第910話 クッキー作りのことと訪問者
クバウナさんたちと話した翌日から、世界樹の木の実を材料にクッキー作りをしてみるということで、ドリュア様にいただいた樽から一定量をエステルちゃんたちに渡した。
中身の仁を取り出せば、たぶん1キログラムぐらいになる量じゃないかな。ざっくりとだけどね。
樽に入っていたのは種皮の中の殻に覆われた部分で、形は銀杏に似ているのかなと思ったのだが、大きさは銀杏よりもかなり大きく3センチから4センチぐらいある。
ちなみに銀杏の独特な匂いを発するのは種皮の外層部分なのだそうで、いただいたものにはその外層部分はもう付いていない。これらはクロウちゃんに教えて貰いました。
尤も、匂いを嗅いだ女性たちによると甘い香りがすると一様に言うので、おそらく外層部分もそんな香りを発しているのだろうね。
「世界樹の中に棲む動物たちは、その部分を食べるそうですよ。でもそれには、栄養は豊富でも特別の効果は無いらしいです」とはシフォニナさん。
それでこの木の実、前々世の言い方で言えば殻に覆われたナッツ。
殻の表面が滑らかなので銀杏に似ていると思ったけど、その殻を嘴で突ついたりしていたクロウちゃんに言わせると、殻は厚めでどちらかと言えばマカダミアナッツに似ているんじゃないか、なのだそうだ。カァカァ
でもマカダミアナッツは銀杏よりも小さくて、殻の色はもっと茶色な記憶がなんとなくある。
カァカァカァ。ああ、殻の色や大きさはそうだけど、中身を予測してですか。そうですか。
仁の部分は銀杏みたいではなく、胡桃みたいにシワシワもしておらず、形はアーモンドのように縦長な感じでも無いので、マカダミアナッツみたいという予想ね。
その辺は、ともかく殻を割ってみないと分からないけど、まずはどうすれば良いのですかね。
ラウンジでワイワイやっていると、アデーレさんとエディットちゃん、シモーネちゃんも来たので、アデーレさんの意見を聞いてみた。
「おやまあ、ずいぶんと立派な木の実ですねぇ。何の木の実なんですか?」と、彼女はひと粒を手に取りながら聞いて来た。
「えと」と、ちょっと逡巡したエステルちゃんが俺の顔を見るので、「世界樹の木の実なんですよ、アデーレさん」と言ってしまいます。
うちの屋敷の中では、この程度はあまり隠し事をしないからね。
「あらまあ」と驚いて一瞬、手から落としそうになったアデーレさんだが、あらためて木の実を見つめ、匂いを嗅いだり殻の固さを確かめたりしている。
しかしアデーレさんも、この3年半でずいぶんと肝が据わって強くなったよね。
「まだ少し湿り気があるみたいですので、良く乾燥させてから殻を割って、中身を取り出すのがいいですねぇ」
エステルちゃんとカリちゃん、ライナさんの3人から、現状で分かっている世界樹の木の実のことを聞いた彼女が、そうアドバイスしてくれた。
「ただ、殻がかなり硬そうね」
「わたしのメイスでやりますかね」
カリちゃんの巨頭砕きのメイスはもっと遥かに危険物なので、それは仕舞いましょうね。
殻どころでなく、テーブルとか床とか、ぜんぶ砕き割っちゃいますからね。
「はーい」
「カリ、あなた、そんな武器を持ってるの?」
「あ、お婆ちゃん。アル師匠からいただきました」
「アルったら、あなた」
「カリが人間相手の戦闘でも使える得物が欲しいと、わしの庫から探したものじゃな」
「人間相手って、粉々になっちゃうわよ、それだと」
「ダイジョウブだよ、お婆ちゃん。ツンって、軽く当てるだけにするから」
「もう」
はいはい、その魔導武器の話は別のところでやってください。
しかし、孫娘になんでもあげちゃうお爺ちゃんが、あとからお婆ちゃんに知られて叱られるって感じの雰囲気だよな。
それはともかく、この世界にはナッツクラッカーとかはあるのかな?
