第745話 トビーくんとリーザさんの婚約披露と祭祀の社のこと
「ザック、ありがとう。そしたら次ね。トビーさん、リーザさん」
アン母さんがステージ横に来ていて、俺と入れ替わる。
そして、トビーくんとリーザさんのふたりをステージ上に呼んだ。
はいそうですね。今夜のパーティーではその発表もありますよ。
ふたりが俺の横を覚束ない足取りで通って行く。
さあふたりとも、恥ずかしそうに俯いていないで、顔をしっかりと上げて前を向きましょう。
「それでは皆さま、今夜はもうひとつお披露目がありますよ。ここにいる当屋敷の副料理長でパティシエのトビアスさんと、侍女長のリーザさんが、このたび婚約が整い、年を越したら結婚することになりました。トビーさん、リーザさん、おめでとうございます」
会場内から大きな拍手が沸き起こり、声援が飛ぶ。
ふたりはこれまで付き合っていたのかどうなのか。それでも長い間、思い思われる間柄だった。
俺が小さい頃から屋敷に居たトビーくんは、10歳以上は離れているけどそれでもいちばん年齢の近い数少ない男子で、ずっとレジナルド料理長のもとでアシスタントコックとして研鑽して来た。
そして近ごろは副料理長と呼ばれるようになり、同時にグリフィン子爵家の専属パティシエとして、お菓子が名産品と呼ばれるようになる土台を作って来たのだ。
トビー選手、いつの間にか立派になったよなぁ。
コーデリアさんは別として、いまや屋敷で最も勤続年数の長くなった侍女長のリーザさんを、とうとう自分のお嫁さんにしたんだよね。
なんだか嬉しいなぁ。恥ずかしそうに照れているけれど、ふたりのとても幸せそうな姿を見ていると、喜びが溢れて感動するよなぁ。
「ザックさま、泣いてる? ですか」
「ああ、感動してしまったのであります。幸せに包まれたふたりを見ていると、涙がこぼれ落ちるのです。じつに良くやったと、大きな声でそう叫んであげたい」
「大声は、やめてくださいね。はい、ハンカチ」
「はいです」
「ザックさまって、意外と直ぐ泣くよね」
「わりと感動しやすいんだよ、カリ姉さん」
「涙腺が緩む年齢には、まだ遠いんだけどねー」
そこのうちの女子たち、煩いですぞ。なにせ、魂年齢の合計は来年で73歳ですからな、ライナさん。
トビーくんとリーザさんの結婚式は、年を越してから2月の頭に俺たちが王都に戻る前に挙げることとなっている。
挙式はグリフィニアの祭祀の社で。披露宴はこの大広間で行う予定だ。
身分的には両人とも一般人なので、この子爵家の屋敷で宴を行うのはとても異例のことなのだが、ふたりはうちの使用人で言わば職場結婚だからね。
ただし、結婚後は領都の市中に新居を構えて、当面はふたりで屋敷に通って来るそうだ。
侍女さんが結婚すると引退するのが通例だけど、リーザさんのたっての願いで仕事を続けるのだという。
まあ、お子さんができるまでだよね。
そうだ。パーティーにグリフィニアの祭祀の社長がいらしているから、ちょっとご挨拶と、あと相談をしてみるかな。
グリフィニアの祭祀の社は、一昨日に訪れたアナスタシアホームが附設されているところだ。
社には社守という名の職掌の人たちが数人居て、日々の祭祀とアナスタシアホームの運営に従事されている。
そのトップはギヨームさんという人で、俺たちは普段は社長さんて呼んでいるんだよね。社長さんじゃないですよ。
あと、女性の社守は、グリフィニアでは巫女さんとも呼ばれていて、どちらかということこの呼び名の方がこの地方では一般的だ。
以前に聞いたことがあるけど、どうやらその呼称は大昔からグリフィニア独特のものなのだとか。
俺的には前世から馴染み深い職名だけどね。
毎回、夏至祭と冬至祭のこのパーティーには、社長さんとあと順番で誰かひとりが出席してくれているのだけど、今夜一緒に来ていたのはリリアーヌという若い巫女さんだね。
「社長さん、リリアーヌさん、楽しんでいただけてますか」
先ほどのトビーくんとリーザさんの婚約のお披露目が終わって、いまは侍女さんたちの歌と演奏が始まっている。
「おお、ザカリー様。先日は、ありがとうございました。楽しませていただいておりますよ」
「なんだか、わたしたちだけ、一昨日に続いてザックさまトルテの2回目をいただいちゃいまして、とても幸せだけど申し訳ないです」
いえいえ、2回目も美味しく食べて貰えたのならそれで結構ですよ
あと、ザック様トルテの、様はいらないですからね。どうもみんな、間に様を付けちゃうんだよな。
