第898話 王都に早速いらっしゃいましたか
「お姉ちゃんたち、もう来るみたいですよ。今日の午後には着く予定だそうです」
「えー、今回はずいぶんと早いなぁ」
「ですよねぇ」
王都屋敷に戻った日の翌日、合同合宿の件でヴィオ副部長宛に手紙を書いていたら、執務室にエステルちゃんがやって来てそう報せてくれた。
どうやら、シルフェ様から風の便りが届いたようだ。
「これは、ふふふ、わたしには想像がつきます」
「あら、そうなのカリちゃん。その想像って、なにかしら?」
「それはエステルさま。きっとアレです。ドリュアさまからお土産をいただいて来られたんですよ。それで、それを早く持って来ていただけると」
俺たちがファータの里経由でグリフィニアに戻ったあと、シルフェ様たちは世界樹にドリュア様を訪ねて出掛けると聞いている。
カリちゃんが言うようにあそこからのお土産だと、なにやら危険物の香りがするよな。
「もしそうだったら、楽しみね」
「世界樹の樹液はもういただいているので、きっと違うものですよ、これは」
もしもそうであったら世界樹の樹液とは違う危険物か。他に何があるのでしょうかね。
でも早く来る理由は、俺は違うと思うんだよな。
昼食も終えた午後、「カァカァ」「あ、いらっしゃいましたよ」と、空から接近するアルさんを察知したクロウちゃんとカリちゃんが同時に声を出した。
俺は側に居たシモーネちゃんに、王都屋敷の全員にラウンジに集まるよう声を掛けに行って貰った。
いろいろ調査に動き出すのは明日からで、今日の午後はまだみんな居る筈だ。
お昼のときにも、シルフェ様たちが午後に来ると伝えて置いたしね。
いつもなら、シルフェ様たちが来たら皆は自然に集まって来る感じなのだが、今回に関しては集合を掛けたのでありますよ。俺の予測通りなら、何故なのか直ぐに分かります。
そうしておいて、俺とエステルちゃん、カリちゃん、クロウちゃんで、アルさんが着陸する訓練場に行った。
間もなく、上空から薄ぼんやりとした半透明な白い雲が降りて来る。
最近はこの王都に降りる場合、雲による目隠しだけでなく姿隠しの魔法による光学迷彩効果も施しているんだよね。
それならまったくの透明になるようにしても良い気がするのだけど、アルさんとカリちゃんによると、背中に誰かを乗せて防御魔法を張りながら飛行と降下を行い、雲で全体を包み、更に姿隠しの魔法を掛けるとすると、彼らでもそれなりの負担になるのだそうだ。
異なる魔法の4重の発動だから、まあそうだよね。
「雲は無しで、姿隠しだけだとダメなのかな?」と聞くと、「雲で包んでそれを媒体にせんと、背中に乗せた者も隠せる姿隠しが掛かりませんのじゃ」とのことだった。
俺も地上でやってみたのだけど、確かにただ隣に立っている者を同時に隠すのは難しい。
そうなると空中で背中に乗った者だけが見えて、偶然に眺めてしまった人の目には、人間のかたちをした存在が空に浮かんでいるように映ってしまうかもだよな。
ちなみに、カリちゃんがべたっと俺に抱きついて来て「これなら行けますかね」とか言ったが、光学迷彩がなんとか中途半端に掛かり、やはり薄ぼんやりになった感じだった。
それにそんなに抱きついて来たら、いろいろ危なくて動けませんからね。
ともかくもアルさんが空から降りて来て着陸すると、その背中から人影が3つ、ふんわりとフィールドに降り立った。
やはりと言うか、予測通りというべきか。
「おーい、ザック、来たぞ。エステルとカリとクロウ殿も、先日振りだな。ふむ、ここがザックの本拠地か。なるほど、えらく強烈に防御されておるな。それと、繋がりがかなり強い。これなら我も、ここに直接降りて来られそうだぞ」
はい、ケリュさんですね。
彼は俺たちに声を掛けたあと、周囲をきょろきょろ見ながらそんなことを言っている。
「もう、ケリュったら、ザックさんのところに早く行こうって煩くて」
「アル殿がグリフィニアから帰って来られて、それから日を置かずに世界樹やあちこちに行きまして、一昨日に妖精の森に戻ったばかりだったのですけれど」
シフォニナさんの言うところでは、どうやら旅続きだったようだ。
アルさんの顔が、珍しくいささか疲れている。
「いやいや。飛んで移動すること自体はそれほど疲れんし、問題無かったのじゃがな」
広大な大陸を横断してそれほど疲れないとは、いまさらながらさすがドラゴンというところだ。
ではそれ以外に、何かアルさんを疲れさせるようなことでもあったですかね。
まあ、まずは屋敷の中に入ってひと息ついて貰いましょう。
ロビー横のラウンジに行くと、うちの全員が揃っていた。
そして、俺と並んで先頭を切って入ったケリュさんを見て、皆が立ち上がる。
