第934話 グロリアーナ王妃とのお茶会
「やあザック君、エステルさん、皆も良く来てくれた。さあさあ、こっちに来てくれたまえ」
侍女のシャルリーヌさんに促されてこの中庭に足を踏み入れると、王太子と王太子妃の新婚夫婦ふたりがテラスから歩み出て、そのセオさんがこちらにそう声を掛けて来た。
セオさんの隣ではフェリさんが優雅に微笑んでいる。
その彼の朗るい声音や砕けた雰囲気はいつも通りで、俺は少し安心した。
一方でこちらの面々と言えば、かなり緊張しています。あ、カリちゃん以外だけどね。
もちろんその緊張の原因は、テラスで侍女さんたちを従えてこちらを見ている国王妃の存在ですな。
「呼んでるから、行くよ」
「あ、はい」
それでもエステルちゃんは、先の国王謁見でお会いしているので大丈夫そうだね。
お姉さんたちは、うーん大丈夫でしょう。
「本日は、急なお願いながらお時間をいただき、誠にありがとうございます。お言葉に甘え、こうして罷り越しました」
セオさんとフェリさんを前にして俺とエステルちゃんが並び、後ろの4人と揃って軽く頭を下げて挨拶をした。
エステルちゃんは奇麗なカーテシーで挨拶をする。
「おいおい、何を妙に堅苦しい挨拶をしてるんだ。ここはいつも通りでいいから。うちの母上はそういうの気にしないぜ。そうでしょ、母上」
「うふふ。ザカリーさん、エステルさん、ようこそ。良くいらっしゃったわね。ここはわたしの中庭ですから、セオが言うように楽にしてくださいね」
王太子夫妻の後ろからグロリアーナ王妃も進み出て、俺たちにそう声を掛けて来た。
「夏の初めにお会いしたときに、次に王宮にいらしたら、わたしのところって言ったでしょ。だから、セオとフェリちゃんからあなたたちが来ると聞いて、今日はこちらにお招きしたのよ。吃驚させちゃったかしら」
そう言えば、国王謁見の際にそんなこと言ってたよね、このおばちゃん。
遊びに来いとは言われたけど、俺が王妃の許を訪れる理由が無いので、こうしてセオさんたちを訪問したのに便乗して招いたということですかね。
「はい。驚いたかと言われますと、正直申しましていささか。王妃様には、こうして再びお目に掛かれまして、大変に嬉しく存じます」
「おいザック君。いつも通りで良いって言っただろ」
「そうよ。あ、そうだ。わたしもあなたのこと、ザックさんて呼んでもいいかしら?」
「ええ、それはもちろん」
「エステルちゃんは、エステルちゃんでいいのよね」
「あ、はい、王妃さま」
「わたしのことは、うーんと、グロリアおばさんとか……」
「それはさすがに無理だろ、母上」
「そうですよ、お母さま」
「そうかなぁ。じゃあ、追々ね。そうしたら、後ろの美人さんたちも紹介してくださいな」
謁見のときの少しだけの会話の際にも感じたのだが、このおばちゃん、容姿はまさにこの国の麗しき国母といった貫禄なのだけれど、話すと街なかのおばちゃんなんだよな。
このように王妃を前にした場合、本来は貴族の爵位を持っていない従者を直接に紹介するということはないのだが、その王妃のリクエストなので紹介しますか。
「こちらは、ジェルメール・バリエ騎士爵です」
「は、はじめてお目に掛かります。ジェルメール・バリエです」
騎士爵位持ちはジェルさんだけなので、順番的に彼女からの紹介になるのだけど、ジェルさんガチガチですなぁ。
「あら、貴女はもうご当主なのね。そうジェルメールさんね」
「僕らはジェルさんと呼んでいます。こう見えても、当家の王都屋敷の筆頭騎士で、剣の達人です」
「王宮騎士団員でも、おそらく誰も彼女には敵わないよ、母上」
「あら、まあ。こんな美人さんなのに。ジェルちゃんて呼んでも良いのかしら」
「あ、ひゃい、であります」
「それからこちらは、オネルヴァ・ラハトマー従騎士。彼女も同じく、当家最高の剣術巧者です。オネルさんと呼んでいます」
「あらまあ。貴女もなのね。いまは従騎士で、そうしたら貴女もジェルちゃんと同じく、騎士爵位を継ぐのね、オネルちゃん」
「あ、いえ、はい。よろしく、お願いいたします」
「そしてこちらは、ライナ・バラーシュ従騎士、ライナさんです。彼女は我がグリフィン子爵家随一の魔導士です」
