第927話 4年生の秋学期が始まる
今話から第二十四章です。
9月に入り、俺は学院生活に戻った。
秋学期がスタートすれば例年のごとく、学院生たちの関心は学院祭と総合戦技大会へと向かう。
もちろんうちのクラスでも、初日のホームルームからそれがテーマだった。
尤も4年A組の出し物は、新たにアイデアを出し合わなくてももう決まっていて、今年も魔法侍女カフェだね。
従って議論となるのは、その魔法侍女カフェで行う新しい企画と、それからグリフィン子爵家で提供する今年の新作メニューです。
「と言うことで、今回は僕の方から提案があるのでありますよ」
「何が、と言うことで、なの? ザックくん」
「それはですな、ヴィオ店長。今回、僕の方で用意する新作メニューに関係がありまして」
「きゃー、新作メニュー」
「ザックオーナー、もう新作の用意があるんですかー?」
「すっごく期待してましたー、オーナー」
はいお静かに。
本来は直前まで秘匿して置きたいところではありますが、今回についてはクラスの皆と少しご相談があるのですよ。
「今回で、僕たちの魔法侍女カフェも最後となるのであります」
「そうよね。学院生活最後の学院祭なのね。なんだか、あらためてそう言われると、とても寂しいわね」
「魔法侍女の制服を着るのも、これが最後なのねー」
「そうかー。でもさ、今年用にサイズのお直しをしてくれるって、カロちゃんが」
「いつもみたいに、うちの商会で、するですよ。最後なのに、サイズが合わないとか、ダメですからね」
「でもさー、せっかくサイズのお直しをして貰って、着るのは5日間だけなのって、凄く勿体ないわ」
「わたし、いいこと考えた」
「なになに?」
「それはね……。この秋学期中はずっと、魔法侍女の制服で過ごしちゃうのよ」
「あ、それ、いいかも。あなた天才ね」
「でしょでしょ」
「卒業式もこれで出ちゃうとか?」
「きゃー」
「学院側で許してくれるのかしら」
「ザックオーナーがなんとかすれば」
「そうよね。オーナーが学院長から許可をいただいて」
「でも、クラスの総意として、担任の先生の同意も必要じゃない?」
「あ、そうか」
「そこんとこ、どうですか? クリスティアン先生」
「どうですかー、先生っ」
ホームルームでは基本的にクラスの自主性に任せ、クリスティアン先生はニコニコしながらその様子を見守っているだけなのだが、女子たちが声を揃えて呼ぶものだから彼は驚いて直ぐに声が出ないようだった。
「あー、さすがにそれは……」と言葉が切れて、それから俺の方を見る。なんとかしろという表情だ。
なんとかしろと言われてもですね。
「あー、えーと、その件は少し慎重に検討するといたしまして、先ほど言いかけた僕からの提案なんだけど」
「そうだったわ。ほら、みんな静かにね。ザックくんから提案があるそうだから」
「はーい」
さすがヴィオちゃんだ。正式には学院生会の規定にはないけど、実質的に副クラス委員という立場でこの4年間に渡りうちのクラスを纏めて来た御方です。
それまでわいわい騒いでいた女子たちは、ようやく静かになった。
一方で、同数存在している男子たちは? 当初より静かなままです。余計な発言をして火の粉が降り掛かるのはとても危険だと、彼らは良く承知しております。
「僕からの提案は、そうだなぁ、どちらかと言うと男子の諸君になんだけど」
「僕たちにか? ザック。僕らはひたすら陰の存在として、魔法侍女を支え引き立てる黒子として……」
ライくんが代表してそう発言すると、他の男子どもも「うんうん」と首を縦に振る。
キミたち、あと数ヶ月で学院を卒業して社会に出て、そんなんで世間の荒波の中をうまく乗り切って行けるですかね。
「それは……そうなのですがね。男子の諸君にも、今回新たな仕事を割り振ろうかと思いましてね」
「裏方の僕たちに、新しい仕事を?」
「そうですそうです。じつは今回、新しいお菓子のメニューとして、2種類考案しておりまして。そのひとつは、いやあ仕方がない。まだお披露目には早過ぎますが、この際、諸君らには明かしてしまいましょう。そうしないと話が進みませんからね」
そう言って俺は、予めこっそり無限インベントリから出しておいたふたつの箱を、おもむろに講義机の上に置いた。
