第770話 帰還と、遅くなったけど1年の計?
翌日の午前、俺たちはグリフィニアへと帰る。
里長屋敷の前には、大勢の里の衆が見送りに来てくれた。
皆さんにはそこで挨拶をして、里の入口まではエーリッキ爺ちゃんとカーリ婆ちゃん、ユリアナお母さんと、それからソフィちゃんが見送ってくれる。
「爺ちゃん、婆ちゃん、ユリアナお母さん。ソフィちゃんをよろしくお願いします」
「おう、任せなされ」
「孫娘を育てるのは、慣れてますからね」
「少しの間になっちゃうけど、お母さんするわね」
ソフィちゃんは、エステルちゃんとカリちゃんに抱きついて暫しの別れの挨拶をし、ティモさんに挨拶したあとアルさんの大きな身体にも抱きついていた。
そして、俺と頭の上にいるクロウちゃんのところに来る。
「クロウちゃん、ときどき来てね」
「カァ」
クロウちゃんに手を伸ばして俺の頭の上から自分の胸に抱くと、そう言葉を掛けた。
グリフィニアあるいは王都から、時折様子を見に行くようクロウちゃんに頼んでいて、それを彼女に伝えてあったのだ。
そしてクロウちゃんを抱いたまま、先日にタラゴの伯爵家別邸の部屋で会ったときのように、自分の頭を俺の胸に押し当てた。
「兄さま、迎えに来てくださいね」
「うん、わかった」
「きっとですよ。約束ですよ」
小さな声でそう囁いて、頭を離す。
そして俺を真っ直ぐ見つめる彼女の目と表情は、別れの寂しさよりもこの先に期待を膨らますキラキラとしたものだった。
「少し心配だったけど、どうやら大丈夫そうね」
「だね。あの子は強い子だし、本来、誰とでも仲良くなれる子だから」
アルさんの背中に乗って冬の大空に高く舞い上がり、2竜編隊は里の上空をぐるりと旋回したあと、一路グリフィニアを目指す。
ところでいま、大丈夫でなさそうなのは、そこでほとんど俯せになって貼付いているティモさんですな。
「ティモさん、大丈夫?」
「は」
「2時間ほどだから、頑張るのよ」
「は」
エステルちゃんが何と声を掛けても、先ほどから「は」としか返事をしないんだよね。
「ティモさん、これは修行でありますよ。まずは身体を起こして、胡座で座りましょう」
「は。は? しゅ、修行、ですか?」
「そう、修行です。人というのは、こうして思わぬところに修行の機会があるのですよ。しかし、それから逃げたり、挑まぬうちに気持ちで負けてしまうのではなく、ぐっとその修行を受入れて精進することで、次のステップを踏めるのであります」
「は、は?」
「この人の言うことは聞かなくてもいいですから。でも、身体を起こして座ってみてくださいね」
「は、はい、嬢さま」
ティモさんは両手を踏ん張って、何とか身体を起こした。
そうそう。それで、それ以上動かなくていいから、ゆったりと座りましょう。
出来ればちゃんと目も見開いて、遠くの空を眺めるんですよ。
「ねえ、ザックさま」
「ん? なあに?」
「来月に入ったら、またあっという間に王都ですよね」
「そうだね」
「ザックさまの総合武術部とか、どうなりますかね」
王都にはいつも通りなら、来月の18日には出発する。
まだ1ヶ月近くはあるとはいえ、エステルちゃんの言う通りあっという間だよな。
そして3月1日からは、俺の学院最後の年の春学期が始まる。
そうすると新入生の勧誘もあって、総合武術部の課外部活動もスタートする訳だが。
「ソフィちゃんがいなくなったから、3年生がカシュのひとりで、2年生がヘルミちゃんのひとりか。去年のことを考えると、新入生が大量に入部するとは考えにくいしなぁ」
6人いる俺たち4年生の創部メンバーは、今年いっぱいでもちろん揃って卒業する。
本来ならどう考えても、俺たちの卒業後はソフィちゃんに部長になって貰って、総合武術部を託すのが順当だと思っていたのだけど。
いや、カシュくんがだめって訳じゃないけどさ。でも、しっかり度から考えて。
カシュくんが部長で、ヘルミちゃんがいて、あと新入部員がひとりかふたりか。ふうむ。
剣術対抗戦への出場チームも組めないよね。
「総合剣術部あたりに引き取って貰うか、それとも強化剣術研究部と合体させちゃうか……」
アビー姉ちゃんが創部した強化剣術研究部は、エイディさんたち3人が卒業して今年の4年生はロルくんだけで、3年生はヴィヴィアちゃんとイェンくんのふたり。そして2年生はルイちゃんひとりか。
あちらもうちと似たような状況だよな。
「でもそれだと、魔法の練習が出来なくなっちゃいますよ」
「そうなんだよね。と言って、総合魔導研究部は性質的にもっと遠いし」
あと、うちが独自に取り入れている身体能力強化の練習も、剣術とともに魔法を扱っているからこそというのもあるんだよな。
これが魔法専門の総合魔導研究部だと、身体能力強化なんてしようとも思わないだろう。
「なかなか難しいですね。ここは部員の皆さんと、早いタイミングで相談した方が良いと思いますよ」
「そうだね。そうするか」
エステルちゃんが言いたかったのは、要するにそこのところだな。
これまでだと新学年が始まる直前に、副部長のヴィオちゃんと会うか手紙で連絡を取って、新入生勧誘の準備や段取りを丸投げしちゃっていたからね。
今年はそういう雑な進め方だとダメですよって、そう言いたかったんですね。おっしゃる通りです。
春学期が始まる前にミーティングを招集しますか。
でもその前に、オイリ学院長と面談する必要があるだろうな。
ソフィちゃんの件で、グスマン伯爵家からどのような連絡があったか。その結果、学院としてどういう対応が為されたのか。
まずはそれを知る必要があるだろう。
ところで、ティモさんは静かだけど、大丈夫かな?
