第962話 学院最後の12日間のスタート
学院生活の最後となる12日間の初日、休日明けの第1時限が始まる前の時間はホームルームなのだが、実質的には今日が最後となる。
定刻の第1時限の30分前、4年A組の皆が三々五々専用教室に集まって来た。
1年生の時には担任の教授からの連絡事項が主で、開始も15分前だったのだが、ホームルームの時間設定はクラスの自主性に任されているので、程なくしてうちはこの時刻になった。他のクラスは知らないけど、うちのA組は何かと余分な話が多いからね。
また1時限目の講義は、1年生はクラス単位で必修、2年生時にもその時間に講義を入れる者が多かったが、3年生4年生と進んで来ると1時限目どころか午前中は誰も受講している講義がなかったりする。
なので、まあやろうと思えば、1時間でも2時間でもホームルームが出来るのだけどね。
そんな延長の場合、同席している担任のクリスティアン先生だけが慌てて自分の講義に走って行く。
「みなさん、おはようございます。今日も皆洩れなく元気ですな。ということで、本日が最後のホームルームであります。あ、尤も、卒業式終了後に本当の最後の打ち上げがありますがね」
「こういう、ホームルーム冒頭のザックくんのこんな感じも、今日が最後なのね」
「4年間ずっとこれに付き合って来たから、もう聞けないかと思うとちょっと寂しいわ」
「そうそう、ホントよね」
「何が、ということなのか、相変わらずわからないけどさ」
「はい、お静かに。それで、でありますので、まずはこの4年間、我がクラスを嵐の日も雪の日も、どんなに困難が生じても温かく見守り、そしてご指導いただいてきたクリスティアン先生より、お言葉を賜りたいと思います」
「この王都で嵐の日とかあったかしら。雪はほとんど降らないし」
「言葉の綾っていうのじゃない?」
「あと、どんなに困難が生じてって言うのも」
「はい、お静かに。それでは先生、お願いします」
「お、おう、そうだな」
俺がちょっと何か話すと、あちらこちらから女子の突っ込みが入り続けるのだが、クリスティアン先生が教壇の前に立つとさすがに教室は静かになった。
「みんな、おはよう。明日からのそれぞれの最終講義を終えれば、君たちはいよいよ、この学院を卒業だ。いまザカリーは、嵐の日も雪の日も、どんな困難が生じてもと言ったが、クラスとしてはこの4年間、じつに順調に過ごして来られたように思う」
まあそうなんですけどね。学院のクラスという観点では、じつに楽しく順調に辿れて来た4年間だった。
「だが、個人個人で見れば、12歳から15歳という4年間には、様々なことがあっただろう。このセルティア王立学院は4年間全寮制という、社会から距離を置いたところで勉学や自己の成長に専念するかたちを取っている。言ってみればそれは、皆で支え合える小さな共同体であり、君たちはその住人だ。しかし、あと12日も経てば君たちは、この共同体の門を開き、本当の大人として身の回りや社会の中で、もしかしたら考えもつかないような困難に立ち向かって行かなければならないかも知れない」
そこで先生は、持ち前の柔らかで温かな眼差しでクラスのひとりひとりを眺めて行った。
そうだね。王都や学院の中だけに居ると忘れてしまいがちだが、この世界は常に危険と隣り合わせだ。悲惨な暴力や死に至るような出来事すら、じつは直ぐ身近に存在する。
そのような世界において此処は、王都の外リンクの都市城壁、その内側にある限られた者だけが入れる内リンクの都市城壁、そして更にその中での全寮制の学院と、三重の防壁で守られた場だった。
「君たちの多くが、4年間を過ごしたこの王都を離れて、そんな困難が溢れる世界に立ち向かって行かなければならない。そこでは、これまで考えもつかなかったような出来事や、驚くような存在と出会うかも知れない。あ、いや、君たちの場合は、それに関してはこの4年間で充分に慣れているか」
クラスの全員が俺の方を見て笑った。その笑顔や笑い声は、決して居心地の悪いものでも無い。
