死を分かつような意識で真摯に闘っているのは見て取れるのだが、ふたりが楽しそうにも感じられるのは、ブルクくんとルアちゃんだからこそなのだろうね。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