「へぇー。貴女は魔導士の騎士さんなのね。ライナちゃんもバラーシュ家を継ぐのかしら」
「初めてお目に掛かります。ライナ・バラーシュ従騎士です。えーと、わたしは……」
「ライナさんは、アルタヴィラ侯爵領の出身なんです。それで彼女のバラーシュ騎士爵家は、既に兄上が継いでいるそうで」
「そうなのね。そうしたら貴女も、グリフィン子爵領ではご当主になるのかしらね。それにしてもこんなに美しくて、しかも強い女性騎士を3人も揃えるなんて、ザックさんも罪つくりね」
「あー、いや、たまたまでして」
「たまたま、かしらねぇ」
俺の罪ですか。たまたまですよ、たまたま。
王妃は、若くて美人の娘さんにお婿さん相手を探さないと的な、ご近所の世話好きおばちゃんみたいな表情でお姉さんたちを見た。
いえその表情については、あくまで俺の想像ですけどね。
「最後に、彼女は僕の秘書をしておりますカリオペと申します」
「あらあら、貴女は、ザックさんの秘書さんですか。グリフィン家がもうひとり、お姫さんを隠していたのかと思ったわ」
そう言って王妃はカリちゃんを目に捉えた。そして手招きをして、自分の前に呼ぶ。
すかさずカリちゃんも「ザック長官秘書のカリオペでございます」と、カーテシーで挨拶をする。
「エステルちゃんもそうだけど、貴女って、何て言えばいいのかしら、不思議な可愛らしさと言うか、人間離れした美しさと言いますか。あら、ごめんなさい、カリオペさん。わたし、変なこと言っちゃったかしら」
「もしよろしければ、わたしのことはカリとお呼びください。皆からそう呼ばれておりますので」
「カリちゃん、ね」
人間離れしたって、そもそもカリちゃんは人間じゃないからね。エステルちゃんは辛うじて人間だけど。
そこまでは思いも寄らないとしても意外と勘の良い王妃は、しきりに首を傾げながらカリちゃんを見続けていた。
そのカリちゃんは特に気にもしない素振りで、「エステルさま、あれを」とエステルちゃんに呼び掛ける。
「あ、そうでした。王妃さま、王太子さま、王太子妃さま。本日は当家より、まだ世間に披露していない新作のお菓子と言いますか、お茶に添えていただければと、この品をお持ちいたしました。どうぞお納めください」
その口上と共に、いつの間にかカリちゃんがマジックバッグから出していた大きめの化粧箱がふたつ。
後ろに控えたオネルさんとライナさんが持っていて、それを侍女のシャルリーヌさんともうひとりの侍女さんに手渡す。
ふたつとも、グリフィニアチーズケーキのホールが入った箱だね。
続いてこれもいつの間にか出していた別の化粧箱を、カリちゃんが別の侍女さんに手渡した。
こちらには俺も持たされている、定番の特製お菓子が入っている筈だ。
「まあ、グリフィン子爵家名物のお菓子ですよ、お母さま。いま、新作のっておっしゃったわよね、エステルさん」
「はい、フェリさん。まだ当家の一部の者しか知らない、今年の新作です。こちらもザックさまが学院祭に提供しますが、当家から外にご披露するのは今日が初めてでして」
フェリさんと侍女さんたちから「きゃーっ」という声が漏れ出た。
あー、化粧箱を両手で持ったシャルリーヌさんほかの侍女さんたち、落としちゃダメですよ。
いつまでも持たしていても何なので、中身を披露しちゃいましょうかね。
「エステルちゃん」
「そうですね。まずはテーブルに、あちらでよろしいでしょうか」
それで、先ほどまで彼女らが居たテラス内のテーブル席の方に移動する。
屋根付きで日除けはされているが、後方以外の三方には柱だけで壁が無いので風が抜けて心地良い。
そこの5、6人ほどは着席出来る円形のテーブルに、3つの化粧箱を置いて貰った。
「まずはこれですね。こちらはうちの定番の干菓子です。グリフィンマカロンも混ぜておきましたので、よろしかったら。もうひと箱あったかしら、カリちゃん」
「ええ、こちらに」
「きゃー」
定番お菓子セットをもうひとつ、またまたいつの間にかカリちゃんが出していた。
皆の目がお菓子の方に釘付けになっているので出すところは見られていない筈だが、落ち着いて考えたらいきなり化粧箱が現れて、まるでマジックみたいですかね。
