第754話 伯爵領都へ入る
自分たちがいま居る場所と周辺の位置関係を確認したあと、これからの行動計画を打合わせた。
まずは、目的に応じて全体を3つの班に分ける。
ひとつはドミニクさんに会うための班。これにはどこかに居ると思われるファータの探索者、メルヤさんと繋ぎを取ることが先決となる。
なのでこの班は俺とリーアさん、そしてカリちゃんが加わった。
密かにタラゴの街に入る必要があるので、それが容易く出来るのはあとはエステルちゃんだが、彼女には別の班を率いて貰う。
そのエステルちゃんの班は、伯爵家別邸と思われる屋敷の状況をまず探る。
いきなり中に侵入することは控え、屋敷の建物配置や警備体制などの把握だ。
この班にはジェルさんとオネルさんに入って貰う。
彼女らは探索仕事に慣れていないが、不測の事態からエステルちゃんを護って貰えるだろう。
そして最後はアルさんとライナさんの班。
このふたりには、いま居るこの森の中の空き地内かその近くに、仮の拠点を造って貰う。
場合によっては日数が掛かるかも知れないし、集合したり食事を摂ったり休息や寝泊まりの出来る場所がいる。
俺たちはグスマン伯爵領内に存在していない前提なので、タラゴの街の中で宿屋に泊まる訳にはいかない。なので、隠し拠点の仮設は必要だよね。
それからクロウちゃんは3つの班を繋ぐ役割と同時に、常時空からの偵察を行う。
頼むよクロウちゃん。カァ。
「いいかな? この態勢で、まず初期行動を行いたいと思う。特にアルさんとライナさん。留守番になるけど、お願いします」
「わかり申したぞ、ザックさま」
「わたしもー、潜入活動がしたいけど、まあわかったわ。ザカリーさまの指示に従います」
「神隠しを起こすときには、ライナさんにも手伝って貰うからさ」
「わかってるわよ。まずは拠点も大切だから、任せといてー」
こういうときには、普段みたいに余計なことは言わない。それがライナさんだよね。
そういう点では、少女時代から困難を対処し苦労を重ねて来たプロフェッショナルだ。
「よし。では行動を開始する。現在は10時過ぎだね。そうしたら、まずは午後1時頃まで行動し、結果の如何に関わらずここに集合。いいかな?」
「はい」
「カァ」
クロウちゃん、まずはエステルちゃんに付いて、別邸と思われる屋敷を上空から監視してくれるかな? カァカァ、カァ。
タラゴの構造は分かったかって? うん、さっき空からクロウちゃんが見た感じでだいたい掴んだよ。カァカァ。うん、じゃお願い。
それでクロウちゃんは、エステルちゃんとジェルさん、オネルさんが打合せをしている輪に入って行った。
エステルちゃんたちにクロウちゃんも加われば、まずは大丈夫だろう。
「それでは、リーアさん、カリちゃん。行きますか」
「はいっ」「はーい」
西方向に走ると森は直ぐに抜けた。
目の前には湖が広がり、対岸には領都タラゴが望見出来る。
そして右手方向に、伯爵家の別邸と思われる屋敷があった。
その建物は湖の岸辺近くにあり、空からクロウちゃんの目を通じて見たところでは、ここから見える屋敷の向こう側に広い庭園があった。
そして敷地の正門はその庭園側、街道から分かれた脇道に繋がっている。
視線をタラゴの方に移すと、あちらの街も湖の岸辺に近接している。
漁師のものと思しき何艘かの舟が繋がれた桟橋も見えるので、湖で淡水魚の漁をするのだろう。
「城壁がかなり低いですね。というか、ほとんど都市城壁とは言えないぐらい」
「あれじゃ、人間でもひとっ跳びですよ」
リーアさんとカリちゃんが言う通り、タラゴの街を囲む都市城壁が低い。
これがグリフィニアなら5メートルから8メートルほどはあるのだが、この対岸から遠望する限りでは、せいぜいが2から3メートルほどだ。
城壁というより、あれは塀ですな。
グリフィニアだと創建時よりアラストル大森林の魔獣から街を護る必要があり、また15年戦争の際に北方帝国の軍が侵略して来た場合に備えて、より強固なものにされて来た。
辺境伯領の領都エールデシュタットも、大森林からは離れているものの同様だ。
しかし、ここグスマン伯爵領ではおそらく周辺に強い魔獣もおらず、南のミラジェス王国などから侵略される怖れも少ないのだろう。