それを見て「なんだなんだ」と、皆が背伸びをしてその箱に注目する。
「もしかして、その箱の中身は、新作のお菓子?」
「きゃー」
「はいお静かに。本日はまだお試しということで、シンプルな物を用意しておりますが」
俺はそう言いながら、片方の箱から桃のプレザーブがたっぷり入った壷の器を出す。
プレザーブというのは、フルーツの原型をなるべく崩さないように仕上げたジャムですな。
これはグリフィニアでトビーくんが作り、王都に送ってくれたものだ。
そしてもう片方の箱から出したのは、そうですね、焼き上げたクレープ生地です。
学院に戻る日に屋敷でアデーレさんに焼いて貰い、粗熱を取って箱に納め、無限インベントリに入れて置いたものだ。
俺の無限インベントリは状態が変化しないので、熱い物は熱いままに、冷たい物は冷たいままにとそのまま保管されるけど、さすがにこのホームルームでしれっと熱々のクレープを出せませんからね。
「これは、この夏休みに、我がグリフィン子爵家の王都屋敷料理長であるアデーレさんと、グリフィニアの屋敷の専属パティシエであるトビアスくんのふたりが、共同して開発した新作になります」
講義机の上には作業用の俎板も置き、その俎板の上に円いクレープを1枚広げると、その円形の上方の一画に桃のプレザーブをごろっと果実が入るようにして塗り、加えて別の壷から甘味を抑えたホイップクリープを掬ってトッピングする。
そして下半分を折り重ね、更に三角形のかたちになるように折って、その下半分を用意していた紙で包み込んだ。
「これで出来上がり」
側に立っていたヴィオちゃんを呼んで、俺は「はい」と手渡す。
「これって? 朝食に食べるガレットみたいなもの? かしら」
「うん。朝食のガレットに近いけど、手軽に食べられるお菓子と言うかデザートと言うか。いちおううちでは、グリフィニアガレットって名付けた」
「グリフィニアガレット……」
「まあまあ、まずは食べてください。そのまま上からパクっと」
「手に持ったままで、パクっと? ってそれは」
「まあ椅子に座ってでいいけど、食べるのはパクっとね」
ヴィオちゃんはこれでも伯爵家令嬢なので、何かを手で持ってかぶりついて食べるという経験が無いのだろう。
でもいまはお皿も出してないし、ナイフもフォークもありませんからね。
それにこのジャパニーズクレープは、手で持って食べるのが醍醐味だ。
席に着いているA組の18人の目が、まだ躊躇っているヴィオちゃんとその手元に注がれる。あ、先生も入れると19人だね。
妙な緊張感と静寂に包まれたまま、その彼女が意を決してグリフィニアガレットにかぶりついた。それも意外と大胆に。
「とても、美味しいわ……」
ひと口目の咀嚼を終えたヴィオちゃんの口からその言葉が発せられると、クラスのみんな特に女子たちから「ふうー」という溜息が洩れ出た。
「はいはい、並んでくださいよ。ちゃんと全員分がありますからね」
「はーい」
女子たちの溜息から僅かに間を置いて、「わたしたちもー」「いいのよねー」「お願い、ザックくん」「早くー」と口々に声が飛び交い、その喧噪を鎮まらせて全員に試食をして貰う。
直ぐに彼女たちは講義机の前に整列し、続いて男子たちもおずおずと席を立ってその後に並んだ。
あ、クリスティアン先生も並びますよね。大丈夫ですよ。仲間外れになんかしませんから。
そうして全員分を作って手渡し、最後には自分の分も作ってかぶりついた。
うん、トビーくん謹製のプレザーブも含めてとても美味しいけど、やっぱりこれは焼きたての方がいいよね。
クラスの皆は初めは大人しく神妙に、やがてきゃっきゃと感想を言い合いながら食べている。
特に女子たちには、やはり大好評ですね。
「どうでしたか? みなさん」
「とっても、とっても美味しかったでーす」
良く揃ったお返事ですね。
「男子はどうでしたかー?」
「おう。美味しかった」
それは良かった。ちょっと甘過ぎるかもとも思ったけど、大丈夫そうでしたね。
「それでさ、ザック。この、えーとガレット」
「グリフィニアガレットよ。聞いてなかったの?」
「ああ、このグリフィニアガレットを魔法侍女カフェに出すとして、つまり僕ら男子が、さっきザックがやったみたいに、仕上げをするってことか?」