カァカァカァ。ああ、前世の世界でもナッツは古代から食物にされて来たので、胡桃割りと呼ばれるものの起源は4000年前から8000年前にまで遡れるのか。
最初は石器で、日本の縄文時代の遺跡からも出土してるんだね。
金属製の胡桃割りでさえ、紀元前3世紀から4世紀ぐらい昔に登場したですか。
「胡桃割りは、わたしが持ってますから。でも大きさが合うかしら」
アデーレさんはそう言って、厨房の方へ取りに行った。
さすがはお菓子作りにも長けたアデーレさんだ。ちゃんとそういう器具も揃えてあるのですな。
それで彼女が持って来たのは、やっとこ鋏に似た金属製の器具。挟む部分が胡桃の殻の形状に合わせて丸くなっていて、取っ手側を握り、てこの原理で殻を割るシンプルな仕組みのものだ。
そう言えば、胡桃ってこの世界樹の木の実と同じぐらいの大きさだよね。
「上手く合いますね。では、これを使ってくださいな」
「それでは、乾燥はわたしたちでやりましょうかね」
「そうですね、おひいさま」
「わたしもやりますね、お姉ちゃん」
「シモーネも手伝いますです」
ここまで黙って様子を見ていたシルフェ様が乾燥作業をしてくれると言い、シフォニナさんとエステルちゃんにシモーネちゃんも手伝うと手を挙げた。
要するに風魔法で乾燥させる訳だけど、ここは風の精霊組に任せておけば良いでしょう。
「そしたら、割るのはわたしが」
「カリ。あなた、加減をちゃんとするのよ」
「大丈夫ですよ、クバウナさん。わたしが一緒にしますからー」
「わたしもお手伝いしますね」
「ライナちゃん、エディットちゃん、お願いね」
さてさて、あとは女性陣に任せましょうかね。
ただ、アデーレさんたちには、くれぐれも取り出した中身を口に入れないようにお願いしておいた。
口に入れても大丈夫そうなのはカリちゃんと、あとはシモーネちゃんもかな。でも試しちゃダメですよ。
「はーい、ザックさま。でもシモーネは、カリお姉ちゃんほどうっかりさんじゃないですよ。後先をちゃんと考えますから」
「シモーネちゃんてば。わたしだって、考えるところは考えてるんだからね」
まあまあ。あとはエステルちゃん、頼むね。
今日の午後には急遽だが、商業国連合のヒセラさんとマレナさんが屋敷に来ることになった。
ジェルさんたちが先方を訪ねた際には、俺が合同合宿から戻った後になるのではないかということだったが、昨日に訪問したいという連絡が来たのだ。
ショコレトール豆の取引に関して何か進捗があったのか、それとも単に挨拶に来るだけなのか。
昨日の訪問の可否を尋ねる手紙にその点は何も書いてなかったが、まあ顔を見せに来るだけでもうちは歓迎しますよ。
そろそろ来るのではということで、ジェルさんとオネルさんがやって来た。
「ライナ姉さんたちは、何かしてるんですか?」
「あいつ、また余計なことをしておらんでしょうね」
「いや、さっきからみんなでクッキーを焼いてるんだよ」
「クッキー?」
「ライナは何も言ってなかったが、仕事もしないで」
「それがさ」
それで何故クッキーを焼くことになったのかを、ふたりに説明する。
「世界樹の木の実と。これはまた」
「そんなに危険物なんですか?」
「危険なものでは無いのじゃが、人間には強過ぎるのではと、慎重になっておるのじゃよ」
「我がまず食せば良いのだがな」
だからケリュさんが食べても、人間にはどうなのかが何も分からないですから。
女性陣は皆で厨房に行っているので、このラウンジにはケリュさんとアルさん、そして俺とクロウちゃんの男どもしか居ない。
「わたし、ちょっと覗いて来ます」
「あ、わたしもだ」
オネルさんがそう言い、ジェルさんもその後を追って厨房に行ってしまった。
ふうむ。いま女性ばかりが大勢居る厨房は、これでますます危険地帯になっておりますな。カァ。
男ばかり3人と1羽で雑談をしていると、ユディちゃんが屋敷の玄関を入って来てこちらに来た。
「ザックさま。ヒセラさんとマレナさんがいらっしゃいました。こちらにお通しして……。あれ? ジェル姉さんとオネル姉さんは?」
「ああ、厨房でクッキーを焼いているので、そっちに行っちゃって。ヒセラさんとマレナさんのご案内は?」