正体を知っているジェルさんやオネルさんは、立ち上がったものの更に平伏しようかどうしようかといった様子で落ち着かない。
その他の者たちもグリフィニアで面識はあるものの、まさか王都に来られたのかといささか驚きの表情だった。
中でもユルヨ爺やアルポさん、エルノさんのファータの古株は、もう既に床に片膝を突いて畏まっており、ティモさんとリーアさんも慌てて同じようにした。
「おお、グリフィニアでの一瞥以来だな。皆は元気か。元気だな。重畳重畳。これからよろしく頼むぞ」
「あなた。そういうのは、ザックさんにあらためて紹介されてからでしょ。もう、世間に疎いんだから」
世間と言うか、地上世界の人間社会に疎いと言いますか。
でも、まずは俺から説明しないとだよな。
「えーと、ユルヨ爺たちは立って、立って。そうだな、みんな腰掛けようか。あ、エディットちゃんとシモーネちゃん、お茶とかは落ち着いてからでいいよ。まずは全員に」
じゃあシルフェ様たちも、いつも寛いでいるそのソファに座ってくださいな。ケリュさんはその隣にね。
いいですか? みんな座りましたね。
うちの王都屋敷の玄関ロビー横にあるこのラウンジは、大勢で寛いだり、ときには全員でミーティングをしたりする場所なので、ソファやテーブルなどがかなり多めに配置されている。
まあ前々世の世界で言えば、ちょっとしたホテルのラウンジを想像して貰えれば良いだろう。
特に、シルフェ様たちがほぼここで暮らすようになってからは、彼女たちの席はだいたい決まっていると言って良い。
「あー、えーとですね。ご覧のように、ケリュさんがこちらに滞在することになりました。既にみんな、グリフィニアで顔を合わせているので、初めましての人は居ませんね。でも、ほとんど話をしたことは無かったかな。あらためて紹介しますと、このケリュさんはシルフェ様の旦那様です」
ちなみにシルフェ様は、アラストル大森林でケリュさんと再開したとき以来、お姉さんバージョンの姿のままにしている。もう、そちらで固定ですかね。
「それで、このケリュさん。ずいぶんと長い間、シルフェ様と離れてふらふらしてたんだけど」
「おい、ザック。我を、家から追い出された寂しい旦那みたいに言うな。我はふらふらしていたのではなく、仕事の関係上だな」
「はいはい、そうですね。お仕事関係でしたね。追い出されたのではなくて、ずいぶん長い期間の出張と言うか、好き勝手にしていたと言うか」
「だから、そういう言い方だと、語弊があるだろうが。おまえよりは、好き勝手にしとらん」
「何を言うとるですかね。僕はちゃんと学院に行って勉強してますし、学院ではなるべく大人しくしていて、ちゃんとこの屋敷には帰って来ているのですよ」
「ふふん。いろいろと話は聞いておるぞ」
「はいはい。ザックさまもケリュさまも、話が進みませんからそのくらいにしておきましょうね。みんな忙しいんですから」
「はいです」
「お、おう。そうだな、エステル」
シルフェ様はただニコニコしているだけだったが、エステルちゃんからやんわりと叱られました。一方で、うちの連中は少々呆れている。
「それで、そんなふらふら、糸の切れたケリュさんですが」
「おい」
「はいはい、お静かに。そんな、ケリュさんですが、このたび、暫くはシルフェ様と一緒に暮らすこととなりました。なので、と言うことは、シルフェ様のおまけみたいな感じで、ここで暮らすことになります」
「我は、おまけか」
「うふふ。おまけで許して貰ったんだから、それでいいじゃない。ほら、あなたもみなさんに、ちゃんとご挨拶なさい」
「うむ。そう言うことで、こちらにご厄介になることになったケリュである」
「あなた。おまけなんだから、もっと丁寧に。みなさんにお世話いただくのですよ」
「お、おう。どうか、よろしくお願いする。皆にはなるべく世話を掛けないようにするつもりだが、何かあったら遠慮なく言ってほしい。あと、無用に気を遣わなくていいからな。我はシルフェの夫で、シルフェはエステルの義姉だから、我もエステルの義兄であり、そしてザックの義兄だ。そう思って、親しく接して貰えればと思う。よろしく頼む」
そう言って、ケリュさんとそれから隣のシルフェ様は頭を下げた。
神様と真性の精霊様が人間に頭を下げたのだから、オイリ学院長や神話と歴史学教授のイラリ先生あたりがこの様子を見たら、驚天動地な出来事として卒倒するかも知れない。
「このように、見た目は強面でも、いたって気の良い気さくな方なので、僕とエステルちゃんの義兄と思って、皆も気楽に接してください。僕からもお願いします」
うちの屋敷の皆は、誰も言葉を発することは無かったが、まあシルフェ様たちと同じようにそのうちに慣れるだろう。
いや、そう簡単に慣れてもいけないのかな。でもここに居るのだから仕方ないよね。カァ。