マジックバッグから出しているだけに。って、クロウちゃんがお留守番で来ていないので、心の中の突っ込みが無いんだよなぁ。
「そうして、こちらのふた箱が新作のものです。まずは出してみましょう」
エステルちゃんがカリちゃんに介添えされながら、箱の中のチーズケーキを出す。
「これは、ケーキね。でも、あまり見たことがないような。とてもシンプルな感じ」
「こちらは、当家の専属パティシエのトビアスという者と、王都屋敷料理長のアデーレが共同で作り上げた、グリフィニアチーズケーキでございます」
「グリフィニアチーズケーキ……。チーズのケーキですか」
「ええ、フェリさん。でもチーズの風味はそれほど強くなくて、甘酸っぱい大人のお味なんですよ」
「きゃー、甘酸っぱい大人のお味」
侍女さんたちの反応が良くて、いいですなぁ。
「去年のザックさんのトルテが苦甘い大人のお味で、今年のは甘酸っぱい大人のお味なのですね。それはとても楽しみですわ。ねえ、お母さま」
「ほほほ。見ているだけじゃ、お味はわからないわね。あなたたち、早くお茶のご用意をなさい。それからお皿とフォークもよ」
「はーい、ただいま」
侍女さんは5人居て、シャルリーヌさんがフェリさん付きだから、あとの4名は王妃付きということなのだろう。
その5名が王妃の号令で素早く動き出した。
間もなく、みるみるお茶会の用意が整えられて行く。
「あら、ケーキを切り分けるナイフも必要だったわね」
「そうでした。ただいま……」
「こちらで用意してありますが、刃物を出してもよろしいでしょうか」
「ケーキを切るナイフぐらい、いいわよ」
「では」
これもまた、いつの間にかカリちゃんが出していたナイフをエステルちゃんに手渡している。
それを手に、この場に居る人数を確認した彼女は、スパっスパっとあっという間にふたつのホールケーキを8等分ずつ、16個に切り分けた。
直径が20センチ程度の6号か7号サイズなので、ひとつが8人分というのは調度良い大きさだ。
この場に居るのが14人なのでふたつ余っちゃうけど、もしものお代り分かな。
それにしても武芸百般のエステルちゃんの、ケーキを切り分ける手並みは見事です。
「さすがはエステルさんだぞ」などと、昨年夏に一緒にアラストル大森林に入って彼女の剣捌きを知っているセオさんが妙に感心している。
それを今度は、侍女さんたちが用意してくれたかなり高級品と思われるお皿に、カリちゃんとオネルさんが次々に載せ、ジェルさんとライナさんがテーブル上にサーブして行った。
「まあまあ、お客さまにぜんぶさせてしまったわ。ほら、あなたたちはティーカップの用意よ。お紅茶を注いで。こちらの席には、ザックさんとエステルちゃんと、それからカリちゃんもどうぞ。ジェルちゃんたちは、そちらのテーブルでいいかしら。シャルちゃんが同席させて貰いなさい。あとあなたたちも、用意が済んだら座っていいわよ」
エステルちゃんの手並みや無言で同時に動き出すうちの女性たちを見て、どうやら呆気に取られていたみなさんだが、王妃がまず起動してそんな感じで指示を出した。
「エステルちゃんて、凄いのね。うちの厨房の料理長より、ナイフ捌きがお上手だわ」
「それは母上。エステルさんは剣術の腕も一流なのだぞ。ケーキを切るぐらいは」
「あら、まあ」
「ケーキは柔らかいですし、動きませんので……」
変なところで感心されたエステルちゃんは照れ笑いし、妙なことを言っている。
それはともかくとして、うちのお菓子の登場により一気にこの場の雰囲気が柔らかくなったのは確かだ。
ほんと、エステルちゃんのいつもの言葉ではないけど、甘いお菓子がいらぬ緊張感を解して良い方向に導きますよね。
「それでは、グリフィニアチーズケーキを、さあどうぞ」
「いただきます、ザックさん、エステルちゃん」
そしてひと口、チーズケーキを食べたグロリアーナ王妃は、えも言われぬ幸せそうな表情を浮かべるのだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




