第909話 世界樹の木の実の扱い、そして古代文明の魔法の話
「わたしは、この木の実を扱ったことが無いのだけど、確かキ素力を増やす効果があるとかではなかったかしら、アル」
世界樹の木の実をひとつ手に取って、摘んで指で押したり匂いを嗅いだりしていたクバウナさんは、アルさんの方を見ながらそう言った。
この木の実って少し弾力があって、匂いは見た目が似ている銀杏と違って甘い香りがするんだよね。
先日にいただいたときも、この木の実の仁の部分はキ素力の発露を増大させ魔法力を高めるって、ケリュさんが言っていたよな。
「そうじゃな。わしもそう認識しておる。ただし、それは体内にキ素を保有していない生き物にとってということで、わしらが食べてもあまり関係はなさそうじゃ。もちろん、それはドラゴンの姿でということじゃがの」
「そうね。人間の姿に変化させていても身体の中にキ素はいつでも巡ってるけど、身体自体は人間に近くなっているので、この姿だとどうなのかはわからないわね」
「まあ、我なら生でも平気だがな」
ケリュさん、あなたは神様だから、何食べても平気でしょうが。たぶんだけど。
「じゃから、人間がこれを食べるとすれば、煎るなり焼くなりしていちど火を通して鎮め、安定させた方が良いじゃろう」
この前もアルさんはそう言ってたよね。
「しかし問題は、どのぐらいの量を食べてどの程度の効果あるのか、それによって人間がどうなるのかはわからんということじゃて」
「わたしたちが食べても問題は無さそうだけど、それだと人間にはどうなのかがわからないわね」
つまり、アルさんが言うように煎るなりして火を入れ、それを人間の姿になっているドラゴンが食べても、結局は人間にとってどのぐらいの効果があるのか、何か影響が出るのか出ないのかは試せないということのようだ。
世界樹の木の実なので悪い影響は出ないとは思われるけど、樹液と同様に影響が強過ぎるのでは、というところが心配だよね。
どうしたものかと皆で首を捻っていると、「はいっ」とカリちゃんが手を挙げた。
「カリちゃん。何か意見があるのかな?」
「はい、ザックさま。わたし、良いアイデアが浮かびました」
「カリ、あなた大丈夫?」
「大丈夫ですよ、お婆ちゃん。つまりですね。この木の実をそのまま丸ごと食べるのではなくて、乾燥させて砕いてですね、小麦粉とかと混ぜて焼いてクッキーなんかにすればいいんですよ。そうすれば分量も減るし、師匠の言うように火も入って鎮まると思うんです。ね、どうですか?」
世界樹の木の実クッキーか。ふむふむ、なんとなくだけど良いのではないかな。クロウちゃんはどう思う?
カァカァカァ。良さそうだけど、どのぐらい混ぜればいいかが問題か。そうだね。試食をしながら分量を調整するのは危険そうだしなぁ。
クロウちゃんと声を出してそう話していたので、それを聞いたカリちゃんが「それは、わたしやシルフェさまたちですればいいんですよぉ」と言った。
「おお、それなら大丈夫だな。試食は我もするぞ」とケリュさん。
この神様なら、何を食べさせても大丈夫そうだからね。味覚の方は分からないけど。
「いまのカリのアイデアは、アルはどう思う?」
「ふむ。良いのではないかの。まずは混ぜる量を極力少なくして、わしらが食べて問題が無さそうなら」
「それって、作ってみましょうよ。どうかしらー、エステルさま」
「そうね。はじめに自分たちで味見が出来ないというのはあるけど、せっかくドリュアさまからいただいたものだし、無駄にするよりは試してみてもいいかしらね」
「そしたら、わたしたちのザック・ショコレトール工房で作りましょう、ライナ姉さん」
「いいわね。ねえねえ、ザカリーさまはどう?」
ふうむ。それであればいいか。
クッキーを焼くのなら、アデーレさんやエディットちゃんにお願いしなくても良いだろう。
それに彼女らが何かの拍子に口に入れてしまわないとも限らないので、まずはこの場に居る3人に任せるのが良いかな。