「歩きで、おふたりで来られたので、いま門から兄さんが」
「そしたら、厨房からジェルさんたちを呼んで来てくれるかな」
「はーい」
ユディちゃんが厨房に走って行き、入れ替わりにフォルくんに先導されてヒセラさんとマレナさん屋敷に入って来たので、俺が玄関口まで出迎えに行きますよ。
「これはザカリーさま。夏の初め以来ですね」
「お国元では、ゆっくりされましたか? クロウちゃんもこんにちは」
「ヒセラさん、マレナさん、ようこそ、いらっしゃいました。どうやら、お元気そうですね」
「カァカァ」
「はい、お陰さまで。でも、ザカリーさま直々にお出迎えいただいて、恐縮です」
いやいや。ちょっとうちの者たちが厨房でわいわいやっておりまして、俺しかおらんのですよ。クロウちゃんは一緒に来てくれてるけどね。カァ。
「ザックさま、ユディが先に来たと思いますが。それからジェルさんとオネルさんは?」とフォルくんが不思議そうな表情で、小声でそう聞いて来た。
「それがちょっと、厨房にね。いま来るから大丈夫。あとは僕が引き継ぐよ」
「そうですか。では、僕は仕事の方に」
「うん、ご苦労さま。そしたら、ヒセラさんとマレナさんはこちらにどうぞ」
それでふたりをフォルくんから引き継いで歩き出すと、厨房の方からエステルちゃんが慌ててやって来た。
あとはカリちゃんとジェルさん、オネルさん、それからユディちゃんだね。
他の女性陣は厨房に残っているようだ。
「すみませーん。ヒセラさん、マレナさん、こんにちは。お久し振りです」
「これはエステルさま。何か取り込み中とかでしたか?」
「いえいえ。ちょっとお菓子の試作をしてましてね」
「まあ、新しいお菓子ですかぁ? エステルさま」
うちのお菓子が大好きなマレナさんが、目を輝かせて大きな声を出した。
「あー、えと、まだ、食べられるものになるかどうか、わからないので……」
「食べられるものになるかどうか??」
「作るのが難しいものなのですか?」
「作るのはどうにか。でも素材が……」
「難しい素材って、どんな材料を使ってるんですかっ?」
「あ、えと」
「マレナ。おそらくまだ言ってはいけない、グリフィン家で秘匿しているようなものよ。ここはあまり深く聞いては」
「そう、ですね。大変失礼をいたしました」
はい、確かに秘匿物です。と言うか、もし食べられるものになっても、永遠に外に出すことはありませんから。
このふたりなら、応接室ではなくラウンジで良いだろうと案内する。アルさんとは面識があるけど、あ、ケリュさんが居ましたね。
「アルさま、お久し振りでございます」
「お邪魔いたします。アルさま」
「おお、よういらした。おふたりとも、お元気そうじゃな」
「はい、ありがとうございます。それで、こちらさまは?」
「お、我か? 我はザックとエステルの義兄だ。よろしくな」
「え? ザカリーさまとエステルさまのお兄さま??」
もう、俺が紹介しようと口を開く前に、先に勝手に自己紹介するんだからなぁ。
「この御方は、シルフェお姉ちゃんの旦那さまなんですよ」と、エステルちゃんが直ぐにフォローをしてくれた。
「そういうことですか。わたくし、商業国連合セバリオのセルティア王国フォルス駐在代表を務めております、ヒセラ・マスキアランと申します。以後、お見知りおきを願います」
「同じく共同代表の、マレナ・マスキアランです。よろしくお願いいたします」
「おお、そうか。我はケリュと申す。いまエステルが言ったように、シルフェの夫だ。長きに渡って、遠い他国で戦士長として務めを果たしていたが、このたび妻のもとに戻り、ここで暮らすことと相成った。よろしく頼む。ふむ、これで合ってるか? ザック」
これで合ってるか、じゃないですよ。
先般の打合せ通りだけど最後に俺に確認したら、なんだか誤摩化してる風がバレバレじゃないですか。
しかし急遽ではあるが、ケリュさんが初めてうち以外の人間と顔を合わせたのだよね。
出だしからこれって、大丈夫ですかね。なんだか心配だよなぁ。カァ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