「ともかくもだ。あと12日もすれば、君たちは門を開いて新たな世界へと踏み出して行く。しかしだ、その世界でどんなことが起ったとしても、君たちが学び研鑽したこと、培った友情、時には心底驚きながらも笑い楽しんで来たたくさんの経験。そういったものが、君たちをこれからも支えてくれる筈だ。このA組がそんなかけがえのない4年間を創って来たことを私は誇りに思い、そして賞賛したい。私からも、そんな君たちにお礼を言わせて貰おう。ありがとう、A組。楽しくも驚きと発見に満ちた日々だった。そして胸を張って世界への門を開いてください」
クリスティアン先生は、そう言葉を締めてクラスのみんなに頭を下げた。教室内に自然と拍手が起こる。
他の教授がどんなクラス担任だったかは知らないが、少なくともクリスティアン先生は、俺たちにそれは無理だ、そんなことはダメだと、頭から否定するようなことを言ったことが無い。
俺たちのすることを、ときには不安な表情になることもあったけど、いつも温かく見守ってくれていた。
本当にありがとうございます、クリスティアン先生。
それからはうちのホームルーム恒例の雑談タイムに移ったが、1時限目の講義のあるクリスティアン先生は途中で教室を出て行った。
俺はその彼のあとを追いかける。
「先生、これを」
「ん? なんだ、招待状? ああ、ザカリーの屋敷での卒業パーティーだね。アビゲイルさんの時にもお邪魔をしたが、2年が経つのは本当に早いな」
「魔法学と剣術学の教授のみなさんは全員ご招待しますけど、まずはクリスティアン先生にお渡ししようと思いまして」
「……そうか、ありがとう。もちろん、ご招待は受けさせていただくよ」
1時限目が間もなく始まるので、先生は直ぐに踵を返して急ぎ足で歩いて行った。でも、先生の目が少し潤んでいたのを、俺に見られたく無かったのかも知れない。
「あ、戻って来たわよ。それでぇ、エステルさまとのご結婚式は、いつなんですかぁ?」
「いつなんですかぁ」
「こっちも予定を立てないとだしぃ」
「グリフィニアで、なのよね。わたし、行く許可が貰えるかしら」
「この冬ってことはないわよね」
「グリフィニアの冬はとても寒いって話だから、ねえカロちゃん」
「できれば春先以降がいいかなぁ」
「仮にも子爵家のご長男の結婚式なんだから、そんなに直ぐってことはないわ、きっと」
「そうね。グリフィン子爵領を挙げての一大行事だものね」
「いまから楽しみだわ」
俺が廊下から教室に戻ると、そんな声の嵐でした。
だから俺が嵐の日も云々と言ったのは、こういうことなのです。
はいはい、まだ何も決まっておりません。決まったら忘れずに、みんなにはお知らせします。
グリフィニアに来られるかどうかは、みなさんのその時のご自分の状況を充分に鑑みて決めてください。もし来られるようでしたら大歓迎しますけど、決して無理はしないでくださいね。
この日の4時限目はウィルフレッド先生の高等魔法学ゼミだ。
学院祭片付け日の振替え日の関係で、秋学期の最後の日にもう1回あって最終講義となるので、今日はそのひとつ前ということになる。
「そういうことじゃが、以前から通達していた通りにサネルマとディアナには、今日のこの時間に1年間の研究と研鑽の成果を発表して貰いますぞ」
「はーい」
そうそう、そんなことを先月から言っておったですな。でも、理由は聞いていないんだよね。
特に前回のゼミの日は11月24日だったので、俺は宰相府の開設パーティーへの出席で休んでいる。
「あの、先生」
「なんじゃ、ザカリー」
「これって本来、次回の最終講義にでは? なのにどういう理由で?」
「それはあとで言いますぞ」
さいですか。まあ俺は含まれていないし、サネルちゃんとディアナちゃんも納得して準備して来たみたいなので、いいのですけどね。
ゼミの最終講義日に行われるのは、高等魔法学ゼミの場合、ゼミ受講者の個々が1年間の研究及び達成テーマとした魔法の研究発表とその披露だ。
サネルちゃんは3年生の時から竜巻魔法と回復魔法の研究修得をテーマにしていて、ディアナちゃんは俺がジュディス先生に伝授した火球の連射、つまり火球機関砲に出来ればエクスプロージョン、火焔爆発魔法の2つを達成テーマにしていた。
その後に行った回復魔法適性判定では、サネルちゃんはジュディス先生ゼミを受講しているパメラちゃんと共に見事適性ありとなったので、3年のゼミでは回復魔法を集中的に練習しておった訳ですな。
両方のゼミでは、もちろん俺が指導している。