しかしあれでは、いくら都市門で人馬や馬車の出入りをチェックしているとしても、簡単にどこからでも侵入されちゃうよな。
カリちゃんが言うひとっ跳びは無理だとしても。
「でもこれで、街の中に侵入し易くなったよな」
「はい、楽そうです。良さそうな場所を探しに行きましょう」
「湖を真っ直ぐ突っ切って、あの桟橋の辺りからってどうですか? あそこ、街の中と自由に行き来が出来そうですし。水の上を浮いて行けばいちばん近いですよ」
「いやいやカリちゃん、いちばん近いって言っても。僕はまだ、この距離を浮かんで進むのは自信が無いよ。それにリーアさんがいるんだから」
「えー、リーアさんはわたしが抱えて行けばいいですよぉ。それにザックさまは、このぐらい浮かんで行けないと」
「でもさあ、午前中の明るい時間に、湖の真ん中を浮いて進むのは目立つしさ」
「あのぉ、カリさんとザカリーさまは、何のお話をされているのでしょうか」
「あ、だからカリちゃんは、水の上を浮いて渡って行こうって」
「…………。あのあの、確かに真っ直ぐで近いのかもですけど、やっぱり地面を走って、別邸の付近を通りながら、あの東の門の状況とかも確認して、それから侵入場所を探して」
リーアさんがまともな人で良かったです。
ここでカリちゃんの案に賛成されても困る。だいたい俺も、まだ1キロの距離を浮いて進む自信が無いんだよね。それに絶対目立つし。
「ザックさまたちは、まだここに居たんですか? 時間が勿体ないですから、早く出発してくださいね」
あ、エステルちゃんたちが森から出て来ました。
叱られる前に、先行しますよ。リーアさんの言う通り、普通に地上を走って行きますからね。
「はいです。しゅっぱーつ」
「はーい」
せっかくだから別邸らしき建物を眺めながら、湖に沿って北西方向に走る。
俺が先頭を取り、後ろにリーアさん、そしてカリちゃんだ。
リーアさんの走力を把握していないが、現役のファータ探索者だからかなりある筈だ。
俺は背後を伺い、速度をコントロールしながら走って行く。
そして、屋敷の敷地にあまり近づき過ぎないようにその脇をすり抜け、タラゴから東方面に伸びている街道へと出たので、いったん停止する。
この街道は位置関係からすると、東にあるアールベック子爵領へと至る道だろう。
アールベック子爵領と言えば、つい昨年末に学院を卒業した強化剣術研究部のジョジーさんの故郷だよな。
あと俺と同学年では、高等魔法学ゼミで一緒のD組のディアナちゃんがいる。魔導士家だっけ。
それから、俺が2年生のときに学院生会の会長だった人が、確か子爵家の次男か三男だった。名前はえーと、忘れました。
そんなことが頭に浮かびながら、街道の手前で走るのを止め、タラゴ方向に向かって歩く。
領都外の道なので徒歩の人通りは少ないが、時折荷馬車が往来する感じだ。
今回は全員が目立たないように、冒険者とも傭兵とも見えるような地味な装備を身に着けている。
アルさんだけはいつもの執事服だけど、まあ彼が人間の前に出ることはまずないだろうから良いでしょう。
エステルちゃんとカリちゃん、そしてたぶんリーアさんも、ファータの女性探索者が潜入や戦闘で着用する、あのぴったりぴちぴち装備を持って来ている筈だが、それはどうやらマジックバッグに入れているらしい。
カリちゃんは以前にあれを貰ってるんだよね。
そう言えば、あの装備というかコスチュームというか、あれを欲しがっていたお姉さんたちの分も作ったのかな。
俺とアルさんとクロウちゃん以外の、今回の潜入メンバーは若い女性が6人だから、全員があのぴちぴちぷりぷりの装備を着たら、それはそれは……。
「ザカリーさま、街道から外れましょう。東の城門がそろそろ見えます」
「あ、そうでありますな」
「こんなところで、自分の世界に入らないでくださいね、ザックさま」
「はいです」
往来の馬車の姿が見えないタイミングを見計らって街道の北側へと外れ、また走る。
こちら側は街道に沿って林があるが、その向うはどうやら畑などが広がっているようだ。
俺たちはその林の中を音も無く疾走した。
やがて、先頭の俺が片手を挙げて停止し、身を屈ませる。後続のふたりも直ぐ側で同じように停止した。