「2月の挙式、よろしくお願いいたします」
「ええ、ええ、それはもちろんですよ。トビアスさんもリーザさんも、子爵家にとっては大切な方ですからね」
まあ、あんなトビー選手ですが、俺の兄貴みたいなもので幼馴染ですから。
それに、グリフィン子爵領名産品のお菓子の技術責任者でもありますし。
「ザカリー様は、わざわざその件でお声を掛けていただきましたので?」
「あ、あとひとつギヨーム社長さんに、お尋ねしたいことと言うか、ご相談がありまして」
「身どもに相談ごとですかな?」
これは今年の夏の初めから、いや春先からかな、ちょっと考えていたことなんだよね。
「社長さんはご承知かどうかわからないですけど、辺境伯家のエールデシュタット城の中に、祭祀の社の分社があるんです」
「ああ、知っておりますよ。あれはキースリング家の祭祀の社ですね。城を建てたときにあの社も造られて、現在の市中の祭祀の社の方が後から建立され、それで分社となったと承知しています。いや、何百年も昔の話だそうですが」
へぇー、そうなんだ。あの小さな分社がお城とともに初めに出来たんだね。
「なるほどです。まずはお城と社が造られたのか。うちの場合はそうしなかったのですね」
「グリフィン家の場合は、まずは大森林があり、ご一族が来られてその大森林の傍らに拠点を構えられ、村が出来、街が出来、子爵館が出来て社も出来た。そういうことです。なので、グリフィニア全体がグリフィン家のお城なのです。いえ、なに、祈りと感謝を捧げるのに、社など無くても良いのでよ。ただ、みなさんが集まったり通えるところがあると、それはそれで便利ですからね。それに身どもらも住まう家ぐらいは必要ですのでね。はははは」
「そういうことですか」
このギヨームさんという人は、飄々としていて程よく力が抜けている。
でも、それなりの武術の心得もあるのではないかな。社守の服装を普段着に着替えたら、一見するとただの中年男性にしか見えないけど。
「それで、ザカリー様のご相談というのは?」
「ああ、いまのお話でうちには必要ないのかもですけど、この子爵館にも分社を造るのはどうかなと、ふと考えまして。それで社長さんのご意見を伺おうかなと」
「なるほど、そういうことですか」
「それは良いご発案ですよ。この子爵館に分社が出来たら、わたしがお勤めしましょう」
「これ、リリア」
「あは、すみません」
リリアーヌさんは見た目、カリちゃんと同じぐらいの16、7歳といった感じだ。
密かに女子高生巫女さんと呼ぼう。女子高生ではないけどね。
この子、うちに分社が出来て勤めたら、いつもお菓子が食べられるとか思ってないでしょうね。
「ふむふむ。ザカリー様らしいご発案です。祭祀の社というものは、無くても良いがあっても良い。つまり、ただの無駄にも邪魔にも、あればならないということです。もし、ザカリーさまが造営されるのでしたら、是非とも身どもたちにお手伝いさせてください。ただし、おそらくは当社の分社では収まらないでしょう。分社の場合には本社から、少なくともアマラ様とヨムヘル様の依代を、お分けさせていただくことになりますが、ザカリー様が造営なされましたなら」
アマラ様とヨムヘル様の依代か。一般的にはアマラ様は鏡、ヨムヘル様は剣と聞いている。
分社の場合には本社の依代から神霊をお分けし、新たな社を建立する場合には用意した鏡と剣に神霊を降ろす儀式をするらしい。
これって俺の場合、どうするのかは本人たちに聞けばいいんだよなぁ。
そう言えば、ヨムヘル様からいただいた直刀の叢星もある。
ギヨームさんは最後まで言葉にしなかったけど、何を感じているのだろうか。
あと、造営する場合、社の建物のかたちは何でも良いそうだ。
グリフィニアの社はロマネスク様式のようにも見えるし、王都の北の社はルネサンス風の雰囲気も少しあった気がする。
もしかしたら、俺がいた前世の世界の神社風でも良いのかな。
「ザカリーさまが社を造営されたら、わたしに第1優先権がありますからね、社長さま」
「それは、ザカリー様にお願いしたらどうだ、リリア」
「はい。そうします」
女子高生巫女リリアーヌさんて、なんだか面白い人だな。あらためて見ると、うちの女性たちに近い匂いがする。あ、良い匂いは嗅いでませんよ。
ギヨーム社長さんが賛成してくれたので、子爵館内に祭祀の社を建立する気持ちが高まって来た。
これもダレルさんと相談して、父さんと母さんに提案しないとだな。