ひとり、修行に入っておるですかね。
途中で地上に降りて休憩を入れるよりは、休まずなるべく早く直行してしまおうということで、2時間足らずでグリフィニアの上空へと辿り着いた。
ティモさん、もう直ぐですよ。
「精神を統一すれば、確かにたいていのことは乗り越えられます。ザカリー様のおっしゃる通り、大切な修行の時間でした」
ああ、胡座を掻いて微動だにしないけど、ちゃんと喋れるようにまでなったのですな。
エステルちゃんはそれを聞いて、ほっとしながらもやれやれという顔をしている。
クロウちゃんに先触れで先行して貰って、カリちゃんとアルさんはゆるゆると子爵家専用魔法訓練場へと降り立った。
まだお昼前の時刻ですね。
魔法訓練場には、先日と同じように主立った人たちが集まっていた。
「ただいま、であります」
「帰りました」
「おう、お帰り。ご苦労だったな。ティモさんも一緒に戻ったのだね。顔色がやけに白いが、大丈夫か?」
「ザカリー様に命じられた修行のお陰で、なんとか大丈夫です、子爵様」
「ん? 修行? そうか、ご苦労さま」
そう言いながらもちょっとふらついているので、フォルくん、彼を引き取って休ませてあげてください。
「ソフィちゃんは、無事に送り届けられたのね」
「はい、お母さま。うちの父と母もいましたので、わりとすんなり馴染めたみたいです」
「ああ、エルメルさんとユリアナさんも帰省していらしたのね。それは良かったわ」
「ザックさん、わたしが行かなくて申し訳なかったですけど、問題なかったみたいね。ご苦労さまでした」
「いえいえ、シルフェ様。案の定、大宴会で歓迎して貰いましたし、僕らも田舎で休むことが出来ましたので」
「ふふふ、それは良かったわ。(昨日、お母さまとお父さまからも、心配ないって連絡があったわよ)」
ああ、そうなのですね。
可愛い祭祀の社とか言ってなかったでしょうな。
「(そう言えば、可愛らしいお社を希望します、とかお母さまが言ってたわ。何のことかしら)」
「(おひいさまは無理そうだから、わたしがお助けしなさいって、そうおっしゃってました)」
そうですか。
でも、シルフェ様もわりと可愛い物が好きだから、無理そうということもないと思うけど。
まだ午前中なので、ひとまず屋敷の家族用ラウンジで休むことにした。
500キロメートル以上を一気に飛んで来たアルさんとカリちゃんは、そのぐらいの距離は何ほどのことも無いようだが、同じく休んでいる。
このふたりには、グスマン伯爵領との往復、そして今回の往復と、本当に世話になっている。
たまには何かお礼をしないとだよね。
取りあえず、ふたりの大好きなミルクショコレトールを出してあげましょうか。
でもまだ昼食前だから、たくさんはダメですよ。
シルフェ様たちも欲しいんですね。仕方ないのでふたりの分も出します。
それはともかくとして、昨年から続いていたソフィちゃんの懸案がようやくひと段落した。
彼女にとって、すべてはこれからだけど。
あとはいつ迎えに行けるのか。そしてどこに迎えるのか、というのがある。
幸いにこのセルティア王国での戸籍は、準男爵以上の貴族とその親族は王宮内務部に登録しているが、騎士爵及び一般庶民は領主が管理している。
つまりグリフィン子爵領民とするのは、言ってみれば自由自在という訳だ。
問題はグスマン伯爵家がまずはどう出るのかというところだが、俺の予測としては学院から籍を抜いて中途退学にしてしまうと同時に、王宮内務部にも行方不明とか何かの届けを出してしまうのではないかと思っている。
ここら辺も調査しておかないとだよな。
あと、彼らが何と公表するのか、その後も追求を続けるのかどうかだ。
見たままの出来事を準男爵の息子が伯爵家に報告したとしても、おそらく外部に対しては秘匿されるのだろうね。
と言うか、あの息子自身が結構追求されるんじゃないかな。
まあ俺たちの狙いとしては、伯爵家と準男爵家がそれで揉めて混乱することだけどね。
「ザックさま。そろそろお昼ですよ。食堂に行きましょうね」
「あ、はいです、シモーネちゃん」
「何か、考えごとでもしてたですか? 難しいお顔だったり、ニヤっとしたり、くるくる変わってましたよ」
「ああ、今年これからのことに思いを巡らせていたんだ。一年の計、という感じかな。もう元旦ではないけど」
「カァ」
「一年の計? 元旦?」
「一年の計って、今年にやろうとする計ってことよね。元旦は、何のことだかわからないわ」
いや、謀を巡らせておる訳ではないですよ、シルフェ様。
元旦は、1月1日に新しい年の陽が昇ることを指した言葉ですな。
「難しいこと考えてないで、お昼ごはん食べに行きますよ、ザックさま。早く行かないと、エステルさまに叱られますよ」と、カリちゃんとシモーネちゃんに手を引っ張られる。
エステルちゃんは食堂の方にいるみたいなので、クロウちゃん以外ここにいるのは精霊とドラゴンだけだ。
でもこれが俺の日常風景なんだよね。
ようやくその日常が戻って来て、来月には学院生最後の年の王都。
アマラ様は、この1年間はしっかり勉強して来年に備えなさいって言っていたけど、さてどんな1年になるのでしょうか。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
本話で第十九章は終了です。
次話から第二十章となります。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