「あー、ライ・マネージャー。良く気が付きましたね。それはそうなのですけど、出来たらですね。このガレット生地を魔法侍女カフェで焼くところから始めて、熱々のを提供したいんですよね。それに今日は桃のプレザーブだったけど、これ以外にブドウやマルメロ、ペアーなんかも用意しようと思ってね。それで、お客さんに味を選んで貰って、お客さんが見ているその場で仕上げて渡すという、そんなことを考えておるのですよ」
マルメロは西洋花梨、ペアーは洋梨だね。
この4種類は、グリフィニアの屋敷の果樹園でダレルさんが栽培しているので、数量を確保してプレザーブに加工して送って貰うのは、既にダレルさんとトビーくんとに予約済みだ。
「きゃー、味が選べるのねー」
「4種類の味だったら、1日4つ食べられる訳ねー」
「どうしよう。最終日まで魔法侍女服がちゃんと入るかしら」
あー、1日に4つは多いと思いますよ。
「つまりよ、裏方じゃなくて、お店の中で客席から見えるところで作るってことか? それも俺たちが生地を焼いて……」
「そうですそうです。お店の中にグリフィニアガレットコーナーを設置して、そこを男子の諸君が交代で担当して貰い、お客様に提供してほしいのでありますよ」
「僕たちが……出来るかなぁ」
「なにを言ってるのあなたたち。出来るかどうか、じゃなくて、やるのよ」
「出来なくても、出来るようにするの」
「全員が出来るようにしなさい」
「お、おう」
「生地の焼き方については、事前に講習会を行いますから、安心してください」
「お、おう」
前々世にあったようなクレープを焼く鉄板などこの世界に無いので、新たに作っても良いけど、まあ大きなフライパンで大丈夫だろう。アデーレさんもそうやって焼いてるしね。
ひっくり返すクレープ用のスパチュラも無いが、大きめの似たような調理器具をアデーレさんが探して来たので、そちらは大丈夫だ。
焼き方講習会は、そうですなぁ。学院祭の直前にでもアデーレさんに学院に来て貰って行いますかね。
そのあと、魔法侍女カフェ内にグリフィニアガレットコーナーを設置するとして、どんなかたちが良いか、調理道具はどうするかなどを、主に女子たちが中心になって話し合われた。
ちなみに通常のホームルームの時間は遥かに延長していて、下級生の講義があるクリスティアン先生はグリフィニアガレット食べ終わると、慌てて出て行ってしまった。
俺たち4年生は、全員がこの第1限の時間にはもう履修講義が無いので、ホームルーム延長線を行っている。
「そうしたら、コーナーの設えはうちで手配するわ。そのほかの調理道具や材料は、ザックくんの方で、というかカロちゃんのところからでいいのね」
「うん、それでいいよ。細かい内容はアデーレさんと相談して、ソルディーニ商会に発注する。カロちゃんの方からも、マッティオ支店長によろしく言っておいてね」
「了解、ですよ、ザックさま」
この4年間、準備の分担はだいたいこんな感じで、ヴィオちゃんのセリュジエ伯爵家とうちのグリフィン子爵家で支援して行って来た。
冒頭で話題に出た魔法侍女服のサイズ直しも、カロちゃんが中心になってソルディーニ商会王都支店で行ってくれる。
でも、こういった共同支援作業も、今回が最終回だね。
「今日のところは、こんなものかしら」
「そうでありますな」
そろそろ第1限の時間も終わるので、続きは次回だね。
「それで、ザックくん」
「はい?」
「新作のお菓子メニューなんだけど」
「はい」
「ふたつあるって、さっき言ってたわよね。もうひとつは何? ほら、ちゃっちゃと白状なさい」
「白状なさい、オーナー」
「もしあるなら出しなさい、オーナー」
ああ、忘れておりませんでしたか、ヴィオちゃんも女子全員も。
「もうひとつのメニューでありますか。それは……」と俺が応えると、全員が静かになる。
そんなに固唾を飲むほどでは無いと思うのですけどね。
「もうひとつは……。まだ秘密であります」
「えー」
一斉に非難の声が沸き上がった。
でもこういうのって、言葉で言っても伝わらないからさ。
仕方が無いので次回までにアデーレさんに頼んで、クラス全員が試食出来るように用意をしますかね。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