ケリュさんとあらためての対面を終えて、この場は解散した。
あ、フォルくん。ご苦労だけど、この手紙をセリュジエ伯爵家のヴィオちゃんに届けてください。
ヴィオちゃんはまだ王都に来てないかもだけど、ハロルドさんとか向うの王都屋敷の誰かに言付けてね。
強化剣術研究部との合同合宿は、例年通り8月の18日からナイア湖畔で3泊4日を予定している。
今年のうちの部の人数は、ソフィちゃんがいないので女子部員が5名、男子部員も俺を含めて5名だ。
強化剣術研究部の方はエイディさんたちが卒業してしまったから、女子が3名で男子も3名の計6名と、だいぶ人数が減った。
これまでは向うの男子部員が多かったので、あちらはあちらで移動の馬車をチャーターし、女子部員はうちの方に同乗するかたちだった。
そう言えば昨年は、ソフィちゃんのところの馬車も出して貰ったんだよな。
今年は俺としては、強化剣術研究部の部員を含めた全員をこちらで用意する馬車で運ぶつもりにしている。
そうすると女子が8名、男子8名か。
うちからはエステルちゃんとカリちゃんも馬車で行くと思うので、女子は10名になるよね。
うちの馬車と、それから大型の貸し馬車もだいたいが定員6人なので、3台は借りないといけないですかね。
その辺の手配は、ティモさんにもう頼んであります。
ヴィオちゃんへの手紙にはそんなことも書いて、8日の朝にうちの屋敷に全員集合ということで、部員たちへの連絡業務をお願いした。
さてそれは良いとして、屋敷の皆が解散したあとこのラウンジに残っている人外の方々ですな。
「ケリュさんはシルフェ様の部屋でいいですよね。あの部屋にはベッドがふたつあるから、好きに使ってください」
「それでいいわよ」
「おお、すまんなザック」
「それから、うちの屋敷のルールだけど、都合があって仕方のない場合を除き、食事は全員で一緒にしますよ。尤も、学院が始まったら僕は、10日間は学院の寄宿舎に居て、その10日目の夜に帰って来て、2日間はこの屋敷というサイクルですけどね」
「おう、聞いている。問題無いぞ」
「あと、行動はもちろん自由で、屋敷にある物も自由に使って貰って良いです。ところでケリュさんて、人間社会のお金って持ってるの?」
「お金か。あいにくと我はそういうのは不要だからな」
「お姉ちゃんたち用の予算がありますから、そこから出しますよ。お金が必要な場合には、シフォニナさんかわたしに言ってくださいね」
「わたしも、そうして貰ってるの。ヴィンスさんとアンさんが、そういう予算を出してくれてるみたい。だからあなたも、グリフィン家には感謝しないとよ」
「おお、そうなのか。これはグリフィニアの方に足を向けて寝られないな」
神様にもそういうのがあるんですかね。父さんがそれを聞いたら、恐縮し過ぎて倒れそうだ。
「アルは、その辺はどうしてるんだ?」
「わしですかの。わしのところには各時代の貨幣があって、人間の金は所有している筈なのじゃが」
「たんまりありましたぁ」
「なに? カリは見付けたのか。ふうむ。わしは、あるということは憶えておるが、どこに仕舞ったか分からんようになっておった」
「アルさんには王都屋敷執事分と魔法の師匠の分のお給料として、これもわたしが預かってます。あと、カリちゃんには、ザックさまの秘書として調査外交局予算でお給料が出ていて、シモーネちゃんには王都屋敷予算でお給料ですね」
なるほど、そうなってるですか。ずいぶんと月日が経過しているにも関わらず、俺はぜんぜん把握しておりませんでした。
しかしアルさんには、航空運賃分も渡さんといかんですなぁ。ああ、毎日のお酒でちゃらですか。大量に消費するからね。
ただし、実際に現金を支給しているのはカリちゃんとシモーネちゃんのお給料だけで、あとシフォニナさんにもシルフェ様分と合わせて必要に応じて渡しているらしい。
アルさんは俺と同じく、普段はお金など遣わないからね。
そのアルさん本人とカリちゃんによれば、彼の棲む洞穴の宝物庫にはたんまりとお金が眠っているそうだ。
ちなみにそんなお金が無くても、コレクションしている魔導具のひとつでも人間の社会で売れば、とてつもない大金が舞い込みます。
ドラゴンてそういうのを集めるのが習性らしいけど、集めるだけだよな。
「それで、シルフェさま。ドリュアさまのところに行かれたんですよね」
お土産を持って来ている筈だと予想していたカリちゃんが、その話題を振った。
「ええ、行ったのだけど。それが、ドリュアさんのところだけじゃなくてね」
「そうなんですかぁ?」
それではせっかくなので、珍しくアルさんがお疲れ気味の旅の話でも聞きましょうかね。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