「城門の外に衛兵が2名。門の左右の楼の上に同じく1名ずつ。でも、馬車が普通に流れて入っていますから、厳しく調べている様子は無いですね」
リーアさんがそう囁いた。
領都内へ入る手続きやチェックは極めて緩いようだな。
俺も見鬼でその衛兵を見たが、力量的には普通の衛兵さんですね。
同時に探査の力を発動させて城門を見るが、もうふたりほど衛兵が門内におり、せいぜいが馬車を停めてひと言ふた言やり取りをしている程度のようだ。
まあ別に、力押しでこの門を無理矢理通過する訳では無いから、ここは確認するだけでいいでしょう。
「右手方向に廻ろう」
「りょうかい」
街を囲む城壁、というか塀に幾分近づき、それを横に見て北方向へと廻って行き、城門から距離を取る。
「この辺りでいいかな」
再び片手を挙げて停止の指示を出し、3人は身を潜めた。
「リーアさん、越えられる?」
「問題無く」
「では、行こう。ひとりずつ、順番にね」
周囲に人の気配が無いのを確認し、同時に城壁の向こう側も探査で探った。
庶民のものと思える家が並び、路地が続いている。人影は、視認されるような位置には無いようだ。では越えましょうか。
都市城壁の高さは、せいぜい2メートル半ぐらいか。
俺はその手前でトンと跳び、探査の力を働かせながらそのまま向こう側にすっと降りた。
そして直ぐに近くの人家の塀に身を寄せる
続いてリーアさんが、いったん城壁の上を踏んでストンと着地すると、直ぐさま俺の位置を確認し、少し離れたやはり人家の塀に身を寄せた。
プロだけあって、なかなかの手際だ。
最後にカリちゃんが城壁を越えて来る、のだが。
ひゅーっと言う感じで、普通のジャンプではあり得ない速さと軌道で弧を描いて空中を移動し、俺の直ぐ隣に納まった。
要するに跳んだのではなく、重力魔法で飛んだのですな。勉強になるなぁ。
空中で俺の居る場所を確認して、軌道を変えたからね。
俺に身体を寄せてニッコリしているカリちゃんの表情が、「ザックさまも、このぐらいは出来ないとですよ」と言っている気がする。
「それでは、ここからは普通に歩こうか」
「ですね」
「はーい」
この領都タラゴのざっくりした構造は、街の中央に伯爵家の広い敷地を持った屋敷があり、その周囲におそらくは騎士団や官庁関係の立派な建物がある。
その区画を中心として、東西南北それぞれの方向にある都市城門に向かって街路が延びている、きわめてシンプルな形状だ。
エステルちゃんとリーアさんの話では、繋ぎ宿など隠し拠点が無い街にファータの探索者が入った場合、まずは大きな街路沿いのごく一般の宿に宿泊するのだそうだ。
そして、必ず街路沿いの出来れば2階にある部屋を取り、その窓の外にファータだけが分かる目印を出す。
目印は、マント、帽子、あるいはスカーフといった旅人が身に着けるものがだいたいで、これはその季節や土地柄によって変えるが、探索者同士には直ぐに判別が付くそうだ。
なるほど、前世の忍びと同じようなことをするのですな。忍びだと、道中笠や蓑、手拭などを目印に出すらしいけどね
つまりこれは、後続する者や繋ぎを取って来る者へ到着や居場所を知らせる連絡方法という訳だ。
なので、このタラゴの街に潜入しているメルヤさんも、この目印を出している筈だという。
それで俺たちは、そぞろ歩きという体でのんびり歩きながら人家の立ち並ぶエリアを抜け、東門から中心部へ伸びる街路へと入った。
「メルヤ姉さんは、おそらくこの街路沿いに宿を移している筈です。別邸が東門の外にありますから」
なるほどね。たぶんそうだろうな。
ソフィちゃんがその伯爵家別邸に移送されて軟禁されたのを確認して、そこに直ぐ行ける東門から伸びる街路沿いのどこかの宿屋にメルヤさんは移っている、というのがリーアさんの読みだ。
「あ、ありましたよ。あれです」
リーアさんが、右前方にある建物の2階の窓に視線をやった。
そこには、旅人が寒さを防ぐために着るような丈の短いマントが吊るされていた。
これは、そのメルヤさんにわりと早く会えそうですよ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。
 