ちなみに、ザック・ショコレトール工房とは俺とカリちゃんとライナさんで、エステルちゃんと現在はファータの里に居るソフィちゃんも工房員なのだそうです。
「では、まずはそれで試してみようか。クッキー作りは任せるよ」
「はーい」
こうして、世界樹の木の実入りクッキーを作ってみることになった。
尤もこのクッキーは、上手く出来ても門外不出ですぞ。
これまでの話から、おそらくはキ素力のブースト効果、あるいは仮に魔法が遣えない状態になった際に、一時的に行使出来る効果が得られるのではないかと想像している。
そんなクッキーは外の人間に食べさせられないし、ましてや学院祭の魔法侍女カフェとかで提供なんぞ出来ません。
クバウナさんに教えていただく会はこれで以上として、エステルちゃんとカリちゃん、それにライナさんも加わって、早速に聖なる光魔法の訓練を始めることとなった。
まずはクバウナさんの指導の元で回復魔法のおさらいと、光魔法の訓練を行うようだ。
ライナさんは回復魔法は出来るのだが、光魔法の方はまったく初心者だし適性があるのかどうかも分からないけど、とにかく一緒に練習してみると張り切っている。
ケリュさんとアル師匠、それに俺とクロウちゃんは、その訓練の見学だね。
クロウちゃんはケリュさんの頭の上に座っている。しかし神様の頭の上に止まるなんて、キミもなかなかチャレンジャーですな。
尤もケリュさんは平然としているので、問題は無さそうだけど。
「どうかな、アルさん。3人とも聖なる光魔法まで到達出来るかな」
「そうじゃのう。カリは問題無かろうが、にしても完全な修得まで何年掛かるのか。わしらはあまり年月を気にせんからの。エステルちゃんはこれまでも訓練を試みておるし、白銀のショートソードを介した発動は経験しておるので、出来るようになるとは思うのじゃが、ライナ嬢ちゃんはどうじゃろか」
「そうなんだ。いずれにしても、時間は掛かりそうだね」
「一発で出来るようになったザックさまは、例外中の例外じゃて」
「さすがは我の義弟だ。アマラ様との繋がりの強さが為したことであろうがな」
まあどうやらそのようなんだけど、それに加えてたぶん、正確な知識では無いにせよ前々世での医学的なイメージが残っているからじゃないかな。あとは光に関する科学的なイメージか。
それらが魔法にどう作用しているのかは分からないけど、これまでの他の魔法での経験も踏まえると、漠然とした知識でも魔法発動の手助けにはなる。
それから考えるとこの世界の人にとっては、おそらく光魔法がいちばん難しそうだね。
ここでは一般的に光と言えば太陽と火。
魔法となれば火魔法が身近なので、そちらに引っ張られ過ぎると光魔法が余計に難しくなりそうだ。
逆に回復魔法で傷を治すとか、あるいはアンデッドを倒して浄化したいとかは、この世界の方が具体的な現象や方法論としてイメージを形成し易い。
科学的な要件と超常的な要件や想像力を上手く組み合せると、魔法の構築がより早くより具体的、効率的になるというのが、俺がこの世界で得たいまのところの結論なのだけどね。
「古代文明の時代の方が、いまより魔法や魔導具が発達していたというのは、どうしてなのかな? アルさん」
「ふうむ。それはじゃな、魔法を術とする技能が、いまの人間よりも優れておったからじゃよ」
「魔法を術に? つまり、魔術ってこと?」
「そうじゃな。魔法とはつまり、ある意味、教えであり、物ごとの基礎的な掟であり、為したいと思う道であって、じゃから言ってみればいろいろと違う解釈や異なるやり方が可能じゃ」
なるほどね。法は原則であり、行為や規制、禁止事項の基準となるものであって、実際には様々な解釈や執行が可能になるとも言える。
ましてや、魔法だからね。
「じゃが魔術とは、魔法のひとつひとつを手順に収めることと言っても良い。ここはわしらにはいまひとつ理解出来んことじゃが、昔の人間はそうしたがったのじゃよ」
要するに、テクノロジーとかメカニズムとかマニュアル化といった解釈でいいのかな?
