第900話 ケリュさんの行動予定
「それでケリュさんは、この王都で何かするんですか?」
「ん? 我はまだ特別なことは何もせんぞ」
シルフェ様たちが早々と到着した王都屋敷の午後のラウンジ。
屋敷の者たちはそれぞれの仕事で忙しいので、ここには人外の方々以外には俺とエステルちゃんとクロウちゃんしか居ない。
「何もしないんですか? ただ、ダラダラと毎日を過ごすと、そんな感じですか?」
「なにやら、棘のある言い方だな、ザック。特別なことはせんが、そうだな、まずはニュムペのところに行かんとだ」
ケリュさんは地上世界に不穏の兆しがあるとして、現在の状況やその兆候を調べに降りて来たのだよね。
水の精霊の妖精の森を復活させたばかりで、まだまだ万全とは言えないナイアの森に行ってニュムペ様に会うのは、当初の目的のひとつではある。
「それから?」
「それからか? あとはザックの学院祭を見物に行って……」
おい。学院祭に来るのはいいけど、それが狩猟と戦いの神様としてこのセルティア王国の王都に来た目的ではないでしょうが。
「しかし、毎年、シルフェやアルも見に行っておるのだし、剣術と魔法の試合もあるのだろ。それは我としても、是非とも観戦せねばならぬだろうが」
「それはいいんですけどね。もっとこう、地上世界の平和に役に立つような」
「我は、地上世界の生き物には、直接に関与は出来んぞ。平穏な日常の営みを護り創るのは、地上世界に生きて暮らす者たち自身の役目であってだな」
「建前はいいから」
「建前ではないわ。神に建前も本音もないぐらい、おまえも知っておろうが」
「はいはい。ザックさまは、いちいち突っかからないんですよ」
「ケリュ、あなたも、直ぐに大きな声を出さないの」
「はいであります」
「あ、おう。すまん」
ケリュさんは特段に人間のような大声は出さなくても、やはり神の声と言いますか、言葉が耳で感知する以上に直接に身体に入って来るんだよね。
尤も、神気を織り交ぜて浸透させるとか、このラウンジの外まで響かせるほどの声は出していない。
シルフェ様が言ったのは、あくまで叱るためのものですな。
「お、そうだ。この地の地下に居るという、アンデッド、何という名前だったかな」
「マルカルサスさんですね」
「それだ。その者には会って、少しばかり話を聞きたいぞ」
なるほど。学院の敷地内にある穴から行ける地下墓所は、確かに邪なものに浸食されていた。
シルフェ様とニュムペ様の力によってある程度は清浄化され現在は封印されているが、まだ行っていない地下通路も1本あるし、完璧にとは言えずに俺も気にはなっていたんだよな。
それと、その邪なものからの浸食を防ぐために、自らを閉じ込めていたマルカルサスさんたちに、うちのお菓子でも持って久し振りに会いに行きたい。
あそここそ、ケリュさんがこの王都で訪れるべき場所だ。
「それは良い考えです。なら、僕も一緒に行きますよ」
「おうよ。では折りを見て行こうぞ。ほら、シルフェ。これはザックに賛成して貰った」
「良かったわね、あなた」
えーと、俺が賛成したとか、そんなに嬉しそうにして自分の奥さんに自慢することですかね。あなた、神様ですよね。
普段、人間と接することのほとんど無い神様だからこその、承認欲求的なものがあったりするですかね。
まあともかくも、ケリュさんと共にナイアの森のニュムペ様のところに行くことと、地下墓所のマルカルサスさんのところに行くのは決まった。
あとは行くタイミングだけど。
「ところで、ザックたちは剣術と魔法の訓練で、ナイアの森に行くのだったな」
「ええ。僕が入っている学院の課外部と、もうひとつ別の課外部とで合同合宿をするのですが」
「もうひとつのというのは、アビーちゃんが在学中に創ったものなのよ」
「ほう、そうなのか。そうすると、そのふたつの課外部とやらは姉弟関係なのだな」
まあそう解釈して貰っていいですよ。
俺が総合武術部を創部する際には姉ちゃんにずいぶんとお世話になったし、それ以来のある意味、特別な関係の課外部同士だからね。
「すると、そのもうひとつの課外部とやらも、ザックの関係者だな」
「普段はまったく別々に活動していて、独立した存在ですけど、関係者と言えなくもないですかね」
