第85話 大森林の奥の再会
それは存在感のある実体を現してやって来た。
あまりにもそれが纏うキ素力が眩しく、俺は見鬼の発動を止めた。
ほかの皆にも、その姿がしっかりと見えているだろう。
「フェンリル、でやすか」
ブルーノさんが小さく呟く。
3年振りに再び出遭うフェンリルだ。
銀色に光り輝く、10メートルはあろうかという巨大なオオカミ。エステルちゃんは魔獣ではなく神獣、神の使いと言っていた。
フェンリルは、俺たちから7、8メートルぐらいのところで歩みを止め、じっとその青く透き通った眼でこちらを見る。
まるでこの場所だけ、時間が止まっているかのような感覚になる。
襲われるという感覚も、もちろん闘うといった気持ちも湧くことはなく、フェンリルに見つめられると、動いたり声を出すことが誰もできなかった。
「ほほう、あのときの小憎だな」
えっ、フェンリルさんて喋るの?
知らなかったよー。昔は黙ったままだったじゃん。
その声は音声でもあり、頭の中に直接響く声でもあった。こういう声って、俺知ってるよね。
「そっちの精霊族の小娘も知ってるぞ」
エステルちゃんが、その声にぴくんとする。
「あとは、初めてか。いや、そっちの男は何回か見た気がするな」
「あー、えーと、お久しぶりです」
「ザックさまぁ」
俺がそう言うと、エステルちゃんが絞り出すような声を出して強くしがみつく。
「あぁ久しぶりだな。なんだかキ素力が爆発した光を感じたので、わざわざ見に来たら、やっぱりおまえか、小憎」
「あ、昨日の……。すみません、僕も思いもよらずで」
「ハイウルフが一匹、倒れたようだな。あまり森を荒らすなよ」
「ごめんなさい。でも、あっちから襲って来たものだから」
「おまえら人間が、珍しく大勢で来て、あいつの縄張りに入ったからだろう。まあそれはいい」
「あそこは今、あのオオカミたちの縄張りになっていたのですね」
「どうせまた、縄張りが組み替えられるだろうさ。争い、収まる。いつものことだ。それよりおまえだ」
「え、僕ですか?」
「あのハイウルフも、おまえに関心を持ったから襲ったということもある」
「そうなんですか」
「まぁあいつらは、賢くないからな。おまえはアマラ様のお知り合いだろ」
「いえ、直接は存じ上げなくて」
俺をこの世界に送って、しばらくこちらにいて去ったダメ女神サクヤのことを想い出した。
アマラ様のところにホームステイしてたんだよな。
「おまえのことは以前に遭ったあと、話を聞いている」
「そうなんですね」
「俺も見護るように頼まれた。まぁアマラ様の頼みではな」
「そうですか。ありがとうございます」
「おまえは、まだ小憎だ。この世界でおまえに時間はたくさんある。だから急ぐな、無茶はするな」
「はい」
「それと、精霊族のファータの娘。おまえはわかっていると思うが、できるだけその小憎のそばにいろ。いいな」
「は、はい」
「ではな」
「あの、フェンリルさん」
「ルーノラスだ。名は誰にも言うな、いいか。また遭うだろうよ」
ルーノラスは名前なんだろうけど、誰にも言うな、か。
その言葉を残すと、フェンリルの巨体は一瞬で消えた。
見鬼の力で見ると、巨大なキ素力の塊が、凄いスピードで大森林の奥へと去って行くのがわかった。
この世界で俺には時間がたくさんあるのか。だから急ぐなと。
どうしても前世での人生のことがあって、急いでしまうのかもね。時間はたくさんあると言われただけでも、凄く安心した気分になる。
無茶はしちゃいそうだけど。
止まっていた時間が流れ始める。
午前の陽の光が眩しく降り注ぐ。
音が蘇り、森の風が爽やかに顔に当たった。
「あの、ザカリー様は、今のフェンリルとお知り合いなんでやすか?」
「エステルさんも知っていると言ってたわ」
「アマラ様のお知り合いとは、どういうことなんです。あの太陽と夏の女神のアマラ様のことなのか」
疑問と質問がいっぱいですよねー。
フェンリルのルーさん、余計なことをたくさん喋りましたよねー。
「まず、今のフェンリルに遭うのは2回目だよ。誰にも言ってないけど、3年前にあのカプロスと遭遇したとき、そう、ブルーノさんが報せに走った後に現れたんだ。カプロスが逃げた本当の理由は、フェンリルが来たからなんだよ」
ブルーノさんが、俺のその言葉で納得したようだ。
「エステルちゃんは僕と一緒にいたからね。だからふたりでフェンリルと遭っているんだ」
俺は皆の顔をしっかりと見る。
「それから、今フェンリルと遭ったこと、話したことは、お願いなんだけど、誰にも内緒にしていて貰えないかな。これは凄く大事なことなんだ。話せるときが来たら、ここにいるみんなにはちゃんと話すから」
それぞれが何かを言いかけたが、口を噤んだ。
これ以上、ここで口に出してはいけないと感じたのだろう。
特にアマラ様の名前が、神獣と言われるフェンリルの口から出てしまっては。
エステルちゃんは少し涙眼になりながら、ひとり考えごとをしているみたいだ。
ルーさんが、ちょっと気になることを言っていたからね。
それから俺たちは、先ほど体験したことをそれぞれが噛み締めるように、言葉少なにベースキャンプへと帰るのだった。
今回のアラストル大森林で俺が経験すべきことは、おそらくもうこれ以上はないだろう。
さあ明日は領都に、領主館に帰還だ。
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エステルちゃんが主人公の短編「時空渡りクロニクル余話 〜エステルちゃんの冒険①境界の洞穴のドラゴン」を投稿しました。
彼女が隠れ里にいた、少女の時代の物語です。
ザックがザックになる前の1回目の過去転生のとき。その少年時代のひとコマを題材にした短編「時空渡りクロニクル外伝(1)〜定めは斬れないとしても、俺は斬る」もぜひお読みいただければ。
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