その辺の発想は大勢で社会を作る人間らしいと言えるし、ドラゴンなど人外の存在には不要なものなのかも知れないね。
「大昔の人間は、魔法文字というのを作ってだな。それでひとつの魔法を完成させると、その手順を魔法文字でひとつひとつ記述して、その記述を用いて魔法として再現させる技術を編み出したのだよ」
「じゃから、魔法の発動には必ず決められた詠唱が必要じゃったし、大きくて複雑な魔法じゃと、それはそれは長くて発動までに時間が掛かるものじゃった」
現在、人間が魔法を発動させる際に発している詠唱は、じつは極めていい加減なものだ。
魔法を教える人によっては、自分の詠唱が最も良いものだと決めつけることもあるそうだが、セルティア王立学院の魔法学においては、そのやり方は行わない。
詠唱はあくまで魔法の発動を補助するものであって、短縮詠唱から無詠唱へと指導を行うのが基本だね。
しかしケリュさんとアルさんの話によると、古代文明当時では魔法の手順を正確に解明し、それを詠唱化する、あるいは魔法文字というもので記述するという技術が発達していたのだそうだ。
魔法文字というのは、おそらくは古代文明時代の遺物の魔導具に刻まれている、あの解読不能の文字のことだね。
ただしほとんどの古代魔導具では、その文字というか記号は表面には露出しておらず、魔導具の構造の内部に刻まれている。
俺がそれを知っているのは、見鬼の力で内部を見ることが出来るからなんだけどさ。
一方で現在生産されているごく簡単な生活魔法を発動させる魔導具には、やはり同じような記号が短く刻まれているらしいが、これはその古代文明時代の魔法文字のごく一部を使用しているようだ。
「しかし、こと魔導具においては、そのザックさまが言った魔術が大いに役に立った訳じゃよ。しかるに、古代の人間の文明においては、魔導具がやたらに発達しおった」
「それで、便利になった一方で、自らを滅ぼしたのだがな」
「ケリュさんたちが、何かしたとかじゃないよね」
「何を言うか。我らはそんな人間たちを見守り、ときには手助けをしていたのだぞ。だがな、人間たちは、その魔術や魔導具か。そういったものをより強力にしようと欲を出して、徐々に邪悪な方向へと誘惑されてしまいおったのよ。我らはそんな人間の行為まで防ぐことは出来なかった。それが彼らの選ぶ道であるのならば、余計にな。シルフェたちは、この地上世界そのものを護るためにずいぶんと苦労をさせられたし、アルとクバウナたちは、ずいぶんと人間を助けて廻ったようだがな」
「大昔の話じゃよ、ケリュ殿」
「そのあと、さまざまな魔導具を回収して廻ったのも、アルだろ」
「まあ、わしの趣味というところもありましたがのう」
アルさんの棲処の宝物庫に無造作に山積みされている大量のあの魔導具は、古代文明の負の遺産としてアルさんが回収して廻った結果なんだね。収集が趣味というのも間違いでは無いと思いますが。
でも確かに、あの宝物庫には便利なものや稀少物もあるけど、危険物が山盛りだからな。
あんな魔導具がそこらに溢れていたり、武力行使でことあるごとに使用されていたりしたら、いつか世界は滅びますな。
そのごく一部は、このうちの屋敷の中にあるけどさ。
思いも掛けずに、ケリュさんとアルさんから古代文明の世界の一端を聞くことが出来た。
これまでいくつかの魔導具を通じてぼんやりと想像することはあっても、アルさんやシルフェ様はこういった話をしてくれなかったし、俺も敢えて聞こうとは思わなかった。
おそらくは、また機会があればより詳しく知ることも出来るだろう。そして俺は、直ぐに知る必要のないことだとも思っていた。
たまたまいまは魔法に関する話だったのと、ケリュさんやクバウナさんが身近に来たということもあるのだろうね。
クロウちゃんは、どう思う? カァカァカァ。なんですか? ケリュさんの頭の上で座っていると、良質のエネルギーが流れ込んで来るようで、なかなか気持ちが良いですと?
いやいや、そういうことを聞いているのではなくてさ。
カァカァカァ。濃いめのキ素も補充出来る感じで、充電装置として便利そうだって、そうじゃないから。
神様を充電器扱いしたのはキミぐらいだからね。
フィールドのあちらでは、クバウナさんを中心に女性たちだけでなんだか楽しそうに魔法の練習をしている。
ときどき、クバウナさんとカリちゃんの前で光が輝いているので、どうやら3人の回復魔法の具合を確認してクバウナさんがそれぞれにアドバイスをしたあと、今度は光魔法の訓練へと移っているようだ。
俺の側では、クロウちゃんを頭の上に乗せたケリュさんが、いまは口を閉ざして静かにその様子を眺めている。
一方でアルさんも同じく黙って見ているけど、どんなことを考えているのかな。
その真剣な眼差しは、でもなんだか温かく穏やかなような気がする。
それは遠い昔、アルさんとクバウナさんが、下り坂を急速に駆け落ちて行く古代の人間たちを、ひたすら助けながら世界を巡っていた頃を想い出している目なのではと、なんとなく俺はそう思うのだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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