なんだかずいぶんと食い付いて来るよな。危ない予感しかしませんぞ。
「よしっ。ならば我も、その訓練に参加するぞ。いやなに、義兄である我が、義弟のそれも姉弟関係にある者たちとの合同合宿に加わるのは、少しもおかしく無いからな」
だいぶおかしいでしょ。この神様、こういうときには義兄だ義弟だって、殊更強調しますよね。
「あなたったら。学院生のみなさんの邪魔をしちゃうから、ダメよ」
「だがシルフェ。どうせニュムペのところに行くのだから、ちょうど良いだろう?」
「ちょうど良いとかじゃないの」
「それに、学院生諸君のとは言っても、エステルやクロウ殿も行くし、ジェルさんたちも行くのだろ? カリも行くんだよな?」
「えーと、はい。わたしは行くつもりですけど。でもジェル姉さんたちは、護衛業務と指導教官としてですので」
「ならば、我も教官というのはどうだ。これならば邪魔にはなるまい」
あー、何を言い出すかと思えば、総合武術部と強化剣術研究部の合同合宿に付いて来るとか。
うちの屋敷の者たちにならともかく、他領から来ている学院生と接触させるのはなぁ。
ニコニコ満面の笑みを浮かべながらそんなことを言うケリュさんの希望に、どうも判断が出来なくてシルフェ様の方を見る。
すると彼女は胸の前で両手を合わせて、口のかたちだけで「ゴメン」と言っていた。
次にエステルちゃんの顔を見ると、「もう仕方ないんじゃないですか」と言っている表情に見える。
クロウちゃん、どうしますかね? カァカァ。でもさ。カァカァカァ。だいたいはシルフェ様を知っているんだし、旦那様だからって押し切っちゃえばいいんじゃないかって、うーん。
結局、ケリュさんも行くことになってしまった。
ただしシルフェ様の方は「わたしが行くというのは、変でしょ」と言い、アルさんとシフォニナさんも同じく留守番ということになった。
またニュムペ様の妖精の森には、日をあらためてということにした。
ケリュさんは合同合宿の流れでそのまま行きたいと言ったけど、ニュムペ様たちのところには俺たちも行きたいし、それに学院生の合同合宿とはしっかり区分けしておきたい。
なので、ごっちゃにならないようにそれはダメと言いました。
あとは部員たちに紹介する際のケリュさんの立場だけど、これが悩みどころだ。
シルフェ様の旦那様というのに嘘で誤摩化す気は無いのだけど、それでどういう人なのかという点だよね。人じゃないですが。
シルフェ様は対外的にはエステルちゃんの姉的存在で、ファータの一族の中で大切な方だということにしていて、それ以上の詳細は誰にも話していない。
そこまでなら大きな嘘では無いよね。
それからすると、旦那様であるケリュさんもファータの関係者とするのが良いだろう、ということになった。
まあこの辺のところは、今回だけでなく今後も誰か人間に紹介する必要が出たときの、カバー身分として統一しておいた方がいいよな。
それで騎士団王都屋敷分室、いまは調査外交局王都屋敷分室になっている建物まで行って、ファータの最長老たるユルヨ爺に相談をした。
「そういうことになりましたか。ふうむ」
「そうなんだよね。でも、あの人が暫くここに居るのなら、今後もそういうことが起きて、外部の人間と接触することもあるだろうし」
「そうですなぁ」
ユルヨ爺もどうしたものかと思案する表情だ。
「ねえ、ところでユルヨ爺。ユルヨ爺はさ、シルフェーダ本家に伝わるシルフェ様やシルフェーダ様についての伝承は、知ってるのかな」
このユルヨ爺は、近年にファータの者がシルフェ様と接するようになる以前に、彼女と直接会って話したことのある唯一の人だ。
かつて若い現役の時分に生涯でただ一度だけ潜入先で捕らえられ、そこをシルフェ様に救出されたという経験を持っている。
ファータの最長老で最高の探索者であり武術家でもあり、そういう経験を持つこの人ならば、シルフェーダ本家に伝わる伝承も知っているのではないかと俺は思ったのだ。
「ふむ、本家の伝承ですかな。表向きには、本家の者以外は知らぬことになっておりましてな」
「表向きには、ですか?」