でも、グリフィン建設(仮)としてはまずはヴァネッサ館西館の増改築、調査探索部の本部整備が控えているので、それが出来たあとでゆっくりと考えることにした。
社のデザインなんかも考えたいしね。
あとやはりこの件は、まずはシルフェ様と相談する必要があるだろう。
「社長さんと、なにをお話されてたんですか?」
「うん、エステルちゃん。トビーくんとリーザさんのことをお願いしたのと、それから」
エステルちゃんの側に戻ると彼女が聞いて来たので、いま交わした会話のことを話した。
「ああ、その件ですね。いよいよ、手を付けるですか。でも、あれもこれもじゃなくて、順番にしてくださいね。それと、この子爵館に造るのなら、王都屋敷の方はどうするとか、そういうのも考えないとですよ」
「あー、そうか」
ついこの前、俺が学院を卒業しても、グリフィニアに引っ込むんじゃなくて王都と行ったり来たりしたいって言ったんだよな。
そうしたら、王都屋敷の方も考えないとだよね。分社の分社だから孫社とかになるのかな。
「そういえば、クロウちゃんはどこに行ったんだろ」
「お料理を食べ過ぎて、あそこで丸まってます。お酒もたくさん飲まされたのかしら」
さっきまでカリちゃんと一緒にいたと思ったら、ライナさんや鍊金術ギルドのマグダレーナさんなども加わって飲んでいて、何となく危険な面子だ。
クロウちゃんは、その側のテーブルの上で丸くなっていた。
料理とデザートも終わって、パーティー会場内はあちらこちらでお酒が酌み交わされる時間になっていましたな。
こうして俺の14歳の年末も過ぎて行き、年を越して今年は15歳。学院生としては最後の年を迎えた。
うちでは年明けは静かに過ごし、直ぐに平常通りとなる。
この冬休みは、特に遠出をする予定もいまのところは無いので、まずは調査探索部本部施設の件、それからトビーくんにショコレトール生地作りを見せて伝授する予定だ。
あとはまたこの冬も、アルポさんとエルノさんが熊狩りに誘って来るだろうから、1回ぐらいは付き合うかな。
それからソフィちゃんの件は、向うから報せが届かない限り何もしようが無いので、ただ待つだけになる。
そんなことを思いつつの新年1日目。今日と明日、明後日は内政官事務所もお休みで、騎士団と領都警備兵は休む訳にはいかないものの、両者で協力して交替で休みを取る態勢だ。
独立小隊レイヴンもジェルさんの方針で、分担して領都内警備に協力する。
騎士団見習いの子たちの午前の稽古も、3日間はお休みだね。
なのでフォルくんとユディちゃんも、今日は初めて領都内の巡回に加わるのだそうだ。
彼らはこの子爵館ではまだ屋敷内で暮らしているので、年明けの早朝に騎士団本部の方へアビー姉ちゃん騎士と一緒に出勤して行った。
「行って参ります」
「行ってきまーす、ザックさま、エステルさま」
「んじゃ、行って来るね」
「頼むね、姉ちゃん」
「はい、行ってらっしゃい」
アビー姉ちゃんは、現場に出るときはエンシオ・ラハトマー騎士小隊の一員なので、レイヴンとは行動が別になるだろうけど、まあお願いしますよ。
屋敷の中は侍女さんたちにも交替でお休みを取って貰うので、人影がまばらだ。
おそらく屋敷内でいちばん暇な俺とクロウちゃんが、2階の家族用ラウンジでぼんやりしていると、エステルちゃんとカリちゃんが紅茶を淹れて持って来てくれた。
「アデーレさんとエディットちゃんは?」
「下でのんびりして貰ってますよ。フラヴィさんたちとお茶しているみたい」
フラヴィさんはリーザさんの次に古参になってしまった、母さん付きの侍女さんだね。
いつもは母さんの側に控えていることが多いが、今日は解放されているのだろう。
エステルちゃんとカリちゃんもそのまま寛いでいると、父さんと母さんがラウンジに入って来た。
「おお、ザックはここにいたか」
「この人、寒い日はだいたいここから動きませんから」
「カァカァ」
「ははは。相変わらず、動くときと動かないときが極端なやつだな」
「せっかくだから、お話でもしましょ。エステルとカリちゃんもいてね」
「それでは、いまお紅茶でも淹れますよ」
エステルちゃんとカリちゃんが、父さんと母さんの分の紅茶を用意しに席を立った。
たぶん、お菓子なんかも持って来るのだろう。
でも母さんがお話でもしましょうって、ただの世間話ですかね。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
引き続きこの物語にお付き合いいただき、応援してやってください。