サネルちゃんもパメラちゃんも3年時の1年間で、どうにか回復魔法の発動と軽い傷なら手当てが出来るようになった。
それ以上の熟達については、冒険者や騎士団員などならともかく、この学院では怪我をする者など滅多に居ないのでなかなかに実践的な練習が難しい。
しかしともかくも、回復魔法は発動出来るようになることが重要ですからね。
それでサネルちゃんは、今年の4年生でのゼミにおいては竜巻魔法の修得に力を入れて来た訳だ。
この1年の彼女を考えると、かつてグリフィニアでエステルちゃんが練習していた頃を思い出しますなぁ。
一方でディアナちゃんは、3年生のときからウィルフレッド先生が指導してまずは火焔爆発魔法に取組んでいた。
それで今年の春学期の魔法の課外部対抗戦で披露したように、小型のエクスプロージョンは撃てるようになったのですな。
だが、今年に取組んでいる火球機関砲は彼女としてはなかなか難しいらしく、かつて修得したジュディス先生にもゼミ外でいろいろ聞いたり、課外部の活動で彼女の総合魔導研究部と総合武術部との練習が隣り合わせたタイミングで俺に聞いて来たりしていた。
そうして俺も途中経過は見て来たものの、卒業前のふたりの魔法の成果を今日ここで見ることが出来るという訳だ。
ゼミ開始時には来ていなかったけど、クリスティアン先生とジュディス先生も顔を見せている。
このウィルフレッド先生ゼミにときたま彼らも居ることもあったが、今日は揃って来たのだね。
「まずは、わたしね。この1年間の、いえ3年生の時からの研究テーマにした、火球連射の魔法を発表します。この魔法の開発者であるザックくんを前にして発表するのは、ちょっと緊張するのですけど……。えーと、これまでにあった通常の火球魔法を連射する場合、ひとつに1回ずつ、無詠唱で発動させ、その発動までのプロセスと時間を出来るだけ短くすることで、次々に発動を繰り返し、連続して火球を撃ち出すというものでした。でも、わたしを含めた学院生のレベルだと、良くて15秒に1発というところでしょうか。つまり1分間に4発しか撃てず、それではとても連射とは言えません。騎士団の魔導士や冒険者の魔法遣いが、最高でどのくらいの速さで連射が可能なのかまでは、正確に調べは付きませんでしたが、わたしの地元などで調べた限りでは7、8秒ぐらいに1発が最速でした」
うん、なかなか良く理解しているね。地元でも調べたりもしたんだな。
どんな魔導士でも自分の技能や能力は明かしたがらないものだから、最速で7、8秒というのが正しいものかどうかは分からないけど、人間の魔導士だと俺の予測では5秒から10秒の間というところだろう。
「ですが、ザックくんが開発した火球連射魔法は、根本的にその思想が異なります。つまり、1回の発動で複数発の火球を、それも同時ではなく連射として撃ち出し続けるということ。これは、その理屈を言葉で聞いて納得はしても、果たしてじっさいに出来ることなのか、初めはとても信じられませんでした……」
ディアナちゃんの研究発表が続き、彼女なりに苦労した部分や解決方法など実践的な修得の過程も話されて行く。
この辺が座学のみでの研究や学習ではなく、魔法修得の実践を基本とした当学院の魔法学ならではというところだね。
そうして研究発表が終わり、魔法の披露ということになった。
「頑張って、ディアナ」
「うん、ダイジョウブ」
ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンと、5発連射の小さな火球が飛ぶ。
3人の魔法学教授が見守るなか、少し緊張はしていたもののディアナちゃんは見事に披露し終えた。
ひとつひとつの火球は小型で威力は無いけど、威力は考えるなと以前に俺はアドバイスしてあげた。
そうして5発連射までもって来られたのは、彼女の努力の結果だ。
深々と一礼をしてディアナちゃんの発表が終了し、ここに居る皆が拍手を贈る。
2年前に時には涙を流しながらも特訓の末にこの魔法を修得したジュディス先生も、うんうんと頷きながら大きく拍手をしていた。
さてさて、次はサネルちゃんの竜巻魔法の番だね。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