「はい。ただしこの年寄りは、先代の里長にずいぶんと可愛がられましたので。それでいろいろと、話を聞いておったものですよ」
ユルヨ爺は現在の里長のエーリッキ爺ちゃん以前、先代の里長の時代から現役を務めていた。
シルフェ様と会ったのもその時代らしいよね。
「つまり、シルフェーダ家の始祖であるシルフェーダ様の御母君は、真性の風の精霊のシルフェ様。そして御父君は、戦神様」
戦神の名前は口に出さなかったが、もちろん承知しているのだろう。
「いやあ、長生きはするものですな。はっはっは」
ユルヨ爺はそう言って破顔した。
「それで、畏れながらケリュ様のことですがな。例えば、シルフェーダ家に所縁の御方で、長らく遠い他国に赴かれていた方であると、そうご紹介いただくのが良いのではないですかな。我らファータは、一族以外の誰にも出自を明かさないのが掟ですから、統領もそれ以上を話す必要は無いでしょう」
ファータの者は、仕事を受けている貴族家などのごく一部は別として、基本的に一般のとりわけ人族の者には自らのことを明かさない。
探索者を生業にしているからというのはもちろんのこと、見た目は人族と見分けのつかない一族自体のことも秘匿する。
ただし、同じ精霊族であるエルフやドワーフには分かってしまうけどね。
その点ではファータの者が大勢居て、そうだと隠していない俺の周辺がかなり特殊な環境なのだ。
「それでいいのかな。ケリュさんは、かなり立派な騎士っぽい格好もしてるし」
「そこは、他国でそのようなお仕事に就かれていると、ご説明されれば良いですわいな」
「ああ、戦士ぐらいでいいか」
「ですのう。ファータ関係で戦士と言えば、多少知識のある者はそれで勝手に想像しますでな」
つまり、探索者で戦士であれば、それはもう怪しく特殊な生業に従事しているということだ。
前々世で言えば諜報機関の特殊部隊員、それも身なりからしてかなり上位の存在といったところですかね。
あと、他国の騎士と言ってしまうと、爵位の関係で家名を問われる可能性が出て来る。
適当な家名を名乗って貰うというのも考えられるが、家名とは所属と出自を表すものだから、却って余計な情報を与えてしまいそうだ。
その点では、前々世の苗字などとは多少意味合いが違うんだよね。
だいたいシルフェーダ家などファータの者は、ごく特殊な場合を除いて家名を名乗らない。
それに神であるケリュさんが、虚偽で適当な家名を名乗るのは良しとしないだろうし、仮に名乗ってしまうと、それに神気が乗って悪い影響を人間に与えてしまう怖れもある。
「しかしザック様よ。ケリュ様がこの屋敷にお暮らしになって行動されるとは、わしらがその理由を想像など出来はしませぬが、これから何かが起るのですかなぁ」
「うーん。ケリュさんの行動は僕も予測が付かないけど、少なくともその度にいちおうは話してくれるみたいなので、それで想像するしかないね。尤もああいう方たちって、時間の感覚が僕らとかなり違うので、いますぐにどうこうは無いって思ってる」
「ですなぁ。まあ、わしらも少しは長く生きておるで、いまさら慌てずにのんびり構えておりましょうかのう」と言いながら、ユルヨ爺は俺の顔を見て微笑んだ。
シルフェ様とケリュさん夫妻の再会が100年単位振りで、ユルヨ爺が以前にシルフェ様と会ったのもそんな年月を経てのことなのかも知れない。
それを考えると、直ぐに何かが起きるのではと戦々恐々としたりするのは、本当にバカらしいよね。
「ユルヨ爺も、合同合宿に行く?」
「わしですか? そうですなぁ。ジェルさんたちのお手伝いで、部員のみなさんの剣術訓練のお相手でもしましょうかの」
「そうだね。そうしたら来てくれるかな。どうも僕は、ケリュさんの相手をしっぱなしの気がするし」
「ははは。それが出来るのは、ザックさまだけですからのう」
いやあ、俺が出来ているのかどうかは分からないけど、まあ俺がいちばん慣れているしね。
神様相手が慣れているというのも、それはどうかと思うけどさ